最初はそれなりに集落のある道を登ると、人家のない細い道となったり、幾度となく続くヘアピンカーブを越えようやく見越PAに到着。車で標高1400mまで来れてしまう。そこから、徒歩かリフト。リフトを使わないことをおススメする。それでも2時間。 山登りにはやや物足りないかも。山頂でのコーヒーは格別。 右下は剣山の頂上からみた次郎笈(ぎゅう)。 剣山が1955m次郎笈が1929mと高さがほぼ同じで兄弟山と言われ、剣山がこの名前で呼ばれるまで太郎笈と呼ばれていた。 頂上には山小屋(ヒュッテ)がある。今は3代目が経営されているそうですが、かなり立派なヒュッテです。 その昔、調理はガスだったのを40kgの業務用ガスボンベを人力で運び上げるのが大変なので今は電磁調理器を導入されたとのこと。 夕食も山頂とは思えないぐらいのヴォリューム満点の豪華版!!
和洋折衷のデザインは牧歌的な農村に違和感なく溶け込んでいる。3面あり当初は3面とも動いていたのが、正面だけとなり、現在は完全に停止してしまっている。 平成17年頃、一度修理をして動いたとのことであるが、今はおばあさんだけが住んでおられ動かす者がいないとのこと。 隣には名物のちりめん丼を出す喫茶店と駐車場も完備している。ちりめん丼は駅前のりすぼんと言うお店もおススメ。近代工業国家の礎を築き、明治維新に次ぎ経済の大変革を成し遂げた地元の英雄である。坂本竜馬の海援隊を経済面で支えた。 岩崎弥太郎の銅像と生家。現在の三菱グループの基礎を築いたと言われ、生家の蔵には三菱の菱型の原型となった家紋が盛られている。 坂本竜馬を経済面からも支えたそうで、豪快にしておおらか、先見性と不屈の精神を感じさせるのある風貌は今の政治家には見当たる人はいません。
大政奉還の後、同郷の中岡慎太郎と二人で部屋にいたところを佐幕派の刺客に襲われ暗殺される。銅像は1999年、全国からの募金により修復され、桂浜を望むその姿は、日本の夜明けを見つめているかのよう。 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の竜馬は歴史上の龍馬とあえて切り離すために使ったとされる。 坂本龍馬像を下ると、8月に開催されるよさこい祭りにも唄われる風光明媚な桂浜にでる。 遠くに見えるひょうたん島のようなのは、竜宮岬で松の木に月がかかるように見るのがポイントとか。 海岸にはアイスクリーム屋さんが出ている。 桂浜公園の入り口近くには勇壮な土佐犬の格闘が見られる闘犬センターがある。 最初に横綱土俵入りがあるが、ややくたびれた犬が化粧まわしと綱を首からかけられじっとしているだけ。 ストロボを焚かれてもビクともしない。ボケているのか、はっきりいって迫力なしと思っていたところ。。。。 しかし、試合が始まると一転。闘犬試合は二匹の雄犬が5分間激しいかみ合いを行う。 かなりの迫力! 声を出したり、逃げると負け。
享保12年(1727年)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失したが、宝暦3年(1753年)に再建された。 土佐藩主を務めた山内家は16代続いた。天守閣からは高知市内が一望できる。こうしてみると高知市内はあまり高い建物がなく、高知城が街のシンポルとなっているのが、よくわかる。 城内には明治の政治家、自由民権運動の主導者で「板垣死すとも自由は死せず」との名言を残した板垣退助の像がある。同氏は百円札(知らない人も多いだろうな)にも肖像が用いられた。 四国八十八ヶ所三十一番札所、竹林寺。 途中、竹林寺のある五台山の展望台に登る。ここからは高知の海から山へと市街地のパノラマが一望できる。 高知は、東京、大阪などの大都市と違いそれなりのヒューマンスケールで何かほっとする。 竹林寺は五台山の中腹にあり、長い石段の上に山門があり本堂に続く。 それほど、大きなお寺ではありませんが、五重塔もあり、つつじの名所でもある。 やはり四国、お遍路さんがたくさん参られている。
展示されていた無言館は第2次世界大戦前、東京美術学校(現東京芸大)の学生が出征前に書き残した遺作の集めた”美術館”で長野県上田市にあり、全国の美術館でも特別展をやっていた。 ”出征兵士を送るバンザイの声を聞きながら、あと5分、あと10分この絵を描きつづけていたい…。”との説明書きを見て泣きそうになる。人生色々しんどい時もあるけれど、戦争に行きたくなくても、他にやりたいことがたくさんあっても、時代がそれを許されなかった人たちの分まで生きないとと思った。 まりまや橋は札幌時計台、長崎のオランダ坂とともに日本三大がっかり名所と呼ばれている。 平成5年に改修されて、作られた観光地という感じで、わざわざと言う気がしないでもないが、でもしっかりと写真を撮ってしまった。
風中継の時に必ずと言っていいほど、出てくるのがここ室戸岬。 太平洋にどーんと突き出た岬は黒潮に揉まれ、激しい岩礁を形づくっている。クジラが見られることでも知られ、駐車場にはクジラの尾っぽをかたちどったオブジェの上に小さなクジラの乗った変わったモニュメントが目印。 御厨人窟は、ここでこの場所で弘法大師は明けの明星が口から入り身体を貫くという不思議な体験をし、悟りを啓いたとされる。 この場所の圧倒的な空と海から光景に感銘を受け名前を「空海」と名乗ようになったたらしい。鳥居をくぐり30mぐらい洞窟をあるくと小さな祠がある。 南阿波スカイラインは、室戸岬⇔阿南の国道55号沿いの日和佐〜牟岐間の海岸沿いを走る全長18kmのワインディング。かなりタイトなコーナーの連続で、うかっとしていたら、海にまっさかさま。と言う事でバイクからの写真はnothing。左のは第1展望台からの絶景。
日本三大秘境のひとつにあり、日本三大奇橋のひとつで、この地域に自生するシラクチカズラを編んでつくられたのが「かずら橋」。 もともと、平家の落ち武者が追っ手の行先を阻むためにすぐ切り落とせるようにつくったのがはじまりといわれている。 ご覧のように、足元から川が見え、高所恐怖症の者にはややこわい。長さ45m、幅2m、高さ12m。 通行料は500円と破格的に高いが、3年に1度架け替えるために使われるとのこと。 その一番の難所である七曲に旅人たちが度胸だめしに用を足したという話から、かわいい小便小僧が置かれている。 やっぱり、こわくてできんかった。(笑) 四国の背骨の剣山系を横切るように削ってできた険しい渓谷が大歩危、小歩危。 大股で歩いてもも小股で歩いても危険なことから、この名前がついた。 最近は祖谷渓に民家を改造した立派な宿泊施設ができ、外国人垂涎の施設としてガイドブックに掲載されてるらしい。 支流である藤川谷との合流地点から2km下流を大歩危。さらに下流を小歩危と呼んでいる。 春は新緑と、秋は紅葉と白い荒々しい岩肌とのコントラストが美しい。 シーズンには細い国道32号がむちゃ混むので、朝早くにいくべし。 舟くだりやラフティングもやっているので、時間のある人は是非、挑戦されたし。
ここの灯台は光度200万カンデラ、光到達距離38kmで、国内最大級。岬のまわりには遊歩道が整備され、1〜3月下旬にかけて椿の花が見ることができる。 ジョン万次郎こと中浜万次郎の銅像もある。四国カルストの東端に位置する不入山付近に源を発し、東へ西へ、南西へ南へ、さらに東へと変転、著しい蛇行を見せながら196キロを経て土佐湾に注ぐ。 四万十川は長さは四国第1位。流域面積は2700平方キロで吉野川に次いで2位。河床勾配が非常に緩やかで、河口から約100キロの間で高低差は約2パーミルで、ほとんど平ら。このため、ダム建設が難しく、また、流域が森林で開発の手が入りづらかったこと、川の持つ卓越した自浄力があいまって清流を守った。自然を求め、リバーカヤックのメッカ。ゴリ、鮎、鰻などおいしい魚の豊富な川でもある。 左は、太平洋にそびえ立つ観音様の姿をした30mの大岩、大月観音岩。 光を発し、遭難しそうな島原の乱鎮圧団の慰問使、雨ノ森九太夫を救ったとの言い伝えがある。この辺は奇岩が多い。 観音岩までの途中、おさる公園があるが、おさるがよっぽど、好きな人以外、オススメできない。 |
旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。