初めてお遍路に行ったのが3年前。
その時は遍路のことをろくに知らず無我夢中でした。
知っていて当然の弘法大師のことも知識は極めて希薄。
それでも88ヶ所を通しで歩けたのは四国の方の暖かいお気持ちと、遍路仲間に恵まれたこと、そしてお大師さんの支えがあったればこそだと思っています。
88ヶ所を回り終えた後しばらくは疲労感と終わったというほっとした気持ちでぼーっとしておりました。
あんなに辛いことは二度とやるまいという気持ちが漠然とでしたが心の中のかなりの部分を占めておりました。
それでもけじめで高野山にお参りしたのは四国が終わって2ヶ月後。
弘法大師に関する知識のあまりの欠如にあきれ、せめて司馬遼太郎の「空海の風景」をひととおり読み終えてからにしようと言う理由からの2ヶ月でした。
そして高野山を終えこれで四国のことは全て終わった、そう思って半年。
そのころから 何か心の中に隙間が出来ていたのを感じました。
そしてあれほど辛かったはずのお遍路のつらさがいつの間にか消えてしまっていたのです。
思い出すのは楽しかったことだけ。
道々で会った人、お接待を頂いたこと。
急な山道の登り、土砂降りの雨、蛇を気にしながら山道を歩いたことなどさえ懐かしく思いおこされます。
その全てが楽しい思い出に変質してしまっていたのです。
そして何より88番札所に行くとき女体山を越えなかった苦い思いが心の中に渦巻いていました。
女体山を越えなければ結願したとは言えないかも。
もう一度あの山越えだけやろうか。
でもあそこだけをやってもたぶん感動は無いだろう。
88ヶ所を歩いて最後にあそこへたどり着くからこその感激なのではないか。
よし、それならもう一度一番からやり直してみようか。
でも同じ事の繰り返しでは新鮮味がなーい。
どうしようかと考えているうちにあるアイディアを思いつきました。
別格のお寺で数珠玉を分けてくれることを思い出したのです。
それを知ったのは別格5番大善寺でした。
そうか別格20寺を回って20個の玉を集め数珠を作ろう。
88ヶ所と20寺だから会わせて108ヶ所。
これはいい数字だ。
それなら108ヶ寺参りをしよう。
これが結論でした。
ただこの時はいささかの仕事をしていましたのですぐにというわけにはいかず実際に二度目の四国行きは一度目の一年半後、2004年10月ことでした。
(2006.5)
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