![]() ![]() サラブレッドのような背の高いシュンとした馬ではなく、体高約130cmと低くポニーの一種で、日本古来の種の特徴をよく残していると言われる。 一心不乱に草を食べていて愛想はお世辞にも良くない。遠く、太平洋を望む広々とし丘で気持ちように過ごす様子様はストレスとま無縁のように感じる。 時折、移動のため、車道を歩いたり、横切ったりするが、車は馬が通り過ぎるまでじっと待っている。文字通りの「そこのけ、そこのけ、お馬が通る」。 ![]() ![]() 本体にまで登ることができる数少ない参観灯台で九州では唯一。 灯台からは太平洋が一望できるが、かなり風が強く、高所恐怖症の者にとっては結構、怖い。 灯台の近くに資料館があり、そこでは戦時中には白い灯台だと目立ち、敵に攻撃されやすいと言うことで、真っ黒に ![]() 資料館には様々なサイズの電球が展示されている。実際に使われていた巨大な集光レンズには圧倒される。 灯台の周りにはちょっとした売店とトイレ、広々とした駐車場が完備しており、安心して見学ができる。
![]() ![]() 本丸跡にはごく、普通の鉄筋コンクリート造の小学校が建っていて、「なんじゃこりゃ」と言う感は否めない。 代わりと言っては何だが、松の丸と言う御殿が再現され、中には御座があり、殿様気分が味わえる。が地区内には外務大臣を務めポーツマス条約の締結に導いた小村寿太郎氏の生家や記念館、飫肥の豪商であった山本猪平家、飫肥藩ゆかりの品 ![]() これらの施設は共通券(2017年現在、610円)でほとんどが入れるので是非購入をおススメする。時間ない時は単発でのチケット購入も可能だが割高。 街並みは武家屋敷が立ち並び、庭木 ![]() この場所で民家を改修して宿泊施設を作る試みが始まっているが、現在は1時間半あれば概ね町を一巡できるが、宿泊施設ができることにより民家に泊まると言う付加価値をプラスすることにより、さらに飫肥地区の観光スポットが増え、観光客が増加し、回りまわって民家を活用する好循環の流れができることを期待したい。
![]() ![]() ![]() 北海道ほどではないが、すれちがうとき、ピースサインをしてくれるライダーが多い。 右の写真は、ミルクロードの観光牧場近くで、撮った愛車。広域農道であるが、やまなみハィウェイともはや一体化している。 たまに、牛が歩いているので、要注意。 やはり、ここも、GWは観光牧場周辺で渋滞している。ここで、休憩していたら、ハイカーのおじさんから声をかけれ、話をしていると、大観峰に行ってきたとのこと。 大観峰から見る阿蘇山はまさに、お釈迦様そのものとのことで、バイクばっかし乗ってないで、山登りもしないといけないと反省。 結局、トレッキングシューズをもってきていないのを言い訳に諦める。
![]() 広くて、きれいで、設備もよく、見晴らしもご覧のように抜群で、九州に行ったら、是非泊ってください。そして、何よりのおまけは、出るんです。・・・おばけが。 ![]() テントの周りを歩くようなサクッサクッという足音がする。最初は、他のテントの人が、トイレに行くのに迷ってるのかなあ。と思っていたんだけど、良く考えたら、一番端っこの離れたトイレとは逆方向のところにテントを張ったのに、こちらの方に人がくるはずないので、おかしいと思いだす。 すると、今度は、テントをさわるような音が。これは、犬か、猫だろうと無理やり思い込もうとしたのが、鳴き声もしないので、いよいよおかしいと思い、意を決して電気をつけテントの外を見ると白いものが走っていくのが、見えた。あーこわー。 そのあとは、嘘のように、急に静かになってしまった。 あとから、聞くと、根子岳は、クライマーのメッカで、毎年何人かは滑落して亡くなっているんですとのことであった。合掌。
![]() 農業用水や生活用水を白糸台地に送るために、矢部手永の惣庄屋・布田保之助らによって1854(安政元)年に完成した。毎週日曜日の正午に橋の中央から勢いよく放水されるが、このときはどうしても時間が合わず、見ることができなかった。 ![]() ![]() 市房YHはなくなってしまったが、南から阿蘇へ行く、隠れた中継基地で便利だった。白水滝の周辺は公園になっていて駐車場も完備している。 しかし、山奥なので、車はほとんど止まっていないが、このように凝った屋根の休憩所がある。屋根を横から見ると菱形をしていて、何か幾何学的でもあり、前衛的な日本建築。 白水滝のある水上村は、春にはダム湖一帯の一万本桜が咲く「日本一の桜の里」として密かに知られている。
![]() ![]() 1877年(明治10年)西南戦争に炎上。現在の天守閣は1960年(昭和35年)に再建されたもの。御殿、大小天守、五階櫓などがやや窮屈に詰め込んだように建てられ、日本三大名城の一つとして数えられる。 築城当時の絵地図や古文書をはじめとする資料が多く残されており、平成29年を目標に熊本市により、98ha城郭全体を往時の姿に復元整備する計画が進められている。城内には烏帽子兜に身を包んだ加藤清正像が着座している。 |
旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。