町並みの表情 
 〜林町〜
歴史的町並みの表情を町割毎に纏めてみましたのでご覧下さい。(北から南に向かって、壱里山町から林町まで順番に並べています。)
壱里山町 富山町  北会所町  南会所町  堺町 (堺筋) 御坊町 林町
外観修景された浅野家住宅
(亀が坂筋、東林町)
東林町の町並み
橋本家住宅
橋本家住宅
橋本家住宅
橋本家住宅
橋本家住宅
駒つなぎの穴を開けた石
橋本家住宅
漆喰持ち送り
橋本家住宅
橋本家住宅
橋本家住宅
置き屋根
木口家住宅
木口家住宅
(一体型)木格子窓
木口家住宅
道端に腰を下ろしてスケッチを楽しまれる訪問者の方々
(2004年2月11日撮影)
大阪府有形文化財・仲村家住宅
大阪府有形文化財・仲村家住宅
(煙だし、東側)
大阪府有形文化財・仲村家住宅
(東側)
大阪府有形文化財・仲村家住宅
(煙だし、西側)
大阪府有形文化財・仲村家住宅
大阪府有形文化財・仲村家住宅
「あてまげのみち」

寺内町は戦国時代の自治・自衛都市の町割をそのまま残しており、直交する2つの道路(南北が筋、東西が町)をわずかにずらすことで、遠方がまっすぐに見通せない構造になっている。
重要文化財・旧杉山家住宅は明治の女流歌人石上露子(写真)の生家です。
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅
煙だし越屋根と厨子二階
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅
勝間家住宅


寺内町の入口 (東高野街道沿いの道標)

この道標は、京都から高野山に通じる東高野街道の道しるべとして建てられたもので、刻字から宝暦元年(1751年)11月の建立であることがわかります。室町時代の末期、石川の河岸段丘上に建設された富田林寺内町は江戸時代を通じ、南河内随一の商業都市として発展し、東高野街道を通って多くの旅人が往き来しました。「くわへきせる」「ひなわ火」は、当時の旅人が携帯した必需品のひとつで、江戸時代の風俗を良くあらわしています。 道標に刻まれた銘文は、町中での火の用心を呼びかけたものです。
「工房飛鳥」(陶芸教室)
川上家住宅 魔除けの瓦人形(鍾馗、しょうきさん)

京都でもよく見かけますが、町家の屋根に載っている瓦人形の鐘馗(しょうき)さんは、通りを挟んでちょうど向かい側の家の鬼瓦に対面する位置に置かれています。富田林・寺内町にある城之門筋を挟んで、それぞれ向かい合う杉田家住宅と田守家住宅。渋谷家住宅と小田家住宅。いずれも魔除けの鐘馗(しょうき)さんが、それぞれ相手側の鬼瓦に向かって置かれています。鐘馗(しょうき)さんの由来についてはボランティアガイドのお一人からご説明をお伺いして、なるほどと納得しました。魔除けの置物という説明だけでは物足りず、由来まで調べてご説明をされています。

「石屋のないしょ話」(第19話)に詳しく由来が紹介されています。
林町の土蔵 (置き屋根)
林町の土蔵 (置き屋根)
幕末の庄屋・仲村長右衛門の旧宅跡、後の富田林郡役所跡の石垣 (西林町)
歴史的町並みの表情を町割毎に纏めてみましたのでご覧下さい。(北から南に向かって、壱里山町から林町まで順番に並べています。)
壱里山町 富山町  北会所町  南会所町  堺町 (堺筋) 御坊町 林町
じないまち散策地図




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