本町公園
歴史的町並みの表情を町割毎に纏めてみましたのでご覧下さい。(北から南に向かって、壱里山町から林町まで順番に並べています。)
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本町公園
(富田林駅から徒歩3分)

富田林駅から寺内町へ向かう本町筋の途中にある本町公園(本町交番南隣)には左記の歌が刻まれた石上露子記念碑が建てられています。また、富田林に逗留した作家・織田作之助記念碑(作品「土曜夫人」の原稿)が建てられています。

富田林 「じないまち」 散策地図

公園入口に設けられた寺内町案内板

富田林 「じないまち」 散策地図
織田作之助(左)と石上露子(右)の記念碑
織田作之助記念碑
「土曜夫人」原稿
石上露子記念碑
本名杉山孝。明治15年(1882年)、南河内一の大地主・杉山家の長女として生まれました。幼時から古典や漢籍、琴などに親しみ、二十歳頃から『明星』などに短歌,詩、小説などを発表しました。雅号は夕ちどり。

古典の教養をもとに、華麗さの中に深い憂いを漂わせた作風で評価され、富田林にいながら明治期の中央歌壇で注目を集め、明治36年に『新詩社』(明星発行の結社)の社友となり、与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、玉野花子とともに「新詩社の五才媛」と称されました。 旧家の家督を継ぐ運命のため、思いこがれた初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ“小板橋
(下記)は絶唱と評され、石上露子の名を不朽のものにしました。

小板橋 ≪石上露子≫

ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら
いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに
いひしらず沁みて匂ひき

今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず
小板橋ひとりゆらめ



「明星」明治40年12月号所収

(写真提供: 地元ボランティアガイド・長谷英男様)
石上露子歌碑

「みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる」

(写真提供: 地元ボランティアガイド・長谷英男様)
石上露子 (杉山タカ)  1882年−1959年
1904年(明治37年)2月、世界の列強ロシアと日本が国運を賭けての戦争が始まった。日露戦争である。同年5月金州、南山の攻略は約1ヶ月余りにわたり激しい戦いが展開された。この戦いに大阪第四師団が参加、富田林及びその周辺の村落にも多くの戦死者を出した。この時、戦死者とその遺族の身の上を按じ、国の行末を思い、言い知れぬ深い不安と悲しみにおそわれて詠まれたのがこの短歌で、明治37年7月短歌誌の明星に夕ちどりの名で発表せられた。 芝昇一 記
石上露子直筆の手紙 
重要文化財・旧杉山家住宅
寺内町案内板
本町公園入口の化粧タイル
重要文化財・旧杉山家住宅が意匠に取り入れらています。
(乾)奥谷家住宅 (本町通り)
本町公園の北隣に位置しています。
(乾)奥谷家住宅 (本町通り)
越井家住宅 (毛人谷)
本町公園の北西隣に位置しています。
越井家住宅 (毛人谷)
北野家住宅 (富筋、寺内町域外)
中央図書館・中央公民館
本町公園北西隣に位置しています。
地元にゆかりの石上露子の関連書籍が多く揃えられています。
「石上露子」関連図書の書架
歴史的町並みの表情を町割毎に纏めてみましたのでご覧下さい。(北から南に向かって、壱里山町から林町まで順番に並べています。)
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