[ 湖の住人0102030405060708雑感 ]

湖の住人(要約之八)

 慌てて車のボンネットを開けたカートライトは真っ青になった。そこには引きちぎられたワイヤーの固まりがあったのだ。「奴ら」の仕業だ、だがどうやって? カートライトにとってそれはエンジンの破壊よりも重要な問題であるらしい。そして彼は一つの答えにたどり着く――ジョー・バルガーの仕業だ。「奴ら」になりたての彼は、まだ「緑の崩壊」を恐れなくても良い。そして今や彼はグラーキの一部であり、かつての友人に対しても何の容赦もしなくなっているのだ。

 とにかく今からブリチェスターまで歩くわけにはいかない。日没は間近だ。私とカートライトは彼の家に引き返し、朝まで籠城する事を決断した。そして下階の表側の部屋に入ると、早速窓にベッドを立て掛けた。裏側の部屋の窓は洋服だんすで塞いだ。カートライトは手斧を取ってくると、表側の部屋のテーブルに置いた。さらに台所にある裏口の扉を食器棚で塞ぐと、彼は私に少し休憩してコーヒーを湧かすように言い、日没までのわずかな時間を利用して湖の中を覗くために手斧を持って外へ出て行った。たとえジョーであっても「奴ら」と化した直後から四肢は固くなり始めているので、そんなに素早くは動けない。手斧は充分な武器となるはずだった。

 しかしカートライトはなかなか帰ってこず、私はしだいに不安になっていった。その時、裏口の扉をノックする音が聞こえた。私が彼の物忘れを指摘しながら、立て掛けてあった戸棚を横にずらし始めた瞬間、私の背後から叫び声が聞こえた。「何をしているんだ!?」驚いて振り向いた私の前にはカートライトがいる。出来るだけ落ち着きながら、誰かが裏口をノックした事を告げると、彼は叫んだ。「奴らだ!」彼の話では、今のはおそらくジョーの仕業らしい。しかしすでに日は暮れ、他の奴らも充分活動できるようになっている。我々は表玄関の扉を塞ぐために、二階から洋服だんすを持ってくる事にした。

 だが我々が二階から降りてきた時、すでに多くの物音が何かの到来を告げていた。

ずっと遠くに、ずるずると滑るような音があらゆる方向から聞こえてきた。抑えられた不協和音の如き鼓動が再び聞こえるようになり、湖水が近くで水飛沫の音を立てている。家の周囲から、何かがゆっくりと近づいてきていた。私は窓と立て掛けられたベッドの間に出来た隙間に駆け寄り、外を見た。すでに全くの暗闇になっていたが、窓の近くの湖畔の水面が驚くほどさざ波を立てているのが見えた。
「助けてくれ……神よ!」カートライトの声が聞こえた。
窓から向き直る時に、私は何かが外を動いていくのをちらりと見た。おそらく私はただ、上部にねじれた長い茎を生やした柔らかい光を放つ姿が水中から上がってくるのを想像しただけなのだ。しかし確かにあの鼓動はさらに近くなり、きしる音を立ててずるずると滑る物体が歩道を横切って動いているところだった。
私は洋服だんすへと突進して、それを扉へと押すのを手伝った。「何かが外に、そこにいるぞ!」私は喘ぎながら言った。
カートライトは半ば安堵したように、半ばうんざりしたように私を見た。「絵にあったあれだよ。」彼は息を殺して言った。
「僕はさっき見た。外に出た時に。ある角度から湖の中を覗き込めば、君にも見る事が出来たよ。そうしないとあの中は何も見えない。湖の底、緑藻の間に――澱んだ水、全ては死に絶えていて、いや、あれ以外は……湖底には都市があった。真っ黒な螺旋階段と壁が、通りに対して鈍角に突き出している。通りの上には死せる姿がいくつも横たわっている――宇宙空間を旅する間に死に絶えてしまったのだ――恐ろしくて不快な、痩せた姿、全身が真っ赤で、トランペットのような形をしたものが房となって全身を覆っている……そしてちょうど都市の中央に、透き通った落とし戸がある。グラーキがその下にいて、脈動しながらこちらをじっと見つめている――茎に付いた目が私の方へと動くのを見た――」

 カートライトの声はしだいに小さくなり、そして消えてしまった。彼の視線の先で、玄関の扉が内側に大きく膨らみ、裂け始めている。異界の鼓動が勝ち誇るかのように鳴り響いた。

 上階に行こうとカートライトは叫び、私は階段へと走った。半分ほど上った時、私は扉の砕け散る音を聞いて背後を振り返り、そして恐怖に襲われた。カートライトがいなかった。彼は手斧を構え、表側の部屋の中央に立っていた。

 扉を抜けて、グラーキの死せる従者達が入ってくる。骸骨のような腕を伸ばして、彼に掴みかかる。それらの背後には、耳を聾するような震動と共に震え脈動する姿がそびえている。カートライトがそれらの真っ直中に走り出す。ゆっくり振り回される腕をかいくぐり、扉に立ちふさがった従者を手斧で叩き斬る。

今や、彼はのろのろと振り返る従者達の向こうで、脈動するグラーキの姿へと突進していくところだった。一本の棘が震動を止め、彼へと狙いを定める。棘が狙った地点と重なった時、カートライトは手斧を振り下ろし、それを本体から切り離した。鼓動が不協和音の悲鳴に変わり、楕円形の身体が苦痛にのたうちながら湖の中へと退いて行く。死せる者達はしばらくの間目的も無く動き回っていたが、やがて木々の間へとばらばらに消えて行った。その間にカートライトは歩道の上に崩れ落ち、動かなくなった。私はもはや立っている事が出来なかった。上階の最初の部屋へと駆け込むと、扉の鍵をかけた。

 次の日の朝、陽光が照っているのを確認して、私は家を離れた。歩道の上のカートライトの身体を抱え上げて、車の助手席に横たえる。玄関では彼に破壊された従者が光に曝されて、吐き気を催す変化を遂げていた。ブリチェスターへと歩く事が出来るようになるまでには、しばらく時間が必要だった。

 警察は私の話を全く信用しなかった。本箱は車の後ろから消え去り、木々の間にも湖の中にも何も見つかる事は無く、ボールド通りの不動産屋も「湖に潜み棲むもの」について警察に何も話す事は出来なかった。カートライトの最大の力作であるあの絵は、車の中に残されていた。しかしそれはただの、芸術家の想像力の産物に過ぎなかった。カートライトの胸に突き刺さった金属製の棘が、単なる巧妙に作られた凶器であったように。

 だが、私がブリチェスター大学に依頼した、その棘の分析の結果は違っていた。この事件は新聞にはもみ消され、教授達も未だに湖の調査許可を取ろうとしないのだが、彼らはあの夜窪地で起きた出来事が非常に異常なものであったという事には同意している。何故なら中央に導管の通ったあの棘が、全く未知なる金属から形成されていただけではなかったからだ。その金属は生きた細胞で構成されていたのだ。

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