Diary of 18th Australia Part 1 | ||
2008年の夏休みも、行ってきました、帰ってました、オーストラリア。 今の職場は、どうひっくり返っても、海外とはほとんどご縁のない会社なので、1年もご無沙汰をしていると、僕はどうしても禁断症状を起こしてしまいます。 そして、例によって、ストレスの蓄積も… 今年も癒しを求めて行ってきた、18回目のオーストラリア、4度目のカプリコーン・コースト…旅日記にお付き合いください。 |
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出発まで…今年は癒しと安さの両方を | ||
普段、旅をする時には、僕はお金よりも内容を重視して計画を立てることにしている。 僕は独り者で自由に使えるお金が人より多い気楽さもあるが、お金のことを気にしていたら楽しい旅などできないと考えるからである。 もちろん、旅費が安く収まる時もあるが、それはあくまでも単なる結果で、多くの場合、それはこだわりを持ってやったことではない。 …が、ここ数年、物価高、燃料高、豪ドル高、そしてオーストラリアのバブルが、僕の数少ない楽しみを邪魔するかのように、僕の肩に重くのしかかっていた。 18回目の渡豪を実現させることは、今年のゴールデンウィークの最中から早々と決めていたが、今回ばかりはさすがに予算を多少セーブすることも念頭に置かなければならなかった。 今年、最初に選んだ候補地は、以下の通りである。 1.西オーストラリア州 ブルーム (Broome, WA) 2.クイーンズランド州 カプリコーン・コースト (Capricorn Coast, QLD) 3.シドニー (Sydney, NSW) それぞれ、僕の旅行費の8割〜9割を構成する、飛行機、アコモ、レンタカーの値段を見積もった結果、予想通り、リモートエリアのブルームへの旅は、少なくても40万円以上の費用がかかるため、候補から消さざるを得なかった。 夢の地への旅には、それ相応の費用が必要なのである。 カプリコーン・コーストにするか、シドニーにするか、大いに悩んだ。 カプリコーン・コーストでは、のんびり癒されるが、シドニーより滞在費用がかかる。 シドニーは費用を安く済ます手段がたくさんあるが、僕が生活する首都圏と同じく、人が大変に多く、のんびり過ごすことにこだわる僕にとって、雑踏の中の滞在は動機が弱い。 そんな中、昨年のカプリコーン・コーストの中心部ヤプーン(Yeppoon)での滞在で知り合ったかちょー。さんが、リゾート滞在について耳よりなオファーをくれた。そのときに、僕は3年連続4度目の滞在を即座に決めた。 |
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その後、クレジットカードのポイントを航空券費用の支払の一部に充てたり、マイレージ特典での割引率が一番高いレンタカーを手配したりして、可能な限り、旅費の削減に努めた。 その一方で、ヤプーン以外の滞在先のアコモを、カードのポイントが10倍となるサイトで手配したり、溜まったカンタスのマイレージのポイントで、ビジネスクラスへのアップグレード(その可否は当日でないとわからない仕組みになっているのだが…)を申し込んだりし、見積もった予算について、可能な限りコストパフォーマンスを良くする努力もした。 そんなこんなで、6月の初めには、おおよその旅程を固め、2ヶ月後の出発を待つばかりとなった。 その残り2か月の間に、僕は、いつもと同じように、前払する費用のカード決済のタイミングをボーナス後の支払となるようにうまいこと調整したり、E-TASや国際免許の取得をしたりなど、細々とした作業を行った。 そんな中、普段だったら待ち遠しさが募るばかりなのだが、今年はあまりの忙しさに、待ち遠しさを感じる余裕すらないままに、8月を迎えた。 待ち遠しさが少なかった反面、昨年までと比べ、疲労の蓄積は、何倍にも感じるときが多かった。 しかしながら、帰豪直前の1週間前になると、溜まりきった疲労を実感する中、ヤプーンでのんびりできる日が近づいていることを実感し、やっと待ち遠しさがふつふつと湧いてきた。 |
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プロローグ 2008年8月9日 2008年8月10日 前編 2008年8月10日 後編 2008年8月11日 2008年8月12日 前編 2008年8月12日 中編 2008年8月12日 後編 2008年8月13日前編 2008年8月13日後編 2008年8月14日 2008年8月15日 2008年8月16日前編 2008年8月16日後編 エピローグ |
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2008年8月9日(土) 僕の眠気は天邪鬼 | ||
やってきた、18回目の出発の日。 トシのせいか、どんなに寝ても眠気がとれない日がずっと続いていたが、それは、この日も同じだった。 出発の日に必ず床屋に行ってサッパリするのが、出発の日の僕の儀式のようなものなのだが、その儀式の最中、僕はすっかり熟睡していた。 成田に向かうリムジンバスの中でも同じだった。出発してからすぐ、僕は天に召され、気付いたら、バスは検問所のすぐ手前、どこを走って来たかなんて、さっぱり分からなかった。 成田に着いてすぐにやること言えば、もちろんチェックイン。 ここで、PEXチケットで購入した成田−シドニー(Sydney)−ブリスベン(Brisbane)の乗継のフライトと、Red e-Dealと言う、カンタスのサイト上で販売されている格安チケットで購入した、ブリスベン−ロックハンプトン(Rockhampton)のフライトのチェックインをお願いした。 |
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僕は、今回の旅に先立って、マイレージのポイントを利用しての座席のアップグレードを申し込んでおいた。 カンタスの座席のアップグレードは、当日にならないとその可否が分からない仕組になっていて、この日のように、お盆時の出国ラッシュの日は、かなり難しそうだった。 それでも、いつもより早く成田に向かい、自分なりにビジネスクラスにありつける努力をした。また、今回はカンタス自身の機材での便(いつもの成田からブリスベンへの直行便は、JALの機材での運航)となり、自社機材の便なら、座席の枠も多いのではないか、と淡い期待(勝手な思い込み以外の何ものでもないのだが)も込め、僕はチェックイン・カウンターに向かったのだ。 結果は、そんな僕の心を見透かしたかのように、エコノミー・クラス。 おまけに、昨年は可能だった、ブリスベン−ロックハンプトンの便のチェックインを、コンピュータが受け付けないと言う。 最悪である。 シドニーでの乗継時間はたったの1時間半、その中で僕はシドニーでの入国手続と、かちょー。さんへの、とある手土産とともに税関をくぐり抜けるミッションで頭がいっぱいだったのに、国内線のチェックインと言う、シドニーでの余計な仕事が増えてしまった。 ま、そうなった結果は仕方がない、僕は出国手続をさっさとすませて、いつも通りリフレッシュ・ルームに直行した。 いつもだったら、リフレッシュ・ルームではシャワーだけで済ませて、無料ネットカフェに直行なのだが、イマイチ眠気が抜けない僕は、珍しく空室がある、仮眠室を利用することにした。 仮眠室は、1時間1,000円が、2時間だと1,500円とのこと、搭乗時刻までほぼ2時間あるので、僕は迷わず1,500円を払った。 ケータイでmixiへのの書き込みを2、3済ませたあと、寝坊防止のアラームをセットして、僕は横になった。 搭乗時刻がやってきた。 いざ、乗り込むと、機内は予想通り満席だった。 あれだけ寝てもまだ眠気がとれない僕は、今回のナイトフライトでも熟睡できると、自分の体に期待した。 機内食を食べ、いざ、体を壁にもたげ、眠る態勢に入った。 …………… 悲しいかな、全然深い眠りにつけない。僕の体は、飛行機で中々眠れない、いつもの仕様に戻ってしまった。 浅く眠ったと思ったら、パーソナルテレビのゲーム、そして浅い眠り… 僕は、夜な夜な、これを何回も繰り返した。 |
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2008年8月10日(日)前編 1時間半のシドニー | ||
パーソナルテレビのゲームをやったり、浅い眠りに就いたり…を何回か繰り返しているうちに、機内に灯りが点いた。 目覚めのお絞りが配られたので、それで顔を拭いたあと、しばらくすると、鮭と蟹のお粥にそうめんの朝食が出てきた。 見た目にまったく新しい機内食に、眠い目がちょこっとだけ覚めた気がした。以前だったら、エコノミーの機内食にカニなんて出てくることを、期待さえしていなかっただろう。 とびきりウマいわけでもないが、決して悪くもない。 大食いの僕でも、朝4時過ぎに機内食を出されると、さすがに残してしまうことが少なくないのだが、今回は、すんなりと食べられた。 さすが、日本のケータリング会社製の機内食、多少体調が優れなくても、ちゃんと食べられる。 機内食を食べ終わるころ、機内の反対側から、朝日が漏れてきたので、窓を開けてみた。 まだ雲の上にいるため、下の様子は分からない。 |
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時間つぶしに、入国カードへの記入をしているうちに、飛行機は徐々に高度を下げはじめた。 「第二の故郷」が少しずつ姿を現す。 森林地帯の合間に赤いレンガの屋根がポツポツと見え始め、やがて、森林地帯よりも、建物の方が多くなる。 森林地帯が完全になくなり、その代わりに、たくさんの車が走る道路やゆっくり走る鉄道がハッキリと確認できるようになったら、もうすぐシドニー到着である。 |
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2年ぶりに眺める懐かしい風景を、しばらくの間、見入っていた。 あわよくば、オペラハウス(Opera House)とハーバーブリッジ(Harbour Bridge)の空撮写真を収めたかったが、ついには右の窓側からは、姿を現してくれなかった。今度シドニー行きの便に乗る時は、左の窓側の席をリクエストしよう。 飛行機は一旦、シドニー市街の南に広がる海に出て、左に180℃、大きく旋回してから、着陸した。定刻通りである。 |
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飛行機を降りると、さすが冬のシドニー、冷え込んでいる。 機内持込の少し大きめのボストンバッグに入れていた長袖のシャツを着て、駆け足気味に入国審査に向かった。 入国審査をすんなりと抜け、スーツケースを受け取り、ここまでは順調!と思ったのも束の間、税関に目を向けた僕は、言葉を失った。 税関に入るゲートの手前で、審査待ちの行列がかなりの長さになっていたのだ。 シドニー−ブリスベンのフライトは、すでに搭乗券を受け取っているから、置いていかれることはなかろうが、ブリスベン−ロックハンプトンのフライトは、まだチェックインすらできていない。 ロックハンプトン行きのフライトのチェックインは、ブリスベンに着いてからになるのかな、と半分諦めの気持ちで、非常にゆっくりとした流れに乗っていた。 約30分後、やっと税関のゲートに入ったが、この後は、係官が我々をテキパキと捌いてくれ、あっという間に、審査台のところまできた。 オーストラリアに行ったことがある方なら、ご存知だと思うが、オーストラリアという国は、海外から持ち込まれる荷物、特に食べ物について、厳しく目を光らせている。 世界から孤立した大陸であるが故に、今日のこの日まで保たれてきた独特の生態系を守るために、特に影響が及びやすい肉、卵、野菜、果物などが安易に、不正に持ち込まれないかを、チェックしているのだ。 僕は旅先でお世話になるかちょー。さんへのお土産に醤油をスーツケースに入れていた。 未開封の醤油が検疫に引っかかることはまずないのだが、チェックされる可能性はあるので、いつ要求されてもいいように、スーツケースの鍵を持ち、審査台に向かった。 パスポートと入国カードを見せ、「スーツケースの中に、お土産の醤油を入れてあるんだけど」と言うと、係官は面倒臭そうに、「良いです、行ってください」 こっちは、スーツケースの中を見られると思い、せっかく準備していたのに、拍子抜けだった。 日本のパスポートはそこまで強いのか? いや、係官がいい加減なんだろうな、多分… 税関を抜け、到着ロビーに出ると、待ち合わせのすごい人。 僕を待つ人なんて、いるわけがないので、名前入りのカードを持つ人を横目に、国際線ターミナル内の、カンタスの国内線乗継ぎカウンターを目指した。 カウンターで、スーツケースを預けるついでに、ブリスベン−ロックハンプトンのフライトのチェックインをして、スーツケースをロックハンプトンまでスルーで…とお願いをした。 システムの操作が少しややこしかったようだが、今度はうまくいったようで、ロックハンプトンまでの席を確保でき、ホッと胸をなで下ろした。 これで、ロックハンプトンまで、置いていかれることは、無くなった。 専用バスで、国内線ターミナルまで運んでもらい、ブリスベンに向かうフライトのゲートに向かった。 国内線ターミナルの建物に入る直前、吐く息が白くなっているのに気付き、シドニーは冬であることを改めて実感した。 ゲートに着くと、搭乗時刻まであと10分、ジタバタせずに、大きめの椅子に腰を下ろし、自分が今、オーストラリアにいることを実感した。 かくして、たった1時間半のシドニー滞在は、予想通り、慌ただしく終了した。 |
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2008年8月10日(日)後編 カプリコーン・コーストの陽射しの下 | ||
ブリスベンへ向かう便も、定刻通りの出発となった。 シドニーを離陸すると、過ぎ行く家並みに、後ろ髪を引かれる思いに駆られた。 |
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何だかんだ言って、僕はシドニーが好きなんだぁ! だんだんと小さくなるシドニーの町を眺めながら、 「シドニー在住のお友達は何をしているのかな?」 「帰国したら、シドニーに行くことも、考えようかな…」 …などと、様々な思いにふけっていた。 飛行機は途中、まるで乗客にサービスするかのように、ゴールドコースト(Gold Coast)上空を通過して、ブリスベンに到着した。 |
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ブリスベンでの乗継ぎ時間は約1時間。 シドニーのときと違い、入国審査、チェックイン、ターミナル間の移動などの必要はまったくなく、まるまる自由な時間となるので、僕はコーヒーを飲みながらゆっくり過ごすことにした。 |
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この1時間は、今回のオーストラリア入国後で初めての、ゆったりとくつろぐ時間である。 コーヒーを飲みながら、周囲をぼ〜っと眺めていると、異様な集団が目に飛び込んだ。 日本の中学校か高校の制服を着た数十人単位の集団が固まって移動していたのだ。 これまで、シドニーやゴールドコーストで、空港や街中で、何度となくこのような集団を見かけているが、何回見ても、彼らに対し、違和感のようなものがぬぐえない。 せっかくオーストラリアまで来たんだったら、制服で行動させるなんて、かわいそうじゃないか? もっと自由に行動させてやれよ! 傍から見たら、「日本から来たものです、どうぞ狙ってください」って、大声で叫んでいるように見えるぞ。 そもそも、修学旅行でオーストラリアまで行く意義って、何なのか? 恐らく、彼らは、日本でもできることを場所をオーストラリアに移してやっているだけだろう。きっと、日本に戻ったら、オーストラリアに行ったと言う「事実」しか残らないんだろうな、かわいそうに…などと考えているうちに、ロックハンプトンに向かう便の搭乗時間になった。 ロックハンプトンに向かう便は、小さいプロペラ機のため、ターミナルの搭乗口から直接乗ることはできない。 ターミナルに横付けされたバスに乗り、プロペラ機が待つ場所まで運んでもらってから、乗り込んだ。 |
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後から乗り込んだ僕が自分の席に向かうと、かなりふくよかなご婦人が、僕の席に座っていた。 このプロペラ機はかなり狭く、ご婦人は立ち上がるのもツラいご様子なので、僕は通路側の空いた席に着席した。 この日は日曜日だからか、シドニー−ブリスベン便も、ブリスベン−ロックハンプトン便も満席だった。 1時間強の短いフライトなので、特に何するわけでもなく、ボーっとしていた。 多少、天に召されていたような気が…しないでもない。 飛行機は、ロッキー(ここからは、『ロックハンプトン』をこう呼ばせていただきます)に定刻通りに到着。 ここまで使ったフライトはすべて定刻通り、ロッキーの天気は快晴、いい里帰りになる予感がしてきた。 ロッキーの空港で、預けた荷物が出てくるのを待つ間に、かちょー。さんに到着の一報を入れ、明日、かちょー。さんの職場のリゾートで会う約束をした。 かちょーさん。との電話を切り、荷物を受け取り、僕はレンタカーのキーを受け取った。 駐車場に行くと、白いカムリが僕を待っていた。 これから4日間の僕の足となる、大事な相棒である。 白いカムリの前で、僕は陽射しを全身で受け止めた。 朝早いシドニーは、吐く息が白くなるほど寒かったが、南回帰線上に位置するこの町のランチタイムは、かなり暖かい。 同じ国でも、場所が変われば、これほど気候が変わる…これがオーストラリア、そんなオーストラリアに自分がいることを、心より喜んだ。 車に乗る前に、僕はTシャツ1枚になった。 そして、荷物を詰め込み、車を走らせた。 今年も、すべてのことを忘れられる極上のバカンスが、これから始まる。 昨年、日曜日に、ロッキーの中心、East St.沿いの、フードコートが入ったビルの駐車場で、フリーマーケットを見て回ったことを思い出し、同じ場所に向かった。 空港から車で5分ほどで、ロッキーの中心部に着いた。 しかし、そこはフリーマーケットの賑わいとは程遠い、ゴーストタウンにでも迷い込んだかのような、誰もいない街並みだった。 時間は午後2時、フリーマーケットを楽しむには、遅すぎたらしい。 |
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それでは…と、事前にかちょー。さんから、ロッキー郊外にある、Rockhampton Heritage Villageという場所でお祭りが開催されているとの情報をいただいていたので、行ってみることにした。 こちらは、終盤に差し掛かってはいたようだが、何とか開催時間に間に合ったようだった。 青空の下、フリーマーケット、ダンスコンテスト、ゴスペルっぽいコンサートなど、地元の人たちの、様々な催し物を楽しんだ。 |
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オージーたちのお祭りらしく、みんな笑顔の、のんびりした、良い雰囲気のお祭りだった。 マーケットの終盤らしく、色々な屋台が叩き売りをしていたので、ここで5ドルのカレーを買い込み、コンサートを眺めながら、ちょっと遅いランチを取った。 マーケットを後にした僕は、かちょー。さんのオファーでお世話していただくいただくことになった、リッジス・カプリコーン・リゾート(Rydges Capricorn Resort)に向け、車を走らせた。 ロッキーから国道1号線、通称ブルース・ハイウェイ(Bruce HWY)を経由して、ロッキーとヤプーンを結ぶ幹線道路、Rockhampton-Yeppoon Rd.を往き、ヤプーンの町の中心部へ。 簡単な買い物を済ませ、さらに10キロほど走り、リゾートに着いた。 2年前、ここに泊まった時は、あるサイトで予約をした、建物の端っこのスタンダードルームで、バルコニーからは、鬱蒼とした木々しか見渡せない部屋だった。 今回、かちょー。さんからオファーをいただいた部屋は、ベッドルームが2つに、ソファ、プールや中庭を見渡せるバルコニーがついた、広々とした、ジュニア・スイート・ルーム。予約確定段階から、かなりの期待をしていた。 チェックインして、部屋に入った。 |
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僕の期待を裏切らない、素晴らしい部屋に、ちょっとした感動。 前回とは、雲泥の差である。 かちょー。さんには、どんなに感謝しても、感謝しきれない気持ちだった。 家を出てからここまで、ほぼ24時間が経過していた。 荷物を開梱してから、コーヒーをバルコニーに持ち出して、暗くなるまで、一息入れることにした。 プールに流れ込む水の音が聞こえなくなり、空がすっかり暗くなった頃、僕は晩ご飯を食べに、車でヤプーンの町の中心に向かった。 今日は日曜日、これまでに何回もお世話になっている、Happy Sunと言う中華料理屋で、週末限定のバッフェを楽しむことにした。 ここのお店での僕の一番の好物は、細麺のやきそば。 そんな好物との再会を喜んでいると、昨年も、リゾートでお会いした、日本のある俳優さんが入ってきた。 彼は同行の方々とゴルフ談義に花を咲かせたり、オーバーアクションで、店員さんに頼みごとをしたりしていた。 あわよくば話しかけてみようかなとも考えたが、ゴルフ仲間同士でとても楽しそうにしていたので、僕は別の好物のデザートを別腹に納めてから、店を後にした。 ここはオーストラリアの小さな町、食事が終われば、やれることなど、さほどない。 部屋に戻った僕は、湯船で長旅の疲れをとった後、体を優しく受け止めてくれるソファに身を埋め、テレビでオリンピックを見ながら暖かいコーヒーを飲み、分不相応なジュニア・スイートの夜を楽しんだ。 ジュニア・スイート・ルームの夜はこんな感じ。 寝心地の良さは、当然、折り紙付きである。 |
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2008年8月11日(月) 悠々自適な一日 | ||
ジュニア・スイート・ルームでの快適な一夜が過ぎ、爽やかな目覚めを迎えた。 バルコニーに出たら、亜熱帯の地とは思えないくらい、冷え込みが厳しかった。 今回の滞在では、最高気温が20℃〜25℃、最低気温が3℃〜5℃と、例年以上に寒暖の差が激しい日が続いていた。この日も、そのような寒暖の差が激しい日だった。 しかし、冷え込みが厳しいとはいえ、陽射しが差し込むバルコニーは少しずつ暖かくなる。 バルコニーに、コーヒー、軽い朝食、スタッフが毎朝部屋に届けてくれる日本語新聞のコピーを持ち出して、のんびりした朝の時間を過ごした。 最高の朝の過ごし方をしていると、自分で感じた。 かちょー。さんと会う約束の時間になったので、お土産を持って、レセプションに向かった。 かちょー。さんとは、メールやブログでやり取りを重ねてきたが、実際に会うのは、ほぼ1年ぶりだった。 昨年と相変わらず、お若くて、うらやましい! レセプションのそばの軽食スペースに案内してもらい、そこでカプチーノをご馳走になり(度々、すみません)、しばらくお話をし、お土産を渡した。 |
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かちょー。さんへのお土産は、シドニーでの税関のくだりでも少し触れたが、かちょー。さんの出身地である鹿児島特産の甘口醤油。 どうやったらこんな味になるかは謎だが、旨味が凝縮されて、何とも言えない甘さが出ている、至高の一品である。 1リットルのペットボトルを2本持ってきたので、かさばって迷惑にならないかが心配だったが、後日、かちょー。さんがブログで悦びの日記を書かれていたので、安心した。 ちなみにこの醤油、火を通すと味が飛んでしまうのが欠点だが、僕は、刺身やお餅、納豆、卵かけご飯を食べる時は、この醤油じゃないと、美味しく食べられない。 機会があったらぜひ、お試しいただきたい。 僕が滞在していた時のかちょー。さんは、大変に多忙だったのだが、午前中の貴重な時間を割いて、長い間、付き合ってくれた。 本当に感謝、感謝です。 かちょー。さんが仕事に戻ったあと、僕はリゾートから車で15分ほどの海を見渡せる展望台、レック・ポイント(Wreck Point)に向かった。 |
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僕のサイトのヤプーンのコンテンツや過去の旅日記を読んでいただくと、お分かりいただけると思うが、レック・ポイントは、僕にとっては、とても大事な場所である。 考え事があるときでも、ないときでも、ヤプーンに滞在するときは、必ずここに来て、ぼ〜っと海を眺め、悦に入る。 過去に僕の人生の迷い、悩みを受け止めてくれたこの場所は、いつでも、この僕を、両手を広げて迎え入れてくれる気がするのだ。 僕は暫くの間、芝生に腰を下ろし、何するでもなく、ただただ、海からの心地よい風に身を委ねていた。 時計を見たら、時間はお昼の12時をちょっと過ぎた頃。 僕は再び車を走らせ、これまたヤプーン滞在時には必ず訪れることにしている、クーベリー・パーク(Cooberrie Park)へ、午後1時から始まるショーの時間に合わせ、愛すべき動物たちに会いに行くことにした。 経営者が変わり、運営も変わった様を目の当たりにした昨年、クーベリー・パークについて、ちょっと寂しい思いをしたが、その時と較べると、幾分か商売っ気が薄らぎ、動物たちへの愛着が強くなり、先代の経営者であるJoeのときの雰囲気に近付いた気がした。 放し飼いにされているカンガルー、この日は比較的活動的だったコアラ、興味津々で近づいてくるエミュー、相変わらず僕を見ると欲情するオス馬、金網越しに僕にマッサージを要求するディンゴ…みんな元気してくれていて、嬉しかった。 |
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動物たちとの交流を十分に楽しんだ僕は、リゾートに戻り、シャワーを浴び、暗くなるまで、ソファで一休みした。 どこで今夜の食事をとるかは、既に決めていた。 明日、明後日は、既にかちょー。さんと食事に行く約束をしていたので、かちょー。さんと行く予定がない、中華料理屋さんが、この日の夜の目的地である。 と言っても、前日と同じ店ではなく、これまでで僕がヤプーンで一番お世話になっているであろう、Galaxyである。 炒飯、コーンスープ、ハニー・ポークなど、この店には、前日の店よりも多くの好物が、僕を待っていた。 いつもより多目に炒飯をがっついてしまい、苦しくなったので、ビーチを散歩して、腹ごなしをしてから、リゾートに戻った。 スイートルームでゆっくりくつろいだ朝、かちょー。さんと再会した午前、展望台で何もしない時間を過ごした昼、愛する動物たちと過ごした午後、好物の料理に囲まれた夜…なんて有意義な時間を過ごした一日だったことか! この日は、僕が頭の中で思い描く、最高の休日を過ごした気がした。 |
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2008年8月12日(火)前編 Rydges Capricorn Resort Part1 | ||
この日の朝も、起きたときは冷え込みが厳しかったが、次第に暖かくなってきたので、朝の散歩がてら、リゾート内を見て回ることにした。 以前より、このリゾート内の施設の充実度は分かっていたが、実際に見て回るのは初めてだった。 この日も快晴で、透き通るような青空が一面に広がっていた。 宿泊棟の目の前には、僕が泊まっている部屋からも見える、大きなプールがあり、流れ込む水の音が、ささくれ立った心を癒してくれる。 |
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また、ここのプールの一角には、砂浜になっている部分もあり、リゾートらしさを演出している。 | ||
プールサイドの椰子の木のそばでは、宿泊客を乗せるラクダがのんびりした顔つきで出番を待っていた。 | ||
プールサイドの一角に、"Beach Activities"と書かれたゲートと、奥につながる細い道が目に入ったので、行ってみることにした。 百メートルか二百メートル歩くと、三角屋根の白くてキレイな建物に出くわした。 チャペルのようである。 |
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こんな場所での結婚式なんて、僕にとっては、夢のまた夢のような話だなと、そのときは考えていたが、その前に、良い相手を見つけることは、もっと難しいことに、後で気付いた。 チャペルの近くに長く連なる土手の向こう側には、数キロ先に浮かぶグレート・ケペル・アイランド(Great Keppel Island)を向こうに見据えるカプリコーン・コーストのビーチが広がっていた。ここは、リゾートが所有するプライベート・ビーチで、きめの細かい砂浜には、ゴミが一つも落ちてなく、ちょっとした感動を覚えるくらい、大変に広大で美しい。 |
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僕はビーチの手前の土手にチョコンと佇んでいる、四阿の木の椅子に座り込み、前日レック・ポイントに行ったときと同じように、なにするでもない、極上の時間を、暫しの間、送った。 | ||
その後、ヘリポート、テニスコート、ゴルフコースなどを散歩して回った後、再びプールサイドにもどり、ジャグジー付きのスパで体を休め、ここでのリゾートライフを満喫して、ランチタイムを迎えた。 リゾートの中にあるレストランでランチを食べた。 レストランの名前は「鶴家」、お察しの通り、和食のレストランである。 このレストランは、オーストラリアではよくある、オーナーが韓国人の「何ちゃって」和食のお店ではなく、板前さんやホールスタッフのほとんどが日本から来た、混じりっ気なしの和食のレストランである。 一流ホテルで腕をふるっていた板前さんが手がける料理の味はもちろん折り紙付き、その折り紙付きの料理を、日本と同じか、それ以下の値段で楽しめる上、日本語で何から何まで済ませられる。日本人の姿など望むべくもないオーストラリアの小さな町にあって、このレストランの存在意義は、非常に大きい。 腹ペコだった僕は、「うな丼を大盛にできますか?」と聞いてみた。 すると、何と、板前さんが僕のテーブルにやってきた。 エラいこっちゃ! 何事かと思ったら、「ご飯だけの大盛と、うなぎが1.5匹の大盛ができますが、どちらにしますか?」 この日の夜、かちょー。さんと、このレストランですき焼きをつつく約束になっていたので、多少自重(?)して、ご飯だけの大盛にしてもらった、タレ多めで。(お前は、天やの客か!) 板前さん、注文聞きの方、色々言ってすみませ〜ん。 醤油の焦げた、食欲をそそるうな丼が運ばれてきた。 オーストラリアならではの食事を続けていた僕にとっては、美味しいだけでなく、優しさや懐かしさを覚えるような味わいだったが、仮にこのお店が東京のど真ん中にあったとしても、美味しさだけで十分に勝負できる、繁盛店になるのではないかと思った。 僕はやはり日本人、米の飯を食べると、力が湧く。 この後、前日にかちょー。さんに教えていただいた、ある場所に向かうために、僕は車を走らせた。 |
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2008年8月12日(火)中編 Nob Creek Pottery | ||
かちょー。さんオススメの場所とは、ヤプーンから30キロ〜40キロほど北の、バイフィールド(Byfield)にある、陶磁器等を作成、販売しているところである。
名前をノブ・クリーク・ポテリー(Nob Creek Pottery)と言い、日本流に言うと、窯元と言ったところか。 ヤプーンという町は、この時点で人口が2万人程度、急ピッチで宅地化が進んでいるとは言え、日本人から見たら、大変に小さな町に映ることだろう。 しかし、バイフィールドは、そんなヤプーンをさらに一回りも二回りも小さくしたような場所である。 ロッキーから行く場合、ヤプーンを経由して、さらに北に向かい、段々と舗装が粗く細くなる道を数十キロ、延々と走り続けることになる。 遠路はるばるバイフィールドまで来ると、地元の方には失礼だが、こんなところでの生活もあるものなのかと思うに違いない。誰もが「(日常の世界から)随分と遠くまで来たもんだ」と感じるはずだ。 僕もそんな思いを抱きつつ、バイフィールドを貫く細い一本道から脇道に入り、さらに2、3キロ車を走らせ、窯元に到着した。 |
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周囲にユーカリの林以外に何もないような場所にあるこの窯元は、何と言うか、独特の芸術家気質に溢れるような雰囲気で、僕が今まで見てきたカプリコーン・コーストとは一線を画す、違和感のようなものを感じた。 しかし、違和感と言っても、それは決して不快や痛みに感じるようなものではなく、オーストラリアにもこんな場所があるんだと言う、驚きに似たようなものだった。 場所が場所だからか、お客さんの多くは地元の人たち、観光で来る一見さんは少ないようで、彼らはオーナーさんと親しそうに話していたり、じっくりと品定めをしていた。 僕も敷地内にある大きな窯などの展示物を見て回った後、さまざまな作品を見て回り、お気に入りのマグカップを見つけ、自分のお土産にした。 |
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このマグカップ、22ドルしたが、僕にとっては、ここでの良い記念品である。 芸術家って、独特の感性を持ち、曲者とか、偏屈とか思ってしまうが、ここのオーナーさんは、初めて訪れた一見さんの僕に対し、とてもフレンドリーに接してくれ、ちょっとした立ち話をしてしまった。 僕が日本から来たことを告げると、オーナーさんは、スーツケースに入れても割れないようにと、マグカップをかなり念入りに包装してくれた。おかげで、たった一個の小さなマグカップが、ちょっとした大きさの荷物になってしまったが、これも、こんな旅ならではの、ちょっとした良き思い出である。 オーナーさんと握手をして、窯元を出たあと、かちょー。さんとの食事の時間が来るまで、カプリコーン・コースト周辺のドライブを楽しむことにした。 |
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ヤプーン滞在のときには必ず訪れるヤプーンの隣町のエミュー・パーク(Emu Park)では、図書館のワゴン・セールで、オージー訛りの人たちの喋りが延々と続くCDを、50セントで買い、これも自分自身のお土産にした。 リゾートに戻り、部屋でくつろいでいると、かちょー。さんから電話がかかってきて、僕がランチを食べた、鶴家の入口の前で待ち合わせをすることになった。 |
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プロローグ 2008年8月9日 2008年8月10日 前編 2008年8月10日 後編 2008年8月11日 2008年8月12日 前編 2008年8月12日 中編 2008年8月12日 後編 2008年8月13日前編 2008年8月13日後編 2008年8月14日 2008年8月15日 2008年8月16日前編 2008年8月16日後編 エピローグ |
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2008年8月12日(火)後編 ヤプーンとイワサキ | ||
鶴屋での最大のお楽しみは、こあらオヤヂさんも食べたと言う、オージービーフのすき焼きだったが、他にもたくさんの美味しい料理を堪能した。 最初にいただいたのは、中にそぼろが入ったトマトに、鰹風味の冷たいあんがかかったもの。 これは何と、お店からのサービスだったが、繊細で優しい味に、ただただ、感動するばかりだった。本当に、ご馳走さまです。 えびしんじょう、刺身の盛り合わせ、土瓶蒸し…繊細で優しい味はどれも一緒である。 |
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そうそう、このお店には、カリフォルニア巻に対抗したのか、クイーンズランド巻という巻き寿司もあった。アボガド、ツナ、マグロなどを巻き、粒の小さい魚卵(つぶこと言うヤツ?)を添えた一品で、コッテリしていて美味しいのだが、あくまでも、このお店のオリジナルなので、良い子のみんなは、真似して他のお店で注文しないように。 最大のお楽しみの、オージービーフのすき焼きが出てきた。 オージービーフのすき焼きは、今は日本でも食べ放題の店などで味わえるが、この店のそれは、食べ放題の店で使われるような、安っぽいものではなく、一流の和食のお店のオススメメニューである。 かちょー。さんが一生懸命、鍋奉行を務め、美味しいすき焼きを仕上げてくれた。 恐縮に感じながら、大変美味しくいただいた。 シーズンオフのホテルのレストランだと言うのに、周囲のテーブルは、いくつも埋まっている。 このレストランの客の1/3は、リゾートの宿泊客ではなく、地元の方々らしい。 海の向こうの遠い国の料理が、しっかりと受け入れられているのだ。 ただ、ここまで地元の人に受け入れてもらうようになるまでの道のりは、決して平坦ではなかったそうだ。 このリゾートを建設したのは、岩崎産業と言う、鹿児島県ではトップクラスの有力企業である。 同社の初代の社長が、あるビジネスでオーストラリア各地を回っている最中に、カプリコーン・コーストの美しさに惹かれ、この地にリゾートを建設することを決意、広大な敷地を確保し、1986年にリゾートを完成させた。 |
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当時、製糖業くらいしか、まともな産業がなかったヤプーンにとって、リゾートの進出は、新しくかつ大きな雇用が創造され、町が大きく発展する、大変重要な機会だった。 一方、「外資」の進出には、常に、先住の人たちの抵抗がつきもの、同社も、妨害活動に類する、いくつかの苦い経験をしたらしい。 しかし、同社は、地元の人たちと共存する努力を続けた。 当時、ヤプーンから、地域を代表する都市であるロックハンプトンに通じる道路はボロボロだった。そのボロボロの道路を、動脈としての機能を持たせるべく、同社は再整備した。この結果、ヤプーンと周辺地域のアクセスを活性化させ、観光などの新規事業を確立し、文字通り、ヤプーンが新たな飛躍を遂げる道筋を作ったのだ。 この道こそ、僕が何度となく利用している、Rockhampton-Yeppoon Rd.のことであり、ヤプーン滞在するとき、今回お世話になったリゾートを利用する、しないに関係なく、僕は間接的に同社の恩恵を享受しているのである。 また、同社は、日本からの留学生をこの地で受け入れたり、初代社長夫人の遺志による大学への資金負担を通じ、日豪間の異文化交流にも貢献し、数十人、数百人にも及ぶ若い人たちが、太平洋を縦断し、交流してきた。 以上のような取組みを通じ、「イワサキ」と呼ばれるリゾートは、段々と地元の人たちに受け入れられ、同時にヤプーンは今までにない成長を遂げることになった。 ヤプーンは今、ロックハンプトンで働く人たちのベッドタウンとして、更なる発展を遂げようとしている。 現在、このリゾートは、リッジス(Rydges)と言う、オーストラリアでは名の知れたホテル・チェーンが表立った経営をしているが、岩崎産業は、リゾート運営の策定、リゾート内の設備や、準公道扱いとなっているヤプーン中心部からリゾートまでの道路のメンテナンス、日本人滞在者のサポートなど、今でも縁の下でリゾートやヤプーンの発展を支えている。 |
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表向きはリッジスと言う名のリゾートであっても、地元の人たちはこのリゾートを今でも「イワサキ」と呼び、リゾートにある和食レストランに足繁く通っている。僕は、同社の共存のための努力は実を結び、地元からの理解を得ているのだと、強く感じた。 本来ならば、ここはオーストラリアにある、オージーたちの生活圏の小さくて静かな町であり、日本人が自国にいるときのような使い勝手を求めてはいけない場所である。 オーストラリアにおいて、衣食住で不自由しない環境を求めるならば、シドニーやゴールドコーストあたりにに滞在すれば、そんな欲求は満たされることだろう。 しかし、オージーたちが、爽やかな気候のもとで、彼ら本来の明るい笑顔で普段着の生活を営むような、「よそ者」が決して簡単にたどり着けない場所にあって、日本人が定番の観光地並みの「生活」を送れる環境が整っている、日本から旅する者にとって理想的とも言える町は、オーストラリアではヤプーンの他にはないはずである。いや、世界でも数える程しかないだろう。 そのような場所で僕が充実した休暇を過ごせるのは、紛れもなく、「イワサキ」や同社で勤務する人たちの長年に渡る努力の積み重ねの賜物である。 僕は、自身がこのような幸運に恵まれたことに対し、感謝の気持ちを持った。 この日のディナー、またもや、かちょー。さんに甘えてしまった。 理想的なバカンスへの道筋を作り、心を尽くして僕をもてなしてくれるかちょー。さんに対しても、心からの感謝の気持ちを抱きつつ、僕はベッドに潜り込んだ。 |
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