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真田郷の民話(宮島 清 著)ダイジェスト

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@戸沢ねじ A安智羅様 B編集中                       

@ 『戸沢ねじ 
画 橋詰 孝子
ねじ(うさぎ・梅の花)
 
作:宮島 ふく井
ミミール店主
ねじ(あんぴ・ばら、あんぴ・朝顔)
作:宮島幸男
<画はクリックで拡大>
@
 毎年二月八日には県内のところどころで、藁馬引きという行事が行われているが、この真田町戸沢の馬引きは特別に有名であり、ラジオ、テレビなどで放送されるのが恒例になっている。
 戸沢の馬引きだけが何故こんなに有名になったかというと、実は馬引きに積む藁つとー米俵の俵とも言うが、この俵の中に入れるお餅が、日本のどこにも見られない珍しい物なのだ。普通どこでも行われている馬引きの時のお餅は、あんころ餅に限られているようだが、戸沢ではこのあんころ餅の代わりに『ねじ』という名のついた物を藁つと(俵)にいれ、これを藁馬に積んで道祖神にお参りするのだ。
 では、どうしてこの珍しい『ねじ』というものが、この部落だけに作られるようになったかというと―。
A
 それは、それは、むかしのこと、この戸沢部落の中央を神川から流れ出た小川が流れていたと。この小川の水は清潔で水量も多く、さらさらと音をたてて流れていた。村人たちは朝になるとみんなこの川に出て、顔を洗い、歯を磨き、互いに朝の挨拶を交わした。
B
 女の人たちは鍋や釜、食器まで川に持ってきて洗い、もちろん洗濯などもした。しかもこの川の水が重要な飲み水になっていたのだ。
C
 だから村の子供たちには川はまた、一つの遊び場でもあったのだ。村の中央には四辻があり、そこに自然石の道祖神様がたてられていて、その道祖神様のすぐ後ろの川が流れていたが、ある夏の頃、子供たちは真っ裸で道祖神様の後ろの川の水溜りで水浴びをして遊んでいた。
 その中の1人のすてばて者(ヤンチャ者)が、みんなが引き止めるのも聞かず、村の掟をやぶり、川の中にオシッコをしてしまった。
D
 しばらくすると、大変なことがおきた。川の中にピチャピチャと音がして水しぶきが上がり渦巻きが出来、その渦巻きの中に男の子は引きこまれてそのまま見えなくなってしまった。
E
 恐ろしい事は、これだけではなかった。
この村の子供たちは、流行病(はやりびょう)で、次々に腹痛を起こして死んでいったのだ。
F
さあ大へん、村中、地獄のような恐ろしさのどん底に落とされてしまったのだ。むかしの事だから村の人たちは、ただ、おろおろしているばかり、どうすることも出来ない。
G
  そんな時、ある家のお母さんは、生まれたばかりの男の赤ん坊をなんとか守らなければならないと考えたあげく、道祖神様にお供え物をしてお願いすることにした。米の粉でお餅を作り、その中にあんこをいれ、さらにそのお餅を赤ん坊そっくりに作ったもので、そのお餅は赤と緑の食紅で美しく彩られている。すると、不思議にもその赤ん坊は病気にかからず丈夫に育っていったのだ。
この話を聞いて、他のお母さんたちもみんな同じようにして道祖神様にお参りした。
H
 するとやはり、子供たちの病気は治り、みんな丈夫に育つようになり、村に再び平和が訪れたと。
I
 こんな事がありこの部落では二月八日必ず、子供の形をしたお餅をつくり、藁馬に積んで道祖神様にお参りするようになった。最初は子どもの形のお餅だけだったが、それだけでなしに、小鳥や、魚、果物、花の形のお餅を赤、緑などの食紅を使って作るようになり、これらを『ねじ』というようになった。
 
J
この『ねじ』を俵に詰め、藁馬に積んで道祖神にお参りする馬引き行事は、全国でも珍しいものとして、二月八日戸沢部落は北は北海道、西は九州辺りからカメラマンが集まって来て、ふだん平穏なこの部落が一時、大へん賑やかなお祭りとなるのである。
K
(道祖神祭りで使われた藁馬は、屋根に上げます。)     終わり。



橋詰孝子 (はしづめ たかこ) プロフィール

・昭和19年、長野県上田市真田町戸沢に生まれる。
・主婦の傍ら、独学でイラストを描き始める。
・宮島 清を偲んで「ふるさとの民話展」にイラストを出品(平成15年)。
・現在、ミミール企画ホームページに作品を掲載中。
・平成19年3月 「空を見上げて」(イラストとエッセイ)を出版
「空を見上げて」文・イラスト 橋詰孝子 1200円


 ミミール企画サイト内「民話ダイジェスト」のページで、イラストを描いていただいている橋詰孝子さんが、平成19年3月、自身の幼い頃からの思い出をイラストと文章で表したユニークなエッセイ集を出版されました。

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安智羅様(アンチラ様)
「真田郷の民話・安智羅様」より抜粋
 ある時、幸村の祖父が、お姫様をおいて戦争にいったと。ところがその留守の間にお姫様のところへ毎夜、天狗が通ってきて、いつのまにか子供が生まれたって。数日して祖父が戦争から帰って来た。そして留守中に生まれた子供を見て、すぐにその子どもの首ったまをおさえ、庭に放りだしたと、すると子どもは、庭で転ぶかと思うと、ピョコンと立って祖父の方を向いて、お辞儀をしたって。

・・・東の方に一つのお堂があり、ここに高さ三尺(九十センチメートル)ぐらいの木像があってこれを土地の人はアンチラ様とよんでいるが、これは幸村の小さい時の像だといわれている。
真田幸村:イラスト・宮島義清





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