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![]() グループで町並み散策されるご来訪者 |
![]() 真夏でも日陰でスケッチを楽しまれています |
![]() 歴史的町並みをスケッチされるご来訪者 (城之門筋) |
![]() 歴史的町並みをスケッチされるご来訪者 (城之門筋) |
![]() 歴史的町並みをスケッチされるご来訪者 (城之門筋) |
![]() グループで町並み散策されるご来訪者 (興正寺別院) |
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![]() 嶋崎研一著「母の詩(うた)、晴子とともに」(朝日新聞社刊) |
初めてお便りします。嶋崎研一と申します。貴殿のホームページは、三年位前から、時々見せてもらっています。素晴らしいページで驚嘆しております。 私は、昭和十三年生まれで、富田林第一中学校の時、奥谷君という方と一緒でした。貴殿はその奥谷君とご親戚ではないかと思いながら。 実は、私は、小学六年生の時、岡山県から転校してきました。そして、富田林第一中学校、富田林高校に学びました。幼い頃、両親を失い、富田林の叔母に引き取られてきたのです。 この年になって、叔母と叔父の恩愛を書き残したいと小説を書きました。三月八日、朝日新聞社から発売されます。タイトルは、「母の詩(うた) 晴子とともに」ですが、舞台は、勿論、富田林です。昭和二十五年頃から、三十年頃までの、商店街の様子や寺内町の様子を織り交ぜています。 それでは、貴殿の益々のご活躍をお祈りいたします。 (嶋崎研一様、2006年2月4日) |
嶋崎研一様 メールを拝見させて頂きました。このたびはわざわざお便りを頂戴し有難うございました。嶋崎様は3月に小説をご発表され、その中で往時の富田林の様子を描いておられる由、今から大変楽しみにしております。現在も富田林にお住まいでおられるのでしょうか? 小生はまだ幼稚園から小学校の低学年でしたが、富田林の旧市街地は昭和40年代前半まで、堺筋、本町筋、中央商店街など個人商店がそれなりの賑いだったことを記憶しています。今はなくなりましたが、テレビが普及する前は映画館があったり、銭湯、駄菓子屋、製氷工場、質屋もあったと思います。借家の並びには共同井戸があったり、行商の人が毎日野菜や豆腐などをリヤカーに積んで売り歩いたりもされていました。寺内町の町家は当時から一部の方々には注目されて、写真誌などで取材されていたようです。旧市街の活力が次第に衰えてゆくなかで、町並み保存運動が少しづつ始まっていった頃でした。 嶋崎様が学ばれた地元の中学校、高校の御同級生であった奥谷様は、きっと寺内町の中に何軒があります遠い親戚筋の方ではないかと思います。小生の父も同じ学校に学んでおりますが、少しだけ年代が違うようです。ご小説が発売されましたら、お差し支えなければ拙作ホームページの中でもご紹介させて頂けたらと存じます。今後とも宜しくお願い致します。 (歴史散歩、2006年2月4日) |
私の拙い本のタイトルは、「母の詩(うた) 晴子とともに」です。両親を失った私と妹を引き取って育ててくれた叔母夫婦の恩愛を書き残そうとしたものですが、同時に、昭和25年頃は、敗戦後五年ほどしか経ったおらず、みんな貧しかったけれど、助け合って生きた庶民の姿も、商店街の光景も書き残してみました。銭湯のことや、リヤカー行商のことも書き残してみました。 ホームページの中で紹介していただけるとのこと、大変嬉しく思います。 最後に一つ付け加えさせていただきますが、本の表紙カバーの装画は、「民家と町並み」スケッチで活躍中の岸本信夫さんが描かれた富田林の東筋の光景を提供していただきました。(インターネットで、装画にする材料を探していましたら、私が住んでいた長屋がその絵の中央に描かれていたのです。小説のために描かれたような絵です) それではまた。(嶋崎研一様、2006年2月15日) |
![]() 重要文化財・旧杉山家住宅 |
![]() 重要文化財・旧杉山家住宅 |
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![]() 秋晴れの下、富田林駅をスタートして、本町公園、寺内町を通り、近つ飛鳥風土記の丘、近つ飛鳥博物館、聖徳太子廟など約17kmを巡るハイキングイベントが実施されました。主催団体様より行事ご参加者の写真をご提供頂きました。ご協力を賜り有難うございました。 |
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![]() 重要文化財・(旧)杉山家住宅 |
![]() 重要文化財・(旧)杉山家住宅 |
![]() 太鼓楼 (興正寺別院) |
![]() 鐘楼 (興正寺別院) |
![]() この家に50年ぐらい前行ったことがあり、懐かしかった。特に5月人形の山形三つ花菱の紋を見た時は昔の記憶が蘇り胸が詰まる思いでした。それは、勝間家の紋です。今は、どうされているのかなあ。 私の家と重縁の間柄でした。私の祖祖父の弟に当たる方が、妻の実家の縁戚に当たる杉山某から買い取ったと聞いた記憶がありますが、定かではありません。京都や西宮やあちらこちらに縁戚の方は住まれているはずですが、元は摂州堺北の庄の出です。(e-Mail: nikkimochi) ![]() |
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![]() 初めまして、めじろと申します(e-Mail: sigin88@ybb.ne.jp) 今日は大阪の老人大学の歴史研究会の方々と、初めて寺内町を見学させていただきました、誠に勉強不足で、申し訳ないのですが、富田林はPLの花火と、高校野球のPL学園が有名で・・・しかし今日変わりました、自分は24歳まで近鉄南大阪線で生活していましたが、今は四條畷にお世話になっています、今日の見学で、大阪にこのような町が、残っていたのかと、そこで生活をされておられる事、立派な町並みで、自分は建築関係の仕事をしていましたので、江戸時代から明治・大正・昭和・平成とその時代の流れが、タイムトンネルに入った感じで、そのよき時代に、あたかも居てるがごとく、感じた次第です、又説明していただいた、女性の方と、寺内町センターで説明された方には、お世話になりました、越井家の家で説明された時に、木材の関係との事、自分は現役の時に、美原町の木材センターに、よく行きましたし、防虫防腐処理をお願いした事を、思い出しました。 此れからも、色々と大変だとは思いますが、よき文化を残されて、保存される事をお願いいたします、本当にいい勉強が出来ました、そうしまして、吉田松陰先生、頼山陽先生も泊まられたと、いわれた御家にも、家の中には入れませんでしたが、案内していただき、感慨深い物がありました、自分は漢詩を吟じます、詩吟をしていますので、その先生方の、漢詩を勉強していますので歴史はいいですね、その方方の子孫の皆様頑張られて、ご活躍されておられる事でしょうね。(2004年3月20日ご投稿、大阪府四条畷市、男性) ![]() (2004年3月21日、管理人) |
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![]() 興正寺別院 (2005年2月) |
![]() 勝間家住宅(2005年8月) |
![]() 当方平成8年2月28日朝から寺内町の散策をし杉山家住宅に寄っていました。 富田林市発行の拝観料領収券を記念にアルバムに残してありました。当日、その後 岸和田城から和歌山城まで足を伸ばしていました。寺内町は寺を中心に栄えた町の名残が今でも見れて楽しめました。歴史街道でも紹介されてますね。富田林に来たら隣の千早赤坂村は太平記の舞台、楠木正成生誕の地です。近くの太子町には大阪府立近つ飛鳥博物館や、聖徳太子の御廟のある叡福寺がありますし、結構楽しい地でした。 ![]() |
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![]() わたくし、富田林在住でございます。数年前まで寺内町近くの会社に勤めており、帰宅の際は良く寺内町を通って駅に向かっておりました。学生の頃、きっと勉強したのだと思うのですが・・・ 重要文化財の近くを毎日素通りしていたなんて・・・今頃知りました(^_^;) なんだかとっても勿体無いことをしていたような気がします。 もうすこし暖かくなり、ゆっくりできる時間がとれれば、今度はじっくり歩いてみたいと思います。 (2004年1月1日ご投稿、大阪府富田林市、女性) ![]() |
![]() 休日にスケッチを楽しまれるご訪問者 |
![]() 今回我々が寺内町を取材するに当たり、ガイド役を引き受けて頂いたのが、「富田林寺内町をまもり・育てる会」副会長の「葭谷 武雄」(よしたに たけお)様でボランティアで寺内町の案内をされています。また、自分たちで、この歴史的な街を歩くのも良いでしょうが、葭谷さんのようなガイドさんに案内してもらった方が、より深くこの町を知ることが出来、楽しみが何倍にも増すとも思います。
今回の取材でも、我々だけで取材したのでは、知ることの出来ない事が、たくさん葭谷さんの説明にあり、本当に意義深いものになりました。
写真でも分かるように、かなりのご老体にもかかわらず、かくしゃくとお元気でイキイキと楽しいガイドをして下さいました。なんでも、そうでしょうが、人間、上っ面だけを見て分かったつもりでいるものではないなと実感した一日でもありました。葭谷さんのガイドは2時間半にも及び、非常に楽しい時間を過ごさせて頂きました。
その葭谷さんのお話の中で、葭谷さん達、「富田林寺内町をまもり・育てる会」の方々が、本当にこの町の意義や価値を考えて、この街を今のまま、歴史の証拠として、きちんと残し、後世に伝承していこうと考えたからこそ、今の寺内町があるのだなということが理解できました。有名になりすぎると、寺内町のような場所は、一気に観光地化してしまい、たくさんの観光客が訪れるようにはなりますが、それに伴いその観光客目当ての「商業資本」が集まり、寺内町の歴史も文化も関係ない「商業施設」が乱立し、街が荒れることを葭谷さん達は一番恐れていました。また、そうなると、寺内町に住み人々にも多大な迷惑がかかり、結局は建物は古くても生活のない街では意味をなさないとも考えられたのでしょう。街というのは、そこに人が住み、生活があっての「街」という考えがしっかりとされて、今のような「寺内町」が保たれているのだと思います。
私などは、ミーハーですから、こんな素晴らしい歴史的な建造物が沢山あるのだから、ちょっと宣伝すれば、あっという間に京阪神は言うに及ばず全国から観光客がドパーっと押し寄せて来ると・・・・・短絡的に思いますが、その結果が、この素晴らしい寺内町までもが日本各地の有名な観光地と同じように、逆に「街が荒れる」ことを避けたのは賢明な選択であったと思います。
私自身そんな観光地化された「歴史的な町並み」をいくつも行ってきましたが、「寺内町」はそれらと違う素晴らしさを今回の取材で沢山感じることができました。
こんな素晴らしい、商業施設で手垢まみれになった観光地と一線を画した「寺内町」が、私たちの自宅から直ぐのところにあります。みなさんも、ぜひとも、訪れてみて下さい。ただ、その際には、マナーを守って、行儀の良い歴史の探訪者として、心静かに悠久の時の流れに身を置いてくださいね。 (2003年12月11日ご投稿、大阪府河内長野市)
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![]() 20才くらいまで富田林にすんでいた者ですが、何の気なしに駅前にでっかい看板があ ったのを思いだし、「万里春」で検索をかけてみたら…。(泣) もう作られていないんですね。 子供の頃は勿論お酒なんか呑みませんし、言葉として記憶されていたのですが、たま たま通っていた音響系の専門学校が、芸大出身の講師を多く抱えておられたので、つ いつい講師陣と地元の話になるとまたしてもこの名前と遭遇。それから幾年月が流 れ、そろそろお酒の旨い不味いが何となくわかる頃、さて、あのお酒はどんな味なのかとずっと気になっていました。 なってはいたものの、現在東京に暮らし、年に数度実家に帰るもいつの間にやら看板の有無さえ気にしなくなり、はたと気付いたら無くなっていた。あれからどうなってしまったのだろうと色々調べてみても手掛り無し。 親に聞いても特にこれと言った手掛かりは得られず。 遂に見つけた!と思い気や既に幻の味になっていたとは…。時の流れとはときに哀しいものですね。 (2003年12月3日ご投稿、東京都) ![]() あー!ありました、ありました!!茶色くペンキで厚塗りされたベンチですよね。まだ実家が大阪市内で、祖父母の家が富田林でたまに遊びに行った時に見た亊があります。まだ幼かったのもあって漢字で読めなかったのでカタカナで書いてある「バンリノハル」でようやく解った。でもお酒とは思っていなかったので競走馬みたいな名前だなぁと思ってました。せめてもう少し誰か語り継がないものでしょうかね。検索したときにあまりの情報の少なさに愕然としました。(泣) 復活はないのでしょうかね。 (2003年12月5日ご投稿、東京都) ![]() |
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![]() 蔵元・石田家住宅(土蔵) |
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![]() 近鉄・河内長野駅ホームに今も残る懐かしい木製ベンチ (2004年5月7日撮影) (注) 『天野酒』は河内長野の地酒です。 |
![]() 富田林寺内町の地酒 『万里春』 商標ラベル(胴貼り) |
![]() 休日にスケッチを楽しまれるご訪問者 |
![]() 実は,昨日の夜,堺市内の大学からの帰りにバイクで小旅行をしてきました.大学→富田林寺内町→竹内街道→橿原・今井町→耳成山→桜井→天理→奈良公園→加茂→山城古道→京田辺,という「歴史街道」ルートをたどりました.夜だったので,写真撮影にはしんどい時間帯ですが,それでも富田林・寺内町の中近世の雰囲気を味わうことは一応できました. 今度,時間があれば,ぜひ富田林をゆっくり散策したいと思います. それと,私のHPのほうにも一度遊びにお越し下さいませ. http://kyoto.cool.ne.jp/k_naoharu/index.html (2003年9月19日ご投稿、大阪府枚方市) ![]() |
![]() 何年か前から、いろんな雑誌やガイドブック等に「寺内町の富田林」が取り上げられるようになって、誇らしく思っています。
そして先日7月28日付朝日新聞朝刊の「みみずくの夜メール」という五木寛之さんが書いているコラムに「富田林 寺内町」という文字を見つけて、ちょっと調べてみたくなってこのHPに当たりました。 「私はこれをジナイマチと読んでいる。一般にはジナイチョウと呼ばれることが多い」とありました。広辞苑、大辞林は「ジナイチョウ」で出ています。なんと大辞林には例として富田林が!でもHPを拝見するとやはり「ジナイマチ」なんですねぇ。 どっちも正しいんでしょうかねぇ? 私は今まで「〜チョウ」と言っていたかな?
内容豊富なHPで、まだ全部見ていませんが、ゆっくり読ませていただきます。英語のもあってうれしいです。(2003年7月31日ご投稿、大阪府茨木市、女性)
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![]() グループで散策されるご訪問者 |
![]() (静岡市在住 K.M様、男性、2003年6月17日ご投稿) ![]() |
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![]() 日本町家巡り 富田林寺内町 http://www.kazabito.com/machiya/030609tonda_bayashi.html また、じっくり御サイトで勉強してからの再訪願っております。 是非内部をいろいろ見てみたいものです。 (F.I様、女性、2003年6月10日ご投稿) ![]() |
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![]() (K.S様、2003年6月4日ご投稿) ![]() |
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![]() (Kiyo様、2003年5月6日ご投稿) ![]() |
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![]() 外から見ると大きな構えですが、何軒か寄せ集まっているのですね。 帰りに、娘のおごりで一人、工房飛鳥によってお茶を戴きゆっくりとしました。工芸の先生も暖かい感じのお方で工房も明るくて爽やかな雰囲気でした。時々訪ねたくなります。
(河内長野市在住、K.A様、男性、2003年5月3日ご投稿) ![]() |
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![]() 富田林寺内町に関する写真や資料をお持ちでしたら、是非ご連絡をお願いします。 ホームページへのご意見・ご感想をお待ちしています。 ![]() 富田林・寺内町の探訪 (トップページへ戻る) Copyright 2002 by Naoya Okutani , edited in Japan |