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根付とは何ですか?


目 次

  1.根付とは   2.根付師     3.根付の形状・意匠   4.根付の材質 
  5.根付の製作   6.根付の価格    7.根付の入手方法   8.根付の楽しみかた



1.根付とは


 根付(根附、ねつけ、ネツケ、根付け、Netsuke)とは、


ポケットのなかった江戸時代において、印籠や巾着、煙草入れなどの提げ物(さげもの)を腰の帯にさげて携帯するため、紐の先に結わえて使用する滑り止めとして作られ、装飾美術品の域にまで発達した、日本独自の小さな細密彫刻 


のことです。


「根付」の語源は諸説ありますが、提げ物の根元に結び付けられて、着物の帯の上に引っかけて提げられたことから、”根付”と呼ばれたようです。歴史上、文献で最初に”根付”という語が現れるのは、寛文十一年(1671年)の『寶藏』が最初だといわれています。

提げ物とは、印籠、巾着、煙草入れ、火打ち袋、矢立、煙硝入れなど、小道具を腰から提げて携帯するものの総称です。

左の写真をご覧下さい。丸い根付が帯の上に引っかけられて、煙草入れと煙管入れが帯下にぶら下がっています。これが根付です。帯の上の目立つところに根付は身に着けられました。そのため、彫刻に贅を尽くした細工物の装飾品として、江戸時代の着物文化とともに根付は発達しました。ポケットを持たない和服を着るときは、根付は欠かせない必需品でした。

海外でも”Netsuke”という言葉は良く知られています。ネツケという単語は、日本でよりもむしろ外国の方で良く通じることがあります。 

古根付(こねつけ)と呼ばれる江戸時代の古い根付は、だいたい17〜18世紀頃に初期の根付が形作られ、18世紀後半から19世紀前半の約1世紀に渡り発達を遂げました。文化・文政時代(1804年-1830年)から江戸時代の末期までが最盛期といえます。

根付は江戸や京都、大阪、名古屋、伊勢、奈良、丹波、飛騨、岩見といった地域において、数々の流派(外国ではSchoolと呼称されています)が形成され、材質や意匠、技法において独自の特徴を持った根付が製作されました。

東南アジアなどの海外においても、ボタンやトグル(Toggle)などのように、根付と同様の機能を果たすための民芸品があります。しかし、着物文化を有し、政治経済的に安定した江戸時代をもった日本においてこそ、このような美術工芸が最も精緻に発達しました。根付は、自由な創意、工夫、表現の多様性を持ち、江戸時代の趣向と機知が凝縮されています。根付は大英博物館やボストン美術館といった海外の多数の有名美術館においても展示されていて、高い評価を受けています。





実用された昔の根付

一般に美術品として注目される根付は江戸中期以降に製作されたものを指しますが、それ以前にも根付は使われていました。

例えば、国宝・松本城内で展示されている戦国時代から江戸時代にかけての武具のなかには、根付の原型が保存されています。蓋の先には根付がついていますが鉄砲隊が火薬入れを腰に携行するため、このような根付が使われたのでしょう。象牙、鹿角、動物の骨が使用されていますが昔から様々な材質が使用されていたことが分かります。

象牙の根付 鹿角の根付 骨の根付




根付がたどった運命〜幾多の海外流出

根付は江戸時代に最も発達し、数多くの素晴らしい作品が残されました。しかし、明治の文明開化とともに導入された洋服文化(ボタンとポケットの文化)が原因となり、明治以降、根付は無用なものとなりました。そのため、根付製作は激減し、以降は観賞用や海外輸出用として製作されつづけました。

しかし、根付製作が完全に途絶えたわけではありません。明治より後の大正・昭和・平成の20世紀に作製された根付は、”現代根付(Contemporary Netsuke)”と呼ばれており、今なお、数少ない根付師により作品が細々と作り続けられています。また最近では、日本人だけではなく外国人のアーティストも現代根付を製作するようになってきています。

残念なことに、江戸時代に作られた根付は、明治時代以降にその多くが海外に流出しました。現在では、大半の根付は、実は海外に存在しています。根付のトップコレクターと呼ばれる蒐集家たちは、大半が欧米人です。日本では一部の博物館とコレクターにかろうじて所有され、国内にとどめられています。国内で根付を鑑賞できる博物館としては、東京国立博物館の郷コレクション、大阪市立美術館のカザールコレクションなどが有名です。

流出した数を算出するのは困難ですが、コレクターが所有する根付の平均数が同じとみなした場合、根付に関する世界最大の団体である国際根付ソサエティの全会員数(約630人、2012年時点)に占める日本在住のメンバー数(約50人)でカウントすると、全根付の90%以上は海外に存在しているといえます。また、日本の美術館・博物館での根付展示は非常に少ない状況にありますが、海外では大英博物館やボストン美術館、ロサンジェルス・カウンティー美術館、ロンドンのヴィクトリア&アルバート(V&A)美術館などで充実した常設展示があり、海外美術館の収蔵品も考慮すれば、海外には更に多くの根付が存在していると推測できます。

日本人には評価されなかった美術工芸が外国人によって評価され、蒐集され、研究される。浮世絵版画と同じ運命を、根付もたどりました。現在でも海外の有名オークションなどを通じて、たくさんの根付が売買されており、美術品としての流通性は確保されていますが、日本人よりも外国人のコレクター人口の方が断然多いのが実情です。

ある根付達が辿った数奇な運命については、こちらを参照のこと。

                                               



ケータイストラップは根付が発祥元

 
携帯電話に付けるケータイストラップのキャラクター人形は、日本の江戸時代に起源を発します。ケータイストラップの起源は根付です。日本で根付文化を有することができたのは、着物文化と社会経済的に安定した江戸時代を過ごすことができたことだけが原因ではありません。そもそも日本人の国民性に根ざしたものが背景としてあったと考えられます。

この説を支持するがごとく、NHKの美術番組『美の壺』の根付特集(平成18年6月9日放送)では、”実は、根付は私たちにとって身近なものなんです。今や暮らしに欠かせない、携帯電話。そこにぶら下げられている、キャラクター付きのストラップ。このストラップの元祖が、根付なのです。”と紹介されています。

ケータイストラップのオモチャは、日本が流行の発信源となり台湾や香港、ヨーロッパに伝搬していきました。最近のロンドンでは、以前には無かったストラップを売る露天商が目に付くようになりました。ケータイストラップに象徴されるように、アニメやテレビゲーム、フィギュア人形、漫画の分野は、世界の中で日本が最先端を行く誇れる文化です。これらは”キャラクター文化”と呼ばれ、今後の有力な輸出産業として成長が期待されています。

日本人は古来から、人物・動物・植物などのキャラクター化が得意な国民でした。鳥羽僧正の『鳥獣戯画』 や葛飾北斎の『北斎漫画』が良い例です。対象の特徴をシンプルに抽出して、巧みに意匠化すること、これがキャラクタ化です。根付も、まさにキャラクタ文化そのものなのです。そのような国民性を有していたからこそ、根付は必然的に発生した、と考えられます。同時に、ミニチュアを精巧に彫刻するといった細密工芸の技能の面でも、日本人は古来より優れていました。盆栽や箱庭、石庭、茶室、漆工、刀装具、俳句も同じです。

日本人はルールを作るのが下手な国民です。無からの新しい創造は苦手とする民族です。国際企業会計制度や基礎技術特許は、全て外来のものとなっています。しかし、いったんルールが与えられると、とんでもない能力を発揮する国民でもあります。与えられた条件の下では、素晴らしい想像力を発揮します。応用やバリエーション、改善が得意なのです。例えば、形状・機能に一定の規格や制約があるクルマ作りや家電製品作りにおいては、非常に精緻で快適な製品を作り出すことに秀でています。世界の他の国の追随を許していません。

根付も同じです。実用上、根付の大きさや形状、材質には一定の制約がありました。重すぎては不便です。小さすぎては滑り止めになりません。紐を通すための穴がきちんと開いていることが必要です。しかし、その制約の中で、江戸時代以降2千名を超える根付師達は、非常に多彩な意匠のデザインを展開したのでした。根付蒐集の楽しみは、次から次に全く新しいデザインの発見があることです。与えられた条件の中で自由に泳ぐこと、そんな誇れる長所を有する国民性を昔から有していた日本人だからこそ、根付も当然のことのように発達したのだと思われます。



2.根付師

根付は、根付師(ねつけし)と呼ばれる職人が作製しました。

様々な根付に関する研究書によると、江戸時代から現代までの根付師は2千名以上が確認されています。しかし、正確な数は分かっていません。今なお新しい根付師の銘が発見され、リストに加え続けられています。根付師は、もともとは江戸時代の絵師や仏師、蒔絵師、面師、建築工芸師が副業として根付を作り始めたのが起源だと言われています。
 
根付は、一部の特権階級が愛玩した美術品だけではなく、一般庶民の生活上の必需品もありました。よって、当時の日本人全体の需要を満たすだけの数が生産される必要があるため、相当数の根付師が存在したと思われます。

大量に生産された根付は、実用に耐えられる程度の庶民向けの簡単なものから、当時の大名や豪商といった上流階級に納めるために材料と彫刻に贅を尽くした高級根付まで、様々なものが製作されていました。後者の根付を生産したのは、根付師として有名スター選手である、京都正直、友忠、岡友、友親などの名工達によるものであり、今なお、ため息の出るような素晴らしい根付が残されています。

残念なことに、明治維新後の洋装文化の流入により、根付の需要は劇的に衰退しました。維新前後の需要の変化と東京の根付師たちが生産した産品の変化については、『東京名工鑑』に詳しく記録されています。明治政府の調査によると、江戸期は専ら根付を製造していた名工たちは、明治維新後は置物、煙管筒、花瓶といった他の製品へ生産をシフトしました。特に、横浜開港を通じた外国向けの貿易品の売り上げが増加し、置物、名札入、巻煙草入、マッチ入、花瓶、額類、ボタン、筆立、書架、杖頭傘柄が名工たちの重要な生産品となりました。その一方で、国内向けに根付や煙管筒、印材印判、香箱が作られていたものの、需要の衰退とともに専門の名工たちの人口は徐々に減少し、現在では、根付専門で生業をたてている職人はほとんどいなくなりました。
(象牙彫刻の職人は現在でも大勢いらっしゃいますが、最後の根付師と呼ばれる中村雅俊氏は平成13年1月に亡くなりました。)





根付師人名録

根付師は、様々な研究書によって記されている「根付師人名録」で知ることが出来ます。最初の根付師人名録は、大坂の刀装具商であった稲葉通龍が記した『装剣奇賞(そうけんきしょう)』という全7巻の本で、天明元年(1781年)に出版されました。これには、第7巻目に初期の有名な57名の根付師が記されています。

また、根付コレクター必携書である上田令吉の『根附の研究』(昭和18年、金尾文淵堂)には1300名の根付師が略歴とともに記録されています。その他に、F. M Jonasの『Netsuke』(1928年)には約1000名、George Lazarnickの『Netsuke & Inro Artists and How to Read Their Signatures』(1982年)には約2100名の根付師が掲載されています。

根付師人名録については、こちらの参考文献にも掲載数を載せています。

伝統工芸の世界ではよくあることですが、大部分の根付も師弟制度の中で生産されました。京の楽焼が有名になるにつれて師匠のオリジナルを元にした分業体制が確立したように、根付も師匠を頂点とした「工房(または一門)」において根付が生産されたようです。その場合には、師匠の銘を大量に施した工房製作の根付が生産されることもあったでしょうし、弟子が技法を修練するために師匠のオリジナルを真似て彫った作品も数多く流通したと推測されます。

根付も多分にもれず、他の骨董品と同様に贋作が多く流通しています。しかし、日本には古来、オリジナルを模倣させて後継者を育成するシステムと、”本歌どり”と称する模倣によりオリジナルを更に発展させていく素晴らしい文化があります。完全な悪意の別人による贋作根付は別として、師匠本人と工房の弟子の製作によるものは、両方ともその銘どおりの根付として、正当に取り扱われている傾向にあります。




彫銘について

根付には根付師の「銘」が彫られていることがあります。「友忠」とか「正直」といった文字が、根付の裏側や底の部分に小さく刻まれています。根付全体では、彫銘がある根付と無い根付の数の割合は、半々だと言われています。古い時代の根付や量産タイプのものには彫銘は少ないようです。一方、有名な根付師の場合は銘をきちんと入れることが多かったようです。また、銘の次に「書き判」と呼ばれる花押のようなマークを入れている根付師もいます。

彫銘には意味があります。日用品としてではなく、高価な芸術作品として希少価値を高めるためには、作者の彫銘を施すことが必要でした。茶道具の共箱と同じで、有名根付師の銘があれば安心して商品を買うことが出来ましたし、また、他人への贈答品として使うことができました。鋏や風呂桶といった生活用品でも職人の銘が彫られている物は、職人による品質保証の証となり高級品です。それと同じで、彫銘入りの根付は根付師の品質保証をする責任の意味もありました。

ただし、彫銘があるからといって、根付師本人がその根付の全てを作製したとは限りません。彫銘を施す根付師の多くは人気作家であり、弟子を持っていたと思われます。江戸の根付師・山口友親には20名以上の門下生が居た、という記録もあります(竹内久一「錦巷雑綴」明治31年)。形彫りの最初の大まかな工程は弟子に担当させて、仕上げと彫銘のみを師匠が担当していたと思われます。

年季奉公中の弟子に自分の銘を彫らせることはありませんでした。工房全体を代表する師匠の銘が、あたかも商標のように使われていました。そして、年季奉公が終了し、独立した弟子には、のれん分けのように師匠の銘の一部を使用することが許されていました。動物根付で有名な京都の岡友には、弟に岡隹(おかとり)、弟子に岡言(おかこと)と岡信(おかのぶ)がいました。弟子が師匠を敬って号の一部を使用したと同時に、商品価値のある商標の一部を師匠から譲ってもらった面があったと思われます。

残念なことに、有名な根付師の根付は、彫銘自体も真似された偽物が数多くあるので注意が必要です。根付のカタログに掲載されている銘集と比較して真贋判定する必要があることもあります。聞きかじった有名どころの文字が彫られているからといって買ってしまうと失敗します。一方、彫銘のない根付の中には傑作があることも事実で、トップコレクターには、まず根付自体の質を評価して、銘がある場合は確認程度に眺めている人が多いようです。







3.根付の形状・意匠

  根付の形状は、滑り止めとしての実用に耐え、かつ、携帯するのに邪魔にならない程度の重さや大きさである必要条件があったことから、平均して3〜4cm程度の大きさに収まるものとなっています。

 携帯するときに重くては使い物になりません。帯の下をくぐらせるときに出っ張りがあっては使いづらいです。また、デザインに出っ張りがあると、提げ物の印籠の漆表面を傷つけてしまいますし、根付自身も破損の元となります。掌でコロコロと転がせるものが、最適な形状です。長年根付を見てきたベテランの業者は、習慣としてまず、根付を掌でくるんで握ってみます。これによって、材質を確かめ、そして意匠の出来不出来を鑑定します。

 根付の意匠にはそれぞれ意味や物語があります。江戸時代の根付師は、実に多種多彩なテーマの題材から根付を作りました。

 カール・シュヴァルツ氏の著書「根付の題材」によると、基本的な根付題材のパターンは、神々、聖人、架空の生き物、伝説上の人物、日常の生活風景、建物、職業、動物、植物など、400種類以上あると記しています。今なお、次々と新しい題材が発見され続けているとともに、謎の多い題材の解題も、根付研究の重要な作業となっています。

 意匠には、我々の想像以上に自由性がありました。実用に耐えられる程度の大きさで、限りなくまん丸であることが良い根付ですが、その制約の下で、根付師達はとても自由な表現世界を形成していたようです。根付は、自由な創意、表現の多種多様性を持ち、江戸時代の趣向と機知が凝縮されています。限られた小空間の制約の中で表現を存分に発揮する。このデザインの多様性と自由が、海外において根付が評価されてきた理由の一つだと思われます。これは、クルマや家電のデザインと同じだと思います。形状と機能は所与の条件として与えられており、その中で魅力的な差別化を図る。そんなところに日本人は才能がある気がします。

  現代のケータイ電話のストラップは、お仕着せで画一的なケータイ端末のデザインから開放され、自分の個性を表現するアイテムとして流行を極めています。アニメのキャラクタやビーズ、アイドル、食玩、ミニカーなど、デザインの種類に制限はありません。江戸時代においても、官製芸術として体制の庇護の元で発達した書画、漆工芸、焼物とは異なり、庶民の自由な日用品として、さらに自分を表現するアイテムとして所有され、使用されました。




形状による分類

 根付は、その形状から、形彫り根付(かたぼり)、鏡蓋根付(かがみぶた)、差し根付(さし)、饅頭根付(まんじゅう)、柳左根付(りゅうさ)、面根付、印章根付などに分類されます。

  
形 状 特  徴
かたぼり
形彫根付
根付の中で最もポピュラーな形状で大部分の根付がこれになる。
動物や人物などを題材にして立体的に六面体全てを彫刻。
どこから眺めても楽しむことができる根付。
通常、紐通し穴は底部に2カ所開けられているが、意匠の中の手足
の交差を巧く利用して紐通しにしている形彫根付もある。
まんじゅうねつけ
饅頭根付
お菓子の饅頭のような平べったい円形の根付。
表面に豪華な彫刻を施して紐を中央部に通す構造となる。
ろくろで回して円形に仕上げるため、大量生産が可能であった。
形彫根付に次いで多くの根付が作られた。
円形の中に大胆な構図をいかに彫り込むかが饅頭根付の評価になる。
りゅうさねつけ
柳左根付
形状は饅頭根付だが、中を透かし彫りにして中空構造とした根付。
花鳥などを細かく透かし彫りにしたものが多い。
18世紀後期の江戸時代に柳左という人がこの意匠を
創始したことからこの名前が付いていると言われる。
中の透かしを彫るには非常な労力が必要であるが、轆轤を用いて機械的
に大量生産されたものを別の根付師が彫刻するという分業体制もあった。
かがみぶたねつけ
鏡蓋根付
象牙で皿上の台を作り、上の金属の蓋をした根付。
銅、赤銅、銀などの彫金細工のプレートを嵌め込んだもの。
台は、象牙、黒檀、紫檀などで作られる。
金属プレートが手鏡に似ていることから命名された。
紐はこの金属プレートの裏側に結んで裏から通して出すようになっている。
刀飾の金工師が副業としてこの根付を作ったと言われる。
さしねつけ
差根付
ながねつけ

長根付
たちねつけ
立ち根付
お び は さ み
帯はさみ
帯の下をくぐらせるのではなく、帯に差して提げ物をぶら下げる根付。
長さは10cm〜15cm程度となる。
刀を腰に差して持ち運ぶ姿を想像すればよい。
紐通し穴の位置は、必然的に上部か下部になる。
題材も「手長足長」や「魚」などの細長い題材が主となる。
谷齋の差し根付は特に有名。形は差し根付に似ているが、
形彫根付と同じように帯にくぐらせて使用する。
そのため紐通し穴が背面中央部に開けられている。
めんねつけ
面根付
般若、能面、おかめ、鬼、七福神などの仮面を縮小して
根付に仕立てたもの。
能面師が副業で面根付を作り始めたと言われる。
複数の面を集合させた「面づくし」の根付も面白い。
根付師では出目右満の面根付が特に有名。
その他 石、木片、珊瑚などの自然物をそのまま用いたものや、
中国から伝わった印鈕(いんちゅう)を転用したもの、箱根付、
そろばん根付、からくり根付などの根付がある。

印章根付





根付の最大特長:紐通し穴(Himotoshi-Channel)

 
根付の最大の特徴は、紐通し穴(ひもとおしあな、Himotoshi-Hole)の存在です。

 根付には、必ず提物をぶら下げるための紐を通す穴が空いています。逆に、穴の空いていない根付は、置物として厳格に分類され、根付とは区別されます。手に取ったものが根付であるかどうかは、まず紐通し穴の有無で区別できます。

  紐通し穴のない彫刻は、単にミニチュアの置物(または置物根付)であって、根付ではありません。現代では実用されることのない根付ですが、紐通し穴は非常に重要で、根付鑑賞においてはとても意味のある存在です。萩焼の特徴として、底の高台に「切高台」の切り込みが入れられているのと同じです。もし根付を観察される機会がありましたら、注意してみてみましょう。

 根付を極めた人たちにとっては、この穴は、なにやら哲学的な存在として観察されます。わずか数ミリの穴ですが、穴の形状を見ただけで、その根付師を当てることができる場合があります。穴の擦れの状態を見ただけで、その根付がどのような運命を辿ってきたのか分かる場合があります。穴の内壁を見れば、材質の真贋が判明する場合があります。単なる小さな穴から多くの情報が取り出せるのは、根付くらいではないでしょうか。

 この紐通し穴は、根付の背面又は底面に2カ所空けられています。根付は提物をぶら下げるために帯の上に置かれます。このため、ちょうど帯と着物の境目に紐通し穴が来るようになります。根付師は、根付が帯の上に置かれたときを想像して、最適な意匠を考えつつ、紐通し穴の位置を決めます。紐通し穴の位置は、多くの思慮を重ねた上で決定されるものです。よって、後世のフェイクなどの安物の根付の紐通し穴は、滅茶苦茶な位置に空けられています。

 紐通し穴が背中の上の方に空けられている人物根付を時々見かけます。差し根付と呼ばれる細長い根付の場合は、上部に紐通し穴が空けられる場合があります。が、それ以外の根付の場合は、慎重に根付を観察した方が良いかもしれません。根付は提げ物をぶら下げるためのものですが、根付自体をぶら下げるためには、紐通し穴は背中の上部に空けられることになるからです。すなわち、現代のケータイストラップのように、”根付を提げる”ための現代根付である可能性があるからです。そのような根付は、怪しんだ方が良いと思われます。

紐通し穴の詳しい分類については、こちらを参照のこと。

                                               



穴のない紐通し穴

 
根付によっては、紐通し穴が明示的に空けられていないものもあります。意匠上、穴を穿つことを嫌う根付師は、例えば、動物の手足や植物の茎などの意匠を上手く利用して、紐を通して結べる構造にすることがあります。このような工夫を発見することは楽しいことです。例えば、「根付ギャラリー」の中の根付で説明すれば、正一の玉獅子根付がそれです。よって、紐通し穴が空いていないからといって、がっかりしてはなりません。根付師が意図的にそのようにしている場合がありますので、そのような場合は、意匠をじっくりと観察してください。




紐通し穴の大小

 
古い京都系の根付などには、2つの紐通し穴の大きさに大小の違いがあることがあります。これは、通した紐の一端にできた終端の結び目の”玉”を収納するために、一方をわざと大きめに空けているのです。結び目の玉を収納した理由は色々と考えられますが、玉を根付の中に収納した方が帯の上で邪魔にならず、また見た目に綺麗であることや、紐の位置をユルユルにならないようにすることで根付の帯からの着脱をスムースにする目的があったと考えられます。

 ときには、紐通し穴の形状で時代が判別できる場合もあります。特に、形彫り根付の場合、底面から穴を開けて背面から紐を出す穴が開けられているときは、18世紀の古いタイプの根付に多いようです。






4.根付の材質

  根付の材質は、象牙黄楊(つげ)が一番多く残されています。

 しかし、当時は象牙が貴重で手に入らなかったり、作品の意匠として特定の材質を使用する必要があったことなどの理由で、それ以外の様々な材質が試みられています。また、根付は単体で腰からぶら下げられることはなく、必ず印籠などの提げ物とワンセットでした。よって、根付の材質や意匠は、木製の印籠の表面を根付が傷つけないことが要求されました。

  幕藩体制の下、人の往来や物流に制限があった江戸時代においては、象牙はとても貴重でした。特権的に象牙を手に入れる立場にいたか、または三味線の撥(ばち)を作る際の切れ端(撥落とし)を手に入れることができたのは、京都や大阪、江戸の根付師だけであったようで、それ以外の地方の根付の材質は、黄楊などの象牙以外のものが使用されていたようです。さらに、たとえ京都や江戸であっても、海外から輸入されたウニコールや犀角は、とても貴重なものであったようです。




高価な材質:ウニコール

 
ウニコールは、象牙や黄楊よりも大変貴重で、毒消しや難病の漢方薬として同じ重さの金以上の価格で取り引きされていました。そのような薬を根付として携帯することで、同時に薬を携帯するという一石二鳥の意味もあったようです。ちなみに、”ウニコール”とは、ユニコーン(=伝説の一角獣)から命名されています。ヨーロッパにおいても、ユニコーン伝説を元にして、北洋の船乗り達が持ち帰った一角鯨の角は、貴重品として王侯貴族に献上されたようです。
ウニコールとセイウチの見分け方については、こちらを参照のこと。

                                               



ユニークかつ難しい材質:鹿角(かづの)

 
鹿角の根付も沢山作られました。日本には古来から鹿が生息していたので、角は簡単に入手できました。しかし、象牙と比べて形状が複雑であり、彫刻として利用できる部分は小さく、さらに、材質が堅いので、安価で簡易な根付の材料として使用される以外は、酔狂な根付師達が進んで使用する以外はあまり用いられていなかったように思えます。鹿角の内側には”鬆(す)”と呼ばれる骨髄組織があり、表面には鹿角特有黒色の点々模様が入ります。これらの特徴を上手に活用した谷斎(江戸末期の根付師、尾崎紅葉の父)の鹿角根付は、とてもユニークで外国人に根強い人気があります。


根付の材質一覧
動物材
(牙、角、骨など)

象牙
鹿角(かづの)ウニコール(一角鯨)水牛角、犀角、セイウチ(海象牙)、猪牙、鳥のくちばし、鯨歯、河馬(カバ)の歯、海驢(あしか)、鼈甲(べっこう)、マンモスの牙の化石狼牙 など
木 材
黄楊(柘植)
、檜、、椿、楠、槻、棗(なつめ)、竹、籐、梅、一位、白檀、黒檀、紫檀、黒柿、桑、茶、鉄刀木、胡桃の実、桃の種、杏、瓢箪、埋木、タグアナッツ など
金 属
銅、鉄、赤銅、青銅、真鍮、金、銀、しぶいち(四分一)、宣徳

その他
陶器・磁器(楽焼、京焼、平戸焼、伊部焼、清水焼、九谷焼、万古焼、薩摩焼、備前焼など)、海松、珊瑚、貝、水晶、翡翠、琥珀、ガラス、石、真珠母、漆工品 など

                           ※下線部をクリックすると素材の写真が見られます。








5.根付の製作

  1個の根付の製作にかかる日数は、細工の程度にもよりますが、だいたい2〜3週間程度であると思われます。現代根付師の故中村雅俊氏によれば、「一番日数を要した根付は45日で、最短で製作したのは12日くらい。平均すると1個当たり2、3週間の日数を要している」と語っています。雅俊氏は彫りの短縮化を図る電動工具を使用しない根付師でしたが、同様に電動工具が存在しない江戸時代においても、一つの根付を仕上げるのには2、3週間の日数を要していたものと思われ、非常に手間のかかる仕事であったことが分かります。

 私も実際に体験したことがありますが、電動工具を使わずに象牙や黄楊を彫ることは非常に手間がかかる作業です。象牙は特に堅いため、彫刻刀を一往復させても、削り取ることができる象牙はわずかなのです。また、根付の彫刻のためには左刀(ひだりば)と呼ばれる特殊な技法で彫られました。この技法は左手の親指を支点にして彫刻刀を動かすものですが、そのため、一度に動かせる彫刻刀の半径はわずかです。そのため、根付彫刻には、あたかもタマネギの薄皮を一枚一枚剥いでいくような根気と体力が必要です。




製作工程

  根付製作の道具は、のこぎりややすり、のみ、ドリル、小刀などを使用します。ちなみに、雅俊氏は合計224本のこれらの道具を使用して、七段階に大別される根付彫刻の工程により根付を製作していました。(日本根付研究会「根付の雫」p.174より)

  根付彫刻は、極度に小さなミニチュア彫刻であるため、失敗は許されません。失敗に対しては修復がきかないため、失敗イコール即、廃物となります。象牙や黄楊の細かい部分の彫りは、うっかり手を滑らすと簡単に重要な部分を彫り落としてしまいます。現代のように拡大鏡やルーペのない江戸時代においては、相当に慎重さと根気を要した仕事であったと思われます。
 

根付の製作工程(中村雅俊氏の例)
 生地どり 1   大きな材料から根付の大きさに切り出す。
 生地どり 2 不要な角を取り除く。
 荒突き(荒削り)  大まかな形を掘り出す。
 削り  彫り上がりまで。紐通し穴もここで彫る。紙ヤスリを全体にかけ、次の段階に備える。
 模様どり  毛髪、動物の毛、着物の柄などを彫る。
 色つけ  
 磨き いぼた蝋を布に付けて磨く。時には指に蝋をつけてこすることもある。





趣味で行う根付彫刻

 
根付に興味を持った人の中には、根付蒐集に飽きたらず根付製作にまで進まれる方もいらっしゃるようです。
  私の根付コレクションの中にも趣味で根付を作られている方々の作品が含まれています。

  現代根付師の中には、カルチャーセンターなどで根付彫刻の講座を開設し、製作実技を教えて下さる方もいらっしゃいます。本格的な根付製作をお考えの方は、そのような機会を有効活用する手があります。

   独学での根付製作も不可能ではありません。が、カルチャーセンター等を通じて先人の技術を参考にした方が、効率よく根付彫刻の技を身につけることができる場合もあります。例えば、根付彫刻の材料(黄楊材、牙材)や特殊な彫刻刀の入手、染めのための夜叉五倍子液の調合など、彫刻技術を習得する以前の問題として、一人では解決できない課題が多いようです。また、一部の根付師が用いたと言われるお歯黒染めについては、お歯黒の生産が何十年も前にストップされている現在では、実現不可能です。製法を調べて、自家製のお歯黒を時間をかけて調合するしかありません。

   一方、彫刻のための電動ルーターやヤスリ類、万力などは、ホームセンターなどを探せば手頃な道具を手に入れることができるようです。また、根付に取り付ける専用の組み紐(印籠紐)も、今ではインターネットを通じて簡単に手に入れることができます。京都には伊藤組紐店という老舗店があり、美しい絹糸で作られた印籠専用の柔らかい印籠紐が売られています。常時10色程度の紐が用意されており、切り売りもしてくれます。

 根付の材料や彫刻刀は、東急ハンズでも売っていました。左刀の彫刻刀2本、象牙の破材、ヤスリ、紙ヤスリ、とくさ(砥草)、仕上げワックスが入っています。ただし、これはあくまでも根付彫刻の雰囲気を味わうためのものですので、これだけの道具で一つの根付を製作しきることは、困難です。本格的に彫刻を行うためには、しっかりとした彫刻刀を入手する必要があります。

 私が現代根付作家の駒田柳之先生の教室に通ったときの報告はこちらです。


象牙彫刻セット 
(東急ハンズ池袋店 ¥2800(当時))






6.根付の価格

  根付の価格は、他の美術品と同様、千差万別です。数千円で購入できる根付もありますし、数千万円で取引されるトップクラスの根付もあります。

  江戸時代において、単純な実用根付の価格は、現代のケータイストラップのアクセサリーと同じ価格(例えば、500円〜1500円)であったと思われます。一方、美術品として希少価値があるものは、購買力を有した大名や有力商人のみが手に入れることができる程度に、当時から非常に高価なものでした。

 例えば、丹波の豊昌根付を例に取ると、豊昌根付1体の価格は、金貨に換算すると1両1分が通例になっていたといいます。また、藩主からの特注品の場合は、代金は約5両だったとの記録もあります。当時の下級武士年俸が約3両1分であったことに比較すれば、庶民には手の届かない高価な品物であったことが分かります。 (「目の眼」No.212(1994.6)の記事『内藤豊昌と丹波の根付師たち』(渡辺正憲)より)  下級武士の年棒を現在の平均年収に換算すると、3両1分はだいたい500万円くらいの価値でしょうか。ということは、藩主向けは一作品約800万円ということになります。江戸時代では本当に高級品であったことが分かります。

  当時の根付の価格は、材料費、根付師の加工費や一門を養う人件費などの積算により価格が形成されていました。象牙やウニコールといった高価な材料を使用した根付は当然、高額商品でした。また、売れっ子の有名根付師の根付は、その根付師の生前においても既に偽物が出回るほど、相当のプレミアが付いて販売されていたものと思われます。

 一方、根付は日用品として用いられていたため、一般庶民が使用するための数物(かずもの)と称する大量生産品も安価に製作されていました。おそらく、根付を分業で製作するための下職がおり、根付問屋があったことだろうと推測されます。




現在の価格

 
現在の価格は、江戸自体とは異なり、美術品としての完成度と希少性、保存状態、コレクターの蒐集の競争状態で価格が形成されています。象牙を使用した並の彫りであって、保存状態の良い根付であれば、数千円から数万円程度で簡単に手に入ります。一方、江戸時代でもプレミアが付いていた有名根付師の根付は、現在でも相当高額な価格が形成されています。

  具体的には、上田令吉の著書「根附の研究」に掲載されているクラスの根付師の在銘根付であって、状態の良い物であれば、10万円〜数十万円で取り引きされています。さらに、友忠や岡友といった200年以上前のトップスターの根付であって、真贋に疑いがなく、保存状態の良い物は、最低100万円以上で取り引きされています。

   さらに、トップスター根付師でも、とりわけ彫りが素晴らしく意匠に希少性のある根付は、数年前までは、数百万円、数千万円といった最高価格が海外オークションで記録され続けました。その金額と同等の価値を、十分、根付に託せるコレクターが世界に存在するわけです。驚くべきことに、真贋に相当の疑いのある友忠の根付であっても、彫りが手の込んだものであるならば、数十万クラスで取り引きされています。

 時代や地域によって、蒐集される人気の根付のタイプは異なります。外国人が根付に興味を持ちだした明治時代から昭和期初期にかけては、三輪の木刻や18世紀以前の仙人やオランダ人などの大型の立ち根付が好まれ、価格が高騰しました。現在の三輪人気はそれほどでもありません。また、日本人の一部は藻スクールの根付が好きなようで、海外オークションで高額で競り落としていた時期もありました。藻スクールは海外では日本ほどには人気はありません。京都の正直や友忠は一貫して最初から人気を集めており、岡友に代表される動物根付はオークションではいつも高値となります。仙人や人物、難しい日本の伝記物を題材とした根付よりも、愛くるしい動物ものに人気が集まるのは理解できます。




オークションの最高価格は4千万円

 
これまでのオークションの最高額は約4,000万円($260,000)です。有名なオークションハウスのSotheby's Londonで1990年5月に友忠の馬根付で記録されました。下の写真のとおり、実物は誰もが納得する素晴らしい根付です。わずか数十グラムの物体が、マンション一軒分の価値に相当するわけです。

 この価格はオークションでの記録ですが、アンティークディーラーのギャラリーでのセールでも高額の根付が出現しました。例えば、根付取引史上の最高額といわれている「海女と烏賊」(無銘、象牙、10.5cm)の根付は、1983年にハワイのOriental Treasures and Points West(ディーラー)で$250,000(当時のレートで約6,250万円)で取引されました。また、その前年の1982年には、同じディーラーが京都・正直の麒麟を約5,000万円、京都・友忠の親子鹿を約3,100万円で売り出しました。また、もしかしたら、個人間の相対取引の中では、更に高い値段で取り引きされたこともあったかもしれません。

  しかし現在では、1980年代のようなハワイやロンドンを中心とした根付ブームは沈静化しており、投機的な側面を持ちながら、うなぎ登りに価格が急上昇するといった現象はなくなりつつあります。これは、良い根付は既にコレクターや美術館など納まるところに納まってしまい、市場に出回ってこないことが原因かもしれません。一度、美術館に収蔵されたものは半永久的に放出されません。また、根付全体としても市場に出回る数は年々少なくなりつつあります。根付を取り扱う古美術商に話を聞いても一様に同じ感想を持っています。よって、根付全体では、現在の価格レベルと同じか、またはそれ以上で推移していくと予想されています。

  ところで、他の骨董・美術品との比較において、根付の価格が適正水準であるかどうかについても議論があります。焼物や浮世絵、書画の場合は、数十万円、数百万円、数千万円といったクラスで価格帯が形成されています。それらと比較すると、根付の価格帯は、一桁少ない価格で取り引きされているようです。100万円で買える骨董の焼物は、焼物全体の体系から言えば、たかが知れています。しかし、同じ100万円ならば、状態のよいトップクラスの有名根付師の本歌の根付が購入できます。このような視点で、根付は割安、という見方が一部にはあります。


歴代のオークション高額落札(第1位〜第5位)

1位 友忠の馬
落札価格 $260,000
(3,900万円)
1990年5月にロンドンで記録
2位 牙虫の貘
落札価格 $179,000
(2,700万円)
1987年6月にロンドンで記録
3位 懐玉斎の鶴
落札価格 $188,000
(2,800万円)
1991年3月にロンドンで記録
         
4位 龍珪の南国人
落札価格 $174,000
(2600万円)
5位 京都正直の親子猪
落札価格 $158,000
(2,400万円)
1990年5月にロンドンで記録

出典:1991年9月 Netsuke Kenkyukai Society ConventionのSotheby'sの広告等
※1990年当時の対ドル為替レート(1$=150円)で換算した。順位はイギリスポンドの価格順とした。
友忠の記録は、「ロンドン骨董街の人びと」(六嶋由岐子、新潮文庫)でも言及されている。


1982年にハワイのOriental Treasures and Points Westが売り出した高額根付。
京都・正直の麒麟(左)は$200,000(当時のレートで約5,000万円)、京都・友忠の親子鹿(右)は
$125,000(約3,100万円)が売り出し価格だった。
(出典:INCS Journal Vol.10, No.1, 1982)





根付は国際価格に左右

 
国内の根付の価格は、海外での取引価格に大きく左右されています。例えば、日本の焼物や茶道具のように、閉鎖的な国内市場だけで異常な価格が形成されることはありません。広い世界市場の中で、世界の数多くの眼で評価されたグローバルなスタンダード価格が形成されています。そのため、国内であってもきちんとした根付専門店での価格は、ある意味安心感があります。

 根付の価格が国際価格で決まることは、やむを得ない面があります。実は、日本人全体の根付コレクターの人口よりも米国のコレクター人口の方がはるかに多いのです。これにヨーロッパ等の国々を加えると、日本人のコレクターは価格の決定に影響力を持ち得ません。人口だけでなく根付を主に取り扱う専門店の数で比較しても同じです。日本にはわずか2〜3店の専門店しかありませんが、海外では15店以上あります。

  ただし価格には”内外差”もあります。外国人は、18世紀の古く、表情豊かで派手な根付を好む傾向があります。京都スクールによる馬や犬などの動物ものの根付が好まれるとも言われます。豊昌や京都・正直のように、外国人に大変愛好される根付師もいます。一方、日本人が好む藻スクール等の明治期の根付師は、外国ではさほど人気がありません。そんな好みの違いが、求められる根付の違いとなり、国内外の価格も微妙に異なってくるようです。

 今後の根付の価格はどうなるのでしょうか。根付の収集家であれば誰もが気になることですが、正確な予測をするのは難しいです。根付のブームは過去に何度かあり、最近のブームは1980年代に外国(特にアメリカ)で起こりました。ハワイ等を拠点とする根付ディーラーが、質の高いスーパースターの根付を掲載した豪華なカタログを出版し、高額な価格で売りさばいていた時代がありました。続いて1990年代には有名コレクターが集めた根付の遺品が、サザビーズやクリスティーズといったオークションハウスで売りさばかれ、高値を呼びました。その時代は、ちょうど日本のバブルの絶頂期でしたから、日本人も高値で応札し、里帰りを果たした根付も多数ありました。

 現在の価格は、概して、当時のブームで形成された以上の価格レベルがそのまま維持されているようです。今後の傾向としては、1980年代〜90年代と比較して、オークションハウスやディーラーで取り扱われる根付の絶対数は、確実に減少していると言えます。また、根付を専門的に取り扱う国内外のディーラの数自体も減少してきています。つまり、根付全体の流通量は先細りで、既に良い根付はしかるべき収集家や博物館のコレクションに納まってしまっている状況がわかります。このような状況のなかでは、もともと数に限りのある骨董品としての根付ですから、今後極端に価格が下がることはないと思われます。有名カタログに掲載されるハイクラスの根付は、今後もそれなりの評価を受けるとともに、流通がないため、逆に値段がつかない状態になる可能性があります。また、10万円〜数十万円といった中堅クラスの根付も、今後、評価が定まってくるにつれ、次第に適正な価格で評価されると思われます。






現代根付の価格

  現代根付の新作は、数十万円(30万円〜70万円)程度で販売されているようです。現代人の平均的な月収と月々の製作ペースが1個〜2個であることを考慮すると、この水準の価格になるのだと思われます。ただし、アクセサリーのような簡単な根付であれば、もっと手ごろな価格で販売されているようです。

 現代根付は、まとまった数の新作根付が頒布会という形で販売されることがあります。『月刊美術』(サン・アート発行)の平成14年11月号にも新作62選の全点頒布の紹介が掲載されています。新作根付に興味がある方は、そういった機会を活用すると良いでしょう。

 現代根付の場合は、自分の好みを注文できる場合があります。現代根付師と知り合う機会があれば、”自分の干支にちなんだこういった作品を彫って欲しい。”といった注文をすることができる場合があります。好きな根付師に自分の好みの意匠を彫ってもらうことこそ、江戸・明治時代の最高の贅沢でした。世界に一つしかないものを手に入れることができます。なお、根付師によっては、得手不得手とするものがあるため、何でも注文できるわけではありません。現代根付師と知り合う機会がない場合は、根付専門店等に問い合わせてみることも一つの手です。

 一方、現代根付に関して残念なことは、コレクターが将来、手放して処分することは、非常に困難だという点が挙げられます。例えば、50万円で購入した根付であっても、業者に引き取ってもらうときの価格は十分の一以下でしょう。それも、幸運にも業者が引き取ってくれる場合に限ってです。ほとんどの根付専門店は、現代根付の引き取りはしないのが現実です。現代根付は売れないからです。外国でも現代根付の評価は古根付と比較して低く、一部の外国人及び外国ディーラーが積極的に現代根付を推奨していた時代もありましたが、やはり交換市場が成り立たないことから、あまり人気がありません。

 理由は、古根付と比較して、現代根付師の評価が定まっていないことが挙げられます。有名な中村雅俊氏は現在でも一定の評価が与えられていますが、それ以外の根付師はたとえ有名であっても、市場での交換価格は古根付ほどには高くならないようです。市場価格が安いことから、サザビーズやクリスティーズでも、現代根付は全くと言っても良いほど取り扱いません。もし現代根付で50万円を支払う余裕があれば、格段に質の良い古根付が手に入ります。市場での評価の定まらない(つまり処分できない)根付を買うよりも、一定の評価が確立している古根付を手に入れる方に安心感がある、という考え方の人もいます。





7.根付の入手方法

  街の骨董屋や各種骨董市、インターネットオークション、根付専門店、サザビーズやクリスティーズといったオークションハウスで入手できます。

 初めて根付を購入される方は、良心的な根付専門店に一度足を運ばれるか、または、根付の専門書やカタログで本物の根付を見られることを強くお勧めします。根付展示がある美術館で根付をご覧になられることも良い方法です。特に、材質(特に象牙材)と銘の真贋は、初心者にはわかりにくく、騙されやすい状況となっています。

  根付を取り扱う専門店と呼ばれるところは、日本では片手で数えられる程度に数が少ないですが、信頼の置ける良心的な店がほとんどです。なかには、”初めての方は半年ほどよく考えられてから購入をご検討下さい。”と親切にアドバイスしてくれる、根付解題研究の第一人者が居る店もあります。そのような店を探しましょう。

  最も手軽な入手場所は、インターネットオークションのヤフーです。オークションに参加して入札・出品するためには登録が必要です。良質の根付が出品されることもありますが、出品のうち99%がキャラクター・アクセサリーや偽物根付です。ヤフーオークションは、偽物根付の壮大な展示場です。気を付けてください。
                             

  骨董の真贋偽物にまつわる本としてお奨めできるものは次の通りです。根付の売買も骨董売買という範疇を免れません。魑魅魍魎の世界を正確に理解した中で、ご自分にご縁のある素敵な一品を見つけだしてあげてください。


   『骨董買いウラ話』 光り芸出版編集部、昭和57年5月
   『骨董偽物雑学ノート(七たび問うて書画を疑え)』 佐々木三昧著 1995年11月 ダイヤモンド社
   『文福茶釜』 黒川博行著 2002年5月 文藝春秋






8.根付の楽しみかた(鑑賞のポイント)

 
  それでは実際に根付を見てみましょう。

  根付は、二次元の絵画とは異なり立体的な彫刻であるため、六面のどこからでも楽しむことができます。これは他の大型彫刻とは大きく異なる点で、仏像や置物は底面には彫刻は施しません。根付は、ケータイストラップと同じように、他人の視線にさらされることを十分意識して用いられる装身具です。よって、紐を通して帯からぶら下げたときに、六面のどの面が向いても良いように彫刻されています。

 根付は実用的であるように、紐通しの穴の位置や形状にも工夫が凝らされました。 また、手持ちぶさたの時には、持主は、おそらく、煙管をふかしながら掌(てのひら)に転がして楽しんでいたものと思われます。触って、転がして、撫でたときの”手触り”の官能も、根付の楽しみ方のひとつと言えます。


正一の玉獅子

  下の写真は、江戸時代末期から明治初期に活躍したの正一(まさかず)(1839-1891年)という根付師が製作した獅子根付です。写真では大きな彫刻に見えますが、実物の高さはわずか 3.4cmです。この根付を例に取り、根付の鑑賞のポイントをおさえてみます。

 正一は、根付師の正利の弟で、名古屋で生まれましたが、後に大阪に出て黄楊や象牙の根付を作りました。上田令吉の著書によると、正一は澤木萬次郎と称し、奇峰堂又は奇峰齋と号していたようです。神仙、人物、獣、虫、仮面の根付を作っていたようです。明治維新後は実用根付の需要が減退したために、主に観賞用や貿易用として、人物や獣などの根付を作製していました。 正一の作品であることは、写真4の「銘」で判別できます。銘は、根付の底面や裏側に彫られていることが多いです。
 
  根付には偽物の銘が沢山あります。最初から他人の作風を真似して他人の銘を勝手に入れる者。全然関係のない既製の根付に、有名な根付師の銘を真似て入れてしまう者などです。美術品として売り出すためには、有名な根付師の作とする方が高額で売れるからだと思われます。

 こうした真贋については、鑑賞しながら、彫りの勢いや凄み、意匠の独自性、バランス、彫刻技術、材質とその古さ(時代性)などの視点から、真贋を総合的に判断します。彫りの勢いや凄みは、様々なな良い根付の実例を勉強しながら、自分の感性を踏まえて判断します。例えば「獅子」は、根付の題材としては最もポピュラーですが、根付師の技量が最も試される、彫刻には難しい題材です。獅子の起源は古代オリエント、インドにあるといわれ、中国では寺院や陵墓の前に像を守護として置く習俗があります。天に向かって咆吼している構図を取り、神様と宝珠(玉)の守護として、魔物を排除する姿を表現しなければなりません。

 この根付を更に子細に観察してみると、次のようなポイントがよくできていると発見することができます。

  ・咆吼する凄みのある表情、強調された唇の輪郭、バランスのとれた全体の構図(写真1・2)
  ・起伏があり力強い巻毛(写真3)
  ・宝珠(玉)を支える三点の手足の絶妙な配置(写真1)
  ・左手足と玉で巧みに構成された紐通し穴(写真4上部)
  ・象眼された両目(写真2・6)  
  ・秘伝の方法により口の中に封入されて動く、丸い遊び玉(写真2)
  ・爪先や牙の緻密な彫り(写真5・6)  
  ・手を抜かずにきちんと彫られた底面、確信を持って彫り入れられた銘(写真4)
  ・綺麗な飴色に変色している象牙(写真3・4)
  ・良好な保存状態(写真3・4)

        
             <写真1 右側面>                       <写真2 左側面>

        
             <写真3 背面>                         <写真4 底面>

        
             <写真5 正面>                         <写真6 上面>

他の根付は、根付ギャラリーでもご覧になれます。


根付に関する質問集(FAQ)は、国際根付ソサエティのこちらのサイト(英語)もご覧下さい。



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