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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

重要文化財・(旧)杉山家住宅 (建物内部・障壁画・欄間彫刻)

 【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a histric district and heritage site of Japan - Sugiyama residence, indoors and interior decorations
 
土間と右手前からダイドコ格子の間
 
土間左手の釜屋と右手の下店(しもみせ)
  釜屋(左手奥)
台所。ここで煮炊きをしていました。
南河内地方の典型的な農家風建築様式を残しており、土間(釜屋、正面左手奥)の梁は、「煙返しの梁」と呼ばれています。梁の高さを低くも設けることで、煙が土間から外へ吹き流れることを防ぐ構造です。煙突はなく、その代わりに天井は竹で造られていて、隙間から煙を外に出すように工夫されています。  

使用人部屋(中二階)
酒造業を営んでいた頃の使用人は70名を数え、正面右手の中二階(板戸が見えます)が使用人部屋となっていました。当時は梯子を架けて、上り下りしていました。

屋根裏部屋
さらに、屋根裏部屋は藁・芝の保管倉庫になっていました。右手玄関口の頭上には右手から左手上方向に屋根裏部屋に通じる梯子が架けられています。
   
竃(土間)
竈は当時9連あったことが図面から確認されていますが、解体修理の際に3連(写真)を漆喰で復元しています。左手には中二階の使用人部屋へ行き来するための梯子が立てかけられています。
ダイドコの間に掛けられている槍




 土間から見た格子の間(左)とダイドコ(右)
 格子の間
ダイドコ
この部屋は食堂で、座って食事をします。敷居と建具に工夫がされています。敷居の溝が4本となっており、戸を開けると建具1枚に収まり、広く使えるようになっています。また、敷居の溝は途中で止まっていて、建具がオーバーランしないようになっています。建具には小窓が付いており、食事中にお客さんが来たときにここから覗くことができるような構造になっています。
格子の間
商談をする部屋。窓は木でできていて、下の方が細かくなっており、外からは中が見えにくいように工夫されています。
   
格子の間 梁に架けられた槍
格子の間に掲げられた墨蹟(山岡鉄舟筆)
右から「生前富貴学頭露身後風流怕上花」
明治時代に山岡鉄舟が杉山家を訪ねて、「杉山家の為(左端)」に書き残した作品
   
数奇屋風建築 大床の間
障壁画「老松図」は文化文政の頃、狩野杏山守明筆


大床の間は能舞台を模して造られた。柱は細くなり京風の優雅な建築様式を見せている。二間幅の大床の床板は欅の一枚板を2枚並べている。
大床の間 千鳥が舞う様子を描いた襖絵

石上露子のもうひとつのペンネーム「夕千鳥」の名前は、この絵の題材に由来しているとも言われている。
大床の間
ここからは増築されており、応接間になっています。今までの居住空間とは大きく変わっており、お客様は南側に面する別の入り口から入るようになっております。
   
 座敷(手前)から大床の間を見通す

奥座敷 (約270年前に増築されました)
違い棚・床の間・書院が一直線に並ぶ珍しい造り
   
 座敷(障壁画 狩野杏山守明筆の山水画)
「床刺し」の珍しい天井(天板が床の間に直角に向いている)

こちらも増築された部屋です。上流階級の住宅様式である書院造りとなっております。違い棚・床の間・付(つけ)書院が特徴です。みごとな欄間があります。
奥座敷
聚楽壁は大坂土を使い赤みを帯びています。

こちらが最後に増築された部屋で、玄関が造られた頃から約100年後に造られました。この部屋は、簡素に洗練された数奇屋風となっています。違い棚・床の間・付(つけ)書院が一直線上に並びます。この部屋からは庭園を見ることができます。  
   
欄間彫刻
薩摩杉を用いた菊の透かし彫り
(狩野派 大岡春卜作)
欄間彫刻
薩摩杉を用いた菊の透かし彫り
(狩野派 大岡春卜作)
 
角屋(つのや)
庭に向かって母屋から角のように突き出した事に因む
 
螺旋階段
 
螺旋階段
重要文化財・(旧)杉山家住宅
 重要文化財・(旧)杉山家住宅 建物内部・障壁画・欄間彫刻
 重要文化財・(旧)杉山家住宅 庭園・展示室
 重要文化財・(旧)杉山家住宅 近藤好幸氏きり絵作品
 重要文化財・(旧)杉山家住宅 古家物語(杉山好彦氏)を読む


Information

国の重要文化財
1983年(昭和58年)指定

一般公開(有料)

建築年代
1644年(寛永21年)

所在地
富筋・西林町

近鉄長野線 富田林駅又は富田林西口駅からいずれも徒歩約15分。近くには来訪者用の駐車場はなく、車でお越しの場合には2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。ご利用ください。

開館時間
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町14-31
TEL.0721-23-6117
(午前10時~午後5時、月曜休館,12月28日から1月6日休館)

お問い合わせ先
富田林市役所 文化財課 
TEL.0721-25-1000(内線508)

見どころ
杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。当時の流行り歌にも、「一に杉山、二に佐渡屋、三に黒さぶ 金が鳴る」と唄われたと伝わります。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。

(旧)杉山家住宅には年間で約9千人が訪れています。寺内町発展の歴史と女流歌人・石上露子に関するビデオ上映がされています。また二階では寺内町きり絵風景画(近藤好幸氏作品)等が展示されています。係員の方に内部をご案内頂くこともできます

歴史(由来)
富田林八人衆の筆頭年寄で、「わたや」と号する。 約450年前、富田林寺内町の造営から関わり、当初は木綿問屋を営み、その後、江戸時代中期に酒造業を始めて、大いに栄えて河内酒造業の肝いり役を務めた大商家。明治中期に酒税(造石税)導入や灘・伏見などの大規模生産地との競争力不足などが理由で酒造業を廃業した。明治の明星派女流歌人・石上露子(いそのかみつゆこ、本名は杉田孝、明治15年~昭和34年)の生家でもある。

当時の所有者が不動産屋に土地・建物の売却を検討した為、富田林市が貴重な文化財保護のために昭和58年6月166百万円で買取。その後工費230百万円、工期2年半を要して解体修理が行われた。解体修理の際には土間部分の母屋建物全解体、母屋座敷部分は半解体された。南河内の代表的な農家風建築様式として、昭和58年10月26日に国の重要文化財に指定された。

現在、富田林市が所有・管理を行いながら、昭和62年から一般公開されている。富田林寺内町の中で建物内部を一般公開しているのは、国の重要文化財・(旧)杉山家住宅、国登録有形文化財・(旧)田中家住宅勝間家住宅(2012年10月末日で一般公開を終了。現在はイタリアンレストランとして公開)の3軒のみである。

映画ロケとして、篠田正浩監督作品「舞姫」(1989年、郷ひろみ主演)の撮影が旧杉山家住宅内で行われました。


屋号
わたや

建物の特徴
寺内町町家で最古・最大の、17世紀中期の南河内地方農家風建築様式。屋敷地は一区画(約千坪、現在は430坪)を占める。母屋と東に延びる3室の別座敷、2棟の土蔵(酒蔵と米蔵)と庭園を残す。母屋は4層の大屋根が特徴。母屋は数奇屋風書院造りの大床の間、座敷、奥座敷、茶室と農家風建築の土間から構成される。狩野派絵師の障壁画、山水画、および欄間彫刻、さらには明治時代に改築されたモダンなや螺旋階段、土間には竈(かまど)が復元されています。屋根瓦の枚数は約4万枚に上り、解体修理によりその半数は再生利用されて現在も屋根瓦として利用されています。

杉山家文書
杉山家文書は京都大学総合博物館で「村の文書」, 「酒屋の文書」として常設展示されています。

休憩所(トイレ)
じないまち交流館寺内町センターじないまち展望広場にあります。

車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。西方寺の斜め向かいに位置し、重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。

尚、団体用の大型観光バスでお越しの場合は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力をお願いします。

ボランティア・ガイド



団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

Art Gallery
Books
明治の明星派女流歌人・石上露子

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