小指の痺れ


2004年1月23日(金曜日)の朝、起床すると左手の小指と、その周辺が痺れていた。いつものように「そのうち治るだろう」と軽く考えていたが、それから1週間が経過し、2週間が経過、更に3週間が経過しても治る気配がない。しかも、1月下旬から2月上旬にかけての寒波で、左手の小指だけが冷たくなっている。思い当たる原因は、2点あった。

ひとつは、中古で購入したノートPC(iBook G3, OS 9.1)の操作に慣れていないせいで、知らず知らずのうちに左手の小指を圧迫していた可能性である。

もうひとつは、以前の転倒で生じた怪我の後遺症である。2003年11月19日(水曜日)の夜中、木曜日回収の燃えるゴミを捨てに下宿を出たところで転倒し、何年振りかで怪我をしてしまった。下宿の玄関先から幹線道路までは、35枚の四角いコンクリートの敷石が土の中に埋められているのだが、3〜4cmほど地上に出ている箇所が一部あって、暗闇の中で丁度そこに左足が引っかかってしまったようである(1)。

転倒したときは、一瞬、何が起こったのか分からなかった。右手に持っていたゴミ袋は手から離れ、左足のサンダルが脱げていた。どこか怪我をしていると思ったが、取り合えずゴミを捨ててから、明るいところで見てみると、着ているトレーナーや手に血が付いていた。

下宿に戻って、怪我をしたところを調べると、左手の人差し指と中指の第一関節部分が擦りむけ、血がドロドロと流れていた。トレーナーを脱いでみると右腕の肘が擦りむけていたが、こちらは表皮が剥がれて白く抜けている、真皮むき出しの状態であった。また、両脚の膝の部分が擦りむけ、血が滲んでいた。左脚の膝は、血が滲んでいる箇所以外に、内出血をしている箇所があった。結局のところ、左手の人差し指と中指、右腕の肘、両脚の膝を怪我したことになるが、どう転ぶと、このような傷が付くのだろう?

燃えるゴミ捨ては週に3回おこなっていて、これまで3,000回以上もゴミを出している計算になるが、そのときまで問題の箇所に足が引っかかったことはなかった。結局、完治とは行かないまでも、強く打ちつけて翌日から痛みの出ていた左膝と、その他の傷のほうは、およそ2週間後には、だいぶ良くなってきた。瘡蓋(かさぶた)が浮いた状態になってきて、その下で皮膚が再生されていることが伺えた。以上が、転倒による怪我の全貌である。

2004年2月18日(水曜日)の朝、起床すると、痺れていた左手の小指が僅かながら感覚が戻っていることに気付いた。それから2週間が経過した3月2日(火曜日)、痺れはあるものの「これは小指だなあ」という感覚が、つかめるようになって来た。どうも、この手の症状は、自然治癒には時間がかかるようである。さて、痺れが完治するのは、いつのことになるのやら......。

2004年3月28日(日曜日)、遂にその日がやって来た。左手の小指の痺れが、全く無くなっていることに気付いたのである。このときは、前の日に山形の実家に帰省して迎えた朝だったので、私自身の睡眠環境は全く変わっていた。このことが、小指の痺れという症状の完治に、どう関わっていたのか、私には分からない。痺れが取れたのは、単に完治する時期と重なっただけなのかもしれなかった。

いずれにしても、自然治癒まで2ヶ月余り掛かってしまったことになる。ただ、こうして治ってみると「これまでの痺れは、いったい何だったんだろう?」と思ってしまうから、人間ってのは面白いんだねえ......。

と、これで治ったと思っていたのだが、新潟に戻り、4月に入って1週間も経たないうちに、今度は身体全体に痺れが出てしまったのである。現在のところ意識はハッキリしているから、この痺れは、脳硬塞や脳卒中といった重い病気でなければ、ある人物のせいで相当なストレスが掛かっているか、もうひとつの可能性である「眼精疲労から来る血行障害」を疑うしかないようである(そう言えば、PCの画面が液晶に変わったんだよなあ......)。仕方がないので、4月20日(火曜日)のお昼過ぎ、大学の真ん前にある薬局に出向き、何年振りかで、疲れ目用の目薬を購入した。これで治れば、御の字なんだけどねえ......(2)。

[脚注]
(1) これが米国だったら、すぐに訴訟である。おそらく、そういった危険な箇所を放置していた、下宿の大家の責任が問われることになるだろう。でも、ここは日本である。私もそうだが、日本人だったら「転倒したほうが悪い」と考えてしまうものである。ちなみに、この怪我で11月22〜24日に予定されていた、秋の白馬村両生類調査に参加できなくなってしまった。まあ、でも、ちょうど部屋の立ち退きの話もあって、ごちゃごちゃしていたときだったので「この怪我は神様が行くなと言っているんだろう」と考えて、無理に自分を納得させることにした。
(2) 今年も、春の白馬村両生類調査の季節になった。あれから目薬をさし続けても、身体の痺れは一向に治らず、今回は痺れをかばいながらの調査となってしまった。そこでも、調査に参加した仲間内では「肺血栓(塞栓症)の可能性があるぞ」と脅かされる始末であった。この調査を含め「その後、痺れはどうなったのか?」に関しては、ページを改めて書くことにしよう。ただ、問題は「それまで、私の身体が持つかどうか?」ということなのだが......。


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