Diary of 18th Australia Part 2
 2008年の夏休みも、行ってきました、帰ってました、オーストラリア。
 今の職場は、どうひっくり返っても、海外とはほとんどご縁のない会社なので、1年もご無沙汰をしていると、僕はどうしても禁断症状を起こしてしまいます。
 そして、例によって、ストレスの蓄積も…
 今年も癒しを求めて行ってきた、18回目のオーストラリア、4度目のカプリコーン・コースト…旅日記にお付き合いください。
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2008年8月13日(水)前編 3日ぶりのロッキー 
 前日の夜、かちょー。さんとの食事の最中に、2日後の金曜日に、僕がロッキー(ロックハンプトン、Rockhampton)からブリスベン(Brisbane)への移動で使うティルト・トレイン(Tilt Train)と言う鉄道のチケットの話が出た。
 料金については、クイーンズランド州内の鉄道を運営するクイーンズランド・レイル(Queensland Rail: QR)にクレジットカードの番号を知らせ、既に支払を済ませているが、QRからの代金受領のメールで、僕は当日チケットを受け取ってくれと言われていた。
 しかし、以前にかちょー。さんが同じ鉄道を利用した時は事前に受け取っており、僕もロッキーの鉄道駅の構内にあるトラベルセンターで同じことができるはず、とかちょー。さんがアドバイスをしてくれた。
 当日の出発時間は、朝7時と大変に早く、朝早くからゴチャゴチャと手続が面倒になるのはイヤだったので、この日、ドライブがてら、ロッキーの町まで行き、チケットを受け取ることにした。

 今日も、空は真っ青。
Wreck Point
 僕が今回の里帰りでカプリコーン・コースト(Capricorn Coast)に来て以来、雨が降るところか、空が白くなったことはない。
 朝食を済ませ、バルコニーでの朝のひと時を過ごした後、リゾートを出発、ヤプーン(Yeppoon)の町を素通りし、Rockhampton-Yeppoon Roadを快走した。
Rockhampton-Yeppoon Road
 僕は、ここ数年、日本では全く車を運転していないため、「里帰り」のときしか僕の運転免許は本来の効果を発揮しない。
 よって、ここ数年の間で、僕の車での往来が一番多いのが、この30数キロの一本道、Rockhampton-Yeppoon Roadである。
 ここもオーストラリアの道路なので、草原やユーカリの林が交代交代で登場する単調な風景がずっと続くが、それでも自分がいまどの辺にいるか何となく分かるようになったし、どこのスタンドのガソリンが一番安いかも覚えた。
 世界で一番、僕が愛着を感じている道かもしれない。

 ロッキーの鉄道駅には、リゾートから1時間するかしないかで到着した。
Rockhampton Railway Station
 ロッキーは、人口にしたら6万人前後の小都市(オーストラリアだと、ね)ではあるが、車の量や町を歩く人の数は、ヤプーンより断然多い。
 カプリコーン・コーストに来てから、僕はずっと、ヤプーンの周辺で時間を送ってきたため、3日ぶりに顔を出したロッキーの町に身を置くと、何やら下界に降り立った気分になった。
 ロッキーの鉄道駅のトラベルセンターで、僕がQRからのメールを印刷したものを見せ、チケットの発行をお願いすると、あっさりOK。
QR Travel Centre
 かちょー。さんの言う通りだった。これで、チケットの取り忘れは無くなった。

 駅の建物を出た。
 時間は、ほぼ、昼の12時。
 せっかくロッキーに出てきたので、肉を食べたい。
 僕は昨年450グラムのどデカステーキを食べた、ロッキー中心部、ケンブリッジ・ホテル(Cambiridge Hotel)の下のレストランに向かった。
Cambridge Hotel
 ランチタイムとあり、注文を受け付けるカウンターには何人かの人が並んでいて、既にいくつかのテーブルが埋まっていた。
 肉を食べたいが、この日の夜もかちょー。さんとの夜のお食事の約束があったので、昨年のように草履のようなステーキを食べるつもりは最初から無かった。
 僕は、Mini T-Boneとお代わり自由のソフトドリンクを頼んだ。
 自分でグラスにコーラを注ぎ、テーブルで待っていると、頼んだ料理が出てきた。
Mini T-Bone
 出されたプレートには、100〜150グラムくらいのTボーンステーキと一緒に、ポテトフライと生野菜が盛られていた。
 ステーキは美味しく、量は適量で腹8分目、生野菜を摂れバランスの良い食事になった。全部で、約12ドル。
 これは正解だったと思う。
 今度からここでランチを食べるときは、こんな感じで行こう。

 ランチを食べている時、携帯電話に、アビ姐さんからメールが来た。
 アビ姐さんは僕と同じ大学の先輩にあたる方で、今はブリスベンに在住されている。
 今回の旅で、僕がブリスベンで1泊する時に、都合が合えばお食事でも…と話していたのだが、今は冬のオーストラリア、アビ姐さんは数日前から体調を崩されていて、今回は無理そうとの連絡だった。
 残念ながら、アビ姐さんとは今回お会いすることができなかったが、今回の旅に当たっては、ブリスベンでの宿探しや、この後のブリスベンでのレストラン探しで、力になっていただいた。
 また、ランチの最中、カメラのことで聞きたいことがあり、ぴっかぶーのアニキにも電話を入れ、アドバイスをいただいた。
 僕がオーストラリアに行く時、道中の飛行機や車での移動は確かにひとりだが、こうしたサポートなくして、良いひとり旅になることはあり得ない。
 この日記に何度も登場していただいているかちょー。さんはもちろんのこと、アビ姐さん、ぴっかぶーのアニキ、帰豪前の相談に乗ってくれたこあらオヤヂさん…皆さんには、何度も言うようだが、感謝の気持ちでいっぱいである。

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2008年8月13日(水)後編 ずいぶん遠くまで… 
 ランチの後、ロッキーを出た僕は、ヤプーンへは向かわず、ヤプーンの隣町、エミュー・パーク(Emu Park)方面に車を走らせた。
 もう少しでエミュー・パークというところで、"JOSKELEIGH""KEPPEL SANDS"の標識が目に入った。
 初めて目にする地名だったが、カプリコーンコーストに4回も滞在しているというのに、知らない場所がある自分が何となく気に食わなかったため、標識に従い、脇道に入った。
 20キロくらい走っただろうか?"JOSKELEIGH"の入口を示す標識が見えた。
 "JOSKELEIGH"…日本人の僕には、読み方すら分からないが、どうやらお目当てのエリアに入ったようだった。
 周囲には、家がポツポツと見える程度で、他には何もなかったが、"Museum"の看板が見えたので、更なる脇道に車を進ませた。
 塩湖や草原以外に何もない道を4キロほど走らせると、小さな建物の前に着き、それが博物館であることを、標識を見てすぐに確認した。
Joskeleigh South Sea Islander Museum
 中に入ると、恰幅のいいアボリジニのおばさんが、番をしていた。
 「敷地の中にある建物は、学校だったんだけど、合理化で閉校になったの。昔からスポーツや学業に優秀な生徒をたくさん輩出してきたこの学校を壊せなくて、こうして博物館にして、保存しているのよ。この(博物館として使っている)建物は先生たちの寄宿舎を博物館にしたもの、ゆっくり見ていってね。」
Joskeleigh South Sea Islander Museum
 オーストラリアで、初対面の人から大抵聞かれるのは、"Where are you from? China?"
 オーストラリアの小さな町に住む大抵の人たちにとって、アジアの人間は、中国人か、「その他大勢」である。
 記念の記帳をしていると、案の定の質問が来た。
 僕が日本人と分かると、大変珍しそうな顔をされた。なるほど、記帳された人の名前を見ると、日本人らしき人の記帳は全くない。
 妙に話が盛り上がってしまった。
 僕が調子に乗って、今回が18回目の渡豪だと切り出すと、さらに驚いた顔をされ、質問攻めに遭った。

 質問攻めから解放され、同じ敷地内の小さな学校を見せてもらった。
 10人〜20人もいれば、いっぱいになってしまいそうな、教室が、建物の外から見えた。
Joskeleigh South Sea Islander Museum
 日本からクイーンズランド州にあるヤプーンと言う小さな町に泊まりに来て、今はその近くの、合理化でほとんどのものが無くなりつつある、オーストラリアの町とも呼べない場所にいる。
 あぁ、ずいぶん遠くまで来たなと、ふと思う。
 僕はこんな思いに駆られる瞬間が結構好きである。
 自分にしかできない旅をしていると言う実感に浸っているのだ。

 元学校の博物館を後にし、Joskeleighのさらに奥にある、ケッペル・サンズ(Keppel Sands)に向かった。
 ここは、20軒くらいの住宅と、数軒のお店、学校などがコンパクトに揃う、オージーたちの生活の匂いがする小さな町で、昔の映画に出てくるかのような雰囲気があった。
Keppel Sands
 井戸端会議をしているおばさんたちが、アジア人の顔をした僕に、フレンドリーに話しかけてきた。
 何だか一昔前にでもタイムスリップしたかのようなこんな町、僕は大好きである。
 ずいぶん遠くまで来たなと言う思いは、このときも同じだった。

 エミュー・パークの町をぶらついている間に、ふと空を見上げると、早くも黄昏時が近づいているようだった。
Emu Park
 かちょー。さんとの約束のために、リゾートに向け、車を走らせた。
 前述の通り、2日後に僕は鉄道でブリスベンに向かう。
 それも朝早い出発のため、その前の夜は、ロッキーで過ごすスケジュールにした。
 よって、この日がリゾートで過ごす最後の夜になる。
 車の中で、そのことを、ふと思い出し、何とも言えない寂しさで心がいっぱいになった。
 オレンジ色がだんだんと濃くなる空が、そんな僕の気持を代弁しているようだった。

 一旦リゾートに戻り、しばらくすると、オレンジ色だった空が漆黒に変わった。
 夕食に出かける支度をしてから、ヤプーン中心部に向かい、かちょー。さんと落ち合った。
 この日のディナーはタイ料理、ヤプーンの町の入口にあたる場所に、そのお店はある。

 かちょー。さん曰く、以前のこのお店の料理は、口に合わなかったが、人が代わってから、美味しくなったと言う。
 オーストラリアに行くようになってから、僕はアジア料理大好き人間になった。
 だから、この日のタイ料理にはかなり期待をしていた。

 まず、オードブルに、揚げ物の盛り合わせを頼んだ。
 そのままでも十分にイケる美味しさだが、ピリッと辛いピーナッツソースをつけると、美味しさがさらに増した。
 日本では、こうした味にめぐり合うチャンスは、あまりないだろう。

 メインには、2種類のカレーと、タイ風の焼きそばを頼んだ。
 カレー、焼きそば、共に肉を選べるのだが、グリーンカレーにはシーフード、レッドカレーにはビーフ、焼きそばにはポークを入れてもらうことにした。
 どの料理も、大変美味しい。辛い料理もあるが、辛さの中に、ちゃんとウマさがある。

 このお店の料理は、ほとんどの日本人の口に合うんじゃないか、と思った。
 アジア料理に行く時には、一人じゃなく、何人かで行くのが良い。いろいろと話をできるし、料理を何種類も頼める。
 次にお店に来るときには、また、かちょー。さんに時間を作ってもらおう。
 かちょー。さん、よろしくお願いします。

 料理の量がことのほか多く、食べきれなくなり、かちょー。さんの期待を裏切ることとなった。
 かちょー。さん、ごめんなさい。
 残った料理は、かちょー。さんが家にお持ち帰り、かちょー。さんの荷物を増やしてしまった。
 かちょー。さん、本当にごめんなさい。

 車に乗ると、おなかがちょっと苦しい。苦しさを我慢しながら、リゾートに戻った。
 かちょー。さんとの食事の最中は、すっかり忘れていたのに、リゾートの部屋で一人になると、リゾート最後の夜に、寂しさが甦る。
 4泊は短かったかな?と考えてしまう。
 今度、このリゾートにお世話になるときは、1泊でも2泊でも長く泊まれるようなスケジュールを考えよう。
 鬼も笑えなくなるくらい、先のことを考えながら、僕は最後の眠りについた。

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2008年8月14日(木) ロッキーに根を張って 
 心地良い眠りから、さめた。
 こんな目覚めを迎えることができるのも、このときが最後、チェックアウトまで残された時間は、残り少ない。
 こんなとき僕ができるのは、これまでと同じく、リゾートライフを楽しむことだけだった。

 朝食のあと、リゾート内の朝の散歩へ。
 プライベート・ビーチを見下ろす四阿で、波の音を聞きながら、何もしない、何も考えない時間を過ごした。
Rydges Capricorn Resort
 チェックアウトの時間になった。かちょー。さんと奥様に、お世話になったお礼を言い、かちょー。さんをリゾート内の職場近くまで運び、握手をして、別れた。
 かちょー。さん、素晴らしい滞在を、ありがとうございました。
 今度お世話になるときは、もっと長めの滞在にしますので、よろしくお願いします。
 次の目標は、鶴屋の全メニューの制覇です!
 そうそう、このときはすっかり忘れていましたが、次回、チャンスがあったら、リゾートの牧場にも連れて行ってくださいね。

 この日の夜には、翌朝の早い出発に備えての一泊のために、ロッキーに向かわなければならないが、それまで、寄り道しまくることが、今日の予定だった。

 ヤプーンの町では、帰豪の度に、母親から頼まれる、来年度のカレンダーを、購入。あ、自分のも、ね。
 そのあと、名残惜しい気持ちと共に、ヤプーンの町をしばらくの間、ブラブラし、今年の3月にオープンした、ヤプーンの町の外れにある大きなショッピングモールで買い物をした。
 ズボンの試着をしようと、店員のおばさんに申し出ると、「ここにカバンを置いていってね、あ、貴重品は持って行って」と言われたので、財布と国際免許証と共にパスポートをカバンから出した。
 僕のパスポートを見て、日本人だと分かると、日本での滞在経験があり、日本人と文通したこともあると言うそのおばさんは、他のお客さんをもう一人の店員さんに押し付け、延々と話し始めた。

▲?%×!$○▲★?!$○%×☆▲?%×!$○▲★?!$○%×☆
(あの、僕、ズボンの試着をしたいんですけど…)
 買うズボンを決め、おばさんと握手をして、ショッピングモールを後にした。

 次に向かった先は、今回の滞在でも、何回も訪れた、レック・ポイント。
 ここでも、リゾートのプライベート・ビーチのときと同様に、何もしない、何も考えない、静かな時間を過ごした。
Wreck Point
 まだまだ、ヤプーンに居続けたい気持ちはあったが、ロッキーに向かうことにした。
 Rockhampton-Yeppoon RDを走り抜け、ロッキーを突き抜けるBruce HWYに合流、途中、グレンモア(Glenmore)という場所にある、マクドナルドで遅いランチを食べることにした。
McDonald's at Glenmore
 僕はオーストラリアでは、今も昔も、現地でのレギュラーメニューである、クオーター・パウンダー(Quarter Pounder)ばかり食べているが、最近は、日本でも話題になり、すっかり定着した感がある。

 よく、友人との間で、
 マクドナルドは世界共通、どこで食べても一緒だよ!
 いや、あの国のマクドナルドは明らかに違うよ!
…と、議論になる。
 僕は以前から、このクオーター・パウンダーを拠り所にし、海外のマクドナルドのハンバーガーは、日本ではありつけない肉厚のハンバーガーであると、機会あるごとに主張してきたのだが、最近は、海外に行かなくても、分かってもらえるようになったし、逆に日本のハンバーガーが海外規格に追いついてしまい、希少性がなくなってしまった。
 この時、僕が頼んだのは、Double Quarter Pounder Mealと言う、2枚のハンバーグを挟んだボリューム満点のハンバーガーのセット(これも最近は日本にあるよね)で、無謀にも、飲み物とポテトをLにサイズアップした。
McDonald's at Glenmore
 材料は他のレギュラー・メニューとそれほど大差はないのだろうが、クオーター・パウンダーは、ハンバーグが貧相でチーズやケチャップの味しかしない他のハンバーガーと違い、ハンバーグが肉厚な分、ちゃんと肉の味を味わえるのが、僕にとっては、魅力である。

 言うまでもなく、肉厚でダブルのハンバーガーを食らった僕は、かなりの満腹具合になった。
 ちなみに、Double Quarter Pounder Mealの値段は7ドル75セント、飲み物とポテトをLサイズに変更すると、8ドル75セント。
 昨今の物価高と、僕が旅した時のドル高とで、ボリューム感だけでなく、割高感があったことも、付け加えておく。
Travelodge 時計に目をやると、既に今日泊まるホテルのチェックインの時間となっていた。
 僕は、マクドナルドを出発し、ロッキー市内のホテルにチェックイン、ひとまず重たい荷物を部屋に運び込んでから、車でホテルを後にした。
 ガソリンスタンドで満タンにし、空港まで出向いて、4日間ずっと一緒だった相棒と別れ、タクシーで市内に戻り、散歩と買い物をして、ホテルに戻った。

 ロッキーで泊まったホテルは、町の中心にあるカジュアルなホテルで、調度品はそれなりに整っていたが、部屋は狭く、景色に望めるものもない、寝るためだけのものだった。
 数時間前までいたリゾートが、早くも恋しくなってしまった。

 その部屋で、暗くなるまで、一休みした。 夜になった。
 翌日の鉄道の中でのランチの用意も兼ねて、中華料理屋で晩御飯を食べようと考えていた。
 町の中心のDenham St.周辺に中華料理屋が数件あることは、かちょー。さんから聞いていたので、歩いて向かうことにした。
Wah Hah Chinese Restaurant Denham St沿いには、2軒の中華料理屋があり、どちらもレストランのすぐ横に、持ち帰り用のファーストフード店のようなスペースが隣接していた。
 これが、ロッキーの一般的な中華料理のお店の出し方?
 どちらが良いかなど、判断がつかなかったので、ヤプーンのGalaxyHappy Sunと似た雰囲気の、Wah Hah Chinese Restaurantを選んだ。

 店の中は、2組のテーブルが埋まっているだけで、ガラガラだった。
 メニューを見たら、麻婆豆腐があった。
 「作るのに、45分かかります」と書いてあったが、久々に食べたかったので、注文した。
 スープを飲み、携帯でネットチェックをしながら待っていると、麻婆豆腐が出てきた。
Wah Hah Chinese Restaurant
 …すごく辛い!
 それも、いつも麻婆豆腐を食べるときの辛さではなかった。
 何やら、青唐辛子を使っているようだった。
 オーストラリアの中華料理屋で、メニューに麻婆豆腐があると、僕は必ず食べてきた。
 オーストラリアで食べる麻婆豆腐は、お店が変わると、別物の料理かのように、ガラッと変わる。
 これまで10種類以上の麻婆豆腐を食べてきたが、この日食べた麻婆豆腐は、今までにない新しいものだった。
 また、食べたい?と聞かれると…もう結構です。( ´,_ゝ`)

 カプリコーン・コーストの中心的な小都市のロッキーだが、夜は非常に静かだった。
 隣のスペースで、チャーハンと焼きそばを買い、ホテルに戻った。
 明日の朝は早い。
 バスタブに湯船をはり、ゆっくりと浸かり、明日に備え、早々に寝ることにした。

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2008年8月15日(金) Tilt Train 
 朝の5時目覚ましが鳴った。
 眠い目をこすり、顔を洗い、お湯を沸かし、紅茶を飲んだ。
 ヤプーンと比べると、人や建物が多いからか、ロッキーの朝は、冷え込みがそれほど厳しくなかった。

 荷物をまとめチェックアウト、コンシェルジュにタクシーを呼ぶよう、お願いした。
Rockhampton Railway Station 程なくして、タクシーがやってきた。
 「空港まで?」と聞かれたので、「鉄道駅まで」と伝えると、
 「らいるわい・すたいしょん?おーけい、まいと!」
 起き抜けの自分の耳が、キ〜ンと鳴った。

 朝の6時15分、一昨日に一回立ち寄った、鉄道駅に着いた。
 空は段々と明るくなってきた。
 入口ロビーの中では、家がないのか、アボリジニの家族が寝ていた。
 ロビーの向こうに見えるホームに、バゲージ・チェックの看板が見えたので、彼らの横を通り過ぎ、ホームに入った。

 出発時刻までまだ1時間あったが、長いホームの後端には既に車両が入線し、何組かの乗客もいた。
Rockhampton Railway Station
 列車はまだ整備中で乗ることは出来なかった。
 停車している列車の横のチェックインコーナーで荷物を預けると、「列車は、整備が終わると、ホーム前方に移動し、そこで乗車していただきますので、そちらでお待ちください」と、駅のスタッフは僕の背後を指差した。
 振り向くと、百メートルほど向こうに、椅子がたくさん並んだ待ち合わせスペースがあり、何人かの人たちが腰をかけている。
 僕は荷物のタグを受け取り、待ち合わせスペースに向かった。
Rockhampton Railway Station
 夜がほぼ明けきったころ、列車がノロノロと近付いてきた。
 ドアが開き、寒いホームで待っていた人たちが、一斉に乗り込んだ。
 しばらくして、列車はゆっくりと走り出し、僕はこれ以上ない素晴らしいホリデイを過ごした地を後にした。

 オーストラリアの鉄道は、大都市近郊の通勤圏をのぞくと、ほとんど電化されていない。
 それもそのはず、オーストラリアでは、長距離の移動は飛行機か車が常識、飛行機より料金が高くて飛行機より時間がかかる鉄道の需要は低い。
 長距離便のほとんどが貨物列車であり、長距離を走る旅客列車は、同一区間で一日一便あれば良い方で、週二、三便なんて運行はザラ、仮に電化したとして、設備投資や維持にかかる支出を事業で回収できる可能性は限りなくゼロに近いのである。
Tilt Train そんなオーストラリアにあって、僕が利用している列車の出発地であるロックハンプトンと目的地であるブリスベンの間の638kmは、珍しく電化されていて、オーストラリアで電化された区間としては、最長らしい。

 その区間において、僕が利用した列車は、QRが誇る高速鉄道、ティルト・トレイン、電化区間を往く「電車」であり、非常に静かに走る。
 ロッキーを出発してからしばらくの間、僕は過ぎ行く車窓をぼ〜っと眺めていたが、朝早く起きた僕は、そんな静かに走る車内で、知らず知らず、眠りに落ちていた。

 かなりの深い眠りだったが、その深い眠りが長く続くことはなかった。
 途中、なぜかガクンとしては、電車が駅でもない場所で停まるのだ。
 車内放送では、「車両にトラブルがあり、最悪の場合は、途中で乗り換えてもらうかもしれません」と言っている。
 走り出しては停まり、走り出しては停まり、を繰り返し、ロッキーを出て最初の大きい町であるグラッドストーン(Gladstone)には20分遅れで到着した。
Tilt Train 日本でこれだけの遅れとなると、クレームの一つや二つが聞こえてくるが、こちらでは、誰も遅れていることを気にしない。
 この日はブリスベンに着きさえすれば良かったので、僕もオージーたちと一緒に、電車の中でのんびり過ごそうと心に決め、貴重なオーストラリアの長距離鉄道での旅の時間が長くなったことを喜ぶことにした。
 携帯メールで、アビ姐さんにブリスベンの中華街のおいしいお店の情報をお願いしたり、昨日ロッキーの中華料理屋で買っておいたチャーハンや焼きそばを食べたり、「世界の車窓から」よろしく、流れゆく車窓を楽しんだ。

 結局、ブリスベンの長距離列車のターミナル、ローマ・ストリート(Roma Street)駅には80分遅れの、16時頃に到着した。
 飛行機だったら1時間10分の旅が、9時間にもなろうとする長旅だった。
 預けてあったスーツケースを受け取り、市内電車の隣駅、セントラル(Cenrtral)駅に向かった。
 駅前は、久々に見る、すごい人ゴミ。頭がクラクラし、ドッと疲れが出る。
 僕は、人ゴミから目をそむけ、道路の反対側のランデブー・ホテル(Rendezvous Hotel)に向い、チェックインした。
Rendezvous Hotel
 ランデブー・ホテルは、セントラル駅の真ん前にある、非常に重厚な建物のホテルで、かつては官庁の建物として使われていた建物を転用したもの、歴史的文化財として登録されているらしい。

 建物内部は、その歴史を裏付けるような設備が使われている。
 それほど広くはないが、落ち着きのある、良い部屋である。
 窓の外を見ると、ひとが行列で歩いている。
 何もしたくなくなった僕は、暗くなるまで、部屋でゆっくりした。

 ひと眠りして、少しだけだが疲れから復活した僕は、電車に乗り、ブリスベンのチャイナタウンがある、ブランズウィック・ストリート(Brunswick Street)駅に向かった。
中国城:布蘭斯威克街
 アビ姐さんから教えてもらったお店は、すぐに見つかったが、他のお店のメニューも見てみたかったので、歩いて回った。
中国城:布蘭斯威克街
家常豆腐 あるお店で、麻婆豆腐と並ぶ僕の好物である、「家常豆腐」という料理をやっているお店を見つけたので、お店を即決し、注文した。

 味は悪くなかったのだが、玉ねぎが半煮えなのが、マイナスだった。
 アビ姐さんの言うことを聞けば良かったと、ちょっと後悔した。

 途中、コンビニでジュースとお菓子を買ってから、ホテルに戻った。
 ブリスベンに着いてから、いつもの僕の病気が発症していた。
 「日本に帰りたくない」病という、奇病で、この病気は、時間が経過しないと治らない。
 この病気が発症すると、特に帰国前日は、頭の中がグルグルと回り始め、「さぁ、寝よう」と思っても、寝られなくなる。
 この日も、早めにベッドに潜り込んだが、2、3時間は目がギンギンにさえ、中々寝付けなかった。

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2008年8月16日(土)前編 Brisbane International Airport 
 今回もやってきた、旅の中で一番気分が重くなる、帰国の日。
 でも、否が応でもやって来る日でもある。
 こんなときは、「また来年がある」と、自分自身を納得させるしかない。

 ホテルをチェックアウトした。
 部屋も良かったし、セントラル駅前と言う、立地も申し分ない。
 もちろん、その時の懐具合にもよるが、ブリスベン滞在の機会があったら、またお世話になろう。
QR Central Station
 空港に向かう電車の切符を買い、ホームに向かうエスカレーターを下りているとき、僕のスーツケースから、「ベリッ」と、何かが壊れたような音がした。
 エスカレーターのステップに、スーツケースの鍵の部分の留め金が落ちている…
 スーツケースの片方の留め金が破損してしまった。
 詰めすぎたのか、2万円で買ったスーツケースが脆かったのか?
 幸いにも、留め金の下に施されていたフックのお陰でスーツケースは簡単には開きそうになかったが、次回以降の旅には、使えそうもないダメージだった。
 ロッキーやヤプーンに行ったときに集めたステッカーを貼りまくった、思い入れのあるスーツケースが、3年も経たないうちにお釈迦になったのはショックで、帰国ってことで、ただでさえ重い気分が、さらに重くなった。

 しかし、捨てる神あれば、拾う神ある、だった。
 空港駅に到着し、出発ロビーに向かうエスカレーターを昇ったすぐ横に、スーツケースをビニールでグルグル巻きにして包装してくれる有料サービスがあった。
 普段だったら、「そんなの、要らねぇよ!」って感じで素通りだが、このときは、ラッピングの作業をしていたお兄さんが、本当に「拾う神」に見えた。

 スーツケースをグルグル巻きにしてもらったあと、カンタスのカウンターに。
Brisbane Int'l Airport
Boarding Pass 航空券とパスポートを渡してチェックインをした。お釈迦になったスーツケースのことを考えていた僕に、カウンターの金髪美人が囁きかけた。
「搭乗される便の座席は、ビジネスクラスになります、まいと」

 おぉ、拾う神は、ここにもいてくれた!

 毎年、ダメ元で申し込み続けてきたアップグレードがついに実を結んだ。
 転職して職場が変わり、お盆の時期にしか夏休みが取れなくなってから、すっかりご無沙汰だったカンタスのビジネスクラスへのアップグレードで、いつものただ長いだけのフライトが、優雅でのんびりとした時間が流れるフライトに変わった。
Brisbane Int'l Airport 周囲の人たちとは色が違うボーディングパスを受け取った僕の頭の中でいっぱいだった雲はキレイに消え去り、これ以上ない、快晴に変わった。
 非常に単純である。

 搭乗時間まで2時間もある。
 あぁ、早めに空港に来て、良かった!
 免税店で、余った予算で自分用の香水を購入したあと、こんな時にしか利用できない、カンタス・クラブ(The Qantas Club)、カンタス便を利用するビジネスクラスやファーストクラスの乗客用のラウンジでゆっくり過ごすため、専用のエスカレータを昇った。
The Qantas Club at BNE The Qantas Club at BNE
 カンタス・クラブからは、ガラス越しにターミナルの全景が見渡せるが、この時、ブリスベンの国際線のターミナルは、所々で改装工事をやっていて、景色については、望むべくもなかった。

 しかし、ターミナルの喧騒から隔てられた静かでゆったりとした空間の中で、無料のインターネットサービスでmixiをチェックしたり、美味しい朝食を食べたりして、出発まで非常にいい時間を過ごすことができた。
The Qantas Club at BNE The Qantas Club at BNE
 搭乗時間になり、ゲートに向かった。
 エコノミークラスの人を尻目に先に乗り込むのは、いい気分である。
 ひとまずは、経由地のケアンズに向かう。

 フィジーからの乗継客を待っていた関係で、出発が遅れたが、ビジネスクラスのゆったりしたシートで、ターミナルを出入りするさまざまなキャリアの機体の写真を撮りながら、のんびり待った。
Brisbane Int'l Airport Brisbane Int'l Airport
フィジーからの乗継客を載せ、飛行機は約30分遅れで出発した。

 プロローグ  2008年8月9日  2008年8月10日 前編  2008年8月10日 後編  2008年8月11日  
2008年8月12日 前編 2008年8月12日 中編 2008年8月12日 後編 2008年8月13日前編 2008年8月13日後編 
 2008年8月14日  2008年8月15日  2008年8月16日前編  2008年8月16日後編  エピローグ 
2008年8月16日(土)後編 ビジネスクラスでの一日 
 ブリスベンの空港を離陸した機体は、離陸後、一旦市内上空をぐるっと旋回した。
 窓の外には、建物がビッシリと並び、それは飛行機の窓からは終わりが見えないくらい広大に広がっている。その中で、蛇行するブリスベン川の周囲のほんの一部分で、高層ビルがビッシリと並ぶエリアがあり、そこが市内中心部だとすぐに確認できる。
above Brisbane
 目の前に広がる風景を見ると、ブリスベンは、人口を100万人以上を擁する、オーストラリア第3の大都市であることが、よく分かる。

 しばらくすると、さっきまで自分がいた空港ターミナルや滑走路を、機体の右側の窓から確認できる。このとき、飛行機は高度を上げている最中で、空港は箱庭のような大きさになっていた。
Brisbane Airport
 ボーイング767のビジネスクラスの25ほどの座席に対し、乗客は僕を含めて6人、ガラガラだった。
 途中の経由地のケアンズ(Cairns)までは、乗客もクルーたちもリラックスした雰囲気のフライトになりそうだ。
QF069
 水平飛行になった。
 朝食には、チーズがいい具合にとけているBLTサンド、菓子パン、フルーツの盛り合わせ、オレンジジュースを食べた。
 ビジネスクラス仕様なのか、BLTサンドはすごく美味しかった。
BF at QF069
 ロッキーやヤプーン上空を通過するときに、写真に収めようと狙っていたが、残念ながらルートから外れていたようだった。

at QF069 特に狙ったわけではないが、ワラビーズのロゴが入ったウェア(あのド派手なレプリカジャージではありません、念のため)を着た上に、窓の外を見ては写真を撮っていた僕を見て、「これはイジれる!」と判断したのか、朝食のサービスが終わり、暇を持て余したクルーたちが、やたらと僕に話しかけてきた。
 ある女性クルーに、「ビジネスクラスでリラックスしている自分を写真に撮ってほしい」と頼むと、彼女は「じゃぁ、私がシャンパンをサービスしている写真にしましょ」と言い、シャンパンとグラスを持って来て、一緒に写真に入ってくれ、ルネッサァ〜ンス(←オーストラリア在住の人は、『髭男爵』って言っても分からないかな?)な写真になった。
 (こっ恥ずかしいので、これで勘弁してください→→)

 「良い写真をありがと」と言うと、「お〜ぅ、ぷれじゃ〜〜〜〜〜」と、お気楽な返事が返ってきた。
 本当にリラックスムードのフライトになった。

 飛行機は、遅れてケアンズに到着した。
 この後、同じ機体で成田に向かうが、1時間の待ち時間をターミナルで過ごすため、一旦飛行機を降り、ターミナルのスロープを昇り、出発ロビーに出た。
 待ち時間を過ごす場所は、もちろんカンタス・クラブのラウンジである。
 The Qantas Club at CNS
 フカフカのソファで、本を読みながら搭乗時間を待っていたが、中々案内の放送が流れない。
 心配になって、レセプションに問い合わせたところ、「整備の都合で、まだご搭乗いただける状態ではありません。準備が整い次第、ご案内しますので、しばらくお待ちください」との返事。予定時間は連絡がなく分からないとのことなので、ただ待つしかなかった。

 結局、当初の予定より2時間遅れで搭乗の案内が来たが、普通、上位クラスが先に搭乗するはずなのに、このときは、ビジネスクラスが一番最後の搭乗となった。
 聞いてみると、ビジネスクラスのシートの一つに問題があるとのこと。しかも、無線をに耳を傾けると、空席だった僕の隣の席らしい。
 げげっ、俺は何もしてないよ!

 もちろん、クレームなんてものはなかったが、これまで右の窓側に座っていた僕は、同じ列の左の窓側に座ることになった。
 乗り込むと、蛍光色のチョッキを着たお兄さんたちが、僕が座っていたシートの隣のシートをまだ修理していた。

 飛行機は、修理の完了を待って、やっと出発した。
 機内放送で、「可能な限り早く成田に到着すべく、いつもより高度を下げて運航します」との案内があった。
 最初は、高度が下がると何で到着が早くなるのか、理解できなかったが、中心からの半径が短い方が運航距離が短くなると言う簡単な理屈に気付くのに、帰国後、かなりの時間がかかった。
 あぁ、バカな俺…

 水平飛行に入ってからすぐに、ランチのサービスが始まった。
 他のキャリアは知らないが、カンタスのビジネスクラスの食事は、高級レストランよろしく、フルコースのメニューで、前菜→メインディッシュ→デザートの順に出される。
 前菜は、パン、スープ、生野菜。
Lunch at QF069
 メニューでは「フェンネルのクリームスープスープ」と書かれていたスープがあまりにも絶品で、ちょっと恥ずかしかったけど、勇気を出して、「うま〜い、もういっぱ〜い」と八名信夫を意識して頼んでみたら(嘘)、快くもらえた。
 メインディッシュは、2種類あったが、僕は魚を選択、タイのグリル焼きに、明太子味のピリ辛ソースのかかった一皿が出てきた。
 あぁ、うめぇ!
Lunch at QF069
 デザートは、3種類からの選択で、僕はシフォンケーキを頼んだ。
 うめぇ!満腹!
Lunch at QF069
 食事が終わる頃、飛行機はパプアニューギニア上空を飛んでいた。

 窓から雲が渦巻くパプアニューギニアを写真に納めているうちに、眠気が襲ってきたため、シートを目一杯倒し、しばらく眠ることにした。
 文字通り、食っちゃ寝の状況、ビジネスクラスのフライトは、メタボ対策には最も不適切なフライトである。

 目を覚ますと、窓の外は、すっかり暗くなっていた。
 暗くなってた機内がパッと明るくなり、暖かいタオルのサービスの後に、お寿司とアイスクリーム(これもデザート2種類から選択)の軽食が出された。
 ランチの時に僕にスープのおかわりをくれたキャビンクルーが、頼んでもいないのに、ニッコリ笑って、僕にチョコレート(軽食デザートのもう一つの方)や二つ目のアイスクリームを大放出してくれた。
 ビジネスクラスでは、メタボ対策、ク●くらえ!

 いよいよ成田が近づき、飛行機が高度をさげ、雲の下に出た。
 機内放送では、成田の天候は曇りと言っていたが、窓の外では、やたらと稲光がスゴい。かなりアヤシい雲行きだった。

 成田に約2時間遅れで到着した。
 シートがビジネスクラスになったおかけで、預けてあったビニールグルグル巻のスーツケースを早々にピックアップできた。
 その足で、そそくさと税関をくぐり抜け、リムジンバスのカウンターに。
 残念ながら、たまプラーザ行きのバスは全て終わってしまっていたので、箱崎(T-CAT)行きのバスのカウンターへ。こちらは便があるようだった。
 ターミナルの外に出ると、ものすごい雨と雷。今年、やたらと話題になった、ゲリラ雷雨で、1メートル先も分からない状況だったが、都内に戻る頃には、雨も雷も止んでくれた。

 箱崎到着後、すぐに隣接する半蔵門線の水天宮前駅のホームに向かった。大変運の良いことに、自宅まで一番早く到着する急行がすぐに来てくれた。しかも、土曜の夜だからか、ガラガラだった。

 そんなこんなで、午前様での帰宅となった。
 オーストラリアの旅の最後の一日は、今までの18回の渡豪の中でも、非常に盛りだくさんの一日になった。

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エピローグ 
 帰豪したときの様子について、mixiで少しずつ書き、全ての旅程を書き終えた後、mixiに書かれた感想や全体の流れを考慮して文章の構成を見直したり、結構多い誤字脱字を直したりした上で、このサイトの掲載するのが、僕のまとめ方である。

 今回の旅の道中、ブリスベンに到着し、帰国を次の日に迎えるときのブルーな僕の心中を、mixiで告白したことがあり、それに対し、ブリスベンやシドニーでがんばっている方々から、異口同音の感想をいただいた。
・オーストラリアの生活、、、、、別に 楽しくないって!
 たまにくるから いいところですよ〜
・日本で仕事、海外でホリデーが、正しい生き方です。

 ははは。。。
 18回も太平洋を往復して、オーストラリアならではの良さを体感しながら、そんな遠い地から日本を見つめ直し、日本に生まれたことの良さも何度も感じてきた。
 僕はそのことを学習し、覚えようとするのだが、いざ帰国の段になると、ハートが学習したことをきれいさっぱり忘れさせ、後ろ髪を引かれる思いに駆られる。
 僕は大変に不器用な人間で、その不器用さから今まで損したと感じたことはたくさんあるが、こんな具合に頭とハートがシンクロしない不器用さで、帰国の時には悩んでばかりである。
お土産
 日本を選ぶか?
 オーストラリアを選ぶか?
 これはきっと、僕の目が黒い限り続く、僕自身の永遠の課題なのだろうが、今は毎日、この課題について、頭を悩ませられるだけでも良しとしよう。
 きっと、課題がなくなると、僕は腑抜けになるだろうから…

 僕の机の上には、オーストラリアから持ち帰った、僕自身のお土産がずっと置かれている。
 そのお土産を眺めながら、今は、夢の大陸に再び立つ日が一日も早く来ることを、日本での日々を過ごしながら、ただただ待つばかりである。
左上:Nob Creek Poterryで買ったマグカップ
右上:Emu Park の図書館で50セントで買ったCD
下:カンタス航空のビジネスクラスで配布されるアメニティ・キット

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