新選組近藤局長の故郷

中学の頃から新選組に憧れていた。その頃は新選組がどのような組織かも
知らずに、ドラマ、小説のかっこ良さに憧れていた。いつの時代でも剣の達人
はヒーローであるのかもしれない。

 時代モノの人気者集団である新選組の局長は近藤勇。古写真も有名だが
30代とは思えぬ貫禄がある。近藤局長は、今の東京都調布市に宮川久次郎
の三男として、天保5年(1834)に生まれた。生家は土地の豪農である。
 因みに、副長の土方歳三は局長が生まれた翌年に近くの東京都日野市に
生まれている。東京都西郊外の多摩地区は新選組発祥の地である。
 近藤局長は京都、大阪を舞台に活躍し、最後は江戸板橋の宿で斬首された。
35歳の短い生涯だった。局長最後の戦闘は甲州勝沼(山梨県勝沼町)で、国
道20号沿いに近藤局長の白い像が建っている。

近藤局長の墓がある龍源寺と門前の近藤勇像

歴史・物語の舞台を歩く
中央高速 調布辺りにて
桂浜 坂本竜馬

生家跡の道を挟んだ位置にある近藤の道場

近藤勇の子孫は、今なにをされているのか知らないが
明治の世では、薩摩、長州の志士を相手に戦っていた
「テロリスト」として、子孫も相当の苦労をしたことが想像
できる。
 現代では、時代劇のヒーローというだけでなく、激動の
時代を農民の身分から強い志をもって、武士以上の士
道を貫いた人物だ。

新撰組は、京都では京都守護職の会津藩配下であったため、近藤局長の
墓は会津若松市の天寧寺にもある。近藤の死後、会津まで転戦した土方
歳三が作らせたとの説もある。会津の墓は遺髪、遺品を納めたものか?

城下町会津若松
餃子とカクテル 宇都宮

土方歳三、奮戦の地

東京都調布市

勇が養子に入った近藤家は「天然理心流」の家である。
「天然理心流」は古武道の流れを組む実戦的な剣術で、
太く重い木刀を使った。江戸から多摩地区の農民層に
広く支持された。

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土方歳三の旅 多摩編