半両銭は戦国時代の秦国(秦の恵文王二年、西暦前336年)にて鋳銭が開始されます。
秦国は中央の周王朝から離れた西方の、経済的に最も遅れた一小国として成立します。
周辺の先進諸国では、様々な独自貨幣を発行、流通させていましたが、経済的に遅れていた秦国では
他国の貨幣(特に魏や楚)が流入する状態が続いていました。
西暦前359〜350年に「商鞅の改革」が行われ、ようやく秦国においても貨幣鋳行が始まります。
当初作られた貨幣は、魏の圜銭(垣字銭や共字銭)影響を受けた円孔円銭(一珠重一両十二銭等)
でしたが、その後「半両銭」が作られます。
「半両銭」は大小様々な大きさ、重さで鋳工されており、一枚単位の流通ではなくある程度まとまった
量(秤量貨幣的な使われ方)として流通したものと考えられています。その後、「両畄(し)銭」が
鋳工されますが、半両銭が広く鋳工され、代表的な貨幣として流通していきます。
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両畄(し)銭
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半両銭
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半両銭は製作時期より、秦半両(戦国時代の秦国から秦による中国統一、滅亡までの期間に作られた
半両銭)と、西漢半両(秦滅亡後、西漢(前漢)時代に作られた半両銭)に分けられますが、いずれも
同一の面文である「半両」を用いた為、面文のみでは鋳工時代を明確にする事が非常に困難な貨幣です。
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