ホーム | 喫茶ミミール | 関連出版 | 民話ダイジェスト | エッセイ | アートスペース | デジカメ | リンク |
関連出版
紙芝居・猿飛佐助 | 座敷わらし見えたよ | 紙芝居・戸沢のネジ | 「真田郷の民話」 | 「続真田郷の民話」 | 歌碑について |
問い合わせは下記のメールまで
sachio_mimir@hotmail.com
民話紙芝居「猿飛佐助」 作・宮島 清 絵・宮島義清 / 解説・宮島幸男 |
|
この紙芝居『猿飛佐助』は、『立川文庫 猿飛佐助』をもとにしている。原作には、甲賀流忍術の達人戸沢白雲斎が諸国を漫遊し、自分が極めた忍術の極意を授けられる才能のある若者を探していたとあり、佐助と信州真田の鳥居峠の山中にて出会い、佐助を弟子にしたともある。折しも、現在、信州真田町の鳥居峠のほど近くに戸沢という集落がある。作者(宮島清)は、その集落の山中に戸沢白雲斎が諸国漫遊の途上、逗留していたという設定にした。さらに、佐助が修行するいくつかの場面に信州真田にある場所(山や川など)をとりいれ、「猿飛佐助」を創作したのである。 尚、この作品は宮島清『真田郷の民話』(信濃教育出版部,1987)に収められている「猿飛佐助」を紙芝居にしたものである。 |
戸沢白雲齋と佐助(第8場面) |
「解説・ |
「座敷わらし見えたよ」 宮島喜久子 著 定価 本体800円+税 2014年9月 <ミミール企画よりエッセイ集を発刊しました> 信濃毎日新聞などに掲載されたエッセイ 主婦が語<家族・子育て・出会い> 室生朝子先生の思い出・座敷わらし見えたよ 手作りのおんぶひも・娘からの手紙 亡き義母との思いで・コショウ味の晩後ご飯 など掲載 問い合わせは下記のメールまで sachio_mimir@hotmail.com |
|
宮島清の民話紙芝居「戸沢のネジ」(絵・堀内 稔)発刊しました (2012.1)
今年も2月8日に国選択無形文化財に指定されている藁馬引きが地元の真田町戸沢地区にて行われます。その行事を題材にした宮島清の民話紙芝居「戸沢のネジ」がいよいよミミール企画にて当日発刊(¥5.000)となります。 |
|
問い合わせ、ご注文はメールでのみ対応させていただきます。 sachio_mimir@hotmail.com |
あらすじ 信州真田の戸沢という集落では、毎年2月8日に国選択無形民俗文化財に指定されている藁馬引きが行われます。藁馬に乗せる藁苞(俵)にはネジと呼ばれる赤、青、黄で彩られたお餅が入っています。このお餅はどこにも見られないこの戸沢にだけある物なのです。いったいどうしてこのネジと呼ばれるお餅がここだけにあるのでしょうか。それはそれは昔のこと。子供達が村の中央にある道祖神近くの川で遊んでいました。突然、その中の一番やんちゃな男の子が村の掟を破って、川ではしてはならないことをしてしまいました。すると道祖神のたたりとも言える災いが子供達をおそいます。 |
|
「戸沢のねじ」解説 |
|
宮島 幸男 |
|
この紙芝居は平成8年11月28日に国選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずるべき無形の民俗文化財)に指定された長野県上田市真田町の戸沢という集落に古くから伝わる「戸沢のねじ行事と馬引き行事」を題材にしたものである。長野県下でも藁馬引き行事は現在も行われているところはある。しかしながら、戸沢地区に伝わるこの行事では「ねじ」と呼ばれる他のどこにもみられないお米の粉でできた小豆餡入りのお餅(しんこ細工)が道祖神のお供え物となる。このお餅はうさぎ、亀、鯛、えび、梅や菊の花、葉っぱ、がらがら(子供のおもちゃ)などにかたどられ、食紅の赤、青、黄(古くは赤と青のみだったが昭和30年代になって黄も使用されるようになる。)で鮮やかに彩られている。その中には「あんぴ」(13場面の写真参照)とよばれる半月形のお餅の上に朝顔や薔薇などをあしらった芸術性の高い形のものもある。 以下、省略
なお、この作品は宮島清著『真田郷の民話』(昭和62年、信濃教育出版)に収められている「戸沢のねじ」を紙芝居にしたものである。 |
<画像はクリックで拡大>
「真田郷の民話」 信濃教育出版 | ||
著者 宮島 清 |
||
表紙、挿絵、舞台装置 / 宮島 義清 | ||
定価 1500円 | ||
この作者の宮島さんと、近づきになったのは、もう三十年も以上のことで、いわゆるひと昔もふた昔も前、昭和二十三年に創立された日本児童劇作家協会(会長は故 斎田 喬先生)の、共に会員であったという間柄で、私は劇作という立場で、宮島さんは当時長村の小学校に奉職されていて、学校劇の実作と演出に励んでおられ,特に会長の斎田先生の導きを受けた二人であった。 また、真田と劇作との強い結びつきは、先の児童劇作家協会が、スキー場の菅平を会場に、宮島さんの肝いりで『スキーと劇作の会』」という研修会を同地で開いたことで、そのとき私も初めてスキーを試みた思い出がある。しかし、宮島さんの手ほどきを受けながら、転ぶことの壮快さを知っただけで、ダウンしてしまった。 さて、このたびこの『民話』の本を読んで、真田という地域に限りながら、伝説を含め、多くの民話をこのように多く収集されているのには驚かされた。多分、編者であり作者の宮島さんの苦心のあるところで、また、放送劇や舞台の劇作品は、昔、斎田先生から学ばれた、いわゆるドラマツルギーの確かさがあり、お手並みのほどに感心させられた。これらが、ラジオやTV、また学校や青年劇の舞台で上演され、郷土文化の開発に多くの働きをしていることを知り、これも氏の実力の現れと、この一書に見事に開花されたことに、深い敬意を表する次第である。おめでとう。 (童話作家 阿貴 良一 まえがき「真田に育った 民話の花々」より) |
「続 真田郷の民話」 信濃教育出版 | |
著者 宮島 清 |
|
表紙、挿絵/宮島 義清 | |
定価 1500(税込み) |
|
歴史をふまえたおもしろい伝説も多かった。 日本中何処に行っても同じような伝説、民話はあるが、私は信州が好きなせいか、大分知っているつもりでいたが、知らない話も多かった。 船乗り地蔵さんには案内してもらった。細いがゆったりとした流れを前にして、船の中央に立っているお地蔵さんは静かにあった。川で命をおとした旅びとの供養塔として、お地蔵さんを造立したのかもしれない。彫りの技術はつたなくても、製作者の真心が、何年たっても伝わってくる。私は秩父の三十三札所を廻ったとき、船乗り観音を見たが、地蔵は珍しくはじめてであった。 狸が人間をばかすといえば、嘘だ! と現代の若者はいうだろう。たとえそれが嘘であっても、そのなかには夢と人としての守るべき教えが、沢山に含まれている。この本は大人が読んでから次の時代を支える、子供達に忘れずに伝えてほしいお話ばかりである。 (作家 室生 朝子 まえがき より ) |
問い合わせは下記のメールまで
sachio_mimir@hotmail.com
ミミール敷地内の歌碑について |
|
1945年 マレー半島にて作歌
1979年 『昭和万葉集』(菊池寛賞受賞)に掲載(講談社
刊、第七巻「山河慟哭」に所収) 1988年 歌碑建立(金井国久氏寄贈) 1999年 歌碑除幕式 注、そこばくの・・・いくらかの 金鵄・・・タバコの名称 |
|
歌碑除幕式記念カード(撮影:宮島 昇伯) |
宮島 清(1921−1997)プロフィール |
民話作家、劇作家、歌人。 大正10年7月15日、長野県の真田町戸沢に生まれる。長野師範学校(現信州大学)卒業後、諏訪市の高島小学校に教師として赴任。島木赤彦の兄がその小学校の校長であったこともあり、この頃より短歌を作りはじめる。 昭和18年、応召。日本の敗戦により、昭和20年からマレー半島にて約2年間の抑留生活を送 退職(昭和55)後、上田市常田にカルチャーサロン喫茶ミミールを開店(昭和56)し、店主となる。この頃より、上田・小県の民話を収集し、民話劇・民話紙芝居・現代民話の創作に取組み、SBCラジオ・上田ケーブルビジョン・真田有線放送等で作品を発表。民話紙芝居第2集『かみなり石』『身がわり地ぞうさん』『ふしぎな井戸』(昭和55、長野県教材文化研究所)、同第1集『あんずのお姫さま』『たぬきのさんばさん』『てんぐのうちわ』(昭和56、長野県教材文化研究所)、『真田郷の民話』(昭和62、信濃教育出版部)、を出版。共著に『上田の民話』(昭和58、上田市立博物館)などがある。昭和58年には上田市のジャスコにて「ふるさとの民話展」を開催した。 昭和62年にはミミールを真田町石舟に移転し、さらに精力的に創作活動を展開した。 平成元年、退職後の生き生きしたライフスタイル実践者として、総務庁よりエイジレス章を受章。平成8年には『続真田郷の民話』(信濃教育出版部)を出版。平成9年5月22日永眠。同年11月、宮島清追悼「ふるさとの民話展」開催。平成10年10月1日、真田町発足40周年記念式典にて真田町文化功労章受章。同年11月、「宮島清展」開催。平成11年5月、ミミールの庭に建立された「海遠くかびてとどきし〜」の歌碑除幕式。平成15年5月、宮島清を偲んで「ふるさとの民話展」開催(平成9年以降の展示会の会場はミミール)。平成24年2月8日には民話紙芝居『戸沢のねじ』がミミール企画にて出版される。 |