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 イラクの首都バグダッドの60キロ西にファルージャという町があります。下の写真は、このファルージャにあるサッカー場です。しかし、今は、500人近くの人が埋葬されている墓地になっています。
 このファルージャで、いったい何が行われたのでしょうか。
 2003年4月に、アメリカ軍はファルージャを占領しました。そして、ファルージャの小学校をアメリカ軍の居場所として使いました。ファルージャの町の人々は、4月28日に、小学校から出て行ってほしいと、デモ行進を行いました。すると、そのデモの行列をねらって、アメリカ軍が攻撃(こうげき)したのです。その結果、15人の人がなくなりました。
 デモの参加者とイラク人でデモを見ていた人は、デモの参加者はだれも武器をもっていなかったのに、アメリカ軍が一方的に銃を撃ったと言っています。アメリカ軍は、デモの参加者が先に銃を撃ってきたと言っていましたが、調査の結果、そのようなあとは見つかりませんでした。

 2日後の4月30日に、ファルージャの人々は、28日のできごとに抗議(こうぎ)するデモを行いました。すると、またもやアメリカ軍は、武器を持っていない人々に向かって、発砲(はっぽう)したのです。そのときの様子を表した写真がありますので、下のHPを見てみましょう。

4月30日の写真
(下のほうに悲惨な写真があります。見るか見ないかは自分で決めましょう。) 

 それから、ファルージャの人々はアメリカ軍に大きな憎しみをもつようになり、アメリカ軍と戦おうとする人々が増えました。

 その後、2004年3月31日に、アメリカ人の傭兵(アメリカ軍の兵隊ではないがアメリカにやとわれた軍事訓練をつんだ人たち)4人が殺され、橋につるされる事件がおこりました。アメリカ軍は、これを理由に、ファルージャへの住民への攻撃を始めました。
この結果、700人以上の住民が殺されたと言われています。上の写真のお墓は、これらの人々のお墓なのです。
 アメリカ軍は、武器を持たない人や女の人、子どももたくさん殺しました。下のHPには、殺された子どもたちの写真があります。
(悲惨な写真です。見るか見ないかは自分で判断しましょう。)

アルバスラネットから

 そして、けが人を運ぶ救急車まで攻撃しました。下の写真は、攻撃された救急車です。

 また、イスラム教を信じる人々がお祈りするために集まるモスクも攻撃しました。下の写真は、攻撃されたモスクです。

 上の3枚の写真は、下のHPからコピーしました。
益岡賢さんのHP「ファルージャ:何度でも闘うだろう」

 ファルージャの町の様子は、下のジョー・ワイルディングさんの文章を読むとよく分かります。

「ファルージャの目撃者より:どうか、読んでください」

 ファルージャには3つのアメリカ軍部隊がいましたが、そのうち2つの部隊は、沖縄で訓練を行った後にイラクへ向かっています。日本にあるアメリカ軍基地の運営には、日本のお金もたくさん使われています。(2441億円)つまり、ファルージャにいたアメリカ軍に、日本は協力したことになります。このことを、あなたはどう思いますか。

ファルージャでの住民虐殺 沖縄での訓練の成果

 2004年5月初めに、アメリカ軍はファルージャの町から撤退(てったい)しました。
 しかし、その後もアメリカ軍は、ファルージャを攻撃しています。アルカイダのザルカウィという人たちがファルージャにいるというのが攻撃の理由として言われたことです。ところが、7月5日にザルカウィのかくれ家として攻撃された家から見つかったのは、ザルカウィ一派の死体ではなく、イラクの女性がまとう黒い布だったそうです。

ファルージャ再訪(シバレイのブログ)
(2004.8.27更新)