[ 515] | 「クロスロード」を探して | 記入日時 2004年02月29日 (日) 11:50 |
エリック・クラプトンが約3年ぶりとなるニューアルバムを3月24日にリリースします。 題して 『ME AND MR. JOHNSON』 今回はクラプトンの史上初となる“一人のアーティストの作品をオール・カバー”した伝説のブルーズ・マン=ロバート・ジョンソンへのトリビュート・アルバムとなっています。 僕はブルース(この後書く古いタイプのブルーズと区別して書きます。)をよく聞き、特にクラプトンのブルースは好きでした。 ところが迂闊にもロバート・ジョンソンに関してはあまり知らなかったのです。そこで、クラプトンとロバート・ジョンソンとの関係を調べ始めました。 すると、どうしてもクラプトンの事を初めから書こうと思ったのです。(今日は長くなります。) そもそもエリック・クラプトンは1945年生まれ、イギリス出身のギタリストです。いまでは知らない人はいないと思いますが、彼の幼少の頃の話は直近のアルバム「レプタイル」に書かれていますが、多くのアーティストが不遇の幼少を過ごすように、クラプトンも両親ではなく、祖父母によって育てられます。 この事実を隠そうとする家族とそのことで、クラプトンは自分を見下す社会への怒りを胸に青春時代を過ごします。そしてその気持ちが、当時若者の怒りの表現手段でもあったロックン・ロールという音楽へ彼を向かわせ「ロックン・ロールの根はブルースにある」というレコードに書かれていた言葉によって初めて、ロバート・ジョンソンを知ります。 クラプトンのキャリアは、63年のルースターズから始まります。そして63年の秋にロンドンでも注目を集めていたバンド、ヤードバーズに迎えられます。このヤードバーズはその後ジェフベッグ、ツェッペリンのジミーページが加入し、70年代の3大ギタリストが在籍したバンドとして有名なのですが、ヤードバーズでのプレイが認められ、その当時すでに『エリック・スローハンド・クラプトン』と紹介されていたのです。 (スローハンドとは、彼があまりに早弾きのため逆にゆっくり見える事から、彼を今でもそう呼ぶのです。) ヤードバーズで注目されるようになったクラプトンですが、バンドはポップ路線を志向するようになり、クラプトンは他のメンバーと意見が対立し65年にバンドを去ります。彼は常にブルースへの思い入れがあったのです。 ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズを経てついに66年秋、伝説のバンド「クリーム」を結成します。クリームは「最上級のもの」という意味のバンド名で、ベーシストのジャック・ブルース、ドラマーのジンジャー・ベイカーとともにいずれ劣らぬ高度なテクニシャンが顔を揃えたクリームは、デビュー当時からスーパーグループと評判で、僕も学生の頃に聞きました。(左のジャケットは1stアルバム「フレッシュ・クリーム」で、最近このCDを買い直した。) 68年8月に3枚目の『Wheels Of Fire/クリームの素晴らしい世界』が発売され、今だに演奏する「ホワイトルーム」や「クロスロード」が収録されてるのですが、さてその「クロスロード」です。 この「クロスロード」こそ、ロバート・ジョンソンの「四辻ブルーズ」のカバーなのですが、ロバート・ジョンソンを調べる中で彼の「四辻伝説」を知り、この長い日記を書こうと思い立ったのですが、その話はもう少し後で書きます。 その後クリームは、解散への道筋をたどり始めます。クリームは結成当初から2年間だけいっしょにグループを組むという期間限定バンドであり、高度なテクニックと豊かな創造性に加え、メンバー各自が強烈な自我を主張し合うことで成り立っていたクリームの音楽は、存続の危うさとつねに表裏の関係にあったのです。 68年11月、ロイヤル・アルバートホールで解散コンサートが行われ、クリームは解散します。 その後、クラプトンはブラインド・フェイスを結成しアルバム1枚を残して解散。(これも買い直した) クリームの再来を期待したファンに、ブラインド・フェイスは失望しか残しませんでした。 短命に終わったスーパーグループ時代でしたが、この間に繰り返し米国ツアーに参加していたクラプトンは、ボブ・ディラン、アル・クーパー、ジミー・ヘンドリックスと出会い、ブルースのルーツ米国南部の音楽へ目を向け、そして南部色の濃い一枚のソロ・アルバム (70年の「エリック・クラプトン・ソロ」) を経て、デレク&ザ・ドミノスのクレジットによる「いとしのレイラ」(Layla And Other Assorted Love Songs)を発表します。 実はこの「いとしのレイラ」、当時クラプトンはジョージ・ハリスンの妻だったパティー・ボイドと三角関係にあり、彼女への想いを託した曲だったのです。ところが、その後この失恋の痛手により、クラプトンはヘロイン中毒の泥沼にはまってしまいます。そこへ追い打ちをかけるようにジミ・ヘンドリックスの麻薬による死亡が伝えられ、彼はいよいよその地獄から抜け出せなくなり、彼はほぼ3年近く、いっさいの演奏活動から遠ざかってしまいました。 しかし、ザ・フーのピート・タウンゼントが彼を助け出しにクラプトンの別荘を訪れる事で、クラプトンは復活します。74年「461オーシャン・ブールバード」(このCDも買い直しました)を発表し、このアルバムで、彼はボブ・マーリーのカバー曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の大ヒットにより、レゲエの存在を世界中に知らしめたのです。 その後クラプトンは、ジョージ・ハリスンとの離婚が成立したパティ・ボイドとついに結婚し、「ブルースとの絆」は断ち切れたかと思われました。しかし、彼は思いを成し遂げたはずのパティとの結婚も長くは続かず、今度はアルコール中毒との闘いをするはめになってしまうのです。 89年「ジャーニーマン」で、再びクラプトンはブルースの世界に帰ってきますが、91年3月に今度は悲劇が訪れます。息子コナーがビルから転落死してしまうのです。そして家にとじこもり、アコスティック・ギターを弾くだけたの生活が2年ほど続きます。しかしこの事で得た心の平静は、92年発表の「ティアーズ・イン・ヘブン」になり、「アンプラグド」の大ヒットになるのです。 そして2000年にはクラプトンのいま最も尊敬する“ブルースの神様”B.B.キングの共演アルバム「ライディング・ウィズ・ザ・キング」を出し、そしてついに来月、ロバート・ジョンソンへのトリビュート・アルバムに至ったのです。 クラプトンの事を書いていたら長くなりました。ただ話はこれからです。クラプトンの曲は「いとしのレイラ」や「ティアーズ・イン・ヘブン」「ワンダフル・トゥナイト」など聞きやすい曲が多いのですが、いままで書いてきたように、彼の音楽の根底はブルーズなのです。 そこで今度はそのロバート・ジョンソンを見てみましょう。1911年ミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれました。家庭環境は他のアーティスト以上に複雑です。父親は母親が夫が留守の間に浮気した相手であり、母親は離婚してた後メンフィスでスペンサー家に住むようになり、ロバート自身もスペンサーの姓で幼少を過ごしています。 14才の頃ジューズハープ(口にくわえて音を出す)、次にハーモニカを吹いていましたが、1920年代後半からギターを弾くようになります。ウィリー・ブラウン、サン・ハウスなどブルースマンのテクニックを短期間に吸収し、独自のブルースギター奏法とファルセット唱法でデルタブルーズの第一人者の地位を築くのです。その後南部一帯を中心に放浪してはクラブや酒場で演奏するようになり、行く先で女を作っては子供を身ごもらせる生活をしています。そして1938年、27歳の時にクラブオーナーの妻に手を出し、ウィスキーに毒を盛られ3日後に肺炎で死亡したのです。 演奏のために放浪し、女に手を出して死ぬとは、ギター弾きとして伝説となる人物には違いないのですが、彼をもっと有名にしている話は「四辻伝説」です。それは彼がギターを弾き始めた当時、ウィリー・ブウラウンからコードの押さえ方やオープンチューニングの仕方を習ってるのですが、それからわずか数年後にロビンソンヴィルに戻ってきたロバートのギターは、既にウィリー・ブラウンやサンハウスを凌駕していたのです。 そこで、ロバート・ジョンソンが1936年に録音した「CROSS ROAD BLUES」を見てみます。
ジョンソンは、この曲をレコーディングする数年前に同じような体験をしたと言われ、「十字路に立ち尽くして、絶望の淵に沈んでいた」ジョンソンは悪魔と出会い魂を売り、誰も真似の出来無いギター演奏技術を会得し、寿命を縮め、わずか27歳でこの世を去ったのです。 つまりこの曲こそ、クラプトンがクリームで演奏した「CROSSROADS」であり、若い頃のクラプトンやローリング・ストーンズのキース・リチャードに影響をあたえたロバート・ジョンソン伝説の元の曲だったのです。 ジョンソンはハイウェイ7沿いにある、キート集落近くのペイン礼拝堂の墓地に埋葬されたと言われています。 「Me And The Devil Blues」でロバートジョンソンが歌ったとおり、彼の願いが叶えられたことになったのです。 (この題名は「ME AND MR. JOHNSON」の元題ですね。)
多くの歌を残すことなく早く死んだロバート・ジョンソンですが、計り知れないほど大きな音楽的遺産を残しました。そして、今やR&Bばかりでなく、全てのロック音楽のルーツがブルーズだと思い、皆さんに知って頂きたくて長々と書きました。 今回クラプトンも、自分の人生の締めくくりとしてトリビュートするような気がします。本当に楽しみなアルバムです。 もし、ロバート・ジョンソンに興味を持たれたら、MDを送ります。ぜひ聞いて欲しい1枚です。 今日は長文を読んでくれて、ありがとうございました。さて、これからやっとテニスに行って来ます。(^_^) |
[ 514] | ケビン・スペイシーの言葉 | 記入日時 2004年02月28日 (土) 6:10 |
昨日はBS2で録画した「ケビン・スペイシー自らを語る」(アクターズ・スタジオ・インタビュー日記456)を見ました。 ケビン・スペイシーは「ユージュアル・サスペクツ」で68回(95年)アカデミー賞助演男優賞を取り「アメリカン・ビューティー」で72回(99年)主演男優賞を取った俳優です。 最近では「シッピング・ニュース」(IDEA's Movie)、「光の旅人 K-PAX」(IDEA's Movie)の2つを見てますが、なかなかいい俳優さんです。 アクターズ・スタジオ・インタビューはトーク番組で、演劇学校の生徒の前で、映画作りの話や体験談を聞かせてくれます。そして最後に生徒から質問を受けるのですが、昨日はその質問に答えたケビンの話が非常に良かったので、今日の日記に書き留めたいと思います。
|
[ 513] | maichiと会う! | 記入日時 2004年02月27日 (金) 6:20 |
昨日は初めてmaichiに会ってきました! ネットで出会った友達と会うのは、あやに続いて二人目。 東京駅から3時に仙台に帰ると言うので、新橋で待ち合わせ、汐留シティーセンターにある「オレゴン バー&グリル」でランチしてきました。 BBSでbubuさんとここの肉の話をしてたので、食べたくなったのと、maichiに地上42階からの眺めを堪能しながら食事をしてもらいたかったからです。 maichiは前日にグレープバインのコンサートに来たのですが、さすが音楽好き! 音楽の話になるともう夢中です。二人してよくしゃべりました。そしてmaichiはBBSも書いてるけれど、話の途中で「んだ」って言ったんです。 二人して大声で笑いましたが、でも、僕にはそれがすごく耳に心地よかった。 変に東京に憧れてカッコつけてるより、よっぽどいいです。maichiはいつまでも、そのままでいて下さい。 また東京に来たら美味しいもの食べに行こうね!今度は居酒屋がいい?(^_^) 僕も必ず仙台に行きます!(^_^) 「オレゴン バー&グリル」ですが、3000円のランチコースにしました。前菜がシーザーサラダか生ハムのサラダとメインディッシュがサーロインステーキかサーモンのプリフィクスで、これにパンと、スープ、コーヒー、デザート(3品)が付きます。これで十分です。メインはもちろんサーロインにしましたが、これ以外頼む人はいないよね。(写真1) 肉は180g。コースのボリュームは十分なのですが、僕はもっと肉を食べたかった。肉の増量も可能ですが「お腹いっぱいになりますよ。」という言葉に引き下がっちゃった。肉はコースアップしてもいいと思います。(写真2) そうそ!牛タン、さっそく食べました。これも美味しかったー(^_^) もう、この春は完全ダイエット失敗です。(^^;; |
[ 512] | 朝の散歩 | 記入日時 2004年02月26日 (木) 6:30 |
2月もそろそろ終わりですね。 東京はここ数日暖かく、今日の予報では20℃まで気温があがるそうです。 本格的な春まであと少し。待ち遠しいです。 写真は先月写したのですが、ブタをつれて散歩する町で有名な人です。(お名前など知りませんが。) ブタも暖かくなって嬉しいでしょうね。(^_^) さて、僕も春の準備を終わらせなくては。 頑張ります! |
[ 511] | ジョニー・デップが主演男優賞を受賞しました! | 記入日時 2004年02月25日 (水) 7:30 |
ジョニー・デップファンの皆さん、素晴らしいニュースが入ってきました。アメリカ映画俳優組合賞(SAG賞)で彼が主演男優賞を受賞したのです! このSAG賞は、アカデミー賞発表を29日を目前にして最後の主要な賞になり、ロサンゼルスでも「パイレーツ・オブ・カリビアンのジョニー・デップが受賞する番狂わせとなった。」と、ジョニー・デップの受賞を以外だと報じています。(関連記事) アカデミー賞受賞前には数多くの賞の発表があるのですが、SAG賞はその中でも有力な賞になり、このジョニー・デップの受賞でもしかしたら、もしかです!(^_^)(関連記事) また、気になる渡辺謙の助演男優賞ですが、残念な事にゴールデン・グローブ賞と同様、「ミスティック・リバー」のティム・ロビンスが受賞してしまいました。 ティム・ロビンスは「ショーシャンクの空に」(IDEA' Movie)や「星に想いを」(IDEA' Movie)でいい演技をしていたので、これはやむ得ないかもしれませんし、SAGでも渡辺謙が取れないとアカデミー賞でも難しいかも知れません。 アカデミー賞の授賞式は日本時間3月1日(月)の午前中で、いまから、ワクワクドキドキしてきました。(^_^) |
Copyright (C) 2002 IDEA Corp. All rights reserved. idea@mxd.mesh.ne.jp |