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株式会社ビルダーストーリー

コラムcolumn


NO10.森の精霊

  • 29.September 2002

富士山の麓にある河口湖には森の精霊が住んでいるらしい。
ニングルが出てきそうな、富士パインズパークの森。
サクッ、サクッと落ち葉の感触を踏みしめ、歩くうちにどうやら、森の深いところに舞い込んだらしい。さらに、しばらく歩くと、やがて、さらに森の奥から、何かしら、音楽が聞こえてくる。いや、音楽ではない、風の吹く音と、それに、なびく木々の葉がこすれる音のようだ。それにしても、何というリズムだ。フュー、ザワザワ、フュー、ザワザワ、時には、枯れた木の中が通り抜け、ヴォーと音を立てる。自然の作ったハーモニーだったのか。
上を見上げると木漏れ日の光のシャワー。頬をくすぐる風が気持ちよい。なんか、眠たくなってきたなあ。ちょっと、休憩。まだ、朝が早いので、少々休んでもたいじょうぶ。木漏れ日をふとん代わりにおやすみ。どれくらい、寝ただろうか?
そのうち、風の音で目をさます。でも、動物か人の気配もするような、感じがする。でも、ちびっと、こわいので、薄目を開けて回りを伺うが、何もないようだ。
陽はますます、高く、森の中は、光と影の魔法にかかったように美しい。レンブラントの絵画の中に入り込んだようだ。そうするうちに、人の笑い声がする。
今度は間違いない。でも、こんな朝早く、こんな森深くに誰が来ているのだろう。と思いつつも、自分も来ているのだから、誰か、家族連れでもきているのだろうと思い直す。
道に迷わないように目印をつけながら、さらに森を進む。さっきまで、吹いていた風もぴたっと止み、静かだ。わずかに小鳥のさえずる声が聞こえるだけ。
さっきの笑い声をした人たちはどこにいったんだろう。やはり、人に見られているような気がするが、回りには誰も、いない。やがて、少し、広い広場のようなところに出る。真ん中には芝生というのか草というのか、敷き詰められ、何かの催しものをする広場のようだ。
そのうち、一匹の蜂が目の前に飛んできて、8の字を書くように飛び回りまじめる。何だか、催眠術にかかったように、気を失ってしまった。
でも、不思議なことに気を失う瞬間までは記憶は鮮明だった。。
夢の中で、小さな妖精たちの音楽会。靴の先にガラス玉を載せ、ツバ広の帽子をかぶった小さな妖精が、木の枝のタクトを振り上げると、真上から、ヒューと風が吹き込む。風が見える。風が動く。その風は、空洞の枯れ木に、飛んでいく、ヴォアーというサックスの音がオーケストラの演奏の始まりだ。小さな妖精たちが、木陰から出てきて、ある者は、木の葉とくもの糸で作ったバイオリンと、木の管で作った、トランペット、ひまわりの形をしたドラム。地響きはコントラバスの代わりだ。
いつの間にか、木まで、音楽にあわせて、揺れている。これだったのか、さっき聞いたのは。
。。演奏も終盤に入り、辺りはいつの間にか、薄暗くなった頃、指揮者の妖精の靴の先っぽのガラス玉が光りはじめる。妖精が空に向かってタクトを振り上げると、ガラス玉は靴から離れ、空に舞い上がる。そして、パーンという弾ける。
はっと目が覚めると周りは何事も、なかったように静まりかえっている。今まで、見ていたのは夢、幻、それとも、人類が現れる前の太古に舞い込んだのか。

NO9.弘前ねぷたまつり

  • 18.August 2002

今年の夏は心も天気も雨でした。8月末頃から忙しくなるいやーな予感。それで、例年より、早めにお盆前の夏休み。
それならばと、東北のねぶたまつりに間に合うというので、東北、北海道漫遊の旅となりました。
一日目、千歳に到着後、手早く荷物を積み始めると既に雨が降り始めていて、いきなり、カッパかよう、って感じ。これが、今から考えると今回のツーリングの行方を暗示してようでした。
その夜、苫小牧から、フェリーに乗って八戸港へ。このとき、稚内から東北を経由して、大阪まで帰るチャリダーの大学生と会う。今時、めずらしいママチャリで。最近、北海道のツーリング人口も減ってきたような気がする中で、こういう若者をみると自分も学生時代の夢多き時代に帰ったような気になる。名前聞いときゃよかった。
二日目も雨。八戸から、田沢湖経由で、遠野まで行く途中、八戸自動車道は大雨。叩きつけるような雨。SAで天気予報を見ると、全国で雨の降っているのは岩手、青森だけ。なんで、なんだろう。今まで、晴れ男で通してきたのに、これは蔭山さんの呪いのせいでは?とありそうな疑いをかけてしまう。(笑)そうこうしていると、田沢湖に着く頃はすっかり、天気が回復。気温もどんどん上がり、31度に。これじゃ、大阪とかわらん。
その日は、遠野に泊まり、ひさびさにのんびり、過ごし、いよいよ、ねぶたまつりに。本当は青森にもいきたかったんだけど、宿がとれず、弘前となりました。ところが、弘前に着く前も大雨。このままでは、ビニールかっぱのねぶたになるのかと不安いっぱい。
それでも、弘前市内に入るとやや、雨は小康状態で、なんとか、ねぶたもかっぱなしで、お目見え。弘前のは、”ねぶた”ではなく、”ねぷた”(neputa)というらしいです。
大きい山車だけでも、68台も迫力満点。小雨の降る中、太鼓を打ちながら、時折、動きながら、町中を練り歩く姿は、本当に夏の風物詩にふさわしいです。弘前のねぷたは、扇型が基本だけれど、最近は凝った組ねぷたのものも増えてきているようです。ちなみに写真のは、弘前市職員福利厚生会の製作で、弘前城のルーツをイメージし、津軽為信が四方に虎、鷲、亀、龍の神を従える様子を表現したものです。組ねぷたの中でも、秀逸でした。電線に引っかかりそうになったら、上の鷲の部分が引っ込むようになっています。みんな、このお祭りに命をかけているって感じ。本当は観光客も一緒に衣装を着て跳ねることもできたんだけど、今回はそういうのをやっているYH(もうわかると思うけど、雲谷高原です。)が満員で、諦めざるを得ませんでした。次回は早めに予約しょうっと。実は、弘前のYHで死ぬかなあと思うことがありました。お祭りの時期なので、外国人もたくさん泊まっていたんだけど、推定体重200kgの外国人。こんなのが、ベットの2階に寝たら、最悪だよなと思っていたら、自分のベッドの上でした。(最低)
上に載っただけで”ぎいぎい”とベッドがきしみ、寝返りを打つたびに、ベッドがゆがむ。何度か、上と下を代わろうかと言おうと思ったが、下のベッドを散らかしていたのと、外国人の彼を傷つけたらかわいそうと思い、結局できず仕舞。寝る前にお手洗いに行った帰りにその外国人の彼と目が合い、不安な気持ちがばれたかなあ。(笑)明日になったら、死んでるかもしれないなあと思いながら、不思議と覚悟を決めて寝ることができました。無事、”するめ”になることもなく、弘前を脱出、十和田湖、八甲田を経由していよいよ、再び北海道です。北海道も雨、また雨。つらいこともあって心も雨でした。
苫小牧から一気に清里へ。左は清里からの”宇宙展望台”からの風景です。まるで、北欧のよう。釧路ではカヌー早朝のカヌーもよかったです。のんびりとした1時間半。もうちょっと、居たかったな。
最終日も雨。でも、夕張でのパン作りはおもしろかったー。見事な星型パンができ、将来、宿をやりたいなあと思っている管理人には貴重な体験となりました。(笑)

NO8.ヨーロッパの旅(オランダ編)

  • 7.July 2002

運河と風車とチューリップというイメージのオランダですが、先の二つの都市(ドイツのデュッセルドルフ、ノルウェーのオスロ)とは違い、ヨーロッパのスーパーハブ空港のスキポール空港のある大都市で、人種の坩堝(るつぼ)と言われるところです。
確かに色んな人がいて、ドラッグも合法化されているぐらいのところですから、少し気を引き締めないと。。。
空港につくと、KLMのスチュワーデスがここに比べると関空を小さいと言ってたとおり、バカでかい空港で、端から端まで歩くと1時間ぐらいはかかるぐらいの大きさです。
宿泊先のホテルまで無料のバスがあるという場所で待っていても、一向にくる様子がないので、近くのシャトルバスの兄ちゃんに聞くと、「無料バスは知らない。そのホテルにも行くが、10ユーロだ。」というんです。ヤンキーぽくって、オランダ語っぽい英語で早口でまくし立てるので、なんかあぶなそう。そのうち、勝手に荷物を車に載せようとするので、止めると急に怒ってしまう。結局、無料バスがくるかどうかわからないので、乗ることにしたら、手の平を返したように愛想が良くなるので、油断大敵です。

でも、アムステルダム市内に入ると、運河沿いに古い建物が並んでいて、オランダに来たんだなあという雰囲気が出てきます。風車の前にはレンブラントの像があり、アムステルダムのもう一つの顔、芸術の都であることを思い起こさせます。国立ミュージアムの開館前に行ったところ、月曜日なのに既に入場制限。
しばらく待ち、ようやく入り、最初に見つけたレンブラントは「織物組合の幹部達」。
お目当ての「夜警」はミュージアムの中央の一番奥にありました。
正式には「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルク副隊長の部隊」と言うらしいですが、真ん中の二人にだけ光があたり、圧倒的存在感を示しています。「光と影の魔術師」と言われるとおり、光と影を自由に操り、今にも動きそうで、この瞬間にも歴史が変わるのではないかと思えるほどの説得力を持っています。10分ぐらい見とれてしまいました。本当にすごい。
このためだけに、オランダに来ても後悔しない、超一級のオススメです。

国立ミュージアムには、この他、フェルメールやフランス・ハンス、ヤン・ステーンの絵画もあり、時間はいくらでもほしいところです。国立ミュージアムの近くには、ゴッホ美術館もあります。ゴッホの自画像やひまわり、黄色い家などマニア垂涎の作品が目白押しです。作品が分散することなく、一つの美術館で、公開されることを望んだ遺族の意志で、ゴッホの作品が一同に集められています。
詳しくはそのうち、オススメspotの番外編でギャラリーなんか設けたいなあと思っていますので、気長にお待ちください。市内のあちらこちらにストリートミュージシャンがいたのも印象でした。運河を沿いにレンブラントの家やアンネ・フランクがナチス・ドイツに追われ、2年間、隠れ住んだ家など、著名人ゆかりの場所があり、運河クルーズでも行くことができます。最後になって、オランダにもつらい歴史があり、その上に今の繁栄があることを考えさせられました。
こうして、なんとか、ヨーロッパの旅を終えることになりました。お世話になった皆さん、Thank You!

NO7.ヨーロッパの旅(ノルウェー編)

  • 30.June 2002

次はあこがれの北欧だと思って、ちょっと寒さに慣れとかないといけないかなあと、訳のわからない理由をつけて、デュッセルドルフ空港でアイスクリームをほお張ってご機嫌たっだたのもつかの間。オスロのガーデエモン空港に着いたら、とんでもない事態が待ってました。
空港のバゲージ・クレイムで手荷物を待っていたところ、同行の二人の荷物はすぐに出てきたのに、自分のだけ、いつまで経っても出てこない。そのうち、出てくると慰めてくれるが、いつまで経っても出てこないで、ついにはベルトコンベアも止まってしまう。なんでーーー!と叫んで、ほんとに文字通りにクレームタグを持ってクレームに行く羽目に。。。
一応、日本に住所と宿泊先のホテルの名前を書く。今日か明日にホテルにつくような説明をしてくれるが、イマイチ信憑性がないというか説得力が低い。きっと、違う飛行機に紛れて、アフリカかどっかに行ってしまったんだと思うと悲壮感が漂う。パソコンも入っているし、着替えもないし、どうしよー。
天気はすごく晴れていて、北欧と言うのに、既に夏のよう。でも、気持ちは深海。。でも、ケガをして訳でもないし、命に別状ないし、ま、不幸中の幸いと気を取り直し、電車に乗ってオスロ市内に向かう。車窓からは、まさに絵に描いたように緑の絨毯の上におもちゃのような家がのっているような景色が流れていく。ノルウェーに来た実感のする瞬間でした。
せっかくノルウェーまで、来たんでトナカイを食べよう、ということで、”地球の歩き方”に載っているノルウェーの郷土料理の食べられるストールトルヴェッツ・イェストイベェリというレストランに行く。「English menu please」と言うなんと、日本語のメニューが出てきてうれしいやら、日本人がたくさんくるのかと思うとちょっと残念な気持ちになりました。でも、大味なドイツ料理に比べるとなかなか、盛り付けも繊細でおいしかったです。
翌日になると、なんと朗報が!!ホテルの電話にメッセージがあるとのランプがチカチカと。なんとなく、テレビに部屋番号を打ち込めというような様子なので、打ち込むと”Your luggage has been found. Will arrival the hotel about noon today."との表示が。でも、実物を見るまで、なかなか安心はできません。午前中、訪問先のアーケル・ブリッケ開発公社に行ってホテルに午後3時頃戻り、部屋に戻ると、スーツケースが戻ってました。思わず、すりすりしてしまいました。(笑) ほんとにに良かった!!通訳の木村さんや、ホテルのフロントのお姉さん、ドアボーイの人もわざわさ、着いたと、連絡してくれたり、ホント親身になってくれて涙がちょちょぎれるぐらいうれしかったです。
荷物も出てきたら、もうこれは全開しかありません。王宮はもちろん、民族博物館、バイキング博物館を立て続けに回りました。さらに、翌日は非番という事もあり、”叫び”を見に、ムンク美術館を手始めに、国立美術館、歴史博物館、アーケシュフース城、船に乗って、コンチキ号博物館、ノルウェー海洋博物館、フラム号博物館、そして”怒りんぼう君”のいるフログネル公園まで、計8ヶ所も回ってきました。あーしんど。
ここで、忘れることができないのが、オスロカード。ノルウェーのバナーにもなるのこのカードがあると、ほとんどの美術館、地下鉄、バス、トラムなどがフリーパス。切符を買うのに苦労したドイツに比べて極めて快適。オスロ観光必携です。オスロは1050年ノルウェー最後のヴァインキング王ハーラル・ホールデによって開かれた町で、市役所の壁画を見ると幾度となく、他国の支配下にあった、つらい歴史伺わせますが、町の中は活気に溢れています。
6月はちょうど、一番太陽で出ている時間のが長い季節で、夜の11時頃にようやく、暗くなり、午前2時半にはもう夜明けです。
メインストリートのカール・ヨハン通りには夏を惜しむようにたくさんの人々が繰り出し、ビールを飲んで、大道芸人が芸を披露する楽しく、明るく、人々はやさしく、とても居心地のよい町です。美人も多かったです!(笑)
また、ぜひたずねて見たい国となりました。

NO6.ヨーロッパの旅(ドイツ編第2弾)

  • 22.June 2002

ドイツ編の第2弾です。一応と言うか、本来、仕事?で出張に行っているので、ここらで少し、触れておきましょう。
まず、最初にいったのは、大阪市のデュッセルドルフ事務所の川嶋所長。ここでは、ドイツ人は勤務時間中は一生懸命働くが、時間がくるとさっさと帰り、家庭や自分の時間を大切にし、同僚と飲みに行くなんて考えられない国民性や教育水準の低下が社会問題化していること、人件費が高く、海外の企業の進出は日本並みに景気が悪いことなどドイツの社会情勢について聞く。ここの秘書は12時になるとさっさと昼食に出かけてしまったところにドイツ人の合理性と言うか割り切りを感じる。
2つ目は、デュッセルドルフ市役所の都市計画課。ここでは全体のコーディネーターのシャーパー氏と都市計画セクションNO2のエンゲルハート氏からライン川のプロムナードの経緯について伺う。
この下には縦に重なった片側2車線の国道が地下化されていてその上は、ウォーターフロントの公園となっている。美しい景色意外、特にめずらしい施設や凝った仕掛けは何にもないのが、返ってのんびりと過ぎる時間を楽しませてくれる。

3つ目はEUROGAと言ってECの補助を受けて、ヨーロッパ全土でガーデンづくりのイベントをやっている会社のへーゲマンさんにお世話になった。イベントと言えば一過性で終わってしまうような気がするが、このイベントは古いお城の庭園を再生し、その後は自治体が管理する義務を負う仕組みになっている。
4つ目はウエスト・ファーレン州フィルムコミッションのドロステさんにお会いする。この財団のNO2で、非常にパワフルな女性。フィルムコミッションってあまり知られてないかもしれませんが、映画をこの地域で撮影してもらい、知名度アップにより、地域振興を図るため、様々な支援をするところ。大阪でも最近はじめたところ。日本でも公開された"Amelie"もほとんど、こことケルンで撮影されたものとのこと。この仕事にかける情熱がひしひしと伝わってきた。
そろそろ、仕事はさておき、まじめ?にsightseeingに戻りましょう!(笑) 市内の至る所に緑が溢れているが、その中でも最も大きいのが、ホーフガルデン。噴水のある公園で、ここのベンチは蛍光灯でできています。夜になるときれいで、アイデアとしてはおもしろいけど、日本では絶対やらないこともやってしまうのはドイツのすごさ。この両側にはイエガーホーフ城(今はゲーテ博物館)と州立美術館になっていてここを散策しながら両方の芸術作品を楽しむことができます。
ここまで、来たんだから、ケルンの大聖堂まで足を延ばす。高さが157mもあるゴシック建築で、圧倒的な迫力!500段の階段をせっせと上る。ケルンまで、Dバーンというドイツの中距離鉄道に乗るが、行きが42.6ユーロなのに、帰りは24.3ユーロ。どちらもノンストップでちゃんと検札もあったのになぜこんなに値段が違うのか結局、解明できず??
ドイツ最後の日には、デュッセルドルフの”寿”という日本人の経営する店で鉄火丼を食べたんですが、写真に取り忘れるほど、美味しかったです!!

NO5.ヨーロッパの旅(ドイツ編第1弾)

  • 16.June 2002

ひさびさのコラムの更新です。
すっかり、梅雨に入り、蒸し暑い日々が続いていますが、そのうっとうしさを吹き飛ばすかのようにサッカー・ワールドカップが盛り上がっていますね。
決勝トーナメント出場をほぼゲットし、一段とボルテージがあがる日本を離れるのは、ちょっぴり残念だったけれど、水と文化と緑というテーマでドイツのデュッセルドフルとノルウェーのオスロとオランダのアムステルダムに訪問する機会に恵まれたので今回はその山あり、谷あり、笑いありのレポートです。
それでは、はじまり、はじまり。
自分たち3人だけで、ホテルまでたどり着き、訪問先まで、たどり着けるのかなあと不安を抱えつつも関空を出発。アムステルダムで乗り換えデュッセルドルフ行きのcity・hopper号というプロペラ機に乗り換える。着陸するとき前傾姿勢になるので、このまま墜落するんではと思いつつもなんとか到着。(恐)
電車に乗り換え、デュッセルドルフ中央駅をめざすが、まず、切符の買い方がわからん。ドイツの鉄道の自動販売機ではまず、駅番号を押し、それに該当する金額が表示されるので、その金額を入れると切符が出る仕組み。これがわからなく、同行の者が”Hauptbahnof(中央駅のこと)”と叫んだら横のドイツ人が教えてくれた。また、機械の反応の遅いこと。蚊が止まってしまいそうなスピードで、自動販売機は日本の方が圧倒的に優秀!!
ドイツの駅には改札がなく、自分で切符に入り口のガチャンという刻印機で日付を入れる仕組みで、その気になれば、無賃乗車も可能だが、そこはキリスト教の国、きちんと切符を買うそうだ。とはいいつつも、抜き打ち的に検札があるので、その場合は多額の罰金をとられるらしいです。
デュッセルドルフの町はライン川沿いの美しい町で、およそ、700年前にできた旧市街地と19世紀の始め、ナポレオン時代に城壁lが壊され、その後急速に拡大していった新市街地に分かれており、古いものと新しい町が調和した都市です。町並みはごらんのように絵に書いたように美しい。(ブラボー!)簡単に紹介しますと、一番上はナポレオンが壊した城壁の跡につくられたキャナル(水路)のあるケーニスアレー、その下はライン川岸、一番下は旧市街地。詳しくは、いつになるかわからないオススメspot番外編の更新を気長に待っててね。
デュッセルドルフは日本人の多い都市としても有名。人口の1%に当たる6000人が住んでいます。それと驚くのが、お店の開いている時間。平日は午後6時になると、飲食店以外の全てのお店が閉まってしまう。土曜日は午後6時に閉店。日曜日は終日休み。日本のような長時間労働とは無縁で、それでも国際競争力を維持しているから不思議。でも、水道の水が飲めない国で、夜開いているコンビニさえもない町は便利な日本に慣れた者としてはちーとつらい。(悲)

実は、ここでハヤブー(隼)発見。ベンツやBMWばかりで、日本車がほとんどない中で、バイクはがんばっている。でも、写真を撮り忘れ出しまったのはさすらいのライダーとしては痛恨の極み!(悲)
ドイツ料理はとにかく、量が多い。コショウと塩のみで味付けした肉と野菜とポテトがドーンとお皿にてんこ盛り。ドイツ人の体格を見ていると納得もするが、見ただけでお腹がいっぱいになる。また、不思議とどこの店に行っても同じ味。

さすがに、3日目ともなると、飽きてきたので、オーバーカッセッラー橋を渡り、スパゲッティを探検しに行く。運良く、見つけ、メニューを手にした時思わず唾液腺がゆんで、よだれがでるほどで。。。やはり、日本人。(笑)
その日はいつになく良く寝ることができました。◎

NO4.サクラ、サク

  • 1,April 2002

いよいよ、春本番。今年は暖冬のせいか桜前線の北上が例年に比べて随分早いようです。既に大阪の桜はもう満開。大阪城にはたくさん人が繰り出していましたね。造幣局の通り抜けは八重桜なので、もう少しあとで、あと2週間ぐらい先かな。
でも、ホントは八重桜はバラ科のの花なので、やっぱり日本の桜と言えば染井吉野(ソメイヨシノ)と言うも多いのではないでしょうか。こういう管理人も、やっぱり入試の合格はソメイヨシノの桜の下で胴上げしてもらいたい方です。
百人一首でも、前中納言匡房が「高砂の をのへの桜 さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなむ」と詠んでいます。歌意は「高い山の峰の桜が咲いたよ。人里近い山の霞よ、たちこめないでください。」というもので、いかにも日本の原風景が目の前に浮んでくるようです。
古今集では、在原業平が「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」と詠んでいます。歌意は「いつ咲くかと気をもませ、咲いたら咲いたで、雨や風でいつ散らないか心配させる。いっそ、桜などなかったらのどかな気分で春を過ごせるのに。」というもので、反語的な表現が返って桜に対する愛着を表わしているようです。何か好きな人のことを思っているようで、恋心を感じさせる歌でもあります。
桜の題材に歌は、以外にも時代が古いほど、少なかったようです。8世紀に編纂された万葉集では春の花の代表として詠まれたのはむしろ梅でした。その後、10世紀初頭にに成立した古今集では桜の歌が梅をしのぎ、13世紀の新古今集では圧倒的に桜の歌の方が優位となります。これは、6世紀頃に大陸から入ってきた梅と同時に花を観賞する習慣も入ってきたんですが、その後、外来の梅への対抗意識からか、日本古来の桜が好まれるようになったという説があります。
ソメイヨシノは大阪より南の平地では、既に散り始めていて、これからだと北と山に登っていくことになります。大阪近辺では奈良の談山神社なんかいいですよ。桜井の国道165号から南の県道37号に入り、約5km、ちょっと人里から、離れていて穴場です。駐車場もたくさんあり、車かバイクがオススメです。
以前行ったときはそんなに混んでなかったけれど、お花見シーズンになると覚悟が必要かも。最近、ここも観光ガイドブックにちょくちょく顔を出すようになりました。あんまり、有名になってほしくなかったのに。
もう一つ、忘れてはならないのはその名ととおり、吉野山です。約10万本の桜が「下の千本」、「中の千本」、「上の千本」、「奥の千本」と下から順に咲くので、4月はじめから5月のゴールデンウィークまでシッカリ楽しめ、満開に会えるチャンス大。寺社仏閣も金峯山寺、吉水神社、喜蔵院など、たくさんあり、情緒もなかなかあります。みやげ物屋がやたらに多く、観光化されすぎているのはやや残念ですが。。。
それと、ここは、道が国道169号(370号との重複)しかないので、お花見、紅葉シーズンはめちゃ混みます。さすらいのライダーとしては誠に残念でありますが、土・日に行く場合は近鉄電車をオススメします。道が狭く、すり抜けも苦しいところが何箇所かあります。
今日から4月。桜のシーズンは別れと出会いの季節でも、あります。別れはちょっぴりさみしいけれど、別れがあるから出会いもあります。新たな気持ちでのスタートです。

NO3.さっぽろ雪まつり

  • 17.February 2002

第53回さっぽろ雪まつりのはじまり、はじまり。北海道の冬の一大ページェーントといえば、やはり欠かすことができないのが、さっぽろ雪りですな。と言う訳でついに行ってきましたよ。いつもはテレビで見ていたんですが、やはり実物はよかったですね。札幌の皆さんホント色々お世話になり、どうもありがとうございます。
札幌雪まつりは、1950年に、地元の中・高校生が6つの雪像を大通公園に設置したことが始まりだったとのことです。当時、5万人を超える人出があり、予想以上の大盛況だったのでその後、札幌の冬の行事として続けられ、いまでは、200万人(?だったかな)を超える一大イベントに発展。雪まつりをはじめた学生さんは、えらい!!表彰もんでんな。

特に、1972年の冬季オリンピックが札幌で開催されたのを契機に世界舞台にデビュー、国際雪像も出品されるようになりました。そういえば、結構外国人もいましたね。少し前置きが長くなりましたが、さっぽろ雪まつりのご案内をしましょう。
会場は大通り公園と、泣く子もよろこぶススキノと自衛隊基地の中にある真駒内会場があります。
まずは大通り公園会場。ここは、最も雪像がたくさんあるメイン会場。高さ10mを超える大雪像としてはブリュッセル証券取引所、14世紀朝鮮王朝の大祖が建てた王宮・景福宮の正門、光化門、名探偵コナンと中国万里の長城と兵馬俑などが、あります。中雪像では、やはり出ました千と千尋の神隠し。ちゃんと、ゆばーばやカオナシもいましたよ。これは101というグループの作品で毎年クォリティーの高い作品を出すので有名らしい。
大通り公園の西側には市民雪像コーナーがあって、抽選で選ばれた市民グループが2m×2mの雪の塊をもらってこれを削って雪像をつくります。抽選の倍率は4倍ぐらいで結構難関ですな。ここでは札幌の谷口さんがつくったアイドリングストップのキャラクター、トメマル君とスーパーファインセーブ君を拝見。なかなかよくできてました。でも雪まつり期間中にめずらしく、雨が降ったらしく、トケマル君になってたけど。。。
雪まつり会場にはプレハブでつくった休憩所があちこちにあり、ここで暖をとる。甘酒を飲んで復活だー!!でも、糟汁の甘いやつなんて思いながら飲むと糟汁を飲んでる感じするから不思議。この休憩所ではうどんとかそばも売っているが、結構満員。ときどきイベント会場で、暖かい飲み物やスタミナドリンクの無料配布がある。今回はスタミナドリンクをGETしたんですが、寒いので飲むのは大阪に帰ってからにしました。
ススキノ会場は繁華街の中央に氷でつくった像がデデーンと並ぶ。確か七福神やシャチホコなんかもあったと思うのですが、酔っ払っていてあまり覚えていないです。でも、氷の中にカニと鮭が埋め込んであっておいしそうだったのが、なぜか脳裏に焼き付いてます。ここは、昼間より夜がライトアップされていていいですね。
最後の会場は真駒内。大通りから地下鉄南北線(でも、途中から地上に出ている。)で15分ぐらいの自衛隊前で降ります。クレヨンしんちゃんと北海道庁の旧庁舎としまじろうの大雪像があるんですが、ここは自衛隊が作っているので、完成度も極めて高い。さすがプロ?滑り台がたくさんあるが、これはお子様用で大人はすべれない。うー、残念。
今回のさっぽろ雪まつりツアーの超穴場が実は以外にも小樽。小樽ではさっぽろ雪まつりにほぼ併せ”小樽雪あかりの路”というイベントをやっています。(今年は2月8日から17日)
夜の小樽運河にはキャンドルが浮かび、散策路にはスノーキャンドルがロマンチックな雰囲気を醸しだしています。外は寒いけど暖かい気持ちになってとってもいい感じです。さっぽろ雪まつりに行った時はここにも是非立ち寄りたいspotとなりました。

NO2.西表島でヤマネコ探検?

  • 6.January 2002

年末、年始にかけ、西表島、竹富島、小浜島、黒島に行ってきました。
西表島といえば、やはり、特別天然記念物のイリオモテヤマネコでしょう。今回もうまくすると会えるかなあと思っていたんだけど、残念ながら、その願いはかないませんでした。イリオモテヤマネコは島内の人もめったに見かけることはないようで、その生態系も、もうひとつよくわかっていません。個体数も80〜100頭という説や200頭程度はいると言われていたり、はっきりしたことはわからない謎につつまれた猫です。でも、ヤマネコのことを考えると、それは、それで、わからない方がいいのかもしれませんね。
むつかしいことはさておき、ヤマネコさんに会えなかったけれど、西表島では、自然を満喫できました。カヤックで、船浦湾からヒナイ川をさかのぼり、ピナイサーラの滝へ。途中、マングローブの森を抜けていくんですが、これがとってもいいんですよ。
のんびりと1時間ぐらい上流まで上るんですが、原始の時代には、どこもこんな感じやったんやろうかと悠久の時に思いを馳せてしまいました。河の流れも緩く、カヤック初心者の方でもノープロブレム。
この他にも、浦内川や仲間川、白浜から内海を通って仲良川、クイラ川の方へのツアーもあります。夏にはシーカヤックで、となりのパナリ島にも行けるとのことなので、絶対オススメですよ!
竹富島は珊瑚できた島で、ほとんど高低差がなく、チャリンコで回るのがいちばん。赤い屋根の家がガーとたくさんあり、道も白い砂が敷き詰めてあり、南国ムード満点。やや観光化されているとの批判もあるようですが、こうした町並みを守っていく手段としてある程度の観光との共存は図っていくのは一つの選択肢だと思います。何もせずにのんびりするのも良いし、町並みを見回るのも良し、浜辺であそぶのも良し、お気に入りの一つになりました。
小浜島はNHKの連続テレビ小説”ちゅらさん”で一躍有名となった島。でも、思ったほど変わってなくて安心。こはぐら荘や通学路に使われたシュガーロードなど、ちゅらさんファン必須アイテムが満載。滋賀からきたコウチさんと京都からきたオギノさんと3人で、地元のおじさんの青い軽トラ(なぜか寒冷地仕様)を借りて島内をめぐり、なかなか爽やかでした。コウチさん運転ありがとう!でも、この時はカレーがおいしいとのうわさの喫茶ヤシの木のカレーを食べ損ねたのが残念。実はコウチさんはこのカレーを食べるためだけに、2回目の竹富島だったのに、、、。
最後は、牛が人口の約10倍もいる黒島で、全島がほぼ牧場となっていて、どこを見ても牛っしいがたくさん。また、日本の道百選にも選ばれた東筋(アースン)という、昔ながらの風景を残した道もあります。
ここへきたら、ビジターセンターに寄るべし。民宿みやき荘の”おばあ”が管理人をしていて150年前一人の漁民が遭難し、その後、5ヶ月無人島で過ごし、サメに助けられて戻ってくる話をしてくれる。でも、途中から孫の自慢話になってしまうので、注意?が必要です。
それと、ここは、隠れたダイビングspotとしても有名で、ダイビングをやる人にとってはなおさらですね。やってみようかな?
今回の旅ではバイクは留守番だったけど、いろんなことができて、いろんな人と触れ合えて楽しかったです。

NO1.京都の美山の茅葺民家

  • 9.December 2001

長い間、あこがれであった京都の美山に行ってきました。
美山という名前に誘われて、でも何にもないところなんだろうなと思っていましたが、伝統的建築物保存地区の指定を受けている茅葺民家の集落がありました。
あまり、調べすぎるより、返って予備知識がない分、新鮮な出会いがあると、ひときわ感動です。
50戸の集落のうち35棟の茅葺の建物があり、建物の数は全国第3位、割合からすると全国一とのこと。その風景は日本の古里そのもの。
これらの建物は、ほとんど、民家で、個人の努力で住みながら、景観の保存が行われています。
茅葺屋根は厚さ、50cmぐらいあり、茅自体、雨をはじくので、まず、雨漏りすることはないとのことですが、日のほとんど当たらない北側の屋根はだんだん湿気ってきて、10年に一度は葺き替えないといけないそうです。美山ハイマートYHのペアレントさんが、「茅葺の民家が残っているのは、ここに住んでいる人の心に残っているからなんだ。」と言われたのが印象的でした。
そうそう、ここで忘れていけないのが、ここのYHの奥さん。ちょっと、ぽっちゃり系ですが、とても明るく、やさしく、いつもニコニコされていて本当に気持ちのよい方でした。だんなさん(ペアレントさん)とのコンビネーションも抜群。
知り合いからもらったりんごを持っていったのですが、いやな顔の一つもぜす、喜んで皮をむいてくださいました。ここは、絶対オススメですよ。おまけに大根までもらっちゃって。本当にありがとうございました。
でも、小さいのですぐに満員になってしまうのが、残念。でも、そこがいいところでもあるんです。
紅葉もきれいでした。特に、茅葺き集落のバックは赤や黄色に程よく色づいた木々がみごとなコントラストをなしていましたよ。美山と言う名にふさわしいところです。
紅葉の真っ盛りで、京都市内はどこもかしこも観光客がいっぱいでうんざりしてしまうのに比べて、あまり観光客もいなくてなかなかオススメです。でも、ここにたどりつくまでは周山街道(国道162号の入り口付近が大変な渋滞です。でも夕方なら逆方向なので、だいじょうぶです。
あとは、京都市内からだと、大原の三千院の国道367号から府道782号、110号、38号を経由するルートと、鞍馬から府道38号、国道377号、また府道38号を経由するルートがあります。前者は冬になると閉鎖されますのでご注意を。その他、鞍馬から分かれて貴船神社経由で行く府道381号があり一応車も通れますが、道がメッチャせまく、急な坂道なので、オン車は避ける方が無難です。
美山には、他にも大原神社、茅葺のお寺の中風寺、芦生原生林、桜のきれいな大野ダム公園があり、また雪の積もった集落の風景も趣きがあるとのことなので、是非、また訪ねてみたいとの印象を強くしました。
そろそろ、年末であわただしくなってきましたね。こんなときこそ、心に余裕を、思いやりを。京都・美山のオススメspot、ごちそうのページもご覧ください。




バナースペース

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旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。