以前歩き遍路の途中で車のお接待を三度受けたことがあります。
最初は鶴林寺に行った帰り。
この時は宿に荷物を置いて鶴林寺に行き、宿への帰り道は翌日の下見もかねて車道を歩きました。
その途中、車に乗りませんかと言われて好意を受けることにしました。
明朝、同じ道を歩いて太龍寺に行くことにしていたので、今車に乗っても明日歩くからいいやという気持ちでした。
二度目は道に迷い大分先まで行ってしまったとき。
お米屋さんに道を尋ねたら、車に乗せていってくれるという。
行き過ぎて戻るのなら車に乗ってもいいんじゃないという気持ちでこの時も車のお接待を頂きました。
3度目は二回り目の時。
二回り目は歩き通すことに最初からこだわってはいないので車のお接待は受けるつもりでいました。
この時も有難くお接待を頂きました。
そして今回。
今回は前回の遍路で知り合えた愛媛の高田さんと金剛頂寺で再会することが出来ました。
高田さんは松山からわざわざ車を飛ばして会いに来てくれたのです。
3年ぶりの再会は本当に嬉しいことでした。
彼の接待で37番神峰寺と38番大日寺に車でお参りしました。
この時の印象は実に不思議なものでした。
前の3回の車のお接待はいずれもお寺とお寺の間の一部を車に乗せていただいたのだが、今回はお寺の間は全く歩かず全て車。
お寺に着き車から降りて納経に必要な道具をザックから取り出します。
既にその時から普段歩いているときとはどこか違う違和感がありました。
般若心経を唱えても力がこもらないような。
ふわふわと体が浮いているような。
なんだろうこの違和感はとしばらく考えました。
たぶんこういうことなのではないのかな。
ザックを担いで歩いていてお寺の屋根が見えてくると、あーあと少しだなと心の中で準備が始まる。
そしてお寺に着く。
やれやれ。
よっこらしょと、荷物を肩から下ろす。
ひとまずそこでほっとする。
冷たい水を飲んだりして体を休め、呼吸を整える。
それから納経の道具を取り出して本堂に向かう。
こうした一連の手続きが通常ならあるのですが、車に乗っているとそれが全く省略されてしまいます。
更に言えば、納経が終わって次の寺を目指すときは、それなりに気合いを入れてザックを担ぎます。
「よし、行くぞ」と。
それもありません。
そうした違いが、どっかふわふわっとした感じになっているんだろうなー。
この二寺を車で案内していただいた後の歩きはいつも以上に気合いが入りました。
あー、やっぱり自分には歩きが一番。
どんなに苦しくとも、足が痛くても歩くことの快感には代え難い。
つくづくそう思いました。
車で回ることが悪いとは決して思いません。
ただ、歩くときの感覚とは随分違うものだということをしっかり認識させられました。
バスでお参りする人、自家用車でお参りする人、自転車もあればバイクもあります。
いろんな形があっていいと思います。
要はその人にあった形で四国を回ればいいのです。
私には歩きが一番。
車の接待を少しだけ頂きながら。
(2006.5)
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