ようこそおくさまネットへ
窓を閉めて戻りましょう
こちらは富士山が毎日見れる伊豆半島の入り口の静岡県の沼津市です。
遠方よりありがとうございます。
応接室で、ごゆっくりお過ごし下さい。


天気のよい日は窓から「富士山」がよく見えますよ。
「こでまり」の絵です。「花ことば」はこちらから・・・
応接室 目次 ▽下の項目をクリックして読んで下さい
◆友遠方より来る、また楽しからずや ◆心の充足こそほんとうの豊かさだ
◆友達の輪 ◆あ〜んの話
◆やまぶき ◆静岡県といえば・・
◆夢は夢で終わってはいけない ◆かたりべ西村さん、かんばれ
◆感動こそ人を動かす ◆経理・総務マンの悲しさは
◆生きることがもっと楽になる思考法 ◆直江兼続の愛
◆岡田たかし君 ◆日本人の定義
◆河井継之助 ◆石田三成の友情
◆国は率先、啓発運動を
◆39才男性の孤独死
富士山や柿田川湧水の今を見たい方は「今日の沼津は」どうぞ・・・。
[今日の沼津は]
県東部ニュースの保管箱
静岡県東部イベントカレンダー
クイズ「鯉三題」
1.鯉を料理して食べるのに一番おいしく食べれる調理法はなに ?
2.鯉のぼりを上げる順番は、お父さんの鯉から。、お母さん鯉からどれからでしょう。?
3.池に色々の鯉がいます。「おふ」を投げると、何色の鯉が先に食べるでしょう。?
       「答え」はこのサイトの何処かにあります。答え合わせしてみて下さい。・・・
[花ことば] はこちらからどうぞ
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友遠方より来る、また楽しからずや

◇ようこそ・・・・・出会いとは、おもしろいものです。
「一期一会」と言う言葉がありますが全世界に何億という人がいて、(Wed上にも何千マンというサイトがあって)その中から、会えた(このページを見ていただけた)。〜ありがとう。
「袖すり合うも多少の縁」ですね。顔や姿も見えず、また見ていただいているのも分らないわけですが、けっこう自己満足的に思うのですが、見てくれた方の何かお役に立てたらと思っています。
ここは、静岡県の東部、沼津市です。富士山の頂上から、駿河湾の海底まで、おそらく高低差では日本一かもしれません。海の幸、山の幸が豊富で、美味しいものも手に入り、水も柿田川湧水という富士山の美味しい水があり、渇水など縁のないところ、(10年ぐらい湧き出るのにかかるそうで水の蓄えは万全)また九州に雪が降っても、この沼津は降らないほど、季候は温暖です。東京には東名高速・新幹線で一時間、東海道にあり交通の便は良好です。自慢できるものはこういったことで、これといった自慢できる有名な特産物はありません(しいて名物というと、「ひもの」ぐらいかな。)、特色がないとも言えます。
ある意味こういったところで育つと根性がないといわれます、気骨のある人は育たないのかも・・、でも「おひとよし」が多いですよ。こんなところの住人です。
このページの花の絵は5月ごろ咲く「こでまり」です。花言葉は「努力する」です。私もホームページ作成に「努力」しますので、時々は訪問してください、そして、このホームページを「すこ〜し愛して、なが〜く愛して」下さい。
では、ごゆっくりと見ていって下さい。
(この花の絵は、パソコン絵画の電彩アートさんから頂きました。素材集に綺麗な花の絵がありますよ)

友達の輪 応接(上)に戻る
出会いとは、おもしろいものです。と「友遠方より」でも言いましたが、Wed上にも何千マンというサイトがあって、その中から、このページを見ていただけたのです。本当にありがとう。
「袖すり合うも多少の縁」ですね。お友達もネット上でだんだんと増えてゆきます。私もホームページは 2002年 2月から始めた初心者ですが、日本中のお仲間と楽しくネットをしていけたらと考えています。

◇ホームページ名について
この「おくさまネット」という名前は「Okuma」という私の苗字をURLにしてもおもしろくないので「Okumasa」にしようと思いましたが、これもつまらない「Okusama」と「ma」と「sa」を入れ替えました。ある程度を作って「さあ」なにを告知していこうと思っていたら、「明石海人」(あかしかいじん)という、ハンセン病の歌人が沼津にいて、癩病だったゆえに生国(浜松出身など)をふせ、あまり知られていないことを知り、母校の先輩だったこともあり、(母校では百周年の事業で、この明石海人も生誕百年を迎えるので顕彰事業をとりあげていた)、ネットでも調べました、検索で300近くのヒットがあったのですが、詳しいぺージがないので、これは、この慟哭の歌人といわれた明石海人を顕彰していこう、そしてバリアフリーを啓発していこうと思い「おくさまネットと明石海人」となりました。今は(2009.10現在)「明石海人」で検索すると9000件以上のヒットがあるようになりました。
◇ジャンルを広くしたわけ
さて、アクセス数を増やし「明石海人」を顕彰するのにはと、日夜考え、いろいろ人によって好むものが違うのでと、何かいろいろのテーマをいれ、窓口が広すぎて、海人顕彰より、何のホームページ分らなくなっているキライはありますが、若い人達が、海人を知らない人達が、来てくれて、「ここはなに?」と思って名前だけでも知ってもらえたらと思っています。

こんなページですが、ぜひ「お友達の輪」に加えてください。
顔や姿も見えず、また見ていただいているのも分らないわけで、来て頂けてと、感謝し、ご挨拶です。
「これからも、よろしくお願いいたします。」
やまぶき 応接(上)に戻る
むかし、太田道灌(どうかん)という武将が狩をしているとき雨に逢い、ある農家に雨具を借りに行きました。すると、その家の娘は、だまって「やまぶき」の一枝を渡したのです。道灌は意味がわからないまま帰りました。その後で、

七重八重 花は咲けども やまぶきの 実の(蓑) ひとつだに なきぞかなしき

という古い歌の深い意味をしりました。貧しくて雨具を貸せないのを「八重咲きのやまぶきは実の一つさえつけないように、わたしの家にも蓑一つさえないのです」と娘は歌で示しました。
娘のあわれさに触れて、風流な心がなかった自分に恥じて、それからの道灌は歌の道にはげみました。もの言わず、ことば以上に気持を表す花なのです。◇やまぶきの花言葉 「嵩高」(すうこう)◇

(花ことば物語・鈴木美智子・カラーブックス/保育社より)
大田道灌は江戸城を作った人で、時代背景は室町幕府の後期ぐらい、北条早雲(伊勢新九郎)と交友のあった人です。交友と言っても敵味方で北条早雲がまだ小田原を制覇する依然に上杉関東管領の家老的な立場であった太田道灌は死んでしまいます。ついでに北条早雲は戦国時代を作ってしまった(国盗りという意味で)人、それまでの弱体した幕府体制を崩した人です。それからの世は国人(戦国大名)の世となり、秀吉が全国統一をするまで戦国時代は続きます。

      <<花ことばについてはこちらからどうぞ>>
夢は夢で終わってはいけない 応接(上)に戻る
「 壮大なロマンは  男の生き甲斐である その意味で夢を見ることはいいことだ
  しかし、夢だけに終わってはいけない 」

現実の世界はいろいろな制約があって、自分の思ったとおりにはいかないことがある。いきおい、悶え苦しむ。だからこそ積極的に「こうありたい」「こうもしたい」と、多くの人は夢をもつのだろう。
旅行が好きな人は、その企画段階が楽しいという。夢をもつことはいいことだ。旅行のような、たいへん具体的で身近なこともあるが、人生という大舞台で演じようとするドラマにも、遠大な夢があっていい。ただ人生の場合、その夢が夢のまま終わってはいけない。実現することが必要だ。
(「人は言葉によって励まされ、言葉で鍛えられる」永崎一則著・PHP文庫より)

でも、現実はかなり厳しい、でも夢で終わらせない努力をしつづけることが大事。
それが自分を成長させることになる。思わなければ、絶対に実現はしない、これだけは確か!
   (明石海人の顕彰とバリアフリーの世を目指し、ホームページ作成に努力し続けていきます)
感動こそ人を動かす 応接(上)に戻る

「 人生のすばらしさとは  何回感動したかにかかっている
    感動こそ心を満たし  内的な推進力になるからだ 」

人間の行動は心が優先する。急ごうと思うから歩きがは早くなり、歩幅が大きくなる。きれいと思うから、いろいろな美容法に努力する。若さと美貌を保つ最大の秘訣は「きれいになりたい」という願望の強さである。
それを推し進めている根本的なものが感動である。人間は感動をなくしたとき、生ける屍(しかばね)みたいなものになる。人間が最も人間らしくないと思われるのは「無表情」であろう。あなたはまださまざまなものごとに感動できるだろうか。人の悲しみに一緒に泣けるだろうか。それがあればあなたもまだ望みなきにしもあらずだ。
(「人は言葉によって励まされ、言葉で鍛えられる」永崎一則著・PHP文庫より)

西郷隆盛は人間として大きな器だったと語りつがれています。彼は誰からでも、子供でも、教わり、ささいなことにも感動したそうです。感動を忘れないように、ささいな自然の美しさにも感動する心を、新鮮な気持ちをもって・・年を重ねるたびにね。そんな気持ちで、サイトの作成に・・・

生きることがもっと楽になる思考法 応接(上)に戻る
◇”感謝”のフィルターを通してみよう。「くやしさをバネにする」ばかりが生き方じゃない

人間は、大人になるまでに何十万人に人間の力を借りている、ということをしっていましたか?、たとえばお腹がすいてレストランに行ったとします。・・オーダーを聞いてくれる人、料理を運ぶ人、料理を作る人、下ごしらえをした人、お皿や食器を作った人、お店を作った人、掃除した人、食材をお店に届けた人、野菜やお米を作った人、それを流通させた人、牛や豚を育てた人、その肉をさばいた人、メニューを印刷した人・・これらは、ほんの一部にすぎません。

たった一回の食事でお腹を満たすためだけでも、実際にはこの何十倍、何百倍の人の手を借り、お世話になっているのです。普段意識していないだけに、いったんこれに気づいたときには、ものごとの膨大な連鎖に圧倒されてしまいました。そして、これをあたりまえのこととして受取り、毎日を過ごせることに、心から感謝しました。

一日の仕事が終わり、温かいごはんを食べ、家庭でくつろぐ・・・毎日の平凡なくり返しを当然のこととして受けとめていますが、ありがたいことだとは思いませんか?、カウンセリングを受けにくる人は、総じてこの感謝の気持ちが少ないように思います。不平、不満をたくさん抱えて、それに押しつぶされそうになっているのです。先日会った26歳の女性もそうでした。女性の目から見てもチャーミングな方で、一流校を出て一流企業に就職。もちろん、食べるのには困っていませんし、はたかたら見たら幸せそのものに見えました。
ところが、とても文句が多いのです。あれが悪い、これがイヤだ、何をやっても満たされない、運命の神様にいじわるされている気がする・・・。結局、不満だらけだった会社をやめて、今度こそは自分を生かせる仕事をと探したのですが、なかなか満足のいく仕事が見つからず、ますます落ち込んで無気力状態にありました。
それが、何回目かのカウンセリングのとき、まるで別人のように様子が違って見えたのです。頬が上気して目が輝き、生き生きとしているではありませんか!、聞くと、来る途中の電車の中で盲導犬を見かけたのだとか。その犬のご主人は、目が見えないということを微塵も感じさせないほど堂々として姿勢もよく、凛と胸を張ってさっそうと電車をおりていったのだそうです。「なんだか、すごく胸をうたれちゃって・・・」。
たったそれだけの出来事なのですが、その姿に感動し、自分があたりまえのことと考えていた「目が見える」ということの”幸せ”に気づいて、立ち直るきっかけをつかんだことは間違いなさそうでした。

もしも、あなたが不平や不満の気持ちが多い方なら、身の回りのなんでもないものごとに目を向けて”感謝する”気持ちを少しでも持つようにしてみてください。ストレス度はぐっと軽くなるに違いありません。お説教っぽく聞こえるかもしれませんが、感謝することは心の安定につながります。また感謝することで、大脳からよいホルモンが分泌され、心身にプラスのインパクトを与えるのです。

ある有名な先生がおっしゃいました。「そんなに感謝ばかりしていたんじゃ、現状に満足しきってしまって人間が進歩しないよ。否定的なもの、くやしい気持ちがバネとなって、人間を成長させるんじゃないか」と。たしかに、そういう側面もあるでしょう。ハングリー精神がステップアップの原動力になることは、これまでの立身出世伝やスポーツ界でのスター誕生の物語などで、たくさん見聞きしています。でも、あえて「わたしはそうは思わない」と言いたいのです。

マイナスをうまくプラスに変えてゆくことのできるエネルギーの強さには、かなりの個人差があります。そのエネルギーが弱かったり、思いもかけない方向にねじ曲がって自分の力では制御出来なくなったとき、人は思い悩み、落ち込み、どこにも逃げ場がなくなって、カウンセラーの門をたたくのです。
みんながみんな、劇的にステップアップする必要はありません。もっとゆっくりやさしく変化し、成長したっていいじゃありませんか。
”感謝する”ことは、そんなゆるやかなプラスの蓄積をしてゆくことにつながるのだと思います。
「今日も一日、無事に過ごせてありがとう」と感謝することは、人生の必須栄養素、欠かせないビタミンのようなもの。その積み重ねが、たとえ平凡でも、健康で充実した、その人なりの人生をつくっていくのだと思います。
(心が強くなるリラックス法/小池能里子/三笠書房より)

生きていることに感謝し、小さなあたりまえのことにも、感謝、喜びをもって・・
そして生きることへの喜びを・・・そして少し、誰かのお役に立てれば・・・
心の充足こそほんとうの豊かさだ 応接(上)に戻る
「 物が万能ではない 心の充足のないところに ほんとうの豊かさはなく 充たされた人生はない 」

ありあまるほどの物を得、世間的に言えばうらやましい立場にありながら、不満を持っている人がいる。物質的には豊になっても生の質は高まっていないからだ。人間は心という厄介なものをもっている。その充足感なしには、よりよく生きることができない。
全財産をなげうって人のためにつくす人、”何で”と思う苦しいトレーニングに挑むスポーツマン、一切の欲望を断ち切る行者、他人とは逆なことに打ち込む人がいる。何れにしてもすべては心の充足感のためである。
(「人は言葉によって励まされ、言葉で鍛えられる」永崎一則著・PHP文庫より)

夢は若い人にはぜひもってもらいたいものです。今は夢がなさすぎる、夢に向って・・・行ってほしい。
人間、最低の生活が送れる人生の余裕を感じえるのは、なかなか大変なこと、でも、そこそこやっていけるなら、
心の豊かさを求めたいものです。
あ〜んの話 応接(上)に戻る
歌の文句ではありませんが「あうがわかれのはじめとは・・」。
「会う、遇う、逢う」といろいろな出会いがあります。巡り会ったり、偶然に逢ったり、期せずして遇ったり、これだけ合えば、その人は運命の人、それなのに、会おうとすると、こんどは「あいたい気持がままならぬ・・」でなかなか会えなかったりして。
[貴方と会ったその日から恋の花咲くこともある」でお付き合いをし、「僕が絶対に幸せになれる」とプロポーズし、めでたく結婚、「こんにちは赤ちゃん」で子供にも恵まれて、「うちのスーパーマンでしょ、帰りにスーパーで買い物してきて」と所帯をきりまわしている妻に使われながら、「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ」と仕事に励み、そのうち歳を重ね、趣味の詩を「沼津し、三島し、裾野し、富士し」と歌っているうちに、「あの世にこないか」と、神様からお誘いの別れが来ます。
人は出会いと、別れをくり返し、成長してゆくのでしょうが、人はどれくらいの人と知り合い、別れるのでしょう?。うれしい別れ、悲しい別れ、つらい別れ、みんな「別れても、好きな人」であるといいですよね。
子を成し、後をたくし、やっと・・、どこかのハム会社の社長さんのようにスライスしたハムのような薄い責任感から解放され、旅立つわけですが、この先は帰ってきた人がいないので、どうなっていますか?これで、The ENDですよ。
人生とははかないものです。
え!とりとめもなく、「なにを、いってんだか」ですが、うんちくのある人生論ですよ、ですからー!、どうせ一生を暮らすなら、楽しく送りましょうということです。すべての言葉は「あ」から「ん」までの中に・・あるの!、「あ〜ん」ですべてが言い尽くされているの!
そういうこと!です!。「おわり!」
(見て下さった貴方とも、もうお別れが・・また会いましょう・・)
静岡県といえば・・ 応接(上)に戻る
「静岡県」はほぼ日本の真中に位置し、オートバイのホンダ・スズキやピアノの川合、ヤマハなどの企業もあり、またサッカー王国でもある。気候も温暖で、山も海もあり、富士山、駿河湾の山頂と海底の高度差も日本一なのです。(沼津市の自慢話で書いたけど、ごめんね)海岸線も長く、山もたくさんあり、食べものも何でも豊富、水は豊で、東名高速や新幹線も通っていて交通も便利である。特産物といえば「お茶の産地」。「伊豆のワサビ」はまあ有名か、観光地は箱根・伊豆国立公園があり温泉も熱海、長岡などがある。なんでもそろっているので〜す。
でも、案外知られていないのが、ものの販売をためすために、「テスト販売をするのにはぴったりの県」なのだということ。マーケティング業界では有名なんですよ。なぜかというと、県民所得(全国平均306万円、静岡県307万円)や一人当りの預貯金額(全国平均409万円、静岡県419万円)一人当りの小売業の年間売上高なども、とこんなぐあいで、いろいろなデータで全国平均とほぼ同じなのだ。ですから、日本の縮図と捉えられ、テスト販売はまず静岡県でやって、売れたら全国展開をしようとなるわけ、この何事も平均値というのも、いいのか悪いのかわからないが・・そんな県なので〜す。
(貴方の県の自慢話もBBSに書いて下さい・・)
かたりべ、西村さん、かんばれ 応接(上)に戻る
このホームページの、大きな目的である「バリアフリー」についてですが、少し述べさせていただきます。9月14日の静岡新聞に「駿河療養所の西村さん講演」「偏見ない共生社会とは」「沼津・都立片浜養護学校」との見出しで報道されていましたが、この西村時夫さんは、御殿場市の国立駿河療養所の自治会の会長さんで、ハンセン病に対する偏見や差別の歴史を講演することによって、ハンセン病元患者さんや、障害を持った人たちが普通の生活が出来る社会の実現を目指し「かたりべ」活動を続けています。

この障害をもった人たちが健常者と同じ、社会生活をおくれる社会がバリアフリー社会です。バリアフリーとは、車椅子のための段差の解消などのユニバーサルデザイン(障害者や、できるだけ多くの人が利用可能であるように製品、建物、空間をデザインすること)などではなく、偏見や差別のような壁のない社会を目指すもので、精神的なバリアー(人種差別なども含む心の障壁)がなければ、当然ユニバーサルデザインのような発想は自然に生じるという考えに基ずくもの。そういう社会をつくるため、西村さんは、自分に残された生涯を「かたりべ」活動にかたむけ、「同情や哀れみ自体」もバリアーがあるからそう思うこと、普通の人と同じ扱いをして不便があれば自然に手をかしてあげる、みんながそんな心で接し合う社会を、「人が変われば社会が変わる」と、地道な「人への語りを続ける」努力をしています。西村さん、がんばって下さい。
経理・総務マンの悲しさ 応接(上)に戻る
 このところの経理責任者の悲しさ、人事担当者の悲しさは・・、この景気後退(デフレスパイラル)を何とかしないと、延々と続く気がし、不況で全国の会社の経理・総務マンの悲鳴が聞こえてきそうな気がします。長年勤めた会社の行く末の危機を早めに感じ、何とかしようとあがき、なんとか延命策をと考え、リストラ、や経費削減にあらん限りの努力をしても、その流れを止めることが出来ず、最後には自分の人件費までもったいないと考えてしまう。
人事担当者であれば、リストラで人員削減をするため、長年の戦友に「クビを申しわたす」辛さに耐え、戦友への悔悟の念を感じ最後には、自分もその一人として「自分自身に申しわたし」会社を去る。
会社をクビになったり、退職して新しい会社に、運良く入れても、積み上げてきた人間関係は、一朝一夕に出来るものではなく、また一からの積み重ねをし、その業界の慣習に慣れるまでの苦労は大変だ。まあ企業戦士はこうして強く成って行くのだろうが、どうせ戦って行くなら勝ち組にならないとね。みんなでかんばりましょう・・。
しかし、こんな流れは、早く断ち切ってほしいもの・・
景気対策面での、ひどい風邪を肺炎にまでこじらせてしまった政府、とくに大蔵官僚と政治家の無策によるものと思うが・・、また断ち切れるのも彼らか??
(H2年からの日本の金融危機の時です、今は百年に一度の世界危機ですが)
直江兼続の愛 応接(上)に戻る
今年(H.21)のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公。上杉家の家老、兜に「愛」の字をつけた直江兼続です。時の天下人、豊臣秀吉に家臣に成るよう誘われます。断れば上杉家が滅ぼされるか、自身の命が無くなるかの窮地です。受ければ大名にも取り立てられ自分にとって大変な出世、栄達の道が開けます。しかしこの窮地をうまくのがれ、上杉家への忠義、友・主人・故郷への愛を貫き、上杉の義を守ります。今なら、高額の報酬でスカウトされ、今の会社へのロイヤリティを捨てるか(今は命のやり取りが無いだけ軽いものですが)を悩み、でも、自分の会社を大きくし、自分の力で大きな利益を創り出す道を選んだということでしょうか。
今の世の中「拝金主義」が横行し、信や義とか愛とかがどこかにいってしまっていると強く感じます。望むべくもないが、北朝鮮の独裁政権や、アウンサンスチーさんを拘束するミヤンマーの軍事政権、イランの強硬派政権に多くの大多数の民への愛や義があったらと思います。また、今の中国などを見ていると急速に物質的には豊かになっている反面、心の豊かさが同じスピードでなくなっていくような感じがします。
どうしても理解できないのが、イスラムとユダヤ、キリスト教を根源とする争いです。神は1つ同一のものではないのかという事です。神は1つ、自分たちの信ずる神が絶対唯一の神と思うから、他民族の神は悪魔となってしまうのではないか、神とは総てを超越した同一のものではないのか、その教義は「愛」では、テロや人を殺すことを勧め人を不幸にする事を教えてはいない、隣人を愛し、人を幸福にするために神の教えがあるのでは、思うのです。恨みや憎しみの暴力連鎖からは永久に平和は訪れないのです。誰でも理解できそうなことなのに、利害が絡むとどこかに行ってしまうのか悲しいことです。
いま、世界に、この直江兼続の「愛」を叫ぶのが「我々日本人」の使命か・・・。
岡田たかし君 応接(上)に戻る
「人を喜ばせるとか、人に何かやってやるのではなく、生きていることで(自分が)もうそれをやっているんだ」と喋っていた、赤いほほをした12歳の少年はもういない。先天性の狭心症という障害を抱えて生まれてきた男の子、心臓移植も「自分の心臓で生きたい」と断ります。
狭心症の脳梗塞で倒れ、クラスメイトに勇気づけてもらい生きる力をもらって「友だちっていいね」と言っていた、あの顔を思い出す。(ずっと記憶に残したいと思う)そして「僕は、みんなに助けてもらうばかりで、人の役に立てない」と悩み、お返しばかりを考え、行動をおこす。そこで得たものは、人に楽しさや喜びを与えている、自分の喜び、そして「生きていることだけで人に喜んでもらえる・・」生きる喜び、という気ずきと、命の大切さ ・・。

彼が亡くなって、先生は「みんな死ぬな!!」との一言に、命の大切さと「たかしくん」への思いを凝縮させた。クラスの友達は「たかしくんは目には見えないたくさんのものをくれました」 これからもずっと一緒ですと、自分の人生の宝を持った。障害をもっているから何かをやって上げたのではない、友達だから、仲間だから一緒に、励ましあってやって来た、彼は永遠にクラスの中間の心の中で、彼らと一緒に人生を戦っていくのでしょう。

今、自殺者が年間3万人、交通事故の3倍の多さだそうです。それは自殺を考えるというのはよほどのことなのでしょう、「生きるのが辛い」ことも、でも、命の大切さをもう一度思い出し「生きていることだけで・・」を思い出してがんばってほしいと、そんな思いを、お母さんは今も、夜になると「たかし」がいた団欒の時間を思い出し辛くて一人家を出てファミレスで食事をとっているのが日課になっています、でも、彼の思いを風化させないようにと、書き残そうと本にしたいと取り組んでいる姿が放映されていました。

 教育は「気づき」だと言うがこういうことを早くうちの息子にも気づかせたいし、多くのこれからの若者にも・・、12歳の彼は、人々に多くのものを与え、残しました。私は彼の何倍も生きているのに、人に何を残して来たのだろう??。今日TVで再放送を見てまた涙しながら考えてしまいました。
日本人の定義って考えたことありますか 応接(上)に戻る
前に日本沈没という映画がありましたが、その時、日本が沈んで日本人が難民になり、世界にちらばったら、日本人はいなくなるのではと思ったことがあります。アメリカの移民でも、イタリア系とかドイツ系とか中国系などの人たちは自国の習慣を大切にして文化を強く持ちつづける気がしますが、日本人はある意味、適応性や順応性が強いのか、その国に同化してしまうように思います。
日本人ってなに?定義は?日本語を話し、めがねをかけ、カメラをもって団体で・・これは海外旅行の特色(笑)でした、宗教は?習慣は(家は靴をぬいで生活、箸を使う?)と考えていくと、これというものは何もないな〜。国の定義は国旗・国歌・国語をもち、代表する政府をもつ?、島国の中にかたまって棲んでいるから日本人でいられるのかな?
一言で日本人とはを言うとすると? ない!、・・しいて言えば 「天皇を祖先とする民」 ぐらいかな・・?(天皇は日本で一番古い家系をもつ家だからですが)、NHKで日本人のルーツを DNA を基に探る番組がありましたが、モンゴル系が一番多いらしいです。また縄文人(先住民)に弥生人が多く(文化の優位性から)入り、縄文人を同化していった?とか。ルーツにも「これ」がというものもない。
日本人は、ものまね上手で他国の文化をアレンジして自国に定着させるのが上手い、というが、それもしっかりとした日本独自の文化があってこそだと思います。こんなことを考えて、最近の世相を見ていると、お役人や企業のトップや、保険金殺人etc・・、
外務省の朝鮮難民事件も、世界中に報道され、最初は中国側はどうしてあんなことを言うのかと思っていたが、その後の一連の報道を見ていると、もしかして、事なかれ主義で、お役人が案外と・・、などと考えてしまう、 日本人とは、「自分さえよければ、と考える民」が一番の定義に思えてくるし、そう世界中の人が思わないよう、早く毅然とした処置をしてほしい。
そして、もう一度、親が子に、先生が生徒に「道徳や日本人の良い習慣や、生き甲斐とはなど」を教え、生活=お金的発想での教育を変えていかないと、自分はよくても社会が悪くなる。そんな気がします。
日本人の定義って、誰か教えて下さ〜い。
河井継之助 応接(上)に戻る
河井継之助って知っていますか? 司馬遼太郎ファンなら知っていますよね、氏の小説「峠」の主人公です。「峠」を読んで河井ファンになった。越後長岡藩主席家老で、明治戊辰戦争の北越の戦線で小戦力で4ヵ月の間、大部隊の官軍を苦しめた幕末の英傑、
よく西部劇に出てくるガットリング機関砲、(銃身が沢山あってぐるぐる回るもの)今で言うと機関銃、日本に3門の内2門持っていたのは長岡藩、官軍40藩3万の大軍を相手に、北越軍、主力4藩合わせても5千以下、その中にあって長岡藩300名で一番の火力をもっていて主力戦力であったとありました。継之助は戦いをしたくなかった止むおえずに戦ったのです。
長岡藩は牧野家支藩、(牧野家は徳川家譜代)三河武士の末裔なので静岡県ともつながりがあって、親密感があり、この人の(継之助)陽明学が気に入っていて、俳号の蒼龍窟(字ほど勇ましい意味ではないが)も気に入っています。
陽明学では、「知識は使ってはじめて知識である、記憶しているだけでは知識ではない」というところかな。本の読み方、その行動パターン、時代を読む力、先見性などおもしろい人だよ、貴方も読んだ事がなければ「峠」(上下巻)を読んでみて面白いですよ・・・
石田三成と大谷吉継の友情 応接(上)に戻る

これは石田三成を語るとき、必ず出てくる有名な話です。
戦国大名、敦賀5万石の城主、大谷吉継は秀吉をして100万の兵を指揮させてみたいといわせるほどの人物であったが、らい病(ハンセン病)におかされて症状が進み、皮膚に異変が生じ顔面が崩れ、目もほとんど見えないようになっていた。
あるとき、秀吉主催の茶会が開かれた。そして吉継に茶碗が回ってきたときに事件はおきた。病状の進んでいる吉継の膿が垂れ、茶の中に落ちてしまったのである。医療が進んでいなかった当時のことで、居並ぶ諸侯たちは感染をおそれ、声にならない声をあげた。平時でさえも吉継が口をつけた後は、飲む真似だけして茶をまわす諸侯もいるほどである。不覚にも吉継ほどの男が、次に椀をまわすこともできず茫然自失となってしまっていた。そのとき「刑部(吉継)、もうのどが渇いて待ちきれぬ、早くまわせ」と三成が吉継の手から椀をもぎ取るように受け取り、一気に全部飲み干してしまった。吉継は屋敷に戻った後、石田三成の友情に人知れず泣いたという。このときから三成と吉継の友情がさらに深まった。
そして佐和山城主の石田三成が打倒徳川家康の決意を固め上杉と同調して密議を持つを知り、再三不利を説いたものの、三成の決意を動かせず、死を覚悟の上、三成に荷担し、関ヶ原では、重病(ハンセン氏病)のため眼を患い、駕籠に乗って兵の指揮に当たったが、松尾山の小早川軍の裏切りにより背後を突かれ、さらに側面攻撃されたため死期を悟り、家臣、湯浅五介の介錯によって自害。42歳であった。後世に「友情に殉じた武将」の名を残しました。
この大谷吉継のおかされていたハンセン病は病気からくる外見的特徴のため、不治の病気として恐れられ、患者やその家族は多くの偏見と差別を受けてきました、映画でも古くは「ベンハー」のお母さんや妹さん、最近では「もののけ姫」にも、患者らしき人達が登場しますが「人として扱われなかった」場合が多いのです。
ハンセン病は、らい菌によって起こる慢性の細菌感染症で、「癩(らい)病」という名前には、古くからの偏見などがあることから、らい菌の発見者ノルウェーのハンセン氏、(1873年に発見)の名をとり、「ハンセン病」という呼び方に改められました。
 らい菌の感染力は極めて弱く、人の体内にらい菌が侵入し感染しても、発病率は低く幼少時に感染した場合、
発病しやすいのですが、大人になって感染した場合には、らい菌に対する免疫機能が先天的に不十分な人が、まれに発病すると考えられています。この石田三成が感染力は弱く発病はしないとは知っていないはずですが関が原での敗戦で死なずにいても多分感染はしなかったことでしょう。

このハンセン病は、慢性病であり進行は緩やかで、それ自体の死亡率は低く、合併症やマヒによる事故などで亡くなるケースが多かったのです。症状は、主に末梢神経と皮膚が侵される病気で、末梢神経障害の結果、知覚マヒ、運動機能マヒ、自立神経障害などが起きます。知覚障害のために、手や足に傷や火傷をし、気づくのが遅れ、怪我の状態が酷くなるまで治療せずに放置されたりすることがあり、四肢切断や拘縮など2次的な障害を起こします。また、皮膚障害が起きます。結節に炎症が起き潰瘍が出来ると、その跡が残ります。結節が目に出来ると失明することもあります。こういった、外見に明らかな変化もハンセン病の特徴の一つです。
 現在では治療薬の開発などにより治療法が確立し、早期発見と早期治療により、比較的容易に完治する病気
となりました。また、不幸にして発見が遅れ、障害を残した場合でも、医学の進歩で形成手術を含む、リハビリテーションにより、その障害は最小限に食い止めることが出来るようになりました。

国は率先、啓発運動を 応接(上)に戻る
<ハンセン病名誉回復の日>
日常社会から強制的に隔離されてきたハンセン病患者の名誉を回復し、犠牲者を痛む「名誉回復及び追悼の日」が6月22日と制定され、式典が開かれた。2001年の補償法施行日にちなむ記念の日である。桝添要一厚労相は「国の隔離施策が社会の厳しい差別・偏見を生み、患者や家族に筆舌に尽くしがたい苦痛と苦難を与えた事実について反省し、深くおわびする」と謝罪した。国は常時率先して啓発活動を続けてもらいたい。
患者は現在、御殿場市の駿河療養所をはじめ全国15施設に2500人余が入所し、平均年齢は79歳。国賠訴訟全国原告団協議会の谺(こだま)雄二会長(77)が「取り返しのつかない犠牲を被った先輩たち」と涙するように、無念のまま亡くなった人は2万5228人に上る。
ハンセン病の現実は松本清張の小説「砂の器」にも描かれる。誤解に満ちた社会で患者たちが受け続けた差別や偏見は計り知れない。多くは青春期に発病、家族とも古里とも断ち切られ名を伏して、遠くの見知らぬ土地に隔離された。残された家族も一切口を閉じる暮らしを強いられてきた。
<診断を今はうたがうはず春まひる癩に堕ちし身の影をぞ踏む>とうたった歌人明石海人も「最後の癩者たらむ覚悟」で<世の端のその端に住み柿吊す>とよむ俳人村越化石も、うまれ育った静岡の地を捨てさせられている。
強制隔離から100年。数えきれぬ献身の努力が実ってらい予防法が廃止、補償法も制定され、正しく理解する週間が設けられたが、呼びかけは心もとない。開かれた療養所を目指すハンセン病問題基本法も社会復帰の手立てとなるのか。
閉ざされた年月を取り戻すべく谺さんは「日常生活の中に療養所を置いてもらいたい。それができないなら日常社会の声を届けてもらいたい」とも望むが、患者たちは依然、隔離状態のままだ。訪問者に歴史と現状を解説し、入所者との交流を手伝う市民ボランティアガイド養成に取り組み始めた施設もある。あくまで地域の篤志頼みであって、共生への国の具体的な動きは見えない。
ハンセン病だけではない。歴史の恥部を引きずった差別や偏見もまかり通っている。引退した野中広務さんが在日の辛淑玉さんとの対談集「差別と日本人」(角川書店)で、政治の最前線でも受けた深く重い差別の実態を告発している。国民一人一人がいまだ残る差別や偏見を払いのけるために、毎年6月22日を悔悟の日としたい。
(H21.6.30 静岡新聞 社説より、原文のまま)
39才男性の孤独死 応接(上)に戻る
NHKのクローズアップ現代(H21.10.7)で放送された「助けてと言えない〜いま30代に何が」という放送で「今年4月、北九州市の住宅で39歳男性の遺体が発見された。男性は死の数日前から何も食べず、孤独死していたとみられる。しかし、男性は、困窮する自分の生活について、誰にも相談していなかった。いま、こうした命に危険を及ぼしかねない状況に陥っても、助けを求めない30代が増えている。彼らは「家族に迷惑をかけられない」「自分で仕事を見つけ、何とかする」と誰にも相談できずにいる。家族、友人、地域との繋がりを断ち切り、社会から孤立する30代。」とし番組では今の厳しい雇用情勢の中「助けて」と言えない30代の実像を特集していた。
この番組を見ていて、なんとも悲しい気持ちになった。この孤独死した男性は職を失い、アルバイトで生計を立てていたが、サラキンで借金をし、取立てがアルバイト先にも来るようになって、職場には迷惑を掛けられないとしてアルバイトを止め収入がなくなる。生活保護を受けに役所にも行くが、「若いので仕事を探しなさい」と言われそれ以上言えず帰って来る。腹をすかし友達の親に食べ物をもらうが、今の自分の状況も話ぜず、また兄もいるのだが助けを求めなかった。自分で何とかしようとするが、餓え体が弱り孤独死をしたと見られる。この今の飽食の時代で、若者は人に迷惑をかけて平気でいる者の多いのに、この若者の「人に迷惑はかけられない」という気持ちは大切なことと思うが、命の瀬戸際も兄がいるが家族にも迷惑は掛けられないと助けを求めなかった。兄とすればこの弟の苦境を知っていればと悔やんだ事だろう。まして親だったら、なんと思うかとやりきれない気持ちになった。
我が家でも息子が転職し、次の会社に就職するまでの間、東京で家賃を払い、国民年金や国保を払い生活していくのには、失業保険をもらい、少々の蓄えがあっても厳しい状況で、100万ほど貸してやり、しのいだが、今のように厳しい雇用情勢で就職までの期間が長くなればこんな金額ではすまなかったろうと思う。この援助がなければ、息子もどうなったかとこの番組を見て切実な思いを抱いた。SOSを出せる親、友がいるのなら「プライド」でカンバルのもいいが、「命の瀬戸際」では甘えることも必要である。甘えたらしっかり後でその恩に報いればいい。努力だけでは乗り切れない不況、親元にいればいいが、都会で1人で暮らし一度正社員から外れると、戻るまで多大な労力と経済的負担が必要となる。知恵と能力を身につけなければ努力だけではどうにもならない厳しい世の中である。突然に起こる危機に対処すべく常に本を読み勉強し能力を磨いて、蓄えを惰らないようにすべきなのに、インターネットやゲームに没頭し周囲(地域)とのつながりを作らない若者が多い気がする。この男性の死を「他山の石」としてほしいものである。
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