管理人室便り
更新: 2006年6月24日 9:29:43
管理人からのメッセージ・コーナーを開設しました。お時間があればお立ち寄り下さい。
再発見

2006年6月半ばに機会があり、富田林寺内町を再び探訪できました。
寺内町の万里春酒造(石田家)が昭和58年頃まで醸造されていました地元銘酒「万里春」の懐かしい琺瑯看板(市内)をカメラに収めることができました。(写真左下) また、地元ボランティアガイドの方にご案内頂き、実際に町並み保存地区を歩きながら新しい発見もありました。6月10日(土)は、近鉄電車主催のハイキングが開催されていたこともあり、ハイカー姿の方を多く見かけました。また、城之門筋ではあちらこちらで道端に腰をおろしてゆっくりと町並みスケッチを楽しまれる方々が何人もおられました。

今では数が少なくなった昔ながらの琺瑯看板
寺内町を南北に貫くメインストリート「城之門筋」」

通りを北から南へ見通すと、ちょうど正面に小高い山のシルエットが浮かび上がります。(写真下) 

この日はあいにく梅雨入り後の曇り空でしたが、ボランティアガイドの方のご説明でこの山は嶽山(ダケヤマ、標高278m)と呼ぶそうです。楠木正成の出城の一つがあった所です。嶽山城址として地図にも記録されています。(出城は18あったと云われています。平石、持尾、金胎寺、赤阪など)

城之門筋から見通す嶽山
GW連休を利用して追加取材を行いました

2006年5月3日〜7日のGW連休を利用して帰省、幸いにも連日の五月晴れに恵まれて富田林寺内町の追加取材を行いました。 お蔭様で充実した取材となりまして、関係者の皆様にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。期間中写真もいくつか撮影しましたので、順次HPの中でご紹介させて頂く予定です。(2006年5月7日)
(1)  先ず最初に立ち寄ったのは3日午後に本年4月にオープンした「じないまち交流館」(富山町)。昨年秋には建設地の遺跡調査がされていましたが、伝統的建造物群保存地区の景観に配慮した木造二階建ての建物が完成。 

町並み見学にお越しになる訪問者用の休息施設及び地元住民の集会所・防災拠点が新たに充実しました。

じないまち交流館(全景)

じないまち交流館(入口)

じないまち交流館(全景)
(2) 翌4日には嶋田家住宅(町家クラフトアートショップ じないまちTERRA)内部でGW期間中、寺内町スケッチ絵画展を企画・開催されていた東紘司さん(河内長野市在住)にご挨拶しました。

このHPのアートギャラリーのコーナーでも東さんの作品をご紹介させて頂いていますので、併せて御覧になってみてください。


町家クラフトアートショップ じないまちTERRA

喫茶 「ナロード」
(3) 本町筋と壱里山町が交わる角にある、喫茶店「ナロード」にはわずかな時間でしたが立ち寄りました。寺内町散策でお越しになる見学者の方には、ぜひ休憩で立ち寄ってみて頂きたいお店です。

この場所で長い間、店を続けるオーナーのこだわりを感じる凝った内装装飾や店内にゆったりと流れるクラシック音楽に耳を傾けながら、今は少なくなった昔ながら喫茶店をじっくりとお楽しみください。古い町家を利用したお店の外壁全体に生える蔦の新緑も印象的でした。

(4) 6日には学生の頃からお世話になっている芦田書店(本町筋)店頭で富田林ゆかりの書籍コーナーをのぞいたりしました。

芦田書店では近所の商店主の方々とご一緒になって、本町筋の商店街に面した貸家を利用して、歴史的町並みにふさわしい新しいお店をやってみたい人を探しておられるとのことです。ご興味がおありの方は芦田書店にお尋ねになってみてください。



芦田書店の地元関連書籍コーナー
(5) 最終日(7日)には真新しい木の香りが漂う「じないまち交流館」一階で、「富田林じないまちをまもりそだてる会」の佐藤会長、木口副会長にご挨拶を兼ねて約1時間ほどお話しをお伺いさせて頂きました。最終日はあいにくの雨天となりましたが、貴重なお時間を頂いてお話し有難うございました。


富田林寺内町をまもりそだてる会
佐藤会長(左)、木口副会長

じないまち交流館1階にて

田守家住宅の土蔵を利用した長屋

東筋界隈

外観修景を終えた南奥谷家住宅

佐藤家土蔵
全国テレビ生中継の威力 〜 NHK総合「ふるさと一番」で寺内町が紹介されました

2006年2月28日(火)午後零時20分からのNHK総合 「ふるさと一番」で富田林・寺内町からの全国生中継放送がありました。零時20分から同43分頃にかけて、木口家住宅付近から興正寺別院、田守家住宅にかけて城之門筋に沿った江戸時代からの美しい町並みが紹介されました。

生中継では、富田林じないまちをそだてる会の佐藤会長がNHKアナウンサーと一緒に歩きながら木口家の「上げ店」をまず紹介された後、途中では地元ボランティアガイドの皆さんが「あて曲げの道」を実際に歩いて紹介したり、富田林寺内町が時の権力者であった織田信長と和睦しながら寺内町を守った歴史などもフリップを使いながら紹介されました。番組後半の中継では重要文化財・旧杉山家住宅の内部に場所を移して、富田林市教育委員会文化財課森口課長が間取りや豪華な襖絵などを紹介されました。また、旧杉山家住宅から程近い富田林幼稚園のかわいらしい園児たちがお茶のお点前を披露する場面も映し出され、最後に参加者全員が杉山家住宅の内庭に集合して生放送は終了しました。

番組放送開始直後から、当サイトへのアクセスが急増し、1日のアクセスとしては開設以来最高の980件を記録しました。放送翌日以降も普段の倍近いアクセス数が続いており、好天に恵まれたこの週末には番組をご覧になられた多くの方々がきっと富田林・寺内町を実際にお訪ねになり町家の佇まいなどをご覧になっているものと思います。

最近では2005年10月31日にも、午後零時からの日本テレビ系列(讀賣テレビ)の情報バラエティー番組「思いっきりテレビ」(みのもんた氏司会)の中でも、「今日は何の日?」コーナーで富田林寺内町が全国放送で紹介されました。こちらは富田林寺内町が1997年10月31日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことにちなんで紹介されましたが、寺内町の歴史や町並みなどを視聴者に大変わかりやすい内容で放映されました。こちらは前週に二日間、地元ロケ取材を行い、その内容を見事に編集されたものでした。こちらも放映直後から当サイトへのアクセスが急増し、一日で460件を記録し、その時点では一日のアクセス数で最高記録に達しました。

富田林寺内町が民放番組とNHK番組で相次いで紹介されたことは、(地元の方々でもつい見落としがちな)美しい町並みの存在と町並み保存に尽力される方々の存在を全国に知って頂く良い機会になったものと思います。いずれも平日正午過ぎの番組でしたが、ご自宅の茶の間や或いは昼休みの職場で多くの方々がご覧になったことでしょう。当サイトへのアクセス数からも改めてその威力につぐつぐ感じ入った次第です。(2006年3月5日、管理人・歴史散歩)
「日本人のこころ 大阪・京都」  宗教都市大阪・前衛都市京都 (五木寛之著、 講談社刊)

「宗教都市大阪・前衛都市京都」という本の題名と、「寺内町という信仰の共和国」、「戦国大名を恐れさせた念仏のネットワーク」、「寺内町は情報センターでもあった」、「歴史から忘れられてゆく寺内町の存在」といういくつかの目次に惹かれて、書店の店頭でたまたま見かけた一冊を今週の会社への行き帰りで読みました。 大阪は、戦国時代に蓮如が上町台地に一向宗の宗教自治自衛都市として築いた寺内町・石山本願寺(大坂御坊)がルーツですが、今の大阪城の場所にあったとされる寺内町・石山本願寺の精神・文化が以来、江戸時代や近代に入ってからも連綿と受け継がれており、今も大阪人のこころの奥にある見えざる深層となっているとの五木寛之氏の一連の深い考察は、多くの示唆に富んでおり大変興味深いものです。

本の中で寺内町成立の背景やその性格、更には大阪再生について考察されている、印象に残った箇所をいくつか以下に引用させて頂きます。

「寺内町は文字どおり「寺の内の町」であって、決して「寺の下の町」ではない。寺内町では守るべきものは寺ではない。あくまでも寺と町が一体になっている。寺内町とは寺の敷地の内部に抱きこまれた町のことであり、その町の周囲が土塁や水濠で囲まれている。 〜 ある意味では流通の先端であり、租税が免除されているという点では楽天地であり、身分差別をほとんど感じさせない(自由な)都市だった。」

「(乱世の下で、民衆の信仰が御同朋とよばれた仲間意識で結びついた)念仏ネットワーク(寺内町ネットワーク)は大名が支配する領国制を超えてしまう。 中世日本において、征夷大将軍の権威とはまったく別の宗教の王国が、ひとつの共和国が日本にできあがったのと同じことだと言えるかもしれない。」、

「その寺内町が日本史のなかではほとんど忘れられている。 〜 寺内町の発展を支えたのが民衆の信心であり、そこに浄土真宗という宗教が不可欠なものとして存在しているために、学者が正面から取り組むのを躊躇しているのではないかと、私(五木氏)は推測している。」

「東京一極集中という体制のなかで、これから先の大阪はどう再生してゆくべきなのか? それはかつての大阪の姿を蘇らせることではないだろうか? つまりより多くの外国人を生活者として受け入れる。 〜 大阪を城下町ではなく、寺内町として考えるのである。同朋意識を持った名もない大勢の「民」が中心となって行う町づくりである。 〜 大阪という都市はよそ者を寛容に受け入れて、これからはもっとそういう人たちの才能を開花させてゆく役割を持ってほしいと思う。」

最後に引用させて頂きました大阪再生の方向性に関する提言は、そのまま富田林・寺内町の町並み保存・再生の方向性をも示唆するものではないでしょうか? 例えば、国際文化都市を目指すのであれば世界中の高校留学生が集うユナイテッドワールドカレッジのような国際カレッジを日本初で誘致したり、或いは喧騒を逃れて静かな佇まいを好む文筆家が古い町並みに居を構える文化村構想なども一案かもしれません。 よそ者や多様性を寛容に受け入れる自由な伝統が息づく寺内町は、その成立経緯やコンセプトから言わば21世紀型の地域再生ビジョンと言えるかもしれません。
 (2006年2月25日、管理人・歴史散歩)

富田林を舞台にした小説

「〜三月八日、朝日新聞社から発売されます。タイトルは、嶋崎研一著「母の詩(うた)、晴子とともに」(朝日新聞社刊)ですが、舞台は、勿論、富田林です。昭和二十五年頃から、三十年頃までの、商店街の様子や寺内町の様子を織り交ぜています。〜」 (嶋崎研一様からのお便り)

http://www.eonet.ne.jp/~kishimoto-sketch/


嶋崎研一様 還暦を過ぎて、詩集、小説、エッセイを出版

3月8日に朝日新聞社から富田林を舞台にした小説をお出しになる旨、今朝ほどメールを頂戴しました。頂いた電子メール宛てにお返事をすぐに出したのですが、どういう理由からかメールは全て未着で戻ってきてしまいました。返事の内容を記しておきます。

3月に小説をご発表され、その中で往時の富田林の様子を描いておられる由、今から大変楽しみにしております。現在も富田林にお住まいでおられるのでしょうか?小生はまだ幼稚園から小学校の低学年でしたが、富田林の旧市街地は昭和40年代前半まで、堺筋、本町筋、中央商店街など個人商店がそれなりの賑いだったことを記憶しています。今はなくなりましたが、テレビが普及する前は映画館があったり、銭湯、駄菓子屋、製氷工場、質屋もあったと思います。借家の並びには共同井戸があったり、行商の人が毎日野菜や豆腐などをリヤカーに積んで売り歩いたりもされていました。寺内町の町家は当時から一部の方々には注目されて、写真誌などで取材されていたようです。旧市街の活力が次第に衰えてゆくなかで、町並み保存運動が少しづつ始まっていった頃でした。

嶋崎様が学ばれた地元の中学校、高校の御同級生であったO様は、きっと寺内町の中に何軒があります遠い親戚筋の方ではないかと思います。小生の父も同じ学校に学んでおりますが、少しだけ年代が違うようです。小説が発売されましたら、お差し支えなければ拙作ホームページの中でもご紹介させて頂けたらと存じます。こちらからのお願いごとになってしまい、ご迷惑かもしれませんが、ご小説で描かれた当時の町並みなどについてエッセーでも御投稿も頂けたらと思いますが、如何でしょうか?今後とも宜しくお願い致します。
(2006年2月4日、管理人・歴史散歩)

秋日雑感

南会所町
”遅い夏休み”で仕事を忘れて、2005年10月31日から11月3日まで、半年振りに寺内町に滞在しました。幸いにも連日の秋晴れに恵まれ、ゆっくりと町並み散策を楽しみました。
2005年10月31日(月)正午から、日本テレビ(讀賣テレビ)系列の番組「おもいッきりテレビ」の「今日は何の日?」コーナーの中で、富田林寺内町が歴史遺産の町として約12分間VTRで紹介されました。 1997年10月31日に富田林寺内町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された日に因んだものです。
富山町

富山町
10月23・24日の2日間で事前取材・撮影されました。
テレビ番組の中では、寺内町成立の歴史、宗教自治都市としての特徴、町家建築の特色、昭和33年学術調査からその後の町並み保存運動、重要伝統的建造物群保存地区選定に至るまでを分かりやすく伝えていました。
テレビ取材・撮影当日は今回と同じような秋晴れに恵まれたようで、テレビ画面の中でも美しい青空に映える寺内町の町家の佇まいが紹介されていました。
北会所町

堺筋
テレビ番組で紹介された10月31日には、放送後にこのHPへは普段の10倍近いアクセス数を記録しました。 全国放送の威力を改めて実感した一日ですが、累計アクセス数もこの日、7万件を超えました。
最近は平日でもパンフレットを片手に寺内町を散策される方々の姿をよくお見かけするようになりました。熟年のご夫婦も多数、お見かけします。
興正寺別院 本堂

重要文化財・(旧)杉山家住宅
また、グループ十数名で寺内町を散策されることも増えてきました。
11月3日(文化の日)、重要文化財・旧杉山家住宅の玄関前は多数の来訪者で賑わっていました。 この日は、近くにある市立富田林幼稚園のお碗展示会も併せて開催されていました。(写真右)
重要文化財・(旧)杉山家住宅

富田林市立まちづくりセンター(建設現場)
富山町では、市立まちづくりセンター(仮称)の建設工事が始まりました。(写真左) 来訪者を迎える2階建ての新センターは2006年3月末竣工、4月に開館予定です。

その後建物の名称は、公募により「じないまち交流館」と決まりました。
第38回日本女子オープンゴルフ選手権大会にボランティアで参加・観戦しました。

富田林・寺内町」の話題とはちょっと異なりますが。。。。。。。。

2005年10月1日(土)〜2日(日)、大会第3日・第4日(最終日)の2日間、自宅から程近い戸塚CC(横浜市旭区大池町)で開催された第38回2005年日本女子オープンゴルフ選手権大会にボランティアとして参加しました。

2日間ともに西コース 11番ホール(196ヤード、パー3)のグリーン付近でホール・マーシャルを担当。「お静かに!」と書かれた青色のボードを携えて、ギャラリーの皆さんを誘導をしながら、目の前で繰り広げられた宮里藍、諸見里しのぶ、不動裕理、福島晃子など有名選手のプレーも間近で存分に満喫しました。 11番ホールは、プレーした31組61選手の中でバーディ獲得は両日とも1選手ずつ。長い距離と強い風のせいか難ホールに各選手は苦しめらた様子。トリプルボギーも2選手。バーディ獲得はいずれもアマチュア選手でした。大勢のギャラリーでしたが、2日間とも混乱なくほっとしています。

幸いにも天候は2日間とも絶好の秋晴れ。 いずれも朝から気温もぐんぐん上がり、10月とは思えない真夏のような強い日差しが照りつけ、最高気温も10月としては記録的な30度を超える「真夏日」になりました。 特に最終日(2日)は気温・湿度ともに高く、顔や腕は真っ赤に日焼けしました。 ちょうどシンガポール駐在時代(1993年〜1999年)にセントーサ・ゴルフクラブのセラポンコースで週末ごとに滴り落ちる汗を拭きながらラウンドしたことを懐かしく思い出しました。以下の写真は試合前後に会場で撮影したものですが、最終組が11番ホールを無事に通過後、ご一緒にホールマーシャルを担当した方々と記念撮影をさせて頂きました。大会初日から4日間連続で担当された方もおられました。


ボランティア本部前

戸塚CC 西コース (1番ホール ティーG)

戸塚CC 西コース (1番ホール ティーG)

11番ホール (グリーンからティーGを望む)

11番ホール (ホールマーシャルのボランティアの皆さん) 

11番ホール グリーン

11番ホール (グリーンからティーGを望む)

11番ホール (ホールマーシャルのボランティアの皆さん) 

会場となった戸塚CCに詰め掛けたギャラリーは1日(土)が1万4千人、最終日は2万1千人を超えて過去最高。ボランティアも延べ2千人が参加しました。試合は宮里藍選手(20歳)が4日間首位を保ち、他選手を寄せ付けない安定した独走プレーで唯一人のアンダーパー(5アンダー)を記録、メジャータイトルでは初制覇(10勝目)を飾りました。 アマチュアでは金田久美子選手(高校生)の活躍が印象的でした。試合終了・表彰式終了後に、18番ホール手前のフェアウェイでボランティア全員で宮里藍選手を囲んでの記念写真撮影がありました。

若手人気女子プロの活躍などで何かと話題の多かった大会を、ボランティアとして参加しながらすぐ間近でプレーも観戦できたこともあり、大変有意義な週末2日間となりました。(2005年10月2日、管理人・歴史散歩)
寺内町の訪問者から (2005年8月)
「真珠の小箱」〜関西企業復権への思い〜

昭和34年(1959年)3月以来、近鉄がスポンサーになって、毎日放送(MBS,大阪市)が制作、毎週土曜日午前中に2千3百回を超えてTBS系列で放映された最長寿番組。奈良・大和路や伊勢・志摩など、近鉄沿線の自然や名所・旧跡を毎回訪ね歩くこの番組を、今でも記憶に留めておられる方が多くいらっしゃるのではないでしょうか? 

休日朝のくつろいだ時間の中、わずか15分間の放映でしたが、落ち着いた雰囲気のBGMと毎回交代する案内者の淡々とした語り口でその余韻を楽しみながら、視聴者の旅情を誘う隠れた人気番組でした。通学で毎日利用した近鉄電車の車内吊り広告では、毎月の放送内容がいつも知らされていたもので、近鉄電車の乗客にとってはいつもながらの日常風景でした。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、「富田林・寺内町」は長年の放送の中で、1989年1月(第1555回放映)と1999年9月(第2085回放映)に2回取り上げられました。 先日、ある方のご協力を得て、当時放映されたこのテレビ番組のVHSダビングテープを拝見する機会を得ました。時の流れが止まったような寺内町の雰囲気が、当時の画面を通しても伝わってきました。 初回のテレビ放映を収録したビデオは、その後暫く、富田林市の文化施設「すばるホール」の1階ロビーで観ることができました。ところが、何時頃からかそれもなくなってしまい、何とかあの放送ビデオをもう一度見てみたいとの想いが募りましたが、十数年を経てようやく希望が実現しました。

昨秋、近鉄の会社業績不振でプロ野球球団バッファローズが売却・解散され、パリーグ再編の引き金になりましたが、前後して昨年(2004年)3月27日に45年間続いたこの最長寿番組もあえなく中止され、いわば近鉄広告塔の役目を終えた象徴でした。 沿線紹介のため、」今でも「週刊文春」や「文藝春秋」などの雑誌広告は続いているのでしょうか?

ちょっと固い話になりますが、関西経済・関西企業の地盤沈下進行の裏側で、東京一極集中の情報発信に偏る現実。 関西の民間放送が地元の素晴らしい自然や文化遺産を全国に向けて長期間に亘り情報発信し続けることの難しさを痛感しています。 関西で学校卒業後、23年間東京での会社勤めですが、毎日の往復で車内吊り広告もゆっくりみられないほどの混雑の中、関西発信の文化情報番組を全国の小・中学生に毎週見てもらい、日本文化の原点に理解を深めることの重要性を改めて感じている次第です。 民間放送が制作する文化番組を、時代の浮き沈みに左右されがちな企業が長年に亘り、安定的に支え続ける。 近鉄1社単独がたとえ無理でも、関西民営鉄道協会などがスポンサーになって、いわば国際化時代の文化・社会貢献として、こうした番組の復活を強く望んでいます。 関西復権を目指して関西企業よ、頑張れ。
(2005年7月17日、管理人・歴史散歩)

融通念佛宗「本尊御回在」 回想

 
テレビでも放映中の「百寺巡礼」シリーズ第六巻 関西編(五木寛之著、講談社刊)及び同・ガイド編第六巻(関西編、講談社刊)の中で、第59番目に融通念佛宗総本山・大念佛寺(大阪市平野区)が登場します。「融通念佛宗」の名前を耳にする機会は関西方面以外にお住まいの方にはほとんどないかもしれませんが、その宗派の歴史は浄土宗や浄土真宗よりも古く、平安時代末期に良忍上人が開いた念仏系宗派です。現在、末寺の数は357カ寺を擁するものの、関西地区のみに存在する地理的特徴があります。

 富田林・寺内町地区の西のはずれにも、この「融通念佛宗」の末寺のひとつ・浄谷寺(じょうこくじ)があります。「融通念佛宗」には「本尊御回在(ごかいざい)」と称する江戸時代から始まった独特の行事があり、これは本尊十一尊天得如来の掛軸を持って、年に一度、総本山・大念佛寺の僧侶が約2万軒に及ぶ檀家を一軒一軒回る、言わば「本尊出張サービス」です。富田林・浄谷寺では毎年4月6日に「本尊御回在」が行われています。
    


浄谷寺(じょうこくじ)
 筆者が幼稚園、小学校を過ごした昭和40年代には、寺内町地区にある壇信徒の我が家にも「御回在」があり、家の仏間に本尊の掛軸を掛けて追善供養、家々の祓いや各種の祈祷が行われていました。その後、家族めいめいの背中に本尊の入った桐箱を当てて、身体堅固を祈祷する「御頂戴」がありました。 子どもの頃の記憶で、平野本山から「出張されてきた」僧侶の方に、神妙に背中を丸めて桐箱でさすってもらったことを筆者は今も覚えています。

 いつの年からかはわかりませんが、もうだいぶ以前より富田林・浄谷寺では地元・寺内町を中心とした檀家一軒一軒を練り歩いて「御回在」することはなくなりました。その代わりに、檀信徒を毎年4月6日、浄谷寺に集めて今でも「御回在」の法要が執り行われています。
 富田林寺内町は、戦国時代に浄土真宗(一向宗)の興正寺別院を中心に成立・発展してきた長い歴史を誇りますが、江戸時代中期以降に建てられ現在も町並み保存の中心となっている伝統的商家(町家)の多くは、意外なことに融通念佛宗・浄谷寺の壇信徒であり、各家の墓所は浄谷寺境内にあります。仲村家、田守家、葛原家、奥谷家、佐藤家、北野家などがその例です。そういえば、祖父の生前には浄谷寺の御院主様が時々、足をお運び頂いて囲碁のお手合わせをされていました。

 総本山からの「出張サービス」のおかげ?で、まだ自ら足を運んだことがない総本山・大念佛寺のことについては、以前から何となく気に懸かっていました。 「百寺巡礼」シリーズ関西編に触れたことがきっかけで、関西の庶民的な宗派である「融通念佛宗」と、浄土真宗がそのルーツになって成立した「寺内町」との興味深い関係に思いがけず週末、想いをめぐらせてみました。

(2005年2月20日、管理人・歴史散歩)


弁財天池、通称「カメの池」にある石塔
「花紋」 (山崎豊子著、新潮文庫)を読みました。

富田林駅前の芦田書店で以前に買い求めたままであった山崎豊子著 「花紋」を読み終えました。
南河内随一の大地主であった葛城家に生まれた総領娘・葛城郁子(歌人 御室みやじ)を主人公にした小説ですが、芦田書店からも程近い富田林寺内町にある旧杉山家住宅に生まれた明治の女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)に題材を求め小説化されたと言われています。小説の中では河内長野の石川沿いに庵を構え、歌人・御室みやじとして歌壇から高い評価を受けながらも、大地主の総領娘としては叶わぬ想いと意にそぐわぬ結婚生活に苦悩し続けた、数奇の運命に翻弄された人生を描いています。

小説の中では富田林の地名は一度も登場しませんが、河内平野を流れる石川や金剛葛城連山、二上山の風景描写は富田林・寺内町から眺める風景をそのまま想起するものです。 御室みやじが歌を詠んだ庵から石川を見渡す風景は、さながら勝間家住宅(旧・南杉山家住宅)の庭越しに眺める石川や金剛連山の情景のようです。
(2005年2月19日、管理人・歴史散歩)

2005年1月15日、大学センター試験・日本史Bに寺内町・富田林が出題されました。

    2005年(平成17年)1月15 日(土)に全国一斉で実施された大学センター試験・日本史Bの中で、室町時代の都市形成形態を問う設問があり、正解を選ぶ選択肢の中に「富田林」が出題されました。
(設問引用)
 第1問B
 古代に成立した都市は、律令政治の衰退とともに変質を余儀なくされた。一方で、鎌倉時代から室町時代になると、鎌倉や守護所などの政治都市が成立した。さらに、寺社の門前や境内、交通・交易の要衝など,各地に(c)都市的な場が発達した。そこでは、商工業・金融業・運輸業など、農業以外の多様な生業に携わる人々が活動した。
 戦国時代には、大名が家臣や商工業者を集住させて城下町を築いたほか、寺内町なども発達した。江戸時代になると、城下町のほか門前町・港町・宿場町・鉱山町などが各地で発展した。これらのなかには現代まで都市として存続しているところが多い。


 問3
 下線部(c)に関連して、室町時代における都市の種類とその実例の組み合わせとして正しいものを、次の@からCのうちからひとつ選べ。
 @門前町ー富田林  A港町ー富田林  B門前町ー桑名  C港町ー桑名

(正解)
 正解は、C港町ー桑名 (翌朝の新聞掲載の解答速報による)

(筆者解説)

 
伊勢湾に面する桑名がこの時期に成立した港町であることを覚えていればすぐに正解にたどりつく。 一方で、富田林(大阪府)を室町時代後期(戦国時代)に成立した浄土真宗の寺院を中心に建設された寺内町か、或いは門前町かで迷ってしまう受験者がおられたかもしれない。桑名の地理的な知識がない受験生であれば、『富田林ー寺内町』の結びつきを正確に覚えていないと、思わず選択肢@を選んでしまう言わば難問かもしれない。

 (注) 現在使用されている高校教科書 『詳説 日本史B』 (山川出版社)にある記述を以下に引用させて頂きました。

  門前町としては伊勢神宮の宇治・山田(現、伊勢市)、信濃の善光寺の長野などがとくに有名。 寺内町としては、摂津の石山(大坂)、加賀の金沢、河内の富田林、大和の今井などがある。これらの寺内町は楽市でもあったが、やがて戦国大名などに掌握され、しだいに特権を奪われていった。 港町としては、堺と博多のほか、坊津・尾道・小浜・敦賀・大津・桑名・大湊・品川などがある。

(2005年2月19日、管理人・歴史散歩)
冬の訪れに合わせて


興正寺別院境内から見た太鼓楼




「師恩塔」 富田林小学校正門
Happiness,Prosperity Forever
     (2004年11月2日、管理人・歴史散歩)
寺内町フェスタに出かけました。

2004年10月10-11日に開催されたじないまちフェスタに横浜から出かけました。前日まで台風が接近して、天気が心配されましたが、幸いにも2日間とも秋晴れに恵まれました。

10日午後は「石上露子を語る集い」10月例会に参加させて頂き、夕方から「城之門燈路」を観賞しました。興正寺別院本堂では、「沙弥音」ライブコンサートを堪能し、11日には「歴史的町並み保存に関する記念講演会及びパネルディスカッション」を聴かせて頂きました。歴史的町並みの保存と活用をしながら、地域特性に応じた活力ある町づくりへの課題について、いろいろと思いをめぐらせる2日間となりました。

帰りがけに興正寺境内で駅前の柏屋葛城堂から出張販売されていた「寺内町せんべい」を土産に買い求めました。
(2004年10月24日、管理人・歴史散歩)


城之門燈路

木口家住宅

重要文化財・旧杉山家住宅  内庭でのお茶会

「町家空庭」  (東)奥谷家住宅
大阪市内で谷・町・空・庭 M.Y.Plan(空庭CAFE)を経営されている山内さんの創作展示です。普段は緑が少ない寺内町の町家の軒先に忽然と出現したオアシスとなりました。

手前の椅子に腰をおろしながらくつろいでご覧になる方々も多くてとても好評でした。



空庭CAFE
大阪市中央区常盤町1-1-8 5階 
tel. 06-6949-0679
open 8:30頃?〜14:00、17:30〜20:00頃
地下鉄谷町四丁目駅 6番出口から徒歩3分

G週連休中に追加取材ができました。
2004年5月6日から9日まで寺内町の追加取材を行いました。
富田林市教育委員会文化財課をはじめとして、現在はもう作られていない地元銘酒「万里春」(石田家住宅 (旧・万里春酒造))、興正寺別院本堂の中国故事にまつわる「二十四孝」の欄間彫刻(じないまちボランティアガイド)、内部を一般公開されている勝間家住宅(つゆの会)、陶芸教室「工房飛鳥」、「石上露子を語る集い」(第6回定期総会、5月9日)、きりえ作家の近藤好幸先生など期間中、多くのご関係者様にお世話になりました。 いつもながら皆様には大変親切にご対応を頂き、励ましのお言葉のほか、教育委員会文化財課やじないまちボランティアガイドの方々からは多くの資料や写真のご提供・ご協力を頂戴しました。今回頂戴しました資料や写真、お伺いしましたエピソードなどは、これから整理をしながら内容を順次、ご紹介させて頂く予定です。ご関係者の皆様には、この場を借りまして改めて厚く御礼申し上げます。
(2004年5月16日、管理人・歴史散歩)



(一級酒ラベル、石田家住宅 (旧・万里春酒造)

興正寺別院本堂(欄間彫刻)
富田林・寺内町を舞台にした現代短編小説 

「行きつ戻りつ」乃南アサ(新潮文庫 の-9-14、平成1412月発行)に収録されている12短編中の1編「最後の嘘」では富田林・寺内町が小説の舞台になっています。寺内町の歴史的町並み風景が見事に描写されています。機会があればお読みになってください。(一部を本文から引用させて頂きました。)

・・・・鈍く光る灰色の甍がどこまでも続いている。その下の白壁は、陽の光を受けて目にしみるようだ。さらに腰板の茶色は、年月の重みを感じさせるほどに黒く変色しており、風景全体をどっしりと重みのあるものに見せていた。看板も、電柱もないその町並みは、まるで時代を飛び越えたような錯覚に陥らせるものだった。・・・・・

・・・・寺内町は、今現在の人が暮らす町だった。自転車を押した老人が行きすぎる。日傘の女性が、濃い影を落としてゆっくりと歩く。ティーシャツ姿の少女たちが、サンダル履きで連れ立っていく。軽トラックが通り、郵便配達のスクーターが通る。それでも、道に面した場所には洗濯物などは干されていない。外観はあくまでも整然と美しく、生活臭を漂わせない町だった。・・・

『かるがもだより』 第46号

都市基盤整備公団の『がるがもファミリークラブ』会員情報誌『かるがもだより』(第46号首都圏版 平成16年4月発行、第46号関西版 同5月発行)の中で、テーマ『町並みが語る歴史と風土』の特集記事で寺内町・富田林が取り上げられました。首都圏・関西圏で会員向けに配布されています。

 発行:
 かるがもファミリークラブ事務局 
 〒163−1348
 東京都新宿区西新宿6−5−1 新宿アイランドタワー4階
 都市基盤整備公団 総合募集センター 「かるがもファミリークラブ事務局」
 電話:03−5323−4578

 〒553−0003
 大阪市福島区福島5−4−21 ゲートタワービル内2階
 都市基盤整備公団関西支社 総合募集センター 「かるがもファミリークラブ事務局」
 電話:06−6346−3456

「コンビニ」と「ケータイ」のない町
およそ2年ぶりに寺内町をゆっくりと歩いて巡りました。
2月のはざまの休日にもかかわらず、町並み見学の訪問者は途切れることなく改めて驚きました。道端に腰を下ろしてお寺や町家のスケッチを楽しまれる個人や絵画サークル(グループ)の人達、さらには散策絵図を片手に小学生のお子さんを連れた家族連れ。歴史的町並み保存運動のおかげで見学者がそれなりに増えたのとは対照的に、町内では子供をほとんど見かけず、少子高齢化社会の現実を垣間見る様相です。往時の外観に復元・修景した町家の数が増えた一方で、住む人が居なくなった借家や、町家の一部を取り壊した空き地や駐車場が増えた気がします。堺筋、本町筋などを中心に栄えた古くからの商店街は、約四半世紀前にはそれなりの数があったものの、今では開いている店を探すのに一苦労するほど寂れてしまいました。 駄菓子屋、風呂屋、自転車屋、酒屋、畳屋、クリーニング屋、八百屋、牛乳屋、映画館、靴屋、製氷工場、医院、薬局など−失われた原風景が脳裏に蘇ってきます。 時代の移ろいと町の衰退・静寂。 これから総人口が徐々に減少してゆくなかで、町の活力ある再生と歴史的町並みの共存をどのように進めてゆけるのか気に懸かります。(2004年2月23日、管理人)



町並みスケッチを楽しまれるご来訪者


町並みスケッチを楽しまれるご来訪者
「石上露子集」 (松村緑編、中公文庫) を古書店で見つけました。
東京・神田神保町の古書店の書棚で偶然、幸運にも「石上露子集」(中公文庫)を見つけ買い求めました。
既に絶版となっており、新本で購入できない本です。神田神保町の古書店街でも中公文庫の中古本を纏めて扱っている書店は意外に少なく、何店か回ったあげく、あきらめながら入ったすずらん通りの最後の店(「古書かんたんむ」 tel 03-3296-7870) で幸運にもめぐり会いました。自分が探した際には書架に収まっている本を一旦見落としてしまいましたが、念のために書店の方にコンピュターで在庫検索してもらったところ、思いがけずヒットしました。仕事始め。年末ジャンボ宝くじには全くご縁がなかったものの、新年早々の快挙となり、今年は幸先がいいと喜んでいます。

これをご縁に石上露子の波乱に満ちた歌人人生とその作品に少しずつ触れてみたいと考えています。
(2004年1月5日、管理人)
「石上露子集」(松村緑編、中公文庫版)復刻版限定販売

2004年8月から石上露子生誕地である地元・富田林市の芦田書店で限定(増刷)販売されています。(1冊 540円) 中古書店でもこれまでなかなか手に入らなかった方には絶好の機会ですので、芦田書店までお問合せ下さい。
(〒584-0094 大阪府富田林市本町13番14号、電話:0721-23-2816番)

「民家のこころ」 巻頭書きより (道塚元嘉氏著、鹿島出版会、1999年1月)

書店の書棚でたまたま見つけた民家に関する本。伝統的な民家の姿を記録として残しておられる著者の巻頭書きがとても気に入りました。人が暮らす民家は、時代の移り変わりを超えてそこに暮らす人々があってはじめて機能し、継承してゆけるものですね。
− 民家は庶民が生まれ育ち、長い間生活してきたさまざまな経験がにじみでている。それだけに伝統美を知るうえでも、かけがえのない貴重なものである。寺社建築のように、技術的に優秀なものは見られないかもしれないが、工夫と智恵をこらし、風土に適応した人情味あふれる暮らしの結晶である。少なくとも、人の命よりは長く生きてきた民家だけれど、思い出に生きる民家の時代はもう訪れることはないだろう。死は確かな未来。悲しいことに、民家も永劫に生きつづけることはできない。時代とともに本来の機能を失いながら、しだいに滅び去ってゆく。清らかな民家に、心の美しい人が住んでいたことを知っていた人もおそらく二度と民家を建てることはしないだろう。ならば、そうした民家の内部や外観に秘められた固有の意味や、新しい時代になっても失わないほうがよい美しさや、やさしさ、思い出をいつまでも残しておかなければならないと思ったのである。−
平成十年初秋 道塚元嘉 (日本民俗建築学会会員) (2003年12月28日、管理人) 

Biglobe会員誌「サーイ・イサラ(Saai Isara)」2004年1月号でご紹介頂きました。

Biglobe会員誌「サーイ・イサラ(Saai Isara)」2004年1月号 リーダーズ・カフェのコーナーで、「富田林・寺内町(じないまち)の探訪」をご紹介頂きました。編集部ご関係者の皆様、ご紹介頂いて有難うございました。(2003年12月27日、管理人)
http://isara.biglobe.ne.jp/link/index.html

スイミングスクールに通い始めました。

普段の運動不足解消を兼ねて、10月から毎週土曜日夕方に近くの都岡スイミングクラブ(横浜市旭区)に通い始めました。一般・社会人向けのコースですが、中学生からご年配の方まで20−30名の方が毎週参加されていて驚きました。その中には15年近くも続けておられる熱心な方もおられると伺いました。初心者コースに入り、25メートルも泳ぐと息が切れて、手足もおぼつかなくなります。コツもあるなと少しづつ分かったきたこの頃です。サウナ施設で汗も流して、運動後はさすがに爽快です。日頃の運動不足解消に、長く続くといいのですが、さてどうなることやら。。。 (2003年11月23日)

今日、何とかクロール100メートル泳げました。爽快。(2003年12月6日)
「三日坊主」のつもりが、なんとも一年以上続いています。
今夜は合計で700メートル泳ぎました。ひざがガクガク。(笑) (2004年11月3日)

鈴廣かまぼこ博物館(小田原)
2003年8月処暑。1993年以来、10年ぶりの冷夏で短い夏が終わろうとしています。関西地方は例年より1週間遅れで8月初旬には長い梅雨が明けたようですが、小生が住む南関東地方(横浜)はあいにくの天候不順で、ここに来てようやく夏らしい日差しが戻ってきました。

さて、昨年に続いて、今年も箱根に一泊二日で夏休み家族旅行に出かけてきました。幸いにもこの二日間は30度を越える夏らしい好天に恵まれました。
芦ノ湖からの帰路、箱根湯本から箱根登山鉄道で2駅小田原寄りの「風祭(かざまつり」という、由緒ありそうな駅で途中下車して、小田原蒲鉾の老舗・鈴廣かまぼこ博物館を見学。中学生と小学生の娘3人は、「手作りかまぼこ体験教室」に参加して、10年経ってようやく一人前?という職人さんの指導宜しく、かまぼこの板付けとちくわ作りを楽しみました。刃がない独特の「手付き包丁」を使い、魚のすり身をかまぼこ板(もみの木)に塗り付け、見慣れた半円筒形に少しずつ整えてゆく実演を見て、手際の良さに驚きました。ちくわも(蒲鉾と)同じすり身を竹筒に塗り付けて、香ばしい焼きたてをその場で試食。手作り蒲鉾はドライアイス付で家まで持ち帰り、昨晩、家族皆んで食卓を囲んで、賞味しました。さすがに「鈴廣」のすり身材料を使った風味と歯ごたえの良い蒲鉾に感激。

ミネラル分豊富な箱根の伏流水と新鮮な魚材料を使った小田原名産の伝統食品「蒲鉾」を再発見した一日でした。(2003年8月24日)


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Copyright 2002 by Naoya Okutani , edited in Japan