古代中国の場合、最初に物々交換の仲立ちをした物品は「牧畜」、「海貝」、「朱玉」、「毛糸」、
「布」等の実物でした。
「海貝(原貝貨)」は、文献や出土状況から夏王朝時代には、早くも貨幣としての性格を獲得し、
引き続き 商(殷)、西周王朝時代も、黄河中流地域と一部沿岸地域の広範で流通しました。
その後、「海貝(原貝貨)」ばかりでなく、「淡水貝」、更に動物の骨、石、銅等を「貝」に模して
作り、貨幣として使用しました。(銅製は、銅貝の項を参照して下さい。)
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貝貨(原貝貨)
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貝貨の原料となった子安貝は、当時の中国では未開の地であった地域(香港以南からベトナムまでの
海岸)で産出しますが、どの様な経過を経て、もたらされたか明確になっていません。現在、「貢物」
という形でもたらされたと考えられています。
最初に物々交換の仲立ちをした物品の多くは、個々の大きさ、重さ、状態が不統一で、経年変化に
よって価値が低下してしまうだけでなく、各々の基準が明確でない等の理由により、流通時において
不都合が多かった様です。
流通が盛んになるにつれ、物々交換の仲立ちをする物に対し、「各々が均一で、価値が長く変化せず、
一定の価値がある物」が要求される様になります。
子安貝は、「比較的大きさが揃って充分な強度があり、流通に耐える事」、「豊産、子孫繁栄の霊力
を持つ物として珍重されていた事」、「一般には入手が困難であり、権力者にとっても都合が良かった
(価値を統制する事ができる)事」等により、物々交換の仲立ちをする物、貨幣として使用されました。
当時金属は、産出量が少ない貴重品であった事や、祭器だけではなく武器にも使用される為、限られた
権力者、有力者だけが所有するものでした。
その後、流通の拡大により子安貝の供給が不足すると、淡水貝や動物の骨、石を加工して流通させる
様になりますが、一般で容易に入手できる材料であったため、貝貨の価値は急激に下落すると共に、中央
王朝の権威が失墜し、各地で様々な貨幣が作られる様になります。
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