Diary of 17th Australia Part 2
 前回、7年ぶりに訪れた地に癒されたものの、日本に戻ってみると、更なる癒しが必要になるほど、仕事での悩みは大変大きなものになり、以前にも増して、僕はヤプーンへ思いを募らすことになりました。
 ひたすらに癒しを求めた、17回目のオーストラリア…3度目の滞在となったヤプーンでの日々を綴った旅日記にお付き合いください。
※このコンテンツは、2007年9月3日に公開した"Diary of 17th Australia"を移植したものです。

8月12日(日) 癒しの地にとどまる日曜日 
 昨年の滞在では、ヤプーンで3日間過ごした後の日曜日にシドニーに向けて旅立ち、ちょっと寂しい思いをしたが、今回はあと2日、癒しの地での時間が残っている。寂しい思いをするのはまだ先のこと、今日もヤプーンの空気をたくさん吸うぞ!

 「日曜日になったら行きたい」と考えていた場所があったので、朝食を済ませてからすぐに出かけた。
 目的地はロッキーの中心部、ここまで朝のドライブである。ここ数日、毎朝のように、ヤプーンからロッキーに向かう道をドライブしている。何だか自分がこっちに移り住んで、朝の通勤をしているような気分になる。これが本当だったら嬉しいんだけど、現実は厳しい。

 僕は、一昨日にも書いた、レールが道の真ん中を突き抜ける大きな通り、Denison St.沿いの、ある駐車場に車を停めた。
 訪れたのは、Archer Park Steam Tram Museum、蒸気で走るトラム(路面電車)の博物館である。毎週日曜日だけ、遠くパリから運ばれた蒸気で走るトラムが実際に活躍すると言うことで訪れてみた。
 日曜日にこのような催し物があるのは、ボランティアが運営を支えるシドニー郊外ロフタス(Loftus)にある路面電車の博物館、Sydney Tramway Museumと同じである。
Archer Park Steam Tram Museum 博物館は、ゴールドラッシュの時代より使用されていたArcher Park駅を活用したもので、駅の構内がそのまま博物館になっている。出発を待つ家族、別れを惜しむカップル、アコーディオン弾き、駅員さんはみんな、石膏になっていて決して動くことはないが、展示物や常時流れているアナウンスと共に、往時の繁栄をしっかりと我々に伝えてくれる。
 入館料の6.50ドルを窓口で払った後に、切符にハサミを入れてもらい、中に入ると、館内のプラットホームには、かわいい車両が頭のてっぺんから蒸気を発して、既に待ち構えていた。
 かなりの座席が埋まっていたが、丸ごと空いている列が一つだけあったので、そこに座ると、運転士のお兄さんが、"All Aboard!!"と叫んで、可愛い列車を発車させた。
 トラムは博物館に併走するレールの上をトコトコと走り、最後は館内のプラットホームに戻ってくる。
 今のロッキーは牛肉や金以外の鉱物、観光などを収入源にするオーストラリアの小都市。そんなロッキーにとって、ゴールドラッシュは古き良き思い出のはず。現代の小都市の中を、今も誇らしげに走るゴールドラッシュ時代の車両…博物館から一歩外に出た僕は、タイムスリップしてきた車両がゆっくりと小さくなっていく風景をしばらくの間、眺めていた。
 この博物館や道路を突き抜ける現役のレール、ヤプーンに残る廃線跡、ロッキー郊外のマウント・モーガン(Mount Mogan)の保存鉄道…ロッキー周辺のゴールドラッシュは鉄道と共に栄えたことが伺える。そして、クルマ社会のオーストラリアにあって、今でもロッキーでは鉄道が産業を支えるものは大きく、彼らの存在は非常に頼もしい。

 博物館を後にし、ロッキーでお店が集中するEast St.を散策していたら、今日は日曜日ということで、フリーマーケットが開催されているのを発見、この後ゴールドコーストのyamamotoさん一家へのお土産探しも兼ねて、しばらくの間、見て回った。
 オーストラリアのフリーマーケットは、いつも色々と新しい発見があるので、非常に楽しい。
 それに、買ったらもちろん"Thanks"、買わなくても"Thanks for looking"と言ってくれ、お咎めなんてないから、気楽に見て回れる。
 結局、yamamotoさん一家への良いお土産はこのときは見つからなかったが、僕が日本に帰ってから使えそうな雑貨を何点か購入した。

FOOD WORKS, Yeppoon 博物館近くのCambridge Hotelの下にあるレストランでランチ・バッフェを楽しんだ後、ヤプーンに戻り、引続きお土産探しを兼ねたショッピングを楽しんだ。
 それにしても、物価が上がってるな〜。ガソリン1リットル、バナナ一房、パン一袋…どれも日本円で考えると、割高感を感じる。以前はなかった感覚である。ビール1ダースやステーキ用の牛肉を日本の市価の半値近くで買って喜んだのは、遠い昔の話である。
 オーストラリアは今、バブルの真っ最中。物価上昇や燃油高に加え、対豪ドルで円安傾向にある今、我々日本から来る者にとって、今のオーストラリアは買い物天国ではないのかもしれない。食材を一個一個買って部屋で調理するよりも、値段の上限が決まっているバッフェ形式の食事の方が安心するし、コストパフォーマンスも良い。バッフェが今回の僕の旅の生命線だった…そう言っても過言ではない。
 先述のCambridge Hotelに掲げられていたステーキののぼりを見てから、ステーキを食べたい衝動にかられていたが、結局この日の夜も、Galaxyと並ぶヤプーンの中華料理のレストランHappy Sunで、週末限定のディナーバッフェを楽しんだ。

Yeppoon ヤプーンとのお別れでちょっと寂しい思いをした昨年の日曜日。
 朝は雲が立ち込めたものの、次第に陽が射し始め、博物館を、買い物を、美味しい食事を楽しみ、そして午後のの〜んびりとしたひと時に身体を心を癒される…あれからちょうど1年後の日曜日は、極上の一日になった。

 明日はヤプーンで過ごす最後の一日。
 起きていても寝ていても夢の中にいる…そんなことができる時間も少なくなってきた。
 最後だからと言って、今からいっぱい詰め込むのは、ナンセンス。
 今日の買い物で今回の旅のお土産の大半を確保したお陰で、明日は余裕のある一日にできるはず。今は何も考えずに、明日のことは明日吹く風に任せて、風呂で身体をスッキリさせてから、寝ることにしよう。
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8月13日(月) ステーキを食べたい! 
 ロッキーは、商業用の牛の集積地として約3百万頭の牛が放牧されている「ビーフ・キャピタル」と呼ばれるカプリコーン・コーストの玄関口。町のいたるところに牛を象ったモニュメントが建っていて、ステーキを扱うレストランの入口には大抵、"Rocky's No.1 Streak"のフレーズと共に思わずヨダレがタレてきそうなステーキののぼりが掲げられている。
 実は、昨日より、ランチのときに見かけたステーキののぼりがずっと頭から離れずにいたのだが、予算が気になったので、手を出さずにいた。しかし、昨日お土産の大半を買った後の財布に、ある程度の余裕が残った。
 「ビーフ・キャピタルに来て、ステーキを食わずに帰れるか!」
 最後の一日の過ごし方を全く決めていなかったが、ランチにロッキーの町まで出て、ステーキを食べることは、朝財布の中身を確認したときに、真っ先に決めた。

Emu Park この日も快晴の良い天気となった。
 ロッキーでステーキを食べるランチタイムまで、数時間ある。
 今回の旅で、これまで何回か素通りしただけだったヤプーンの隣町のエミュー・パーク(Emu Park)でのんびりすることにした。
 エミュー・パークは、人口約1,500人の小さな町だが、僕にとっては、昨年も、8年前も訪れている、馴染みが深い場所である。
 観光ポイントと言うと、キャプテン・クックの上陸ポイントがあるPeace Park、かわいい歴史博物館くらいしかなく、団体旅行者がドッと押し寄せることは決してない。町は常に静かさを保ち、明るい彩で統一されており、のんびりした休日を過ごすにはとても良い場所である。
 また、ここにはFishermans Beachと言うビーチがあるが、入り江で波は穏やか、人出が少なく、良質の砂浜があり、ビーチ自体が非常に美しい。ここは、カプリコーン・コーストの隠れたお奨めビーチじゃないかと僕は思う。

 エミュー・パークで2、3時間ほど静かな時間を過ごした。その間、殆ど何もしていないと言うのに、昨日のステーキののぼりを思い出したら、腹が減ってきた。時刻は11時45分。これから移動の時間を考えると、ランチにありつくにはちょうど良い時間となったので、ロッキーを目指し、出発した。
 昨日ランチを楽しんだ、博物館近くのCambridge Hotelの下にあるレストランに入ると、席はポツリポツリと埋まっていた。
 ここは料金先払いのシステムなので、450g(!)のPrime T-Boneをミディアム・レアで注文し、料金の24.90ドルを払った。
Prime T-Bone 2番の札と、空の皿、スプーン、フォークのセットを受け取ると、「サイド・ディッシュやサラダ、スープ、デザートはランチバッフェの人と同じところから好きなだけ取ってね。いくらお替りしてもOKよ」と言われた。
 ん?と言うことは、ステーキの代金は、ランチバッフェ込みって事か。昨日、ランチバッフェに払ったお金は、13.90ドル。10ドルちょっとだけ追加で払えば、昨日もステーキにありつけたって事か。ま、昨日は昨日で予算が心配だったって事情があったから、しょうがない。
 サラダをパクついていると、お待ち兼ねのステーキが出てきた。
 さすが450gのステーキ。デカいの一言。あぁ、幸せ。
 こちらのステーキは90%が赤身のものが多く、食したことがない人からは「美味しくないだろう?」と聞かれるが、そんなことはない。赤身とは言えちゃんと熟成されているし、表面の焦げ具合もちょうど良く香ばしさを醸しだしている。日本の霜降り状の肉とは全くの別物と考えれば良い。あぁ、ウマい、本当に幸せ。
 ほぼフルコースの食事を1時間近くかけて楽しんだ。お腹が苦しいが、それよりも満足感の方が勝っており、何度も言うが、幸福感でいっぱいだった。

 車でヤプーンの町に戻った。
 昼の2時過ぎ、まだまだのんびり穏やかな時間を楽しめる。
Railway at Yeppoon 僕はランチの腹ごなしをかねて、ヤプーンの町を、ビーチを、カメラ片手に歩くことにした。
 ブラブラ歩いているうちに、ヤプーンの中心部のちょっと外れにある、今は全く使われていない鉄道駅が気になり、行ってみることにした。
 1910年に開通したこの鉄道駅からのレールは、ロッキーに達する。地場に有力企業がないヤプーンでは、住民の多くはロッキーまで仕事をしに行くと言うから、以前はそれなりに旅客面での需要があったのかもしれないが、それでもヤプーン全体でも人口は現在で約8,000人、この路線の経営は決して楽ではなかっただろう。調べる術が今のところ見当たらないが、大分前より営業が休止しているようだ。8年前に初めて訪れたときから、この駅が機能しているところを見たことがない。
 僕がレールの上に立ったり、レールの先を眺めたるするのが好きなことは、先日触れた通りだが、ここでもそんな僕がふと目覚めた。
 かつてこのレールの上を走った列車。その列車を使った人たちの人生、レールが続いた先…廃線となったレールを見ると、そのレールが色々なものを語りかけてくる。これが廃線跡を探訪するときの醍醐味である。この周囲で、僕は何回もシャッターを押した。

 暗くなりかけてきても、ランチの450gステーキが利いたのか、全然腹が減らない。今夜の食事は、パンだけで軽く済ますことにした。
 明日は一夜だけのゴールドコーストに移動しないといけない。
 食事の後は早々に荷造りをして、テレビを見てから眠りについた。
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8月14日(火) 「さよなら」ではなく「またね!」 
 今年もヤプーンとお別れしないといけない日がやってきた。
 しかし、昨年よりも長めに滞在した分、満喫できた…と言う思いは強い。そして、昨年から1年の間隔で再度訪問できたと言う事は、来年また滞在できる可能性は十分にあるということ、昨年ほどの寂しさを散じることはなかった。

 昨年はシドニーでの昼食の約束のために朝の6時45分のフライトを選んだが、今回はロッキーを12時25分に出発するフライトを予約したので、バタバタすることはなく、朝食を食べ、テレビをゆっくり見てから、チェックアウトをした。
 Evelynにお世話になった礼を言い、自分のウェブサイトでここを紹介して良い?と聞いたら、OKの返事。その後、"See you next year!"と言ったら、ニッコリと笑ってくれた。良い滞在だった。
 ロッキーまで、最後の「通勤」である。
 普段、車を運転しているときは、早く目的地に着きたいと言う思いから、追い越し車線で必ず前方のクルマを追い抜くが、フライトの時間まで十分な時間があるこの時は、ちょっとゆっくりめのクルージングを楽しんだ。

at Rockhampton Zoo ロッキーの中心のガソリンスタンドで、返却前の給油をしたが、それでも1、2時間の余裕が。
 空港で何もせずにぼ〜っとするのは勿体無いかなと思い、ロッキーの町の中心からちょっと外れた場所にある、Rockhampton Botanical Gardens & Zoo、植物園と動物園に行くことにした。
 ここは企業スポンサーが運営コストをまかなっているため、入園料は無料である。
 ここの動物園は、Cooberrie Parkと違い、動物園であるが故に、動物は柵の向こう側にいて、直接触れ合うことは出来ないし、彼らが来園者に反応して愛嬌を振りまくことはない。その代わりといっては何だが、動物の種類が多く、本来の姿を見るチャンスがあり、良い勉強になると思う。ここの一番の人気者は、チンパンジーのようだ。
 植物園は、かなりの充実度。特に姉妹都市となっている鹿児島県指宿市との文化交流を目的として作られたJapanese Garden、日本庭園は手入れが良く行き届いており、見事の一言。ロッキーの町を歩いているときに、暑さにたまりかねたときは、この植物園に来て涼を取るのも、良いかもしれない。
 
 空港に向かった。
 空港について一番最初にレンタカーの返却手続きをした。今回の手続きにあたっては、5日前に擦った件を報告しないといけなかったのが、ちょっと不安だったが、加入していた保険のお陰で、レポートの作成をしただけで全てが終了した。ホッとした。
 飛行機は定刻に出発した。次第に小さくなっていく眼下のロッキーの風景を眺めていると、機内サービスのローストビーフのサンドイッチが配られた。これはウマい!美味しくてボリュームのあるサンドイッチを食べて、しばらくするとブリスベンに到着した。

 数日前にyamamotoさんからメールがあり、僕が到着する日にちょうどブリスベンでの仕事が入ったので、僕を拾いに来てくれることになっていた。
 yamamotoさんは空港の外の駐車場で待ってくれていた。
 メールや掲示板で連絡を取り合ってはいたが、実際に顔を合わすのは、約3年半ぶり。
 yamamotoさん、僕より6つほど年上で、会社経営で相当苦労しているはずなのだが、僕なんかよりずっと若々しい。羨ましい。
 
City Centre of Rocky ゴールドコーストに向け、yamamotoさんが車を出してくれた。
 ブリスベンはさすがに大都会、クルマが数珠繋ぎで走っている。つい数時間前までいた、前後数百メートルに車がないカプリコーン・コーストとは大違い。今も新しい高速道路の建設が進んでいる。
 yamamotoさんが車の中で、今のオーストラリアでの生活を色々と教えてくれた。
 ケアンズでの台風の影響で、バナナが高騰した。物価は高くなっている。
 ブリスベンでは高速道路の減価償却が終われば通行料が無料になるが、継足し継足しで建設が続いているから、無料になる日なんて来ない。東京の首都高速と同じ。
 ゴールドコーストにアウトバックをモチーフにした新しいテーマパークが出来た。
 どのテーマパークも、入場料がべらぼうに高い。レジデントの割引で、やっと普通の値段になる。
 首相改選が近いのに、金利が上がった。ハワード首相はどうするつもりなのか?
 相変わらず、水を自由に使えない。水撒きを満足に出来なくて、住みにくいと思うことがある。
 観光客には優しいが、いざレジデントになると、苦労が絶えない。yamamotoさんはそう言っていた。

 途中、創立100年を超える由緒ある学校に通うご子息を迎えにいってから、yamamotoさんが2年ほど前に買ったと言う一軒家に着いた。
 本人は「それほど大きくないよ」とは言うものの、家は2階建てで、十分な広さの良い家じゃないかなと思った。
 奥様にも再会した。奥様も全然変わっていない。夫婦揃って羨ましい。
 荷物をバラして、奥様が淹れてくれたコーヒーで落ち着いた後、庭に案内してくれた。
 すごく広い庭で、色々な植物を育てているが、大きなヤシの葉の始末には苦労しているそうだ。庭の向こうには、サーファーズパラダイスのスカイラインが見える。
 タダ泊まりのお礼に、その広い庭で芝刈りをさせてもらった。yamamotoさんは5分の1ほどで許してくれた。ありがとうございます。
 
 夕刻になってから、yamamotoさんの家の近くのマレーシア料理の店でディナー。
 ご近所でも評判のレストランらしく、テイクアウェイの注文がひっきりなしに来ている。  今回の旅、昨日のステーキをのぞいては、殆どがバッフェでの食事だったこともあってか、この時は久々にまともな食事をしている気がした。本当にウマいし、ボリュームもある。炒飯がメチャメチャうまかった。あまりのボリュームにデザートは持ち帰りにした。
 yamamotoさんは食事をご馳走してくれた。ありがとうございます。お礼は必ず…
 この後、バレーに通っているお嬢さんを迎えにいってから、yamamotoさんのお仕事のお供に、コンラッド・ジュピターズ・ゴールドコースト(Conrad Jupiters Gold Coast)に同行した。ここは24時間営業の立派なカジノがある高級ホテルだが、yamamotoさんはその地下のゲームセンター、"Games 4 U"でお仕事、僕はその間高級ホテルをブラブラしていた。
 "Games 4 U"はゴールドコストのホテル数箇所で展開している、良心価格でプレイできるゲームセンター。
 皆さんも、ぜひ足を運んでください。
 
 その後、yamamotoさんの家に戻り、シャワーを浴びた後、yamamotoさん秘蔵の猪木の名勝負をまとめた13枚組のDVDから見たい試合をピックアップし、深夜まで大画面で名勝負を語り合いながら楽しんだ。
 二人で夜な夜な楽しんだのは、以下の3試合。
・1983年5月27日 高松市民文化センター
 IWGPリーグ戦 アントニオ猪木 対 前田日明
・1986年11月3日 後楽園ホール
 アントニオ猪木&ケビン・フォン・エリック 対 木村健吾&武藤敬司
・1988年8月8日 横浜文化体育館
 IWGPヘビー級選手権 藤波辰巳 対 アントニオ猪木

 昭和からのプロレスファンだったら、誰もが知っている名勝負ばかりである。
 他にも見たいものがあったが、明日の朝は出発が早いので、程ほどにした。
 元々、yamamotoさんと僕は某有名プロレス掲示板を通じて知り合った。yamamotoさんは猪木の大ファンで、僕もプロレス大好き人間。二人にはそのプロレス以外にオーストラリアと言う共通点があることが分かり、親しい友人となった。
 数年前だったら、遠いオーストラリアで猪木の試合を見て語ることなんて考えてなかったし、そのような友人が出来るなんて夢にも思ってみなかった。縁とは不思議なものである。

 明日は日本に帰国する日。猪木の残像を頭に残しつつ、居心地の良い部屋で、オーストラリア最後の眠りに就いた
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8月15日(水) 帰国ってこんなに楽しいの? 
 朝の5時半。
 ヤプーンとは違い、8月のゴールドコーストの朝は冷え込む。
 昨晩の猪木戦の観戦後、ヌクヌクの新品の布団でグッスリ寝かせてもらった。布団の中が気持ちよくて、起きるのがツラかったが、日本に帰らないといけないので、暖かい布団を抜け出して荷造りをし、玄関の外に荷物を置いた。既にyamamotoさんの荷物も準備OKになっていた。
 …ん?yamamotoさんの荷物?
 実は、今回の旅に出発する一週間ほど前、yamamotoさんからメールをもらった。
 「急遽仕事で日本に帰ることになりました。スケジュールの関係で、T-Kayさんと同じ日の同じフライトで日本に行きます」
 あらま、びっくり!こんなことって、あるもんなんですね。
 「ゴールドコーストの自宅からブリスベンの空港まで友人の車で、成田から自宅まで、会社の車で送りますよ」
 えっ!ブリスベンの空港まではお言葉に甘えても良いかもしれない。だが、yamamotoさんの日本の自宅は世田谷、僕の家は横浜の片田舎、途中で落としてもらうならともかく、世田谷と僕の自宅の間、国道246号線をわざわざ一往復してもらうなんて、図々しくてとても頼めない。遠慮する旨を返事したら、
 「気にしないで、成田から帰る途中、久々においしいラーメンを食べたいから、付き合ってよ」
 と言う事で、この日はyamamotoさんと楽しく帰ることになっていたのだ。

 ブリスベン国際空港まで、yamamotoさんの友人がクルマを飛ばしてくれ、出発1時間前に空港に到着。
 殆どの人のチェックインは済んだと見えて、カウンターはガラガラ。
 何のストレスを感じることも無く、搭乗券を受け取った。
 出国手続きの後、セキュリティチェック。何だか、ものものしい。7月にブリスベンの空港で、テロリストが逮捕されたかららしい。ところどころでピーピー鳴っている。僕の手荷物もボールペンか何かで一回引っかかったようで、二度のチェックを受けた。yamamotoさんの荷物も同じだったようだ。
 セキュリティチェックで多少の時間がかかったお陰で、搭乗時間まであまり待つことは無かった。

 QF369便の搭乗時間がやってきた。
 僕が日本に帰るとき、なぜかいつもケアンズ経由のフライトばかりになるが、今回はブリスベンからの直行便である。
 機内は予想通り、結構混み合っている。僕の隣も残念ながらビッチリと埋まっていた。
 …が、アッパーデッキ(ジャンボ機の2階席)のyamamotoさんが、空きがあるから上においでと誘ってくれた。
 あぁ、yamamotoさんには負んぶに抱っこ、本当に感謝、感謝!
 離陸するまでは、搭乗券通りの席にいてくれとの指示があったので、シートベルト着用のサインが消えてからアッパーデッキに引っ越した。
 僕はカンタスのマイレージの会員。この会員になると、エコノミークラスがオーバーブッキングになったときにビジネスクラスに招待される確率が高くなるらしく、僕はこれまでに6回の招待を受けたことがある。しかし、静かなアッパーデッキには、今まで1回しか座らせてもらったことがない。
 だから、今回のアッパーデッキへの「アップグレード」、結構嬉しかった。
 引越しの後しばらくしてから出てきた機内食、カツカレーと冷やし中華だったが、久々の日本の味、本当にウマかった。JALさんの粋な心遣いである。

 行きと違い快適なフライトのお陰で、飛行機はあっと言う間に成田に到着した。
 夕方の5時の到着。ケアンズ線のような暗くなってからの到着と違い、随分楽なものである。
 荷物を受取り、税関を抜け、ターミナルを出ると…あ、暑い!!
 何だかジャングルの中にいるかのような蒸し暑さ…日本のこの暑さは、本当に異常に感じる。
 yamamotoさんの会社の日本地区の責任者の方が、既に迎えに来てくれていた。
 暑くて暑くてタマらないので、早々に車に乗り込み、成田を後にした。
 先日のメールではyamamotoさんの帰国最初の食事の希望はラーメンだったが、昨日会った時から話を聞いていると、心が大分、吉野家の牛丼に傾いていたようだった。クルマの中でもラーメンか牛丼か、大分悩んでいたようだったが、世田谷区の碑文谷あたりまで来たところで、吉野家に立ち寄ることにした。
 昨晩はディナーをご馳走してもらったので、今度は僕がご馳走する番。
 牛丼特盛を、玉子、サラダ、味噌汁のフルコースと共に堪能してもらった。
 オーストラリアでは、吉野家はシドニーにしかなく、yamamotoさんが住むゴールドコーストでは食べるチャンスが無い。だからすごく喜んでくれた。良かった、良かった。
 僕ももちろん牛丼を特盛で堪能した。ツユダクで。
 実は、僕も日本の食事にありつけて、すごく嬉しかった。

 その後、246を走りぬけ、yamamotoさんは僕を自宅のマンション前で僕と荷物を落としてくれてから、僕と握手をして、帰っていった。
 僕は荷物を自分の部屋に入れ、17回目の帰豪は終わった。
 yamamotoさんと色々な話をしたお陰で、寂しさを感じずに旅を締めくくることができた。
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旅、過ぎて…魂はどこに? 
 この一年、本当に色々とあったお陰で、ストレスから逃れることに殊更こだわった今回の帰豪、当初はできるだけ一人で静かに過ごす旅にしようと考えていた。
 しかし、こうして振り返ってみれば、僕の旅日記には色々な人が登場して、僕をサポートしてくれ、僕の旅を楽しくしてくれたことがよく分かる。
 3年半ぶりに会ったyamamotoさん、アジア系の人を見つけることさえ難しい場所で僕と友達になってくれたヤプーン在住のかちょー。さん、そのかちょー。さん紹介してくれたこあらオヤヂさん、日記には登場しなかったがクイーンズランドの色々な情報を提供してくれたブリスベン在住のKOKOさん、そして海を渡る前から僕に夢をくれたVilla Mar ColinaEvelyn…昨年シドニーで世話になった狂四郎さんも、出発前のゴタゴタに悩む僕の相談に乗ってくれ、良い旅立ちの日を迎えさせてくれた。人間、どんなことがあっても、仲間の助けなしには何も出来ないものなんだと言うことを、改めて痛感した。
 皆さんのお陰で、今回も良い旅にすることが出来ました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

from Villa Mar Colina, Yeppoon 今回で3回目となったカプリコーン・コースト
 8年前には傷心で訪れ、昨年はそこから変わった自分を報告するのと同時に太陽が微笑む地に癒され、それから一年、公私共に傷つくことが多かった僕は、今年はまたこの地に癒しを求めた。
 よりよく知るようになり、以前にも増して愛着が増した今、ヤプーンを初めとするカプリコーン・コーストは、シドニーと並ぶ僕の心の故郷になりつつある。
 インド洋に面したブルームやモンキー・マイア、NSW州だと、ブロークン・ヒルやタムワース、コフス・ハーバー、10年以上帰ってないポート・マックォーリー、クイーンズランドだとタウンズヴィル…行きたい場所には事欠かない。

 しかし、リフレッシュして日本に戻ったつもりでいても相変わらず疲れ果てる毎日に中にいる僕に一番必要なのは、また癒されることを約束してくれるこのカプリコーン・コーストに戻ってくることかもしれない。

 僕は自分の魂をヤプーンのどこかに置いてきたので、今日本にいる自分は、本当の自分ではない。来年のことは、来年にならないと分からないが、僕はまだヤプーンのどこかで眠っている自分の魂を迎えに行くためにも、またカプリコーン・コーストに行かなくては…いつもそう思いながら毎日を送っている。

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