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Home>PTAとのお付き合い>PTAのここがイヤ~!

PTAのここがいや~!(>_<)

つきぐま「子どものために」と夢と希望を掲げて発足したはずのPTAも、今や本当にまったくもっての嫌われ者の団体に。そこでPTAの「ここがイヤ~!」「これが困る~!」という意見をまとめてみました。

 これが改善されれば、役員に当たることも「まあ、仕方がないか~」ぐらいに諦めてもらえるかも。(ムリか…^_^;)

(新しくページを追加しました。09.02.12)

PTAの活動内容から

活動の負荷の高さ

PTA役員はとにかく大変!一般Pなら授業参観や学校行事を除いて、学校とかかわる日なんてまずないのがフツーなのに、役員に当たった日から、園にも学校にまるでフルタイム並みに出勤し、何がしかのお仕事をするハメになる(しかも無給で!)
 「家庭優先で無理なく…」なんていう会長サンは言ってくれるけど、その会長サンだって土日も含めて何がしかの協議会にも参加していて、かなり「無理して」感がわかるだけに、自分だけ免除してもらうわけにもいかないのよな~。

PTAの活動の合った日はまちがいなくコンビニ弁当になるし、電話やメールの攻勢で子どもの宿題だって見られない。結局しわ寄せは、全部子どもに向うだけ。

おまけにその活動が本当に「子どものため」になっているのなら納得もできるし、やりがいも出てくるのかもしれないけれど、行政主催の講演会に「サクラ」として駆り出されるばっかりで「PTAは行政の下請けか?」と思うことも多いし、「これまでもやってきているので…」とだ~れも来ない行事を企画しては、また「サクラ」を動員して、大盛況イベントと「偽装」する…。
 で、実際「子どものため」ってお子ちゃま球技大会を企画したら、現場の教師には「授業時間ギリギリなんですよねっ!」って睨まれる。けど校長センセはやる気満々。こういうのってもともとは地域の子供会なんかがやってたことじゃないのかな~。そんなふうにイベントだけは肥大化していく傾向に。

学校も「地域に開かれた学校」とか言って次から次へとスローガンだけは高々と上げてくれて、で、PTAが地域の夏祭りで「綿菓子」作る…、その次は「廃品回収」で小銭稼ぎ…。これで「地域に開かれた学校」になるのか?(-_-;)

我々役員は忙しい思いをして、一体なにをやってるんだろう…(T_T)

 

仕事をしていても「PTA活動と両立できる」なんていっつも言われるけれど、PTAの行事があれば、週に何度も学校に出勤しなければならないし、行かなきゃ行かないで同じメンバーに「あの人は来ない!ずるい!」と非難される。
 そこまでして準備した行事だって、一般Pもなかなか参加もできないような平日昼間の開催で…まあ行くだけの価値がないと判断されるのも仕方のない内容だけど。

有給休暇だって、参観や個別懇談、子どもの病気で消化するので精一杯。残念だけどPTAの活動は確実に優先順位が落ちる。役員としてフルタイム並みの活動を求められてもムリなんだよね~!

このご時世、いつ何時に契約が打ち切られるかわからないのに、「PTAで…」なんて休める職場はどれだけあるのかな。PTA以前に生活だけで手一杯…って家庭も多いと思う。

もちろんこれまで「PTAくらいできるよね」と思われていた専業主婦だちも、今や平日昼間をお気楽に優雅に暮らしているわけではない。「子どもの安全」を脅かすような事件も頻発するから、登下校も「友だちの家に遊びに行く」も送迎が必要な時代。おまけに「学力低下」だと煽りたてられるから、親子で勉強に追い立てられる。そうかと思えば今度は「食育」か?こうやってまた親子が追い立てられていく。。。

子育てに関わる時間というのは、年々増えているのが現状だ。とにかく今のお母さんたちは、仕事に育児に家事にホントに「忙しい」のだ。PTAの活動やってる時間なんてどこにあっかぁ~?

 

PTA役員の中でも「会長」などという大きい役では、必ずといっていいほどセレモニーでの「ごあいさつ」がある。やはり、カラオケ屋でマイクを持つのと、セレモニーで何百人を前に、それも人さまよりも一段高いところでマイクを持つのとでは精神的な負担が全然違う!

最近の一般Pはとにかくご批判がお得意だから、「ごあいさつ」が「長い!」「声が小さい!」「内容が意味不明!」などがあれば、容赦なく「くっだらね~挨拶だった~」と罵声が飛ぶ…(T_T)

クラス委員で、こちょこちょとした小さい雑務なら「やります」と言えても、こんな「ごあいさつ」があるような大役なら、躊躇する人が多いのもト~ゼンとも言えるかも。

 

活動の支援のなさ

PTAの役員さんたちが、たとえ一生懸命がんばって活動を維持したとしても、必ず浴びる一撃は、一般Pの冷たい視線に冷たい態度。

おまけに頑張ったら「あの人は好きでやっているだけ」、少しでもうまくいかないと「バッカじゃないの?」。そして、一般Pの無関心派は「うちの学校に広報なんてあったっけ?」。

だからといって、一般PでもPTA活動に関心のある層は「お兄ちゃんのときはこんな行事もあったのに、今の役員は何もしない!」

そして、PTA活動で何か新しいことをしようものなら、過去のPTA役員経験者に「これまでのやり方に文句あっか~?」

で、結局「これまで通り」のPTA活動を行えば、「今年の役員はノウがない!!!」

忙しい仕事をやりくりして、同僚に頭を下げて休み取って、活動日は食事を準備する時間もなくコンビニ弁当でエンゲル係数をUPさせてまでやっているPTA活動も、この言われ方じゃ~、役員さんは本当に報われない。

一度このイヤ~な思いを経験すると、「次は絶対にやらないからね!」と固く固く誓う役員さんが増えることになる…。

PTAというのは、「parentとteacherの会」のはずなのに、実際にはなぜか「お子さまを遊ばせる行事」というものも結構に多い。昔は地域の「子供会」あたりが担当していたようなentertainmentも、地域のコミュニティーの崩壊で役割だけが学校に引き継がれたためか…。

ところが、今のお子たちは保護者のような素人が企画したイベントじゃ~さほど喜びもしない。世の中の刺激的なentertainmentにも慣れてしまっているし、わざわざ学校に集めて親たちが炊き出したカレーライスをふるまったところで、「Macのほうがマシって感じ?」(-_-;)
 どうやら家でゲームでもしているほうがよっぽど楽しいらしい。。。

そして、こういった行事の最後にはお決まりとして「お土産」を配る。たいてい100均で買った文房具とかね。

ところがある時、「オレ、いらない」と突き返すコがいた…。役員さんが「家に帰って捨ててもいいから、持って帰って」と説得していたけど、「そんなのモッタイナイじゃん。オレ、こういうの使わんから」とそのままその子は帰って行った。

必要のないお土産に、必要のない行事…。逆にこっちが考えさせられたよ。

PTA活動は、平日昼間が多いといっても、必ず子どもが「学校にいる時間」に行われるとは限らない。例えば「朝のあいさつ運動」なら、子どもが登校する前に自宅を出発しないと間に合わないし、「下校のパトロール」なら、子どもが帰宅する時間は校区内パトロールで自宅は親不在となる。
 授業参観後に行われる「学級保護者会」なども、子どもはそのまま下校させられるので、当然自宅は親不在となる。

仕事のある人は「平日昼間」が時間的にやりくりできないので、委員会などを夜20時以降などに開きたがるけれど、その時間は子どもはたいてい家にいるわけで、こういった物騒な時代に「子どもだけを家に残したくない」という保護者も当然多い。
 (火災や強盗が怖い!という理由は想像がついたけれど、阪神大震災で被災した人に、「万が一留守のときにあんな大地震が来たらどうする?」と言われ、言葉がでなかった…。大地震で街が潰れるという経験をした人にとって、「子どもを1人で留守番させる」は「危ない」レベルではなく、保護者にとって「恐怖」なのだと思った。。。)

だからといって、この夕方~夜にかけての時間帯に、子どもの面倒を引き受けてくれるようなご近所さんもなかなか見つけるのは難しいし、たかだかPTAの会合のため、高いベビーシッターを雇うのか…というと、それも躊躇する。

で、「それなら土日に」となるのだけれど、土日は学校が休みだ。当然、学校でお集りするのは難しい。おまけに最近土日が休みでない職業の人も多く、そういう人にとっては土日のほうが参加もしにくい。

毎回のように「託児」の問題が議題に上がるのだけど、「アメリカなら子どもを自宅で1人留守番させると「虐待」と言われるのよ」という人から、「子どもだけでも留守番はできる。そんなのは過保護だ!」という人もいて、なかなか意見はまとまらない…(-_-;)

結局、PTAが熱心に「子どものために」と頑張れば頑張るほど、PTA役員さんのお子たちが、家で子どもたちだけでお留守番をし、健気に親の帰りを待つという犠牲を強いられるのが現実だ…。

 

PTAの情報公開のなさ

PTAの活動って「わからない」ことが多すぎる。役員さんサイドが「この現状を知られたら、次年度になり手がいない!」と危機感をもつためか、活動内容をひた隠しに隠し続けるなんてことも…。

そもそも行事開催1つにしても、当日ぱっときて、ぱっと片付けて帰れるわけではなく、学校との折衝や事前準備が恐ろしく手間ヒマがかかるうえに、PTAってもうびっくりするくらいに○○協議会や△△連合会などの団体との会合や行事参加という対外活動をも行っている。

そう、PTAは学内で活動するだけでなく、そういった団体の行事にもぜ~んぶ参加するわけですよ~。でも、PTAの本部事務局あたりが出している「PTAだより」などには、こ~んな話がどこにも載っていなかったりするし、実際につきぐまも安全委員になったとき、全員が集まってから「安全委員は自動的に市の指導協議会に所属することになっています」と言われて唖然としたことがある…。

本当は、そういった真実について「知りたい」「聞きたい」という人は多いと思うのだけど、だって内情を知らずに「役員やります!」なんて死んでも言えないわけで…。だけどコレって学校で役員さんに聞くと、「この人、役員やる気あり!」とみなされて、次期役員にノミネートされてしまったりするから、絶対に聞けなかったりする。

そういったところから、「うちのPTAって夜の会合なんかもあって、教委をご接待しないといけないらしいよ~」などという憶測や推測を含んだウワサ話が独り歩きしていってしまうのだろうな~。そんな話はやはり事実無根だったけど、P連主催で1万円近くするホテルでの懇親会というのは年に何度かあったのは事実だ。

こんな魑魅魍魎の世界に、誰も喜んで飛びこまんよな…。

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PTAの存在意義から

「PTAってなに?」…実はこういう保護者は結構多いと思われる。だって…子どもが入学すれば、当たり前のようにPTAって組織はあって、「そういや~うちの親もやってたかな~」くらいのイメージで、なんだかよくわからないまま加入させられることになる。(「PTAって“ざ~ます”おばさんがやっているサロンでしょ?」などというイメージをお持ちの方も多いと思われる(^_^;))

正直いって、一般PでPTA活動の1年間を1クール過ごしても、カルチャーセンターまがいの手芸講習会にありきたりの子育て論の講演会、おまけにお子ちゃま向けお遊びタイムをやっているだけで、「PTAって一体なに?」と思うばかり。

ましてPTA役員になったときにゃ~、行事も過去の年間計画もな~んのノウハウもマニュアルも残っていない状態で、ぱ~っと始まってしまってしまうから、結局「PTAとは?」などという共通理念が役員さんの中でも統一できない。
 そのうえ「PTAは行政の下請け機関です」と思わされる役割も多く、結局のところ「PTAって一体なに?」と思うばかり。

でもオソロシイことに、たいていの役員さんの任期は1年ぽっきりなので、な~んとなくワケのわからん状態でも、「まっ、いいか~(^_^;)」で終わってしまうことも多い。

そして、この「PTAって一体なんだろう」という疑問だけが、次から次へと引き継がれていく…。

PTAの基本的な姿勢の中には、「隠ぺい」「偽装」というものがある。活動が大変であったとしても、「こんな現状を知られたら、次年度の役員のなり手がなくなる」とばかりに、「大したことないよ~」と活動そのものを偽装する。うちのPTAなんかは議事録を処分して活動そのものを隠ぺいしてたくらいだからね。

それを「なんかヘンよな~」と思っているけれど、でも実際に「大変さ」を強調すれば、実際問題として次年度の役員選出が難航して、万が一にも自分が留任などをさせられたら、それこそ一大事!

結局は役員なんか学校に在籍している間で1回やればいいわけだから、「自分さえおツトメを果たせたらそれでいい」。そういう無関心さでPTAってちっとも改善も発展もしないのよね~。。。

今の保護者にとって、一番興味のあることといえば、もちろん「我が子のこと」。おまけにこの時代、世間が親の不安を激しく煽るようなことがあり。その不安が、つまり「学力低下」だの「負け組」だの「公立学校不信」だの、結局のところ親はわが子の幸せを求めて学校以外に救いを求めることになる…。

中学受験率が高い学校では、そもそも公立学校に何らの期待もしていない人が多い。結局それは、PTAを通じて学校に協力しながら学校を支援していこう!とはならないことに直結する…。そして、PTA活動をする時間があれば、子どもに何がしかの付加価値をつけるべくために心血を注ぎたい…のも親ごころ。その気持ち、わからないこともないが。

PTA活動はあくまでボランティアなので、もちろん報酬はない。でも人間、報酬がなくても活動を維持するためには、それ相当の動機付けが必要となるはず。

で、昔は、親と教師が手に手を携えてともに「子どもたちのため」(この場合はwell-beingくらいかな~)に頑張りましょう!みたいな意味合いがあったのだろうけど、これだけ世の中が多様化してしまった現在では「子どものために」の意味も1つじゃなくなってしまったのも現実で。。。

そして、PTA活動をこれまで支えてきた主婦たちにとって、PTAはある意味唯一の「社会貢献」だったかもしれないのが、今の時代、社会貢献も自己実現もあっちこっちでできちゃうからね~。

「人を引き付けるだけの魅力がない活動」と言えば、そういうことなんだろうけど。

結局は、「PTAとして何をしたいのか」ではなく、ただ単に組織を存続させることだけが目的になり下がってしまって、役員さんたちも「子どもたちのために」と思えず、徒労感だけが残るんだろうね~。

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PTAの人間関係から

「PTAで役員をやるとママ友ができる!」とも言われるけれど、これは「絶対にできる」というよりも「できることがある」程度に受け取っておくほうが無難。ただ、めちゃくちゃ忙しくてシンドイ委員会の場合は、仲良しのママ友さんができるかもしれないが、「二度と話したくもない」というママ友さんができることもあるので気を付けること(笑)
 ただ、月1で委員会に出席程度の役員さんなら、お知り合いができたとしても、友人にまで昇格するかどうかはかなりビミョ~かも。

おまけに役員さんの立候補を募る場合、学年が小さいほど、ママ友同士で「一緒にやろう」とペアやトリオ、カルテットなどを組んでいることも多い。また、たまたまクジで当たった場合でも、「あれ~一緒だったの~?」と元々の知り合い同士がいたりすると、その場で即ママ友ペアが結成されてしまう。
 そう、ママ友というのは、もともと「同じ幼稚園出身派閥」や「同じマンション派閥」、たまには「同じ産婦人科出産派閥」などというキーでつるんでしまっていることも多いのだ~。

なので、1人で役員さんになった人は、友だちは、もともとママ友ペアからあぶれている人の中からしか選ぶことができないわけなんだけど、1人で役員さんになる人は、「仕事で忙しい」だとか「ママ友なんかウザイだけ」と思っている人も多いので、この中から「ランチでもして仲良くなりましょう」と誘ったところで、「けっ」と言われることもあるかもしれない。

役員定員枠5人のところ、4人はママ友カルテットで埋まってしまっているところに1人だけポツンと入るのは、なかなか辛いものがあるのは事実。

「役員をやってもいいな~」と思っていても、実際に「どうですか?」とofferがあって、「はい、やります」なんて即答すれば、翌日にはご近所のスーパーの入り口で「あの人、好きよね~」「あの人、やりたがりよね~」と大悪口大会が開かれるのがオチ。

日本では「和」を重んじるせいか、こうやって「やってもいいよ~」という人は「出る杭」と見なされ、思いっきり打たれます(-_-;) また謙遜を美徳とする民族のせいか、「どうですか?」と言われたら、一度は「私なんかとても…」と答えるのもPTA役員選出会の「掟」(笑)

その上、「やってもいいです!」と手をあげてしまった役員さんが、何かの協力を一般Pに求めると、「全部自分でできるって自信があったから手をあげたんでしょ?それを今更手伝えってムシが良すぎる」などと言われることもある。

パフォーマンスとして「仕方なくやっている」、これが結構重要なポイントだったりする。

PTAには入学と同時に自動的に入会させられ、役員対象となるうえ、どんな活動ならできるか、どの時期ならできるかなどの個人の性格や個人の家庭の事情は全く配慮されることもないまま、お互いに「なすり合い」「押し付け合い」ながら強制的に役員を選出している。

もともとassociationなんだから、任意加入のはずなのに、だからといって「加入拒否」などをすれば、「あそこの家は変わっている!」と村八分にされ、親も家族もその地域のネットワークで生きていけなくなる。

特に、PTAで協力をしなかった人間は「非協力的保護者」と烙印を押され、万が一にも子どもに何かあった場合に「あそこは非協力的保護者の子だから」と協力も得られなくなる。

結局は、「子どもが人質」として、そこから「抜け出す」人間がいないように、監視し合っているだけの雰囲気がバリバリあったりする。

役員さんの人間関係は、基本的に同じ学校で、同じくらいの年齢の子をもつというキーで結ばれている。これが結構クセモノかも(笑)

会合で集まっても、参観で集まっても、話題と言えば「子どもの話」「ダンナの話」「ダンナの実家の話」(「話」のすべては「悪口」であることが多い)。 

おまけに「子どものデキ」をめぐっての探り合いから、ダンナの職種や地位での序列化もあったりで、心休まる話題がない…。もうウンザリって人も多いんじゃないかな~。

だからといって、この輪から離れれば、自分の子どもは誰とも遊んでもらえなくなるんじゃないかな…、子どもがいじめられるんじゃないかな…という不安と恐怖で神経をすり減らす日々。結局つかず離れずの距離感を取るのが難しい。

「PTAで保護者同士も親睦を深めて!」がお題目のように叫ばれるけど、今ドキPTAで親睦を深めたいと思っている人がどれだけいるのか…。

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PTAと学校の関係から

PTAと学校という組織は、基本はevenの対等らしいのだけど、それは親側の視点だけであって、学校がそう考えているかどうかはまた別。これまでの経験では、学校がPTAをどこかで「PTAは母親のサロン」くらいに思ってんじゃないの~?という対応も多い。

だって現場の先生も「それはPTAのほうでお願いできますか?」と発言することが多いしね。PTAは自分たちとは関係ない機関だ」と思ってるのがバレバレ(^_^;)たぶん、会費は徴収されていらっしゃるのだろうけど…、自分はメンバーだと思ってはいらっしゃらないようで。

そして管理職によっては、PTAは「タダ働きのパート」くらいの認識しかないのか?と思うようなこともいっぱい。なんだかんだと言ってPTAの役員さんを呼び出しては学校の手伝いをさせる。それも「それは行政の仕事ではありませんか?」というようなことまでね。

結局は「PTAって、学校の嫁なのよね」。多くの役員さんの談である。 

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PTAと地域の関係から

最近の学校は「地域に開かれた学校」というスローガンが大流行らしい。で、何をするかって?つきぐまの学校では、一部地域で開催されている夏祭りに行って屋台の手伝いをしていた…。他にも、校区内にある神社の祭りの手伝いに行った…とか、こういう話はうじゃうじゃある。

「地域に開かれた学校」って、地域と学校や保護者が協力し合いながら学校を運営していくために、どんどん地域の人々にも学校に入ってきてもらいましょうという理念かと思っていたけれど、どうやら、学校そのものが「地域の嫁」をやっている…。

PTAの小銭稼ぎとしての「古紙回収」。役員さんの負担も結構多いのだけど、これも一たびやりだすとやめられない事業。地域で回収をアテにする人が出てくるから…。だけどな~、こういう活動は地域からは、「これだって廃品業者に売ればティッシュやお金もらえたりするのに、わざわざ学校に出してやっているのだぞ!」と恩を着せられること、数え切れず…。そのために、地域の祭りの「焼きそばいため」が断れないのだ…(涙)

で、そこまでして集めた古紙も、これまた市況によって稼ぎになったり持ち出しになったりもする。

ちなみに、廃品回収の儲け分は会員で徴収して、廃品回収はやめないか?という意見はときどき出る。だけど…PTAだけの活動なら、PTA会員の総意で止めることができるけれど、地域を巻き込んでしまっていると、止めるときもひじょ~にひじょ~に厄介なのだ。

PTAというところは、実は地域によって地域活動人材派遣組織という側面をもつ。PTA役員は自動的に地域活動の中に組み込まれ、卒業後もず~っと無期限に赤紙は来る。

そう、「学校の嫁」を卒業したら「地域の嫁」として派遣されるわけである。

で、この地域活動の団体(社会福祉協議会など)というのもね~、表向きは地域住民の自発的な純粋民間ボラという形をとりながらも、行政から補助金が出るし、その人材は強制的にPTAから徴集されることになる。もちろんPTAからの徴集はあくまで「嫁」扱いなので、一言の口出しも許されるわけはない。

で、何をするかって~?つきぐまの場合は老人会の文化祭のお手伝いなど(笑)まあ、高齢者でも何かとても困っているようなことがあるのならば、そりゃ~いくらでも手伝ってやるけれど、元気な老人のお遊び段取りをしてやるようなヒマはこっちにもないからね。でもつきぐまはデキの悪い嫁で、どうやら「地域の舅・姑」からボロカスに「あの嫁は!!!」と言われているらしい…^_^;

別の役員さんは少年指導委員のほうで、こちらは突然に警察から委嘱され、夜間の地域パトロールなどに駆り出されて命張ってのボラをやっているらしい。おまけに地域住民に電番を公表され、めっちゃ迷惑だってorz

ちなみに、PTA役員をやって地域活動に組み込まれた人間は…、その次には「民生委員・児童委員」というおそろしいボランティアにノミネートされることもある。多くの場合はPTA以上の厳しいボラ。そして「褒賞・叙勲を目指しているだけ」と陰口を叩かれることも多いかも…。もっともそれを目指して精力的に活動している人もいるには違いないけどね。

「学校の嫁」から「地域の嫁」へ。PTAの役員さん、なり手なくなるよね…(涙)

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「PTAはイヤ~」についての考察

PTAがこんなにもみんなにイヤがられる「お荷物組織」になっているのは、なぜなんだろう…。

結局は時代が変わってしまったのに、いつまでも戦後システムを続けているPTA。

子どもの数が多い時代と同じ人数だけ選ばれる役員、母親は専業主婦だという前提のもとでの行事日程、おまけに、親が全員同じ価値観を持つという幻想。。。

戦後の貧しい時代には、「子どものために」と言えば、正直「well-being」を指していたのだろうと思う。そういう意味で親たちの「子どもたちのために」というベクトルはほぼ全員が同じだった。

でも今の時代、「子どものために」と言えば、「我が子の個性を伸ばしたい」「我が子の学力を伸ばしたい」「我が子は…」などたぶん100人いれば100通りの「子どものために」が出てくるんではないかな~。

それがいいとか悪いとかではなく、世の中の「幸福」のスタンダードが変わってしまったのだと思う。そして価値観が多様化し、公約数が見つけにくい時代になってしまった。

そういう点では、現在のPTAは新たな「PTAの意義」という公約数を見つけられないで迷走している状況なのかもしれない。

昔はそれなりに意義があったのかもしれないけれど、今では「別にPTAがなくても困らないのに」。そう思っている人だっていっぱいいる。そして実際に、そう思われても仕方がないコトしかしていないPTAが多いのかもしれない。

こ~ゆ~のやって誰が喜んでいるのかな~。

結局、何をすればいいのかわからないけどとりあえず毎年やってるのでこの行事をやっておこうと、ただ惰性でやっているPTA活動に魅力があるわけがない。

だったら、変えればいいのに。。。そう、「PTAって面倒だ~」って思っている人が多いのだから、自分が先陣切って「変えよう」と言うのはちょっと…と躊躇する人がいるのはわかるとして、それでも、誰かが先陣きって「変えようよ」と言ってくれたらそれに乗るのか?

と思いきや…

それが…イザ「変えよっか~」と言うと…

小学校で広報委員長になったとき、委員全員に「広報紙が必要ないというのなら、広報紙を委員会として廃止または休刊するために動いてもいいと思っている。こんなことは、「広報紙を作りたい」という人が集まってやることじゃないの?

ど~せ、うちは子どもは1人で今は小6。娘が卒業したらこの学校との縁は切れる。最後だから泥なら私がかぶるよ。さあ、どうする?」

と聞いたのだけど、全員にNONと言われてしまった…(笑)

みんな、広報委員会は必要ないし、広報紙も作りたくないけれど、でも広報委員会を無くすのもイヤだし広報紙を無くすのもイヤなんだって。
 で、全員の回答は「広報紙を作るのはとってもイヤだけど、頑張って耐えて作る」だった…。

アンタら、マゾか?(笑)

結局は、PTAという組織と保護者って共依存関係になっている気がした。ムリ難題で絡んでくるDV夫(PTA)に、第三者から見れば「イヤならイヤって言えばいいのに…」と思うのだけど、なぜか妻(parent)は「NO」と言えなくて、そのまま我慢してそのムリ難題をなんとか自分で解決しようと引き受けている。

ムリ難題を押し付けてくる相手に一生懸命尽くすことで相手との関係を維持しようとする、つまり自分の存在価値を見いだそうとする人もいるのだけど、それはまあ、個人の趣味としてとやかく言うつもりはない。

だけど問題だと思うことは、多くの保護者たちは、ママ友の輪という「同調圧力」によって、PTA活動がとってもイヤであったとしても「noと言わない」よう「noと言わさない」ようにお互いを縛りあっている…こと。オソロシイくらいまでの「保護者であるならば「今まで通りのPTA活動をやらなくてはならない」」という金科玉条でお互いを縛りあっている。

そんな雰囲気がある気がするのだ。

だからここPTAでは、基本的になんというか…、自分が何かに対して「どう感じるべき」「どう思うべき」とあらかじめ答えが準備されていて、それを順守しなければ「ならない」みたいな、そして、その結果「どう行動すべきか」まで規定されているみたいな…。それくらいに感情も行動もコントロールさせられてしまうようなオソロシイくらいの無言の圧力があるように思う。

そう、ココで大事なのは「みんな」であり、「みんな」に従うことが「よい」ことで
「自分」に従うことは「悪い」こと。万が一にも「自分」が「みんな」とちがった場合でも
「自分」に従うことは自分勝手で「悪い」ことで、必ず「みんな」に従わなければならない。

そういう価値観が多分にある。

まあ会話を聞いていると、たいてい会話の主語は

「everyone (も言っている)」

「someone (が言っていた)」

のどちらかになっているから。

こんな中に突然、I think…だとかI hope…だとか、「I」を主語として発言する人間がくれば、それはもう異分子というか、ときにはエイリアンと思われて拒絶されたりするわけで…。

つきぐまはずいぶんと「everyoneって誰よ?」とツッこんでは「みんな」に嫌われていたと思う…(笑)

もちろん大人だから、「イヤなこと」でも「面倒なコト」でもやらなくちゃいけないことがあるってことは百も承知だけど、でも、それは何でもカンでも「やらなくちゃいけない」ってことではない。
 「やらなくちゃいけない」ための合理的な根拠があって初めて「やらなくちゃいけない」という必然性が生まれてくるのだと思うのだけど、とにかく今はそんな合理的根拠も必然性はヌキにして「保護者であるならば今まで通りのPTA活動をやらなくてはならない」になってしまっている。

だから本当はぶち壊さなければならないのは、PTAという組織ではなく、「今まで通りのPTA活動をやらなくてはならない」という金科玉条や保護者同士の同調圧力のほうなんだろうな~と思う。

********

人が集まって何かの活動が始まった…。それは悪いことではないと思う。

子育て講演会も
 手芸講習会も
 子ども向けミニ運動会も

きっと誰かが「あったらいいな~」と思って始めたはずなのだ。

だけど、それを始めた人たちもいつかはいなくなる…。そのとき、それを引き継ぐ人がいなければその活動は消えてしまうはずだった。
 だけどそのときが来たとき、本当は引き継ぎたくない人たちが仕方なく引き継いでしまった…。それがすべての不幸の始まりだったと思う。

そして「しなくてはならない」を保護者同士の同調圧力で汲々と守り続けて、結局はこんなにも「嫌われ者」になってしまったのだと思う。

PTAで今一番求められているのは、新しい何かをすることではなく、「幕を引く」ということだと思う。
 もし、PTAで何か新しいことを始めたことがあったなら、それに関わった人がいなくなるとき、喜んで引き継いでくれる人がいなければ、それはそっと自分の手で幕を引いてしまってほしい。読み聞かせしかり花壇の整備しかり…。

引き継ぐ人がいないと、なぜか自分のやってきたことを「否定された」と感じる人がいるみたいだけど、誰かが「何か」をやった「何か」はきっと人の心でいつまでも残っているはずで、その小さい種はまたいつか、どこかで自分じゃない誰かが花を咲かせるかもしれないわけで。そう思って、幕を引いてほしい。

「幕を引く」ことを当たり前にしてほしいと思う。

そう、PTAは「無常」なのだと(「無情」ではありませんよ(笑))そう意識をしてほしいと思う。

で、すでに今ある活動の「幕引き」は…

それは、「よりよく運営するために」のページに少しだけ提案してみました。(つきぐまが実際にやってみたことです。)
 小手先の改善にすぎませんが、それでもPTAそのものを改革するのはやはり時間がかかるのも事実で、今から始めてもきっと今現在PTA役員さんに当たっている人には残念ながら間に合わないと思います…。

だから今、とっても困っているという役員さんたちがちょっとでもラクになってもらえれば…。非常にコソクな手段ではあるんですけど(^_^;)

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