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株式会社ビルダーストーリー

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小笠原

  • 母島観光協会・村道静沢線・明日への像
母島旅はここから始まる。
母島丸が着いた沖港のすぐ前にある白い建物で横にザトウクジラのブリーチングしたモニュメントがあるのが、母島観光協会。お正月でも常駐スタッフがいて、母島の各種案内や地図、パンフ、ちらしの入手ができる。乳房山の登山証明書や清見が岡の鍾乳洞の見学の申し込みもここで受け付けている。ここの絵地図は南崎、静沢、御幸之浜、ホエールウオッチングポイント、鳥類ガイドと非常に充実しているとともにわかりやすい。
観光客の立場に立った手作り感もうれしい。沖港から西へ、さらに北へ民宿街のある静沢を抜け、村道静沢線をずんずん登っていくと、母島でも有数の夕陽のビューポイントに出る。澄み切った空と南国の太陽に照らされる海原は感動的な美しさ。じぃっと見ていると時間がゆっくりと流れていく別世界。なんと美しいのだろう。
周辺は遊歩道になっていて第二次世界大戦時の海軍の施設や砲台跡が残っている。
沖港を西に行くと突き当たりが脇浜なぎさ公園。さらにその先の小高い丘を登ると鮫ヶ崎に至る。丘の上は展望台になっていて、シーズンにもなると、ホエールウオッチングができる。
小さな子供と亀の像が父島行きの母島丸を見送るように建っている。少年は万歳し、少女はなぜかカヌーのオールを持っている。この像は「明日へ」と名づけられていて本土ではありきたりに見える名前もここでは希望に満ちたネーミングに感じられるから不思議だ。


  • 万年青浜・唐茄子海岸・御幸之浜
母島最南端の南崎へは都道、南進線の終点まで車で行き、その後、1時間程度遊歩道をあるくのだが、その間に実に多くの海岸を見ることができる。
まず、万年青浜。石浜でシュノーケリングに適していると言われている。イタアナサンゴモドキ、ミドリイシのサンゴ類、ハナアイゴ、ノコギリダイなどの魚も見れるとのことであるが、シュノーケリングをもってきていなかったとやはり寒かったので海中探索は断念。次は、唐茄子海岸。蓮池という昔、蓮を栽培していた沼(今は埋まっている)を下ると海岸に出る。正面に見えるのは、向島。
左下は岩場に囲まれた蓬莱根。小さいながらも白い砂浜の海岸。右の岩陰にうっすら見えるのが蓬莱島。
右はワイビーチ。白い砂浜が南崎に続く海岸線を持ち、緩やかに円弧を描いている。外海に大きく開いているので結構、強い波が押し寄せる。
ワイビーチはホワイトビーチがなまったものらしい。
生物学者でもあられた昭和天皇が1927年(昭和2年)に母島に行幸され、そのとき立ち寄られたという海岸で御幸之浜の名がついたとされる。
南京浜と遊歩道で繋がっている。5000万年前の有孔虫の化石である貨幣石が連なる断崖の周りに見られる。
海に入らなかったが、海中公園にも指定され珊瑚礁も見事らしい。
母島の西側の海岸は中国、台湾、韓国の文字の入った漂流物が多いのは残念。
  • 南崎・小富士
遊歩道入り口より歩いて30分。急に視界が開ける。その名のとおり、海にすり鉢状に広がった赤土の地形の場所に出る。土が赤いのは、鉄やアルミが酸化したもので、ラテライトと呼ばれている。
母島は6000万年前の第3紀に海底火山が隆起してできたもので、長年の侵食によりこうした地形ができたとのこと。子供たちがオガサワラビロウの葉を敷いて滑って遊んだそうで、這い上がるためのロープが見える。
母島の最南端、南崎。コバルトブルーの海と白い砂浜、どこまでも澄み切った青空、円弧を描く、深い緑に覆われた半島。たぶん、今まで生きてきた中で最も美しい風景だと思う。写真家でここを撮り続けている友永成太氏も「南崎より美しい海はないと断言できる。」と言っている。南崎からすぐ近くの小富士。ここからは南崎はもちろんのこと、鰹鳥島、丸島、平島と母島全景が望める。この景色はたぶん、世界一の美しさだと思う。
これを見るだけでも、遠路はるばる来た甲斐は十分ある。心洗われる鮮烈な思い出になる一生モノの風景。ご当地富士としては最南端、高さ86m。ニコンD70で撮影
  • 北港・北村小学校跡・探照下砲台跡
かつては、80軒、455名以上が生活した母島北端の北港の集落。
村役場、駐在所、小学校、郵便局、鰹節工場が密集していた。
1944年の強制疎開で廃村状態になった。返還後、自力開墾する住民もいたが結局定着しなっかった。
ここからは東京行きの定期航路もあったが今はただ、寂しいのみここもかつては、子供たちの歓声が響いていたであろう北村小学校跡。
今は校舎の影も形もなく、カジュマルの森に埋没しようとしている。
わずかに入り口の石垣と名版、そして朽ちかけた階段がその名残を留めている。
戦後60年、時の力を改めて思い知らされる。北港1km余りにある探照基地の下にある砲台跡。
集落が60年でほとんど跡形もなく、姿を消し、森の中に埋没しているのに対し、戦争の爪跡とでもいうべき砲台はいまだ、原形を留めているというか、少し修理すれば使えそうな感じさえする。
忘れたい忌まわしい過去は残り、古き良き思い出は短く記憶のかなたに。
近くに六本指地蔵が静かに平和を祈っている。

  • なぎさ公園・ロース館
小笠原の元日は海開き。便宜的に元日を海開きしているだけで実のところ年中泳げる。(笑)海開きは、緊張気味の観光協会の会長の挨拶ではじまり、太鼓、南洋おどり、海がめ放流、カヌー大会が催される。会場となるなぎさ公園には出店も出て賑やか。
メインイベントであるのカヌー大会には観光客も参加して大賑わい。入賞者には賞品、参加者全員に証明書が配られる。母島のメインストリート?を奥集落に向い小・中学校を左へ曲がると屋根は茅葺、壁は石の建物が見えてくる。
ロース館は、1878年(明治11年)にドイツ人、ロフルスラルフが発見したロース石で作られた郷土資料館。元々は港近くにあった甘蔗の倉庫であったものを現在の場所に移築したもの。
かつては3000人を越える人口を抱えていた往時の写真や生活用品が展示されている。中にはガイドのおばさんがいて親切に解説してくれる
  • 清見が岡周辺
沖港周辺の清見が岡周辺をまとめて紹介。中途半端な時間ができた時には時間が読める沖港周辺を巡るのがオススメ。
まず、鍾乳洞。
母島観光協会で鍵を借り、自分で電気をつけ扉を開けて入る。
洞の中は狭く、あっと言う間に見終わる。ところどころ、削り取られているが、これは戦時中、郵便局がここにあったため。
それでも照明に照らされた鍾乳石が雰囲気がある。
次は母島唯一の神社の月ヶ岡神社。神社と言うにはあまりに祠は小さく質素。鐘も木から吊るしてあり、堂はない。でも、年越しには松明が焚かれ、お神酒が振舞われ、精一杯の行事が行われる。
最後は道しるべ。東京1050km、ハワイ6160km、グアム1750km


  • 乳房山・東崎
母島最高峰、標高462mの乳房山。登山途中の景色もさることながら、ここでの見ものは母島ならでは固有種の動植物。先ず最初に見つけたのは下のムニンヒメツバキ。初夏に花を咲かせるのだが、真冬のこの時期に一輪だけ咲いていた。そして、ついにハハジマメグロを写真に納めることができた。
イラストと比べてもらうと少し、太めだけど確かにハハジマメグロです。登り始めて2時間足らず、少し雲が出てきたなと思っていた頃、頂上に到着。そうするとなんと言うことでしょう!
西側の雲から陽の光が漏れまるで天国のようではありませんか。思わず、ブラボーです。(コラムの欄でも書きましたが、天子の梯子っていうらしいです。)
南側には昨日行った南崎が遠くに見える。
東側には太平洋の荒波が直接押し寄せる絶壁が広がっている。いよいよ下山。東崎は南東方向に伸びた半島で道は一切ないし、海からのアプローチも太平洋からの荒波で困難なのは白い波を見てもわかる。正に人知をも拒む厳しい自然だ。
東崎を左に見ながら、下ると東屋があり、なぜかほっとする。
  • ネイチャーツアー
本格的なホエールウオッチングのシーズンは2月からになる。お正月はまだ、クジラの活動も活発ではなく陸からは見ることができなかったので、ゴムボートで行くネイチャーツアーに参加。先ずは母島に沿って南下する。蒼い海に母島の緑が映える。
しかし、ところどころに砲台の跡が見えるのは悲しい。
コラムの欄でも紹介したクラブノア母島の中西さんの案内で、鰹鳥島、丸島などを見ながら、クジラのビューポイントに到着!・・・が、しばらく現れないので中西さんが水中マイクを投げ込み、クジラの鳴き声を探索。
しかし、「ここにはいないなぁ」の声・・・あきらめかけたその時、中西さんが右を指さす。
潮吹き(ブロー)が見え、その後、背中、尾びれが見えたぁ!!
クジラ発見!!写真ではバッチリアングルが決まっているように見えるが実は端っこに写っていたのをかなりトリミングしている。(笑)

その後は無人島の向島に上陸。しばし開拓者気分に浸る。
帰りは海が荒れ、中西さん一人を残して、ダイビング用の船に助けてもらう。申し訳ありません。そして、ありがとう。



  • 二見港からお見送り
小笠原にいたのは中3日。到着日と出発日を入れると5日。あっという間。短いようでやっぱり。短かった。母島を離れる時に送ってくださった人々・・・。たった3日なのに家族同然のような気持ちになってしまう。
父島の二見港から出港していく時に多くの船が荒波にもかかわらず、沖まで伴走し、見送ってくれたのには感動!!熱いものが込み上げてくる。そして帰りの船酔いにもめげずにまた行きたくなってしまう。
また、くるぞー!!

バナースペース

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旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。