ご来訪者からのお便り

更新: 2006年8月12日 20:21:46
ハイキングのお薦めコースです。富田林・寺内町に足をお運び頂いた”ご来訪者”から頂戴したお便りや電子メールをご紹介させて頂くコーナーです。皆様からのご投稿をお待ちしています。

グループで町並み散策されるご来訪者

真夏でも日陰でスケッチを楽しまれています

歴史的町並みをスケッチされるご来訪者 (城之門筋

歴史的町並みをスケッチされるご来訪者 (城之門筋

歴史的町並みをスケッチされるご来訪者 (城之門筋

グループで町並み散策されるご来訪者 (興正寺別院
富田林を舞台に小説を出版します。(嶋崎研一様から)
 

嶋崎研一著「母の詩(うた)、晴子とともに」(朝日新聞社刊)

初めてお便りします。嶋崎研一と申します。貴殿のホームページは、三年位前から、時々見せてもらっています。素晴らしいページで驚嘆しております。

私は、昭和十三年生まれで、富田林第一中学校の時、奥谷君という方と一緒でした。貴殿はその奥谷君とご親戚ではないかと思いながら。 実は、私は、小学六年生の時、岡山県から転校してきました。そして、富田林第一中学校、富田林高校に学びました。幼い頃、両親を失い、富田林の叔母に引き取られてきたのです。 この年になって、叔母と叔父の恩愛を書き残したいと小説を書きました。三月八日、朝日新聞社から発売されます。タイトルは、「母の詩(うた) 晴子とともに」ですが、舞台は、勿論、富田林です。昭和二十五年頃から、三十年頃までの、商店街の様子や寺内町の様子を織り交ぜています。 それでは、貴殿の益々のご活躍をお祈りいたします。
(嶋崎研一様、2006年2月4日)

      

嶋崎研一様

メールを拝見させて頂きました。このたびはわざわざお便りを頂戴し有難うございました。嶋崎様は3月に小説をご発表され、その中で往時の富田林の様子を描いておられる由、今から大変楽しみにしております。現在も富田林にお住まいでおられるのでしょうか?

小生はまだ幼稚園から小学校の低学年でしたが、富田林の旧市街地は昭和40年代前半まで、堺筋、本町筋、中央商店街など個人商店がそれなりの賑いだったことを記憶しています。今はなくなりましたが、テレビが普及する前は映画館があったり、銭湯、駄菓子屋、製氷工場、質屋もあったと思います。借家の並びには共同井戸があったり、行商の人が毎日野菜や豆腐などをリヤカーに積んで売り歩いたりもされていました。寺内町の町家は当時から一部の方々には注目されて、写真誌などで取材されていたようです。旧市街の活力が次第に衰えてゆくなかで、町並み保存運動が少しづつ始まっていった頃でした。

嶋崎様が学ばれた地元の中学校、高校の御同級生であった奥谷様は、きっと寺内町の中に何軒があります遠い親戚筋の方ではないかと思います。小生の父も同じ学校に学んでおりますが、少しだけ年代が違うようです。ご小説が発売されましたら、お差し支えなければ拙作ホームページの中でもご紹介させて頂けたらと存じます。今後とも宜しくお願い致します。
(歴史散歩、2006年2月4日)


私の拙い本のタイトルは、「母の詩(うた) 晴子とともに」です。両親を失った私と妹を引き取って育ててくれた叔母夫婦の恩愛を書き残そうとしたものですが、同時に、昭和25年頃は、敗戦後五年ほどしか経ったおらず、みんな貧しかったけれど、助け合って生きた庶民の姿も、商店街の光景も書き残してみました。銭湯のことや、リヤカー行商のことも書き残してみました。 ホームページの中で紹介していただけるとのこと、大変嬉しく思います。

 最後に一つ付け加えさせていただきますが、本の表紙カバーの装画は、「民家と町並み」スケッチで活躍中の岸本信夫さんが描かれた富田林の東筋の光景を提供していただきました。(インターネットで、装画にする材料を探していましたら、私が住んでいた長屋がその絵の中央に描かれていたのです。小説のために描かれたような絵です) それではまた。(嶋崎研一様、2006年2月15日)

http://www.eonet.ne.jp/~kishimoto-sketch/


重要文化財・旧杉山家住宅

重要文化財・旧杉山家住宅

寺内町にお越し頂いて有難うございました。詳しいご感想を掲示板の御投稿で見つけました。
   勝手ながらそのまま引用させて頂きました。
yamatozi_itoshi様)

休日に富田林町に行ってきました。
奈良ではありませんが、とても素晴らしい町並みに感動したので紹介します。

富田林町は近鉄富田林駅の南、歩いて7分ぐらいのところにあります。450年頃前、戦国時代に造られた一向宗の寺内町(宗教自治都市)で、周囲より10m高い、東西400m、南北350mの台地上にあります。一向宗といえば一揆で、戦国大名にとって脅威の存在でした。
その一向宗らしさが町造りにも反映されており、見上げる高さの石垣と土塁で、周囲を固めて城郭のようにし、さらに竹藪で囲って攻められにくくしていたようです。当時の石垣や土塁、竹藪の一部が今も残っています。江戸中期以降から昭和初期の古い町屋が町ごとそのまま残る姿は、畿内ではあの奈良の今井町に次ぐ規模ではないでしょうか。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~heritage/

ご覧のとおり、時代劇セットのような町屋がずらりと並んでいます。屋根の形、虫籠窓、袖うだつ、忍び返し、蔵、などなど・・・。どれも意匠を凝らし個性的で美しく、玄関先の古い防火用水槽、馬をつなぐための置き石や金具が、時代の古さを感じさせてくれます。

規模では今井町に譲りますが、豪邸が多く、大きな蔵が建ち並ぶ重厚な景観はこちらの方が見応えあるかもしれません。江戸時代になって町は商業で隆盛を極め、建ち並ぶ豪邸が当時の繁栄ぶりを忍ばせます。そのほとんどの家は、今も普通に住居として使われていますが、3軒ほどは内部も公開されています。

町全体が素晴らしいのですが、特に印象に残るのは次の三つでした。

・50m×35mの広大な敷地を持つ越井家。
 黒塗りの重厚で長大な蔵が並ぶ屋敷は、どれほどの富を蓄えたのだろうと感嘆してしまいます。今も現役の住宅ですが、お屋敷の掃除と庭の手入れはどうしているんでしょう。付近には同姓が多いので一族なんでしょうね。
サイトメニュー:寺内町の主要建築遺産→越井家住宅

・内部を公開している重要文化財の旧杉山家。
 350年前の建築で、現存する富田林町最古の町屋。
 天井の太い梁、店の帳場、かまど、立派なふすま絵、茶室、和の庭園、こちらも立派なお屋敷でした。ここで町の案内マップがもらえます。マップは駅にもあるようです。
サイトメニュー:重要文化財・旧杉山家住宅

・城之門筋の景観
 寺内町を形成した興正寺の門前通りで、当時のメインストリートです。
 寺内町は碁盤の目になっていて、どの通りも全て見る価値ありですが、中でもこの城之門筋の景観は風情があって、スケッチをする人もいました。
サイトメニュー:寺内町の主要建築遺産→所在地の城之門筋(どれでもOK)

前々から行きたいと思っていたところでしたが期待以上。知られていないだけで、メジャーな観光地になりえる町並みだと思います。

Yahoo掲示板へのご感想書き込み有難うございました。 (2005年3月1日、管理人)

近つ飛鳥史跡ウオークNPO法人 大阪・関西歩け歩け協会主催, 2004年9月19日)

  秋晴れの下、富田林駅をスタートして、本町公園、寺内町を通り、近つ飛鳥風土記の丘、近つ飛鳥博物館、聖徳太子廟など約17kmを巡るハイキングイベントが実施されました。主催団体様より行事ご参加者の写真をご提供頂きました。ご協力を賜り有難うございました。


重要文化財・(旧)杉山家住宅

重要文化財・(旧)杉山家住宅

太鼓楼 (興正寺別院)

鐘楼 (興正寺別院)
勝間家住宅

この家に50年ぐらい前行ったことがあり、懐かしかった。特に5月人形の山形三つ花菱の紋を見た時は昔の記憶が蘇り胸が詰まる思いでした。それは、勝間家の紋です。今は、どうされているのかなあ。 私の家と重縁の間柄でした。私の祖祖父の弟に当たる方が、妻の実家の縁戚に当たる杉山某から買い取ったと聞いた記憶がありますが、定かではありません。京都や西宮やあちらこちらに縁戚の方は住まれているはずですが、元は摂州堺北の庄の出です。(e-Mail: nikkimochi)  

掲示板へのご感想書き込み有難うございました。(2004年6月10日、管理人)

今日始めて、見学いたしました

初めまして、めじろと申します(e-Mail: sigin88@ybb.ne.jp)

今日は大阪の老人大学の歴史研究会の方々と、初めて寺内町を見学させていただきました、誠に勉強不足で、申し訳ないのですが、富田林はPLの花火と、高校野球のPL学園が有名で・・・しかし今日変わりました、自分は24歳まで近鉄南大阪線で生活していましたが、今は四條畷にお世話になっています、今日の見学で、大阪にこのような町が、残っていたのかと、そこで生活をされておられる事、立派な町並みで、自分は建築関係の仕事をしていましたので、江戸時代から明治・大正・昭和・平成とその時代の流れが、タイムトンネルに入った感じで、そのよき時代に、あたかも居てるがごとく、感じた次第です、又説明していただいた、女性の方と、寺内町センターで説明された方には、お世話になりました、越井家の家で説明された時に、木材の関係との事、自分は現役の時に、美原町の木材センターに、よく行きましたし、防虫防腐処理をお願いした事を、思い出しました。
此れからも、色々と大変だとは思いますが、よき文化を残されて、保存される事をお願いいたします、本当にいい勉強が出来ました、そうしまして、吉田松陰先生、頼山陽先生も泊まられたと、いわれた御家にも、家の中には入れませんでしたが、案内していただき、感慨深い物がありました、自分は漢詩を吟じます、詩吟をしていますので、その先生方の、漢詩を勉強していますので歴史はいいですね、その方方の子孫の皆様頑張られて、ご活躍されておられる事でしょうね。(2004年3月20日ご投稿、大阪府四条畷市、男性)


掲示板へのご感想書き込み有難うございました。あいにくの雨の中にも関わらず、昨日は富田林寺内町をお訪ね頂いて有難うございました。建築関係のお仕事をされておられたとのことで、江戸時代中期から昭和初期までの商家の建築様式の移り変わりをきっと興味深くご覧頂けたものと存じます。これまで多くの関係者のご尽力のおかげで、町並み保存が実現しています。いつまでも美しい歴史的町並みを保ち続けることができればと思います。また機会がございましたら、『生きた旧家の博物館』である富田林・寺内町に足をお運びください。今回、訪問された皆さんの集合写真(デジカメ)があれば、メール添付でお送りください。ホームページ内でご紹介させて頂きます。
(2004年3月21日、管理人)


興正寺別院 2005年2月)

勝間家住宅(2005年8月)
拝観料領収券を記念にアルバムに残してありました。 ・・・ 結構楽しい地でした。

当方平成8年2月28日朝から寺内町の散策をし杉山家住宅に寄っていました。
富田林市発行の拝観料領収券を記念にアルバムに残してありました。当日、その後 岸和田城から和歌山城まで足を伸ばしていました。寺内町は寺を中心に栄えた町の名残が今でも見れて楽しめました。歴史街道でも紹介されてますね。富田林に来たら隣の千早赤坂村は太平記の舞台、楠木正成生誕の地です。近くの太子町には大阪府立近つ飛鳥博物館や、聖徳太子の御廟のある叡福寺がありますし、結構楽しい地でした。


Yahoo掲示板へのご感想書き込み有難うございました。

重要文化財の近くを毎日素通りしていたなんて・・・今頃知りました(^_^;)

わたくし、富田林在住でございます。数年前まで寺内町近くの会社に勤めており、帰宅の際は良く寺内町を通って駅に向かっておりました。学生の頃、きっと勉強したのだと思うのですが・・・
重要文化財の近くを毎日素通りしていたなんて・・・今頃知りました(^_^;) なんだかとっても勿体無いことをしていたような気がします。
もうすこし暖かくなり、ゆっくりできる時間がとれれば、今度はじっくり歩いてみたいと思います。
(2004年1月1日ご投稿、大阪府富田林市、女性)

2004年元旦に(弊サイトを)ご訪問頂いて、掲示板へのご感想書き込み有難うございました。時候がよくなれば、ゆっくりと散策してみてくださいね。

休日にスケッチを楽しまれるご訪問者
:南大阪ほんまもん研究会/河内長野ドットコム:

今回我々が寺内町を取材するに当たり、ガイド役を引き受けて頂いたのが、「富田林寺内町をまもり・育てる会」副会長の「葭谷 武雄」(よしたに たけお)様でボランティアで寺内町の案内をされています。また、自分たちで、この歴史的な街を歩くのも良いでしょうが、葭谷さんのようなガイドさんに案内してもらった方が、より深くこの町を知ることが出来、楽しみが何倍にも増すとも思います。
今回の取材でも、我々だけで取材したのでは、知ることの出来ない事が、たくさん葭谷さんの説明にあり、本当に意義深いものになりました。
写真でも分かるように、かなりのご老体にもかかわらず、かくしゃくとお元気でイキイキと楽しいガイドをして下さいました。なんでも、そうでしょうが、人間、上っ面だけを見て分かったつもりでいるものではないなと実感した一日でもありました。葭谷さんのガイドは2時間半にも及び、非常に楽しい時間を過ごさせて頂きました。
 
その葭谷さんのお話の中で、葭谷さん達、「富田林寺内町をまもり・育てる会」の方々が、本当にこの町の意義や価値を考えて、この街を今のまま、歴史の証拠として、きちんと残し、後世に伝承していこうと考えたからこそ、今の寺内町があるのだなということが理解できました。有名になりすぎると、寺内町のような場所は、一気に観光地化してしまい、たくさんの観光客が訪れるようにはなりますが、それに伴いその観光客目当ての「商業資本」が集まり、寺内町の歴史も文化も関係ない「商業施設」が乱立し、街が荒れることを葭谷さん達は一番恐れていました。また、そうなると、寺内町に住み人々にも多大な迷惑がかかり、結局は建物は古くても生活のない街では意味をなさないとも考えられたのでしょう。街というのは、そこに人が住み、生活があっての「街」という考えがしっかりとされて、今のような「寺内町」が保たれているのだと思います。
 
私などは、ミーハーですから、こんな素晴らしい歴史的な建造物が沢山あるのだから、ちょっと宣伝すれば、あっという間に京阪神は言うに及ばず全国から観光客がドパーっと押し寄せて来ると・・・・・短絡的に思いますが、その結果が、この素晴らしい寺内町までもが日本各地の有名な観光地と同じように、逆に「街が荒れる」ことを避けたのは賢明な選択であったと思います。
私自身そんな観光地化された「歴史的な町並み」をいくつも行ってきましたが、「寺内町」はそれらと違う素晴らしさを今回の取材で沢山感じることができました。
 
こんな素晴らしい、商業施設で手垢まみれになった観光地と一線を画した「寺内町」が、私たちの自宅から直ぐのところにあります。みなさんも、ぜひとも、訪れてみて下さい。ただ、その際には、マナーを守って、行儀の良い歴史の探訪者として、心静かに悠久の時の流れに身を置いてくださいね。 (2003年12月11日ご投稿、大阪府河内長野市)

観光地化されていない素朴な佇まい − 町並み保存が多くの方々の情熱によって実現し、支えられていることを実感しています。
蔵のある風景 「万里春」 − もう作られていないんですね。。。

20才くらいまで富田林にすんでいた者ですが、何の気なしに駅前にでっかい看板があ ったのを思いだし、「万里春」で検索をかけてみたら…。(泣) もう作られていないんですね。

子供の頃は勿論お酒なんか呑みませんし、言葉として記憶されていたのですが、たま たま通っていた音響系の専門学校が、芸大出身の講師を多く抱えておられたので、つ いつい講師陣と地元の話になるとまたしてもこの名前と遭遇。それから幾年月が流 れ、そろそろお酒の旨い不味いが何となくわかる頃、さて、あのお酒はどんな味なのかとずっと気になっていました。 なってはいたものの、現在東京に暮らし、年に数度実家に帰るもいつの間にやら看板の有無さえ気にしなくなり、はたと気付いたら無くなっていた。あれからどうなってしまったのだろうと色々調べてみても手掛り無し。 親に聞いても特にこれと言った手掛かりは得られず。 遂に見つけた!と思い気や既に幻の味になっていたとは…。時の流れとはときに哀しいものですね。 (2003年12月3日ご投稿、東京都)


富田林の地酒 「万里春」(バンリノハル)が、いまや懐かしい響きになってしまったことは最近の地酒ブームを考えると本当に残念な気がします。知らず知らずのうちに、地域の伝統の灯が周りから消えてしまい、世代が変われば存在すら忘れ去られてしまうということでしょうか?小生も子供であったため「万里春」を実際に呑んだことはありません。近鉄富田林駅のプラットフォームに昔ながらの木製ベンチが置かれていたころ、背板の上に「万里春」の広告板が付けられていて、通学の行き帰りに何気なくそれを見て育ったのが、小生にとっての「原風景」です。(管理人)

あー!ありました、ありました!!茶色くペンキで厚塗りされたベンチですよね。まだ実家が大阪市内で、祖父母の家が富田林でたまに遊びに行った時に見た亊があります。まだ幼かったのもあって漢字で読めなかったのでカタカナで書いてある「バンリノハル」でようやく解った。でもお酒とは思っていなかったので競走馬みたいな名前だなぁと思ってました。せめてもう少し誰か語り継がないものでしょうかね。検索したときにあまりの情報の少なさに愕然としました。(泣) 復活はないのでしょうかね。 (2003年12月5日ご投稿、東京都)

灘や伏見が酒造りで有名ですが、江戸時代には富田林も伏流水(井戸)を利用した酒造りが盛んでした。現在も当時のままに多く残されている酒蔵にその名残が偲ばれます。「万里春」のことで、何か情報をご存知の方おられませんでしょうか? (管理人)


蔵元・石田家住宅(土蔵)

近鉄・河内長野駅ホームに今も残る懐かしい木製ベンチ
(2004年5月7日撮影)

(注) 『天野酒』は河内長野の地酒です。

富田林寺内町の地酒 『万里春』 商標ラベル(胴貼り)

休日にスケッチを楽しまれるご訪問者
枚方の者です.ここ近年,古い町並み,家屋などに興味を持ちました.実際,大津のほうで,町家関係のイベントの手伝いに参加したことがあります(例えば,2000年2月の「町家にあるアート」,2002年の夏祭り,2002年11月の町家博覧会など).

実は,昨日の夜,堺市内の大学からの帰りにバイクで小旅行をしてきました.大学→富田林寺内町→竹内街道→橿原・今井町→耳成山→桜井→天理→奈良公園→加茂→山城古道→京田辺,という「歴史街道」ルートをたどりました.夜だったので,写真撮影にはしんどい時間帯ですが,それでも富田林・寺内町の中近世の雰囲気を味わうことは一応できました.
今度,時間があれば,ぜひ富田林をゆっくり散策したいと思います.

それと,私のHPのほうにも一度遊びにお越し下さいませ.

http://kyoto.cool.ne.jp/k_naoharu/index.html (2003年9月19日ご投稿、大阪府枚方市)

 ご投稿有難うございました。 時間があれば次回はゆっくりと散策してみて下さい。 再訪をお待ちしています。(管理人)
はじめまして。富田林に生まれ育ち、川西小、二中、富校と(短大は大阪でしたが)結婚するまでずーっと住んでいました。今も実家は富田林にありますが、すっかり開発されてしまって、昔の面影はありません。さびし〜い!寺内町の中には、就職してから習い始めたお琴の先生の家があって、富田林駅を降りて歩いて行くと、お琴の音が聞こえてくる、何ともいえない雰囲気が大好きでした。
 
何年か前から、いろんな雑誌やガイドブック等に「寺内町の富田林」が取り上げられるようになって、誇らしく思っています。
そして先日7月28日付朝日新聞朝刊の「みみずくの夜メール」という五木寛之さんが書いているコラムに「富田林 寺内町」という文字を見つけて、ちょっと調べてみたくなってこのHPに当たりました。 「私はこれをジナイマチと読んでいる。一般にはジナイチョウと呼ばれることが多い」とありました。広辞苑、大辞林は「ジナイチョウ」で出ています。なんと大辞林には例として富田林が!でもHPを拝見するとやはり「ジナイマチ」なんですねぇ。 どっちも正しいんでしょうかねぇ? 私は今まで「〜チョウ」と言っていたかな?
 
内容豊富なHPで、まだ全部見ていませんが、ゆっくり読ませていただきます。英語のもあってうれしいです。(2003年7月31日ご投稿、大阪府茨木市、女性)

 ご投稿有難うございました。地元でも「ジナイチョウ」、「ジナイマチ」の何れでも呼ばれています。小生も「ジナイチョウ」の方がむしろ呼びなれていますが、町並み保存運動の前後から「ジナイマチ」に呼称が統一されていったような気がします。さて、「お琴の音が聞こえてくる、何ともいえない雰囲気」は今も往時の面影が残っていれば良いですね。。。少子高齢化社会のせいか、最近は寺内町も高齢者の方を多く見かける町になってしまいました。これから世代を跨いで、人々がそこに暮らしながら歴史的遺産である伝統的町並みをどう後世に伝えてゆけるか問われているように思います。 歴史遺産である町並みについては世界遺産への登録検討できればとも思いますが、欧米のように何世代も人々が同じ家に住み続けることができる町づくり、地域社会であり続けることが大切です。珍しくコメントが長くなってしまいましたが、ぜひ機会があれば、懐かしい寺内町をぶらり散歩でお訪ねください。(管理人)
僕も3年ほど前に行ってきました。 歌人石上露子の生家があるんですよね。古い家は重心が低く、奥には日が差し込まなくて落ち着いた感じがします。歴史散歩は、とてもいい趣味だと思いますよ。(2003年7月30日ご投稿)

 ご投稿有難うございました。また、機会があればまた寺内町をお訪ねください。(管理人)
 

グループで散策されるご訪問者
私は(2003年)6月9日(月)に富田林に行きました。大阪で会合が日曜日に有り 以前から興味のありました富田林へ行ってきました。 もちろんこのホームページは事前に勉強し大変参考になりました。 今回月曜日なので駅前の観光案内所がお休みなので方向も分からずうろうろして何とか寺内町にたどり着きました。その時に近所の方とお話をしていた女性が声を掛けて下さいました。地図が無いのなら上げます。もしよければボランティア案内しましょうかと 親切にして頂きました。 いつも自分なりの旅をしますので案内はお断りし地図だけいただきました。 おかげですみからすみまで歩き回りました。建物ばかりでなく温かいもの頂いたいい気分でした ありがとうございました。 今後の活躍をお祈りします。
(静岡市在住 K.M様、男性、2003年6月17日ご投稿)


  嬉しくてこちらも”温かく”なりました。寺内町にお住まいの方にも感謝。(管理人)
昨日、富田林にうかがいました。 あいにく短時間でしたが、楽しんで参りました。下記、upして、リンクさせていただきました。
日本町家巡り 富田林寺内町
  http://www.kazabito.com/machiya/030609tonda_bayashi.html

また、じっくり御サイトで勉強してからの再訪願っております。 是非内部をいろいろ見てみたいものです。
F.I様、女性、2003年6月10日ご投稿)

  お忙しい中をお訪ね頂いて有難うございました。再訪をお待ちしています。(管理人)
HP見せていただいて、寺内町に行ってきました。とても良いところですね。ところで、HPに載っていないので、お伝えします。ご存知でしたら、すみません。今日、寺内町センターで着物展が行われていました。着物展は、6月の29日まで行われるようです。産経新聞の朝刊でも紹介されていました。
(K.S様、2003年6月4日ご投稿)


  石上露子を偲ぶ着物展」の情報ご連絡有難うございました。早速HP内で紹介させて頂きました。(管理人)
こんにちは. クラフトアート・フェアじないまちに参加させていただいてとても楽しかったです。 じないまちで印象に残った事柄のひとつで街角で偶然、地元の方が町屋の高さで建てた年代が違うことや八人衆のことを話しておられたのに聞き入っていました。その話はとても興味深く楽しかったです。 たいていの人は寺内町の古い町並みをみても 「ああ、すごいな」と一度見上げて後は上を見ないと思います。 それはもったいないことです。地元に古くから住む方々が街角にいて話を聞けるような形があったらいいなと思いました。
(Kiyo様、2003年5月6日ご投稿)

  クラフトアートフェア じないまち)」に出展・参加されたコメントを有難うございました。(管理人)
明日からの富田林市寺内町の『クラフトアート・フエアーじないまち』娘と友人が出展するので運搬をかねて工芸展を覗いてきました。話しには建物がかなりのいたみ様だと聞いていたので心配していましたがまず安心しました。こんな機会がないと町屋の中は拝見できませんから参考になりました。京都の下町風で良い感じです。
外から見ると大きな構えですが、何軒か寄せ集まっているのですね。 帰りに、娘のおごりで一人、工房飛鳥によってお茶を戴きゆっくりとしました。工芸の先生も暖かい感じのお方で工房も明るくて爽やかな雰囲気でした。時々訪ねたくなります。
(河内長野市在住、K.A様、男性、2003年5月3日ご投稿)


  クラフトアート・フェア じないまち」を機会に寺内町をお訪ね頂いて有難うございました。(管理人)


富田林寺内町に関する写真や資料をお持ちでしたら、是非ご連絡をお願いします。
ホームページへのご意見・ご感想をお待ちしています。



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Copyright 2002 by Naoya Okutani , edited in Japan