それにしても紅葉シーズン猛烈な人出。朝9時に入山した時は通天橋への行列もほとんどなかったが、10時を回るととても落ち着いてみれられる状態ではなくなり、脱出した。 本堂、三門もさることながら、開山堂もおしゃれな建物となっている。 東福寺の近くに住んではる人は紅葉楽しめて幸せやなあ〜と思う反面、あの混雑では地元住民の方は迷惑されているのでは。。自分もその張本人の一人でありますが。。 紅葉のもう一つ紹介したいのが、永観堂。”もみじの永観堂”と言われるほど。正式には土宗西山禅林寺派の総本山で禅林寺と名称だが、左京区永観堂町にあるためこう呼ばれる。 創建は、仁寿3(853)年に弘法大師の孫弟子である真紹僧都が「衆生縁の深い京洛の地に道場を建てる」ことを願い、造営が始まったそうです。そして、貞観5(863)年に清和天皇より「禅林寺」という寺名を賜る。 境内には放生池があり、その上に多宝塔がある。この池の中央には橋が架けられており、ここを囲むように伽藍が配置されている。阿弥陀堂、御影堂、釈迦堂、唐門、鶴寿台は回廊で結ばれている。石庭の紅葉は、陽に映えるとその鮮やかさは圧巻である。 城南宮は京都の南、伏見区にある神社で方除や厄除けの祈祷で知られる。”方除”とは引っ越し、工事、家相の厄を除くもので全国からお祓いに来られる。 7月20日に行ったときにちょうど「お涼み神楽」が行われ、拝殿を囲む提灯に明りが灯され、神楽殿の表舞台で福笹を手にした巫女が祓神楽を舞うところにタイミングよく遭遇できた。 社殿の前には「方除安全」「無病息災」祈念の2本の氷柱に備えられ参拝者が触れ暑気を払い願い事をする。 参道にはやりとり、たこ焼き、たいやき、ごませんべい、ラッキーボールなど100軒近い出店が出て、さながら縁日ように賑う。その中でもキュウリの一本もの漬物が売っていたが、よく冷えていてさっぱりした風味が夏の夏の風情を掻き立てる。
1階が寝殿造り、2階が武家造り、3階は禅宗仏殿造りという特異な建築様式を持つ。正式には義満の法名から鹿苑寺(ろくおんじ)と言うが金閣と言うのはお釈迦様の骨を祀った舎利殿のこと。細かい話だが金閣寺と言うのは誤りで、お寺の至るところに”金閣寺”ではありませんとの注釈がある。現在の金閣は昭和25年に放火により焼失した後、再建されたもので国宝ではないが、世界文化遺産に登録されてある。 慈照寺・銀閣は8代足利将軍義政が金閣をモデルに西芳寺の瑠璃殿の様式を踏襲し、建てた別荘東山殿であったが、こちらも義政の死後、臨済宗の寺院となった。1階は書院造り、2階は唐様仏殿の様式を持つ。金閣が派手に金箔を廻らせているのに対し、銀閣は漆色の簡素な佇まいを見せる。 幾何学的な形をした向月台(むこうげつだい)と銀沙灘(ぎんさだん)の2つの砂盛も東山文化の真髄を感じさせる。お茶を立てるのには金閣よりこちらの方がよい。国宝。 四条通と東大路通の交差点に朱塗りの西楼門を構える八坂神社は、京都に流行った疫病を退散させるために創建されたとされ、厄除け、商売繁盛祈願に参る人が多い。 本殿は祇園造りという独特の形式であるが、平成14年に修復工事が終わっている。また、全国の祇園社の総本山であり、7月に行われる祇園祭りは京都三大祭りとして知られている。 大晦日から元旦にかけて「をけら詣り」は”けら火”を吉兆縄に移して持ち帰り雑煮の火種として使えば無病息災祈願になるというもの。
堂内には、阿弥陀三尊像が安置されている。春のシャクナゲ、夏のアジサイ、秋の紅葉、冬も雪景色と四季折々の風情が楽しめる。 次の宝泉院と併せ、大原は庭園の里と言う印象を強くした。京都の大原と言えば、すぐに三千院と言うことになるが、忘れてはならないのが、ここ宝泉院。平安時代に勝林院の宿坊として建てられた。 客殿の柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞するように設計されてある額縁庭園の竹林はから大原の里が望め、借景として利用されている。抹茶つきで600円。 大正時代、京都帝大の哲学者、西田幾多郎河上肇、田辺元らが思索にふけりながら歩いたことからこの名前がついた。 たしかに、妙案がでてきそうな雰囲気である。北の銀閣寺橋から南の若王子橋までの約1.5kmで琵琶湖疎水に沿って延びている。 途中、洗心橋、法然院橋、水洗橋、寺ノ前橋、大豊橋の5つの橋がある。春には、画家・橋本関雪の妻が植えたソメイヨシノが見事な風情を見せるとのこと。 春のお花見シーズン、秋の紅葉シーズンは混雑するので、早朝散策がオススメ。
特に、徳川家の庇護のもと現在のような巨大な伽藍を完成させた 。左上は、高さ24mにも及ぶ日本一の山門で圧倒的な迫力を持つ。 江戸時代に建てられた、禅宗様式のもので、完成度は極めて高い。 上は、御影堂で、歩くとキュキュと音のする鶯張りの廊下が大方丈、小方丈、方丈庭園を結んでいる。 左は、雪香殿。京都の寺院のほとんどが拝観料をとるのにここは、本堂は無料で、良心的。 徒然草第52段の「仁和寺に、ある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。 極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。」で有名な仁和寺。 真言宗御室の総本山で、世界遺産の登録も受けている。広大な敷地に金堂、五重塔(左)、仁王門(下)、観音堂が立ち並ぶ。本尊の光孝天皇等身の阿弥陀三尊像、絹本着色孔雀明王像などの国宝がたくさんある。 尾形光琳の屋敷を移した遼遊亭も一見の価値があるが、撮影禁止のため、残念ながら写真はなし。本堂伽藍のみ、無料。
国宝五重塔は京都の中では最古の建造物(951年)だが、プロポーションが良いのでむしろ、近代的な感さえする。 上の軒裏を支える三手先は当時としては非常に高い技術であったが、一番上の肘木連結されておらず、まだ完成したと言えなかった。 右は境内より、仁王門を見たところで紅葉のトンネルようになっており、趣がある。 中は林泉に浮かぶ弁天堂。音楽や芸事の上達、 常照皇寺は、京都の北、京北町にある北朝、初代光厳上皇が開創し、第102代後花園天皇が地元の檀家と共同で護寺に勤めてきた皇室ゆかりのお寺。 戦国時代には全焼したが、後水尾天皇の庇護により回復。 R162号を北にとり、R477号に入り、約6km。 一般のガイドブックには載っていない小さなお寺で訪れる人も非常に少ない。境内に至る参道は竹林の中にあり、背筋が凛と伸びる威厳を感じる。 やや寂れ感はあるもの、万丈と怡雲庵(開山堂)で構成される小さな伽藍は日常の喧騒を忘れするにはもってこいの場所と言える。 春は桜、秋は紅葉が美しい。
しかし、これとて、時代の流れに勝てず、江戸幕府の終焉の場所となったのも何か因縁めいたものを感じる。庭園も二の丸庭園、桜園、.梅林など、非常に手入れが行き届いており美しい。 枯山水の庭園で知られる龍安寺。石と苔とそして、白砂で見事な小宇宙を表現している。 桜の名所としても知られる。全部で15の石があるとのことだがどの角度から見ても一つの石が隠れるよう造られているとか。仏教では15は完全な数字であり、世の中に完全なものはなく日々精進していく必要性を説いたということらしい。 塀は塗り替えもされておらず、古びた塀と満開の桜白砂とやや不釣り合いな気がしばらくするとこれも不完全さを説いたものかと納得した。
釘が一本も使われていない懸造り(かけづくり)で高さは13mある。国宝。他にも、三重塔などの13の建物があり、境内をぐるっと回り、舞台を下から眺めると高さが実感できる。清水寺へは清水道(松原通)を抜けていくが古い町並みが軒をつらた土産物屋がたくさんある。途中坂の途中から分岐して清水寺仁王門付近に達する清水新道(茶わん坂)もあり、清水寺に行くまで京都の風情が楽しめる。清水YHもこの近くにあり、町屋を改修して中は近代的な作りとなっている。 三十三間堂は成人式の時に通し矢が行われることで知られる。 三十三間堂の名前の由来は本桁行三十三間あることに由来しているとされるが実際は柱の間は35ある。道内には本尊千手観音坐像が祀られているがされ、左右には1,000体の千手観音立像が並ぶ様は圧巻である。
茅葺の民家がたくさん残っている北村地区は50戸のうち35戸が茅葺の民家で、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている。ほとんどが民家であまり観光化されておらず、できればあまり教えたくない秘密spotだったが、近年しられるようになり、観光客が押し寄せるようになった。 茅葺の里だけあって、一旦火事にでもなれば大変なので放水銃が装備され消防による訓練も年2回行われている。 左下のYHも茅葺民家を移築、改造したもので、ペアレントさんも、暖かくって、とても居心地の良い場所。美山に通じる国道162号の京北町の端にあるログハウスの喫茶店。 オーナーはちょっと変わっているが、別段とって食べられる訳ではない。もともと木こりでこのログハウスも手作り。大盛りカレーとサラダのセットが900円、コーヒーは400円で値段は普通だが、自家製ブレンドでなかなかおいしい。冬は薪ストーブの暖かさがうれしい。かわいい猫ちゃんも飼っている。 カモノセ・キャビンのキャップ、トレーナー、絵葉書などオリジナルグッズも売っている。
遠く、琵琶湖が望める比叡山では、時間がゆったりとゆっくりと流れていく。
中堂、左右の翼廊、尾廊からなり、屋根には二対の鳳凰が向い合い、それらが池の写る様は平安貴族の贅を尽くしたもの。さしづめ、東洋のロココ様式と言うところでしょうか。 ヨーロッパではギリシャ様式からなんとロココ様式まで4000年以上かかったのに日本ではたった100年弱の間に大きく建築様式が変化している。日本人の身変わりの早さと言うか変化に対応する能力はなかなか凄いものがあると思います。木造と石造の差も影響してるんですかね。この時はたまたま、特別に御堂の中に入ることができた。 40人づつの入れ替え制で待つこと1時間半。堂に入ると金色の阿弥陀如来の周りを雲に乗った天女の像が取り囲んでいます。様々な楽器や道具を持っていたり、音楽に合わせて踊って極楽浄土を再現しているとのこと。 宇治橋近くには源氏物語で有名な紫式部の像があります。百人一首にも「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」 |
旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。