キャンプ地での生活


2004年7月20日のお昼過ぎから、降雨が激しくなって来た。キタサンショウウオが潜む倒木の写真撮影を終え、対岸の第1調査地からキャンプ地へと戻った午後3時40分にも、まだまだ雨は降り続いていた。午後4時に自分のテントに入ると、雨漏りがひどく、中はびしょびしょになっていた。その日、私たちのテントには、当初からいる藤則雄さん(金沢学院大学)以外に、角谷英治さん(明治鍼灸大学)が泊まることになった。この3人で「テントの中の水をタオルで吸い取っては外に出す」という作業を繰り返し、なんとか寝る場所だけは確保することが出来た。

そもそもテントの張り方が「いい加減(1)」であったことが、浸水被害を大きくした原因であった。テントは構造上、内側のシートと外側のシートの間を空ける必要がある。ところが、最初から支柱となるパイプが捻れた状態で設置されていたせいでシート同士が密着し、毛管現象で雨水が伝わって、テントの中にまで水が入り込んでいた。外は激しい雨降りで、今さらテントを直すことも出来ないので、応急処置として各自の荷物をシートから離し、寝る場所が水浸しにならないことを願って眠りに就くのであった。

翌21日は午前7時に起床し、テントの中を見ると、やはりびしょびしょであった。しかし、外は晴れていた。同じテント内の他の2人は、このまま帰路に付くので、濡れたテントの事後処理は私の仕事となった。午前7時45分にチャーハン、味噌汁、パン、チーズの朝食を取り、調査道具のパッキングも完了したので、サンショウウオ・チームの他のメンバーを待っていた。すると「集合写真を撮るから集れ」と言う。1次隊の日本人10名が帰路に付くので、そのための記念撮影であった。午前9時から15分間かかって漸く写真を撮り終えると、この1次隊のロシアンジープ2台を見送り、ゴムボートで川を渡る頃には、午前9時30分になっていた。

その日の調査は比較的スムーズに進み、午後6時にはキャンプ地へと戻ることが出来た。その日はテントに私ひとりだったので、まずテントの骨組みを直した(皮肉なことに、それ以降は晴天続きであった)。それから1時間余り掛けて、とにかく濡れたものを乾かすために、テントの外に干す作業をおこなった。晴れていれば洗濯物でさえ、2時間もあれば乾いてしまう。そのためモンゴル教育大学の学生は、目の前を流れているシシヘデ川の水をたらいで汲み上げて、よく洗濯をしていた。それくらい、ここモンゴル・ダルハディン湿地の湿度は低く、空気が乾燥しているのであった。

今回の調査では、大きいほうの便は毎朝の日課にもなっていたのだが、ちょっとでもキャンプ地から離れていれば、草原のどこでもOKであった。いわゆる「野グソ」である。その一方で、モンゴル教育大学の学生は野外での暮らしに慣れているせいか、キャンプ地に着いて間もなく草原の窪地に直方体の穴を掘り、その周りに杭を打って、開いた頭陀袋(ずだぶくろ)で囲み、簡易トイレを造っていた。これを私も毎朝、有り難く利用させてもらった。ちなみに、ここ以外のキャンプ地では、完全に野グソ状態であった。適当な窪地を見つけて用を足していると、同じ目的の人が粛々と近づいて来るので、手を振って「ここには近づかないでね」という合図を送るのであった。

風呂には入れなかったが、キャンプ地では2度ほど髪を洗うことが出来た。7月18日の午後6時15分からと、21日の午後7時15分からの2回であった(この湿地の午後7時半の太陽は、日本で言えば午後4時前くらいの位置である)。その日の調査が終わってから「ズラ(Zulaa=Hongorzul Tsagaan)」が「髪を洗いましょう」と言って、学生にお湯を沸かすよう指示していた。お湯が沸くとズラは、やかんに入れた「ぬるま湯」を私の頭の上から流し、私が髪を洗うのを手伝ってくれた。このときは「シャンプーに使ったお湯を、神聖な川(シシヘデ川)に流してはいけない(2)」ということで、草地に開いている穴のひとつを選んで、そこにお湯が流れ込むようにしていた。この穴は元々はタラバガン(プレーリードッグに似た動物)の巣穴らしいのだが、ズラによると「現在は使ってない穴ですねえ」という話であった。私の洗髪が終わったとき、ちょっと気になって「ズラは、どうするの?」と尋ねると「タイワンにやらせる(3)」と言うのであった。

以上のように、モンゴル・ダルハディン湿地のキャンプ生活は、様々な苦労もあったが、私にとっては快適そのものであった。ただ、ちょっとだけ違和感があったのは、立っている人の背中に留まるハエの数が半端でなく、20〜30匹は当たり前であったことと、蚊の大きさも半端でなく、日本の蚊より3まわりも大きかったことくらいである。

[脚注]
(1) このときは調査優先ということで、中川雅博さん(近畿大学)と共に先遣隊として第1調査地に入り込んでいたので、テント張りは免除されていた。ちなみに、ダルハディン湿地からムルンに移動する途中のキャンプ地では、同じテントに寝泊まりする○○ゼミの2人の学生「隣浩和(となりひろかず)さん」と「石田公栄(いしだきみはる)さん」と一緒に、ちゃんと自分でテントを張っている。
(2) 「川で身体を洗ってはいけない」と聞かされていたが、モンゴル教育大学の学生の中には、何名か、川で水浴する者がいた。
(3) モンゴル教育大学の上下関係は厳しく、学生は教員の命令には「絶対服従」であった。これに関しては、面白いエピソードがある。7月23日の早朝、運悪く「またタイワンが炊事当番で、調査に参加できない」というので、私は「今日は、調査最終日になる可能性が高いんだよねえ。今日だけは、他の学生と炊事当番を換わってもらえないかなあ」と頼んだ。これに対して、タイワンは「羽角バクシは、優しいですねえ」と言うのであった。意味を尋ねると「モンゴルの教員は、全員が全員『何々しなさい』と、命令口調で喋るから......」という話であった。どうも、ズラが私の日本語を「正確に」モンゴル語に訳していたようで、彼女の語学力の凄さを改めて思い知らされた日でもあった(これ以外に「私の喋り方そのものが、ソフトである」ということもあるのだろうが......)。


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