喫茶店「けやき通り」

2002年9月

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8月
10月



初秋の山陰路を走る


29日(日曜日)町内会の旅行で、
島根へ行ってきました。


吉備高原・中国山脈へと高速道路で登るにつれ、
サービスエリアでは次第にひんやりとしてきましたが、
山の色はまだまだです。
高梁でしたか、ちょうど眼前に雲がたなびいて、
目線一つながら背筋が伸びたようないい気分。


山陰に入ると、
稲刈りの済んでいる田圃が目につきました。
大山が、時々雲がかかるものの、よく見えて美しい。


昼前に松江市内に到着し、
堀川の遊覧船に乗り、一周しました。
初めてで、なかなか良かったです。


堀沿いには、民家もあれば、一般道路もあり、
なんと県立図書館までありました。(笑)
随分長いもので、竿一つで回ると半日はかかりそうです。


昼は、混ぜご飯でした。
何が入っていたのかもう思い出せず、すみません。m(__)m


それから、宍道湖の北岸431号を走り、
しばらく一畑電車と時折、行き交い、
あの映画「白い船」を思い出しました。
女子先生とは、残念ながら、否、当然ながら、会えませんでした。(笑)


出雲大社は、二十数年ぶりの参拝になります。
あの時、亡き祖父と共に一緒にまわった思い出が甦る。


帰りに、ワイナリーへ寄り、
いろいろ一口飲み、いい気分になりました。(赤面)
此処彼処に、映画「白い船」のポスターが貼ってあり、
この辺りでは、まだどこかで上映しているのかしらと思う。


その後、バスに乗って、ふと気がつくと、
落合のインターチェンジだったり、
吉備のサービスエリアだったりして、
あっという間に帰岡。(笑)


いい気晴らしになりましたが、
長時間のバスは、やはり疲れます。
疲れないバスが、どうして普及しないのでしょう?



このサイトの東西それぞれ、マイナーチェンジをしました。
きちんと表示できるかな?(^^ゞ
2002.9.30 記
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読書の秋の始まりに


「エリック・ホッファー自伝」を、一気に読み終え、
しばし、呆然とし、この様な人もいたのだと…あっけにとられる。
読書感想なんて、書けないです。


「医者井戸を掘る」に次いで、重量感ある読書がきたわけで、
是非この本も紹介したと思いましたが、
私の力量をはるかに超える難事です。
その代わりと言ってはなんですけれども、
図書館の頁をリニューアルして、
そこでさり気なく紹介するに留めました。


図書館のリニューアルについては、そこで述べてあります。
ご覧になった方の応援、お待ちしております。m(__)m
2002.9.27 記
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無事には終らなかった9月


27日の夜、外は雨。
この一週間ですっかり秋に入りきり、
稲田の穂は、もう十分に黄色ばんで、
朝出勤する時は、長袖シャツに間(あい)のジャンバーを羽織っています。


伝言板に書かれたshimuroさんの事故については、
詳細を書かれているshimuroさんご自身のHPをご覧ください。
(拙HPの駅にもリンクを貼ってあります)


「事故原因と聴覚障害とは無関係である」とshimuroさんが、述べられている通りですが、
救急車に乗るところや、応急手当で説明を受けるところ、
更にいろいろ連絡や手続きなどがあり、
聴覚障害があると、この様に事が運ばれる事、
どなたにも知っていただきたいと思いました。
聴覚障害者本人だけでなく、です。


事故に対して、相手が聴覚障害者であっても、
誠実に対応して欲しいと思うのは同感です。
カミさんが接触事故を起こした時を思い出し、
思わずキーボードを強く叩いてしまう!(^^ゞ




これを書いている今は、
金曜日の夜ですが、
ERYは、先週で終りました。
最後のカーターとピーターとのツーショットを見て、
このシリーズの最初の頃を思い出した方もいるのでは?
気のせいか、このシリーズの誰もが疲れ過ぎのような雰囲気です。
このようにシリーズを長くやるのは、いろいろ困難ですが、
その困難さを如何に乗り切っていくかという期待を抱いて、
Zシリーズを待つとしましょう。
(衛星放送ですでにお楽しみの方も居ますが…)


この一つの区切りで、読書への弾みがつき、
いろいろ読み出しています。


それは、さておき、実は、
先週の下記の文章を書いている最中に、
近所で火事があったのです。


午後9時半頃から、モーターの音がうるさくて、
誰かがバイクをつけたままにしているのかと思っているうちに、
サイレンが鳴り響き、近くで消えたのにビックリしました。


窓を開けると、電車通りの辺りから黒煙が立ち上っています。
息子とカミさんが飛び出して見に行きました。
私は、娘の傍にいて、彼らの帰りを待ちますが、なかなか帰りません。


やっと帰ったカミさんと入れ替わりに外へ出てみると、
消防車が何台も電車通りのあちらこちらにあって驚きました。
いつの間に、こんなに…!
先程のうるさいモーターの音は、消火栓から水を汲み上げるモーターの音でした。
通りの此処彼処に消火栓があって、こんなにあったの?!
それから、車が何台も通行止めの最中に止められたままになっており、
電車も二台(おそらく終電からの二台)止まっていました。
無論、いずれも運転手は居ません。


近所の同級生達と一緒に居る息子を人込みの中にようよう見つけてホッとする。


火事の現場は、小橋と中納言の電停の中ほどにある、通りに面したビルの裏手にある倉庫でした。
窓が高いところにあるだけの建物で、なかなか消火が捗らず、
5,6時間後、壁に穴をあけて漸く鎮火しました。
夜明け前の事です。
皆さん、火の用心!
2002.9.27 記
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映画「エンド・オブ・オール・ウォーズ」を見る


22日に、倉敷へ出向いて、映画の試写会を見てきました。
第二次世界大戦で日本軍の捕虜になり、
ビルマのジャングルの中を走る泰緬鉄道の工事に従事させられた、
英国人による原作の映画化作品です。


アーネスト・ゴードン氏が書かれた原作は、
「クワイ河収容所」という本で、「ちくま学芸文庫」の一冊として出ています。
(最初の邦訳題名は「死の谷を過ぎてークワイ河収容所」)


映画の題名は、
「TO END ALL WARA」。


この映画は、昨年の米国同時多発テロの影響で、
11月に予定されていた上映が延期されたままになっているのですが、
間もなく一年になろうとする今年の11月に、
ビデオとDVDとが発売されるのに合わせて、
倉敷在住の永瀬隆さんが試写会を催したわけです。


永瀬さんは、泰緬鉄道に従事させられた捕虜達の収容所で、通訳を勤めており、
そこでのジュネーブ協定を無視した非人道的な捕虜への待遇について、
個人的に謝罪と償いとを、戦後長らくやってこられた方です。


以前勤めていた製本会社で、
永瀬隆さんが翻訳された本を作った事があります。


映画の原作者と同じ英国人、レオ・ローリングズ氏が書かれた、
「泰緬鉄道の奴隷たち」という本です。
レオ・ローリングズ氏も同様に捕虜でしたが、
画家でもあって、その手による絵と手記とが収められています。


この本を作っている時、
あの「戦場にかける橋」の話と同じだけど違う、
事実がある事を知りました。
パラパラとめくって目に飛び込んできたスケッチと、
永瀬隆さんの名前が、いつまでも記憶に残り、
その後折々に、永瀬さんの名前を新聞で見かけながら、
今日に至っています。


長らく新聞等だけで見知っていた永瀬さんですが、
会場の公民館二階のロビーに入ると、
直ぐにその人と分かり、
思わず一礼してしまう。
小柄だと思っていたのに、自分と同じくらいの上背でビックリ。


映画は、ビデオを液晶プロジェクターで投影したものだし、
会場の非常口の明かりも強くて、
フィルムでの上映を期待していただけにガッカリしましたが、
映画が進行していくにつれ、
中身に引き摺られ、
だんだんにそのような悪環境であることを忘れてしまいました。


戦争中の捕虜を主人公にした映画は意外に多くあり、
その中で、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した、
デイビッド・リーン監督の「戦場にかける橋」は、大変有名です。
しかし、この映画を見た、当の捕虜達は、どう受け取ったでしょう?


その答えがこの映画だと思います。
見る人に不快感を与えないような配慮はほとんど無く、
娯楽性を排除して、話が展開されていきます。


日本軍の捕虜収容所に入った連合軍兵士たちの、
当惑を軽く通り越した憤りがまずあり、
それを受け入れる苦しみが続きます。
このジュネーブ協定等全く眼中に無い日本軍の有り様が、
我々に問い掛けているものは重いものです。
今の国際関係に生かしきれていない課題が含まれていると思う。


そして、この捕虜達のもがきの中からドラマが生まれ、
日本軍との関係も進展していきます。
この後は、例によって、作品でご覧になるよう省略させていただきますが、
捕虜達のそれぞれの考えや心情を、
又、それに対する日本軍人のそれぞれのありようを描いて、
只のドキュメンタリー映画ではない、
ヒューマンな映画作品に仕上がっている。
ここに、当事者達のその後の思いが染込んでいるように感じたのは、
私の穿ちすぎた受け取りになるのでしょうか?


モデルとなった当事者であるゴードンさんと永瀬さんとが、
後年、現地で相まみえた場面が映画の最後に出てきます。
ゴードンさんは、完成したこの映画をご覧になって間もなく、
今年の1月に亡くなられました。
そして、永瀬さんは自力でこの映画の広報に勤めて、
この試写会を敢行されました。


上に述べたように、上映されていないだけに、
関係者が舞台挨拶をする機会はこのときだけでした。
日本軍人として出演した、
佐生有吾さん、木村栄さん、油井昌由樹さんを迎えた永瀬さんの姿を見て、
日本はこの問題に対して無様な国だけど、
この人一人のおかげで日本人として救われる思いがするのを、禁じ得ません。
永瀬さんがこの試写会を含め、これまでしてこられたことを無駄にしないよう、
無駄にならないよう、この映画を一人でも多くの方に見ていただきたいと、痛感しました。


映画の終わりに、ナガセ軍曹が僧侶になった旨クレジットが出ますが、
永瀬さんはビルマでの僧の資格を持っておられること、本人から説明がありました。


[上記の文と重複する部分もありますが、
岡山の試写会情報ホーム
http://movie.ee.ous.ac.jp/default.htm
の掲示板にも一文寄せており、
そちらも合わせて読んでいただけたら幸いです]
2002.9.24 記
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いろんな事があります


北朝鮮拉致事件犠牲者の消息を伝えるトップの見出しを見た時、
文字通り息を呑む思いをしました。
ひそかに怖れてはいても、現実にこのニュースを目の当たりにすると、
やりきれない思いで胸がふさがる。
犠牲者の方々のご冥福を祈ります。


家族が寝静まった平穏な家に居て、自分の幸せを見つめ直す。
思うに任せないことだらけでも、私は幸せなのだ…。



先の週末から、週明けにかけて、
赤毛のアンのビデオを見ました。
「赤毛のアン」と「アンの青春」との完全版。
延々と、どっぷりその世界に浸かり、
最後は深夜一人ポロポロ涙して、しまう。
そうだね、アン。涙は悲しい時ばかりでなく、うれしい時にも出る。
即、「アンの結婚」を見たくてたまらないのですが、
上映まで辛抱しなければなりません。
でも、待ちきれず、市図から「アンの夢の家」を借りて、
早速読み出す。(笑)


これで思い出したのが、
どこかのサイトで指輪物語について書かれていたこと。


本はなかなか読めず、映画を見てしまう。
それで、今度こそはと、その続編の「二つの塔」から取り掛かる。


一読して、噴出してしまう。
フロドやサムが目当てなら悲惨だよ!
彼らが出てくるのは、「二つの塔」の後半からだから…。(笑)
でも、頑張ってね!と声をかけたくなる。
私が読み出して、もう5ヶ月になるけど、まだ、
「二つの塔」の後半に入ったところ。
県図の本を開くと、まだ栞が使われていない状態のまま。
よし!この僕が最初に読み終えてやるぞ!と、
思い新たにしました。(笑)



中秋の満月が近づき、
お月さんを見ながら思い出すお話が一つ増えました。
そう、「月のひつじ」です。


だんだんに近づいてきた、
戸田奈津子さんの講演会ですが、
要約筆記の要請は断られてしまいました。(T_T)
JTB曰く、
以前要約派遣の件で問題が有り、
今回は遠慮させていただきたい由。
この問題がどういうものかは分かりませんが、
関係者の間での話しあいを進め、
解消に向かうよう善処していただきたいと思います。


映画「ロードトゥパーディション」の試写会、外れる。
覚悟はしていたけれど…。
そして、「イルマーレ」も外れる。
落選のお知らせはいらないけど、
返信用の葉書を無駄にしてはいけないからねぇ〜…。
22日倉敷公民館へ、娘の運動会での出番が済み次第、
馳せ参じるけれど、無事鑑賞できるかなぁー?
参考;http://www.argyllfilms.com/index2.html
2002.9.20 記
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市図でもやっぱり映画


なかなか読書に没頭できる日にはなりません。
少しづつ読んではいるのですが…。


で、今日も映画の話。(笑)
ご無沙汰の市図に、ビデオ紹介として、
一言をいくつか書いております。
読み物としてはちょっと物足りないけど、
そこは資料紹介だから…(^^ゞ
2002.9.16 記
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思いっきり我がままに見た映画


『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』のアナキン・スカイウォ−カ−役に大抜擢され、世界中の注目を集めたヘイデン・クリステンセンが、
出演している二作目の作品として話題の、
「海辺の家」


これを、息子と見ました。
勿論、息子の目当ては、ヘイデン・クリステンセン。
親父は、ケビン・クラインとクリステリン・スコット=トーマスです。(笑)


私と同じような見方をした方は、大変少ないだろうと思う。
そういう意味で、多くの方に読んで欲しい感想です。
2002.9.15 記
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9.11、一年後


9月11日、一年前の事件で、思った以上に気重になる。


いくつもの記念番組があり、その内の一つ、
フランス人兄弟のカメラマンによる映像を見る。
去年何度も見た、通りから見上げた映像が彼らによるもので、
その後、とりわけビル内部の模様は想像を絶し、
飛び降りた人による音が、なんと言っていいか…。


この一年いろんなことがあり、
そのごく一部を見聞するだけでも、
様々な思いに陥ってしまう。


世界は、私は、どれだけ変わったのだろうか?


中村哲さんの「医者井戸を掘る」を読んでいると、
世界について何ほども知っていない自分が恥ずかしくなる。
そう言えば、ポール・オースターが新聞で述べたNYも知らない。


更に言えば、事件前後のアフガニスタンばかりか、
歴史の中で豊かなアフガニスタンも知らない。


人類は、決して進歩なんかしていない。


今回の事件から、「セプテンバー11」というオムニバス映画作品が生まれていることは知っていましたが、
深夜にテレビで放送されるのみとは…!
ええ、見損じました。




先週、「ピンポン」を字幕と補聴施設とで、楽しみました。


四日後、シネマ・クレール公式HPの掲示板に、
東京の方から問い合わせの書き込みがありました。


偶然、字幕の回を見た人から、話が伝わり、
ピンポン公式HPのBBSで広まったようです。
このBBSの書き込み、大変多くて、遡って読むのに時間もかかるし、
途中でトラブッて肝心の書き込みにたどり着けない…。(-_-;)
でも、大変熱い思いが伝わって、自分の高校時代をしばし思い出しました。


のどから手が出るほどに、
「ピンポン」の字幕を望んでいる人たちがいる!


ここでの有志たち、如何にして夢を叶えられるか?
手に汗が出るほどに、気がかりです。


私が考えた方法。
まず、スポンサーを獲得すべく、
「ピンポン」の制作・宣伝・協力会社から取り掛かる。
(諸経費・謝礼で絶対必要)
それから、岡山要約筆記クラブへ、字幕の貸与を申し込み、
その序でに、字幕投影の技術をもつ、当地の要約筆記クラブを紹介してもらう。
これだけ用意して、
当地の中途失聴・難聴者協会の協力を得、
上映している映画館へ申し込む。


無論、若い人たちのエネルギーで私の思いもよらぬ道が開けるかもしれない。
高校時代から、就職後の若い頃に至る間、
私もいくつか未知の世界にトライして、自分の世界を広げてきたので、
確信をもって言える。
このトライ、絶対したものの宝になります。
人に出会い、社会を知り、世界を広げるのは自分だという自信がつく。
いい事ばかり無いはずだけど、世界は最初からそう。
頑張って!
2002.9.14 記
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字幕の威力が発揮された「ピンポン」


待望久しい、
岡山要約筆記クラブが一夏かけて作りあげた、
「ピンポン」の字幕を存分に楽しんできました。


それだけでも十分に価値のある一日で、
今日のupは、この字幕を見ての、
「ピンポン」感想二つ目です。


これまでで、一番字幕の威力を感じさせられました。
貴重な機会なので、
字幕無しと有りとの感想を併記しておきます。


よくもまぁ、脚本について文句言ったもんだと、
恥ずかしい思いで一杯ですが、
書き直し出すときりが無いので、あえてそのままにしておきます。
脚本を書かれた宮藤さんには、特にお詫び申し上げます。m(__)m
2002.9.8 記
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岡山要約筆記クラブ、三木記念賞受賞、おめでとうございます\(^o^)/


9月に入って、
稲田の青い穂が日毎に黄ばんでいる様に感ぜられるのは、
私の気のせいでしょうか?

その穂の上を渡る風も心なしかこれまでと違って感ぜられます。

空の雲模様は、日めくりのように移ろう。
盛り上がる積乱雲の翌日には、
見事に刷いた、絵にも書けない風景の大空。
は〜っと、ため息が止めどもなく…(笑)


先8月29日、
岡山要約筆記クラブが、
三木記念賞助成金を受けました。

個人に記念賞、団体に助成金ですから、
事実上の三木記念賞受賞です。


このニュースを知り胸が熱くなる。

私は、今は無き内山下小学校の難聴学級の卒業生です。
この難聴学級が始まったとき、
故三木知事(当時)が、故高原岡大教授の説明を受けながら、
授業の様子を見ている写真が、つとに広く知られていますが、
ここで見守られている生徒の一人が私なんです。

あの温厚な三木さんがあの世で深く頷きながら微笑んでいるような気もしてきます。


社会が聴覚障害者へ向けるまなざしには、まだまだ歯がゆく感ぜられる部分が残ってはいるものの、
その一方で、行政が出来ない部分で大きな支援を下さっている方や団体、そして企業が増えているのも確かです。


この夏、全国でヒットしている「ピンポン」という映画があります。
このロングランの最中に字幕版が見られます!


制作しているのは、
三木記念賞受賞の岡山要約筆記クラブです。


この作品を上映している、映画館が、シネマ・クレール。
ここには、補聴施設があります。
それだけでなく、
字幕の上映にも、手続きなどを含めいろいろご協力いただいています。


そこで、字幕版を上映の際に、スポンサーのお名前を聞きました。


又、この字幕を上映するのに欠かせない液晶プロジェクターやパソコンも、助成によるもの。


個々の企業名や団体名を記すのは、控えさせていただきますが、
本当にいろいろとありがとうございます。


そして、聴覚障害者の皆さん、この助成をもっとどんどん活用しましょう。
ちょっと聞こえにくいくらいの方でも遠慮なさらずにどうぞ!
そして、この助成がもっと生かされ、もっと大きなものになるべく、
要望の声を上げていきましょう。


お互いの意志がかみあってこそ、もっと生きる関わりでしょう?
2002.9.5 記
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喫茶店のお引越しで〜す


今日から、9月が始まります。


先週は、暑さのぶり返しで始まりましたが、
後半には雨模様が混じるぐずついた天気になり、
今日も、大雨が降ったり止んだりです。


月末という事で、仕事が忙しく、
三四日、22時近くまで残業の日がある。
ああ、それだのに、
試写会の招待状を分けて下さる方がいて、
飛びついてしまう。(^^ゞ


この「リターナー」という作品は、
その感想ひとつで、
書き手がどういう映画ファンか、
見事に浮かび上がらせてしまい、
私も、書きながら、
自分のスタンスをどこに置こうか、いろいろ迷ってしまった。


読んでいただいた方はどうだったのでしょう?
お一方、感想かな?という質問を寄せられ、
「失敗作か?」というカキコミです。
慌てて、それはない!と強く返事しました。
大変な力作である事、十分に承知しています。(笑)


昨夜、テレビで「ウォーターボーイズ」の放送があり、字幕がついていました。
字幕といえば、先々週でしたか、
「スピーシーズ」のそれが、酷く、
飛ばしあり、文字化けありで、
腹が立つというより、笑えてしまいました。


何気なく見ている字幕でも、
大変な技術と努力とに支えられている事を、
あらため再確認させられ、
関係各位に感謝するとともに、
重ねて、今後ともよろしくお願いします。m(__)m


さて、昨夜放送された、恒例の
「飛べ!飛べ!飛んだ鳥人間コンテスト選手権イン琵琶湖」を、
今日ビデオで見ました。
もう26回だなんて、知らず息の長い催物になっているけれど、
毎年毎年、何年見ても、見飽きない。
参加している人たちの力を合わせ、時間をかけて作りあげた飛行機の、
飛び立つ一瞬、一瞬が、見る人の心を釘付けにして、
その後の、悲しみや喜びを共感する。
見終えて、「ああ、今年も又、夏が終る…」。


暦より、カレンダーで、
9月から、秋と感じる方がほとんどでしょう。
昨年の秋は、一生忘れられない秋になりましたが、
今年はそんな事もなく、穏やかな秋を過ごしたいものです。


さて、今回皆さまをご招待するのは、
久方ぶりの、図書室イン福祉会館です。
「耳の聞こえないお医者さん、今日も大忙し」という、
私と同世代の、家庭医を専門としているお医者さんが書かれた本を、
紹介します。


これまで、
「聴覚障害者の皆さんへ」や、ドラマ「ER」等で、
アメリカに聴覚障害を持つお医者さんがいることは知っていましたが、
当人自ら書かれた本を読むのは初めてで、
かねてより、一度ゆっくり話を聞きたかった人と、
しばし時を過ごすようなうれしさを伴って、読みました。
とても親しみある文章で、
聴覚障害を持つ医者のことを知ってもらうばかりでなく、
同じ聴覚障害を持つ仲間へエールを送っているような感じも受けました。
2002.9.1 記
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