[ 湖の住人0102030405060708雑感 ]

2013年10月14日追記:
扶桑社から2013年7月10日に発行された文庫本「古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待」に、尾之上浩司氏によって邦訳された"The Inhabitant of the Lake"が「湖畔の住人」という題で、キャンベルのこれも初邦訳の短編「ムーン・レンズ」、コリン・ウィルソンの「古きものたちの墓」及びブライアン・ラムレイの「けがれ」と共に収録されています。


湖の住人(要約之一)

 私ことアラン・カーニィの友人トーマス・カートライトが、彼の気味の悪い芸術作品を生み出すのにちょうど良い環境を求めてセヴァーン谷へと引っ越していった後、私と彼とのコミュニケーションは往復書簡による文通だけになっていた。彼が私にある些細な出来事を書き送ってきたのも、そんな習慣の延長であった。しかし――一見取るに足らない、だが明らかに謎めいた――その出来事がついには一連の思いがけない秘密の暴露へと至るとは、その時の私には想像もつかなかった。

 カートライトは若い頃から恐ろしい伝承の類に興味を持っていて、芸術家として活動を始めた時、その作品中には非常に驚くべき病的な技法が使われた。その技法に高い評価を受けながらも、そのひどい不健全さ故にこれらが普通の絵画収集家達に気に入られるか疑われていたのだが、しかし彼の作品は多くの熱烈な愛好家達を得、「霧に覆い隠された密林を大またで歩いたり、ドルイド教の石環の濡れた石をじっと見つめたりしている歪んだ巨像群」の力強い習作の原画が熱心に探し求められるまでになっていた。芸術家としての承認を得た時、カートライトは騒々しいロンドンを離れてどこかより似合いの雰囲気の場所に落ち着くことにし、有望な場所としてセヴァーン地方を選んだ。物件探しには可能な時には私も同行し、ブリチェスターの不動産屋から「幽霊が出没する」と紹介された彼にとって興味深い物件、街の北方数マイルにある湖の側の孤立した六軒の家並みを見に行ったのもそんな旅行の一つだった。

目的地の湖は不動産屋の指示に従うと簡単に見つかった。

澱んだ水の漆黒の深淵が、森に囲まれている。その森は湖を取り囲む多くの丘から降りてきていて、有史以前から生存している大軍のように湖の縁に立ち並んでいる。湖の南側にそれぞれ三階建ての、黒い壁の家並みがあった。それらは灰色の丸石の敷かれた通りの上に建てられていて、通りの両端は家並みと共に終わり、家並みの反対側の道端は粘る黒い深みの中に消えている。粗末な造りのその道は湖をぐるりと取り巻き、通りの一部で分岐して、湖の別の側でブリチェスターへと続く道と合流している。木々の間や湖の縁に草地が警戒するかのように生えている一方で、大きな羊歯が水面に突き出ていた。正午にも関わらず、ほんの僅かな光しか湖の表面に届かず、家々の正面にもあたっていない。そしてこの場所全体に、彼方に陽光が輝いている事を思うとより陰鬱に感じられる黄昏が覆い被さっていた。

 「まるで疫病にやられたようだな。」カートライトはこの情景をそう表現し、私も彼のその感性には同意する事ができた。しかし私はこの森に守られたくぼみの荒廃に心乱すものを感じ、このような場所に一人きりで住み仕事をするような気にはとてもなれなかった。

 とにかく端から家々を見てみる事にして、我々は一番左にある最初の建物を窓から覗き込んだ。だがそこからは裂け目のあるむき出しの床板や崩れて蜘蛛の巣が張っていた石造りの暖炉、一面にだけ残った大きく剥がれかけた壁紙が見えただけであった。歪んだノッカーの付いた正面の扉へ続く木製の階段は驚くほど変形していて、足を乗せるのも嫌気がさすほどだった。このような物件を紹介した不動産屋に対する不平を漏らすカートライトに、私は他の家も一応見て回ろうと提案した。

 かつて木骨造りで建てられたらしい家々は全て不体裁な石造りの屋根と通りに面した張り出し窓の一種を備え、一見どれも同じくらい荒れ果てているように見えた。しかし家並み全体を眺めてみると、左から三番目の家が他よりもましな事に気が付いた。扉への階段はコンクリート製に、ノッカーもドアベルに交換されているようだった。壁はなお灰色で湿っているが、窓はそんなに汚れていなかった。私がこの事を指摘すると、カートライトは不動産屋に、一軒だけ施錠されている家があると言われていた事を思い出した。

 そして確かにその家は施錠されており、カートライトの持っていた鍵で簡単に開いた。近づいてみると、この家の扉は塗装が剥げても汚れてもいない。全てを灰色にしてしまう黄昏のせいでそう見えていただけだった。さらにその内部には玄関の綺麗な壁紙やランプの傘、階段のカーペット等我々が期待していなかったものが存在し、薄暗がりを打ち消す電灯まで点いた。最初の部屋には絨毯が敷かれ、テーブルや椅子もそろっていた。奥のキッチンへ行くとストーブの側に食器棚があり、その部屋から階段が続いている二階にはベッドが使用可能な状態で置かれている。家の環境は、ブリチェスターで暮らすのとほとんど変わらないくらいであった。

 訝しみつつも、カートライトはとにかくこの家とその周辺の雰囲気をとても気に入り、購入する事に決めた。しかし同時に、何故最初から家具一式が家の中にあるのかという事の真相も突き止めるつもりだと言った。

 通りの丸石の上で横滑りする危険を避けるために、それと繋がるブリチェスター行きの道路の終わりに止めていた車に乗り込んで、我々は帰路についた。普通は文明社会から離れて田舎に行く事を好む私だが、今回はむしろ険しい岩肌の間や木々の鬱蒼と茂った丘の中腹を通る道を過ぎて、電信柱が見えてくると喜んでしまった。ブリチェスターへと丘を降り、赤煉瓦の家々と教会の尖塔が中央の白い大学の建物を囲んでいる光景が見えてくるのを歓迎した。

 不動産屋はボールド通りの西の端の、同じような建物が建ち並ぶ中にあった。入店したカートライトが湖の側の物件を購入する事を告げると、不動産屋は期待もしていなかった思いがけない返事に驚いた。カートライトは修繕費用として500ポンドほどを見積もると、それについて契約できしだいすぐに引っ越していく事を知らせた。

「――ところで、誰が家具一式を残して行ったんだい?」
「別の住人です。彼らは三週間ほど前に引っ越し、その際家具を全て残していきました。」
「なるほど、三週間とは少し間が空いていたんだな。」カートライトは認めた。
「しかし、彼らはまた家具を取りに戻って来るんじゃないのかい?」
「彼らが去ってから一週間後に、私は手紙を受け取りました。」不動産屋が説明した。
「手紙の送り主が言うには、置いていったもののためであろうと――彼らは夜のうちに去っていったのですが――昼間でさえあの家には戻りたくないそうです! とにかく、彼らはもう戻ってきません。そもそも、何故あんな家を購入しようと思ったのか、実際のところそれが分からない――」
「その人は、何故彼らがそんなにも急に家を出てしまったのかについて話していないのですか?」私は口を挟んだ。
「ああ、何か訳の分からない変な話をしていましたよ。」不動産屋は不愉快そうに言った。
「あの家族には子どももいたのですが、その子が夜中に、何かが『湖の中から上がってきて』『窓から覗き込む』と叫びながら彼らをどんなに起こし続けたかという事についてたくさん言っていました。まあ、たとえただの夢であっても少ししつこく悩まされたとは思いますよ。
しかし、手紙の送り主を怯えさせたのはその事じゃなかったんです。見たところでは彼の妻が発見したらしいのですが、越してきてから二週間後のある夜――それが彼らの滞在の限界でした――およそ11時頃、彼が湖水の中をじっと見つめていたという事なのです。彼は妻の方を見ようともせず、妻が彼の腕に触れた時にはほとんど朦朧としていたそうです。それから彼はすぐに部屋にあったあり合わせのものだけを車に詰め込み、何故出ていくのかという事を妻に知らせる事もせずにそのまま走り去ってしまったという事です。」
「彼は結局妻に何も話しませんでした。もちろん私にもです。彼が手紙で言っているのは、湖の底にいる、彼を見つめ、そして上がってこようとしている何かを見たという事だけです……ああ、湖を調査させ、家々を取り壊させるようにとも言ってました。でも、もちろん私の仕事は物件を売る事でして、それを破壊する事ではないので。」
「そしてあなたはそういう事を充分説明しなかったわけだ。」私は一言言ってやった。
「だって、あなたが幽霊屋敷の方が良いって言っていたじゃないですか。」あたかもペテンにかけられたかのように気分を害したらしく、不動産屋は抗議してきた。
「もちろんその通りだよ。」カートライトが彼をなだめた。「カーニィはちょっと気が短いんだ、それだけさ。もし準備が全て整ったと知らせてくれたら、僕は喜んで引っ越して行くよ。」

 カートライトはロンドンには帰らないので、私は街の向こうのロワー・ブリチェスターの駅まで彼に送ってもらった。私は友人をあのようなブリチェスターから10マイルも離れた黄昏の地に一人で残していく事について深く憂慮し、タクシー乗り場で降りた時も再度彼の決意を確認した。彼は自分のインスピレーションにはあの場所が必要だと主張し、少し気分を害して走り去っていった。終着駅の喧噪の中に入りながら、私はあの荒廃した光景を早く忘れようと努めた。

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