町並みの表情
〜南会所町〜
歴史的町並みの表情を町割毎に纏めてみましたのでご覧下さい。(北から南に向かって、壱里山町から林町まで順番に並べています。)
壱里山町 富山町  北会所町  南会所町  堺町 (堺筋) 御坊町 林町
江戸時代末期から明治初期の頃の町割図を見ると、葛原家住宅の東側に当時は会所があったことが記されている。これが通りの名前の由来になっている。会所跡地は現在、駐車場になっている。この通り沿いには、南葛原家住宅の見事な三層蔵をはじめとして、造り酒屋だった旧家の酒蔵・米蔵がいくつも立ち並び、江戸時代に酒造業で栄えた富田林寺内町を偲ぶことができる。
北野家住宅
北野家住宅
虫籠窓
石田家住宅 (旧・万里春酒造) (酒蔵)
地元銘酒「万里春」の蔵元であったが、現在は製造・販売されていない。
田守家住宅
現在は借家として利用されている土蔵
日本の道百選「城之門筋」
用心掘(暗渠)に架けられた石橋
(南)葛原家住宅 三階蔵
(南)葛原家住宅
三階蔵 (各階に水切り小庇)
(南)葛原家住宅
全景
(南)葛原家住宅
格子窓
(南)葛原家住宅
忍び返し
(南)葛原家住宅
(南)葛原家住宅
持ち送り
(南)葛原家住宅
荒格子と玄関脇の持ち送り
(南)葛原家住宅
煙だしが特徴 (富筋)
葛原家住宅
葛原家住宅
玄関脇の持ち送りと昔ながらの牛乳箱が印象的です。
葛原家住宅
葛原家住宅 (左)
富筋
葛原家住宅
富筋
葛原家住宅
高い杉板壁が特徴的な土蔵 (富筋)
浄谷寺(じょうこくじ)
薬師堂 

天保10年(1830年)建立
安置されている乾漆座像の薬師如来像は信者の若い男女の恋文を漆で貼り重ねて作られたと伝えられています。
薬師堂本尊

薬師如来由来 (浄谷寺)

浄谷寺境外地(南会所町)に安置される薬師如来は、乾漆座像で胸に赤い卍が描かれ、特に衣などの美しい曲線は芸術的です。聞き伝えによれば、仏像は信者の若い男女の恋文で貼り重ね、その上に漆を塗り固め、金箔を押した像であるとのことです。

慈悲深いお顔に村人の悩みや願い事をかなえていただき、また子供が産まれれば母乳が多く出るように最初の母乳をお供えし、子供の元気な成長を祈るなど多くの人々の厚い信仰を集めています。

明治以前の大祭には、初夏の風情あふれる水饅頭、植木市、時代人形の出店をとりまいて、詠歌踊りなどにより連日盛んな催しが行われ近郷近在の人々から無病息災、身体堅固の守護仏と崇められました。しかし、明治の廃仏毀釈にあい、その管理が一時、庄屋(本葛原家)に移管され、また名前を煙草屋薬師とも云われ、世に慕われてきました。(富田林教育委員会)
奥山家住宅 (別宅、20世紀初期、本町筋)
奥山家住宅(別宅、本町筋)
袖うだつ
奥山家住宅(本町筋)
浄谷寺口 (手前から弁天堂、鐘楼、本堂)
浄谷寺(じょうこくじ)鐘楼 浄谷寺(じょうこくじ)
浄谷寺口の坂道からみた鐘楼
浄谷寺口
歴史的町並みの表情を町割毎に纏めてみましたのでご覧下さい。(北から南に向かって、壱里山町から林町まで順番に並べています。)
壱里山町 富山町  北会所町  南会所町  堺町 (堺筋) 御坊町 林町
じないまち散策地図




トップページへ戻る
Copyright 2002 by Naoya Okutani , edited in Japan