「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」の3つのゾーンから構成されている。 入口は地上3階ですぐにエスカレーターで最下階の地下1階まで降りる。そこには、まずはカブトカニや三葉虫、古生代の海中魚の化石が展示されている。このフロアは主に先カンブリア時代、古生代の化石が展示されている。 突き当りにまで行くと恐竜の化石の発掘現場を再現したボーンヘッドが展示されている。 地上1階は所狭しと44体ものの恐竜の復元骨格をはじめとして千数百もの標本の数々や、大型復元ジオラマや映像などを展示されている。このうち10体は本物とのこと。 とりわけティラノサウルスのジオラマは動きがとても細かく再現されていてリアルな動きに関心する。インスタグラムにリール動画をアップしているしているので是非ご覧になってほしい。 地上2階は古生代のマンモスの骨格や中生代、新生代の爬虫類、哺乳類の化石が展示されている。 また、地道な作業である化石のクリーニングを行う作業室もみることができる。 2022年5月現在、コロナ禍の中、予約でしか入場できないことになっているので要注意。管理人も知らずに行って到着当日は入場できず、職員の方のアドバイスにより粘り強く予約サイトをマメに更新していたら、運よく秋が出て翌日に入ることができた。 2023年夏に向けてリニューアル工事が行われており、さらに楽しみが増え、また訪れた入れたいスポットである。なお、世界的エレクトーン演奏者である826askaさんの故郷にあることを付け加えさせていただく。
昭和38年に完成した日本最大規模のダム建設には当時のお金で総工費513億円、延べ1000万人が投入された。 日本の高度成長期を支えた電力供給の要となる事業を遂行した先人たちの先見性と努力には頭が下がる。31年に着工されたが、秘境と言われるこの地に資材を運搬するためには扇沢からのトンネルを開通させることが不可欠であったが、途中、岩石が断層により砕け大量の地下水が噴出する破砕帯に当たり、工事は中断。 一時は絶望視されたが、水抜きトンネル、薬剤投与など、当時の土木工学の粋を結集して7ヶ月後にようやく突破し、33年にトンネルは開通。その後、ダムは着々と昼夜を問わず建設が進められ、着工以来7年目に完成した。ダムサイトの湖の見える一角にあるのが、このダム工事で犠牲となった殉職者171名を奉る慰霊碑がある。彫刻家松田尚之氏作の碑には「尊きはしらに捧ぐ」とある。 ダムサイトから展望台への途中には工事で使われたコンクリートバケットが展示してある。 このバケットで一度に9立方メートルのコンクリートを運んだ。一日の最大打設量はこのバケット960個分、8,663立方メートルにもおよんだ。
雲ひとつないすばらしい快晴。黒部平駅周辺は、すり鉢状のなだらかなテラスのようになっており、タンボ平と呼ばれている。スキーをしている人の姿も見かける。背後には立山連峰が屏風のように反り立ち、前方には木立の間から後立山連峰が堂々とした姿を見せ始める。いよいよ本格的に立山も近づいてきた感じがする。黒部平からさらに、ロープウェイで標高2316mの大観峰まで500mを上がる。 大観峰の名に恥じないアルペンルート随一と言われる後立山連峰が一望できる。 後立山と言うのは富山県側から見て立山連峰の後ろにあると意味で北アルプスの一角を指す。はるか、眼下に黒部湖を望み、前方には左から2500級の五龍岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳、燕岳、大天井岳といった名だたる山々の大パノラマが目の前に広がる。感動のひとこと!! 黒部立山アルペンルートは自然環境に配慮して車が入れるのは西側は扇沢、東側は立山まで。 あとはトンネルの中を電気で動くトローリーバス、ケーブルカーと延長1710mを一本の支柱もなしに渡るロープウェイとハイブリットの高原バスを乗り継いでいく。 大観峰からさらにトロリーバスで、15分、さらに130mほど上がって標高2450mの室堂平に着く。目の前に圧倒的なスケールを持つ立山を仰ぐ。立山というのは雄山3003m、大汝山3015mm、富士ノ折立2999mの三山の総称。 室堂平は立山連峰の登山口にもなっており、本格的な装備をした登山家の姿も目に付くが、気軽なハイキングコースもある。左は、地獄谷と呼ばれる噴煙の上がる不気味な温泉の湧き出ている谷がある。硫化水素が噴出し、近くにいくと危険。そのほか、室堂にはみくりが池、みどりが池といった湖があるが、雪の下に埋もれて見えない。 ところどころに、小さな山小屋もある。室堂から立山側へは許可を受けた観光バスと定期の高原バスのみが通れる道路を通る。 道の両側は5月のはじめでも積雪が10mを超し、雪の壁の中を走る。弥陀ヶ原は南北2km、東西4kmと標高2000mに位置する高原としては最大の広さを誇り、雄大な風景を楽しめる。夏には湿原となり生き物の宝庫となるらしい。
さどかし、すごい断層地帯だろうと、"くろよんダム"の関電トンネルの破砕帯のようなものを思い浮かべていると期待はずれ。左のように小川が流れたような跡のようではありませんか!看板がなければ誰も気づかない!周辺は遊歩道になっていて右の枕状溶岩が唯一なごりを見せる。 途中、ところどころに解説用プレートがある。 フォッサママグナから北へ約7km。地球誕生の歴史がわかる地球博物館がある。糸魚川はヒスイの名産地で、巨大なヒスイも展示してある。ところで、フォッサマグナの発見者はナウマン象で知られるナウマン博士だったというのをここで初めて知ることになった。
下は当主の寝室で敷居が一段高く、文字通り、家族でも滅多に入れなかった。 1997年白川郷とともに世界文化遺産に登録された相倉合掌づくりの集落。 江戸時代、加賀藩の藩札や塩硝製造の機密を守るため、他の地域と隔絶した閉鎖的環境に置かれ、独特の生活と文化が育まれた。 現在はお土産物屋が並び観光化されてしまいやや残念。 観光と伝統をうまく調和させるのって難しい。 しかし、茅葺の伝統は守られていて昔ながらの釘を一本も使わない工法での屋根の葺き替えが村を挙げて行われる。 このことが村人の絆となって村が守られてきたらしい。 限界集落が問題になる中、その解決のヒントになることも多い。
兼六園という名は奥州白河藩主・白河楽翁が中国の宋の時代の詩人李格非の書いた洛陽名園記からとって、宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の六勝を備えている意味で名づけたもの。 左上は、一番有名な霞ヶ池の徽軫(ことじ)灯篭と虹橋。兼六園と言えばやはりここかな。でも、観光客が多く、なかなか、シャッターチャンスがこない。真ん中右は同じく、霞ヶ池に浮かぶ内橋亭。ちょっと高いが食事もできる。真ん中左は園内を流れる曲水の両岸に植えられた兼六園菊桜。花弁の数が300枚を超えるほど異常に多いのが特徴。左下は、霞ヶ池を水源とした噴水で、自然の水圧によって吹き上がる日本最古の噴水と呼ばれている。その他にも雁行橋や唐崎の松もなかなかのもの。
とりわけ中庭に面する小さな三畳の茶室は天窓(トップライト)があり、月を愛でながら、お茶が楽しめるようになっている。外観は長屋門を思わせる門と塀が端正な趣を醸し出しており、3つの切り妻の屋根とみごとに調和し、侘・寂の文化にふさわしい佇まいを見せている。 古くみえるが、大正7年の建築で、本郷氏から園酉氏が取得し、氏の亡き後は夫人が住んでいたが、子がいなかったため、夫人の没後、その遺志により、金沢市に寄付され、平成6年5月に金沢市指定文化財となった。入場は無料で案内もしてくれる。 尾山神社には2002年、NHKの大河ドラマの「利家とまつ」の主人公前田利家が祀られている。馬の後ろに載っているおおきな袋は今のバイクのツーリングバックみたいなもので、この中に、テント、洗面用具、バーナー、コッヘルが入っていました、ってのは冗談。(笑)これは、母衣(ほろ)といい、流れ矢を防ぐためのもので、風に膨らんだ形にするため、竹串、鯨の骨、ひげ等が入っていた。 戦国時代の騎馬武者はこれを背に戦場を駆け巡って連絡役を務めたとのこと。戦闘ともなれば、諸隊のガイド役的存在でもあり、敵の目につきやすく、とても危険で、真っ先にやられていたとか。(あまり目立つのもほどほどにと言うことか) 日蓮宗妙立寺は一見すると普通のお寺のように見えるが、実は要塞のような複雑な構造をもち「忍者寺」とも呼ばれている。 このお寺が建てられた1643年(寛永20年)頃は徳川幕府が名実ともに日本の統一を図るため、些細なことを謀反の理由にして諸大名を取り潰しており、万一、攻め込まれた際には徹底抗戦をするため、加賀三代藩主・利常により建てられたのが当寺。 当時は幕府の命令で3階建て以上の建物は禁止されており、外観は2階建てだが、内部は4階建て7層にもなっている。 至る所に落とし穴や隠し階段、物見台、金沢城への逃げ道など様々な仕掛けがあり、幕府からの公儀隠密や外敵を欺くようになっている。 内部は迷路のようになって案内の人とはぐれると帰れなくなるかもしれないので要注意。 事前に予約が必要で拝観料も800円と高いが一見の価値がある。こんなYHを作ってみたい気がする。 пi076)-241-0888
石川県道路公社が運営しているのでハイウェイカードが使えないし、やたらに本線料金所が多く、ライダーにはなかなか辛く、なんとかしてほしいところ。全国的にもめずらしい砂浜のドライブウェイ。能登自動車道今浜ICを降りてすぐ。押水町、志雄町、羽咋市の3市町にまたがり、幅約50m長さは約8kmにわたる。 粒子が細かく水を含んで固くしまっているので、ごらんのとおり、オフ車はもちろん、オン車でもノーフ°ロフ゛レム。本当は波際を走るのが通であるが、気がついたら、錆だらけになる?出入り口のところは砂がやわらかくなっているところがあるので、要注意!管理人もあわゆくこけそうになった。(笑)海岸には浜茶屋も出ている。 能登金剛は、千里浜ドライブウェイより、北へ約15km。自然の侵食により、雄大な洞窟、千畳敷や、鷹の巣岩が望める。気を付けていないとすいこまれそう。下の方には、岩が波で抉り取られた巌門を間近で眺められる遊歩道もある。ここから碁盤島などを巡る遊覧船も出ている。 松本清張の推理小説「ゼロの焦点」の舞台となったのを記念し、歌碑が立っている。能登金剛からさらに5kmあまり、国道249号を北上した増穂浜には世界一長い木製ベンチがある。ギネスブックにも登録されていて全長460m、約1340人が座れる。なかなか、べンチのデザインもよく、西側は海なので、のんびりと夕焼けでも眺めながらすごすのにはもってこい。すぐ下は海水浴場になっている。なぜか岸壁の母の歌碑もある。たしかあれは舞鶴ではなかったけ?? |
旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。