Diary of 17th Australia Part 1
 前回、7年ぶりに訪れた地に癒されたものの、日本に戻ってみると、更なる癒しが必要になるほど、仕事での悩みは大変大きなものになり、以前にも増して、僕はヤプーンへ思いを募らすことになりました。
 ひたすらに癒しを求めた、17回目のオーストラリア…3度目の滞在となったヤプーンでの日々を綴った旅日記にお付き合いください。
※このコンテンツは、2007年8月24日に公開した"Diary of 17th Australia"を移植したものです。

出発まで…禁断症状 
 昨年8月の16回目の「帰豪」後、僕は自分の勤務先の会社経営の方向性、上席の人間との関係に悩み、仕事を休業するほど落ち込んだ時期が数ヶ月間あった。
 身内や友人、職場で信頼できる同僚のサポートのお陰で職場復帰したものの、会社経営の不調からかストレス溢れる雰囲気に変わってしまった職場、休業中の体力の低下などで、復帰後は仕事が終わると疲れ果てる毎日を送っていた。

 日本を出たい…
Wreck Point, Yeppoon 「あの場所」できれいな空気を胸いっぱいに吸い込みたい…
 休業期間があったために、資金面での不安があったものの、僕は、穏やかな波の音や愛すべき動物達との再会を、のんびり流れる時間を、そしてその先にある心身の癒しを求め、割と早い時期に、17回目の帰豪のため、昨年と同じヤプーン(Yeppoon)に向かうことを決めた。

 勤務中は、その忙しさのために時間の経過が非常に早いが、疲れ果てて家に帰ってから、出発までの日数を数えると、その数字が中々小さくなってくれない。
 プライベートでもいつも以上にゴタゴタが続発していたこともあり、日に日にストレスが蓄積していた。しかし、それでもやっと出発までの日数が0に限りなく近付くときには、職場も夏休み前ということで、多少落ち着きを見せ始めた。出発前日までに何とか仕事に区切りをつけ、出発の日を迎えた。
 ただし、出発の日を迎えたのは、僕の身体だけであって、このとき、僕の魂は既に夢の大陸に到着していたことは、言うまでもない。
 プロローグ  2007年8月8日  2007年8月9日 前編  2007年8月9日 後編  2007年8月10日  2007年8月11日 
 2007年8月12日  2007年8月13日  2007年8月14日  2007年8月15日  エピローグ 
  
8月8日(水) Never come back to Japan...I wish I could... 
 やっと迎えた出発の日。
 これから、「癒しの地」に向け出発する。
 「癒しの地」に到着するまでの行程は、昨年と全く一緒にした。
 ずっと快晴だった昨年と同じ良い旅にしたいと言う思いから、敢えてそうしたのだ。

東京湾アクアライン 今回も、成田へはたまプラーザからのバスを使った。
 道路混雑のために、バスは、昨年のように首都高速で都心を貫くルートは使わず、第三京浜、湾岸線、東京湾アクアラインを経由して木更津を抜けるルートを通った。バスはアクアラインのトンネルを抜け、海を駆け抜ける橋を渡ったあと東関道に合流し、30分遅れで成田に到着した。

 ターミナルに入り、さっさとチェックイン、出国手続きを済ませ、いつものようにシャワーを浴びて、Yahoo!の無料ネットカフェに行こうとしたが、出発ロビーが昨年より様変わりしたことにビックリした。
 ネットカフェがあった場所にはお土産店が入っていて、「出発前のネットチェックはもう出来ないのか?!」とちょっと焦ったが、リフレッシュルームのフロントに聞いたら、近くに移転したとのこと、安心した。
 ネットカフェでメールチェックをしていたら、こあらオヤヂさんからメールが来ていて、ヤプーンに在住していると思われる方を紹介してくれた。感謝、感謝!
 その場で早速彼のブログを確認してメールを送り、後日の彼からの返事を待つことにした。
 気がついたら、ボーディングタイムを過ぎている。出発ゲートに向かった。
 しかし、出発ゲートはすごい人だかり。整備が遅れているらしい。
 その中に大学ラグビーのチームらしい一団を見つけた。僕の母校と同じ関東大学リーグ戦1部に所属しているT大の一行である。彼らに近いと、うるさくて寝れね〜なぁ〜…と、ちょっと心配になった。

 搭乗手続きが遅れて始まった。
 ビジネスクラス、小さい子供がいる家族の搭乗が終わると、「50列以降の方より先に搭乗していただきます」とのアナウンスが流れた。
 僕の座席は2*列のKなので、まだ乗れない。
 片や、問題のゴツい一行は…良かった、乗ってくれた。チラッと彼らのチケットを見たら、大分後方らしい。
 飛行機に乗り込むと、夏休みのため、予想通り満席。
 それでも隣1席くらいは空いていれば…と淡い期待を持ったが、僕が乗り込んだときには、僕の隣には既にご婦人二人組が鎮座しておられた。
QF360/JL761 Night Meal No more squashed in Economy!!
 僕の切なる願いは通じなかった。

 離陸後、機内食が出された。
 ご存知の通り、成田からブリスベンに行くQF360便は、カンタス便であってもJAL機材での運航となるため、機内食もJALで用意されたものが出される。
 カンタスには申し訳ないが、JALの機内食はカンタスのそれよりかなりウマい。ちょっとスモーク気味のサーモン、つくね…出発日のいつものパターン通り、軽い昼食、バスの中でのコーヒー以外は何も口にしていない僕は、それらをペロっと平らげた。

 満席の寝苦しさを予想して機内にウォークマンを持ち込んでいた僕は、眠りに入る曲を聴きながら、眠ることにした。
 それにしても、本当に窮屈だ…
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8月9日(木)前編 1年経って… 
 機内での窮屈な一夜が過ぎ、飛行機の窓から朝の光が漏れ始めた。
 やはり、熟睡は出来なかった。
 灯りが点いて、周囲がざわつき始めた頃、眠い目をこすり、窓を開けてみる。
 到着までの時間から逆算すると、飛行機は夢大陸の上空を飛んでいるはずなのだが…

Before arriving at Brisbane 窓から見えたのは、鬱蒼とした森林地帯ではなく、一面の雲だった。
 今回の旅のスタートは、快晴で切れないのか…少し落胆した。

 飛行機は出発時の遅れを若干取り戻し、ブリスベンに到着した。
 天気は昨年と違って曇りだったが、入国手続の列は昨年と同じく凄かった。
 荷物を受け取り、税関をすんなり抜けた後、国内線カウンターでロックハンプトン(Rockhampton)までの預け荷物を渡し、国内線ターミナルに移動するために、QRのホームに向かった。
 空はやはり曇っている。白い空を見上げていると、電車はすぐにやってきた。
 通勤するにはちょっと早い時間のためか、社内はガラガラ。
 まだ、眠さで半分頭が働いていない状態で、空港の景色を眺めているうちに、電車はDomestic、国内線ターミナル駅に到着した。
 ターミナルのビルに入り、セキュリティチェックを通過した後、エスカレーターを昇り出発ロビーのコーヒーショップでカプチーノを注文して、時間をつぶすことにした。
 まず、5日後にゴールドコーストでお世話になるyamamotoさんに無事入国の電話を入れた後、携帯メールチェックをしたら、こあらオヤヂさんから紹介のあった、かちょー。さんから、返事が来ていた。
 「何かあったら、相談して欲しい」とのメッセージが電話番号と一緒に入っていた。
 とりあえず、連絡を取れたことにホッとしたら、何だか眠くなってきた。
 搭乗時間までまだ2時間はある。テレビの画面をぼ〜っと見つめて、頭と体を休めることにした。
 
Before arriving at Rockhampton ロックハンプトンに向かう便は定刻通りに出発した。
 プロペラ機独特の「ぶ〜ん」と言う音をBGMに、短い足を思いっきり伸ばして、1時間ほど熟睡した。
 到着前、フライトアテンダントに頼み、機内サービスのマフィンと、眠気覚ましのコーヒーをもらった。やっと目が覚めてきた。
 
 飛行機はロックハンプトンに定刻よりちょっと早く到着した。ブリスベンと同じく、やはり曇りだった。
 荷物を受け取り、レンタカーの手続きをして、車の鍵を受け取った。
 5日間一緒になる今回の相棒のトヨタカローラと対面し、トランクを空けて重い荷物を詰め込んだ。
 このとき、時計は既に昼の12時を回っていた。空は曇っているが、亜熱帯のため、ちょっと暑い。長袖のパーカーを助手席に脱ぎ捨て、車を、カプリコーンコーストの中心地、「癒しの地」ヤプーン(Yeppoon)の方向へ走らせた。

 カプリコーン・コースト滞在は今回で2年連続3回目。
 シドニーパースポート・マックォーリー(Port McQuarie)に滞在したときもそうだが、1回目の滞在でその土地にある各ポイントのある程度の位置関係が頭に入り、2回目でそこに至る道順を記憶し、3回目からは自由自在に動けるようになる。
 カプリコーン・コーストエリアも同様で、3回目になると、いちいち地図を眺めなくとも、ドンドン車を走らせることが出来るようになっていた。

Cooberrie Park 昨年と同じく、僕は予約したアコモに向かう前に、クーベリー・パーク(Cooberrie Park)へ、愛すべき動物達と会いに行くことにした。
 空港からCooberrie Parkまで、70キロ強。日本での片道70キロは結構な遠出になるが、こちらでは道路が整備されていて、なおかつ交通量が大変少ないので、1時間もしないうちに簡単についてしまう。

 Cooberrie Parkに到着、早速中に入った。
 入り口の看板、働いているスタッフ、無料でもらえなくなったエサ…何やら様子が変わっていた。
 翌日会うことになるかちょー。さんから聞いた話では、この1年の間にオーナーのJoeがここの経営を他の人に譲ったらしい。8年前にはいた彼の奥さんのHelenは昨年訪れたときには既に亡くなっており、きっと昨年僕が訪れた時点で、彼は既に引退を考えていたのだろう。
 中に入ってからも、変わった事だらけだった。
 カンガルーたちのフレンドリーさは変わらないが、昨年はいなかった逃げ出す動物がいくつもいた。
 昨年までは一緒にいてくれたエミューやドンキーが金網の向こうに追いやられた。
Cooberrie Park コアラとの記念撮影に10ドルのお金を取るようになった。
 「傷ついた動物達の保護」、「設備増強」を名目に、園内のいたるところにドネーション(寄付)の箱が置かれているのも気になった。意義はよく理解できるのだが、経営者から「金よこせ」って言われているような気分になってしまった。
 上司が変われば、職場は変わる。経営者が変われば、会社が変わる。
 至って当たり前のことだが、このような変わり方を、僕は残念に感じた。

 この日は午後1時のショーには間に合わなかったため、後日もう1回来てみようと考え、Cooberrie Parkを後にし、今回の旅で一番楽しみにしていた、アコモに向かうことにした。
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8月9日(木)後編 Villa Mar Colina...感激のご対面 
 今回ヤプーンでお世話になるアコモは、Villa Mar Colinaと言い、ヤプーンの町の中心部から脇道に入り、入ってすぐの急な坂を登りきった丘の上にある、2つのベッドルームがある地中海風(と言う触れ込み)のコンドミニアムである。

 僕は昨年のヤプーン滞在滞在の直後にここのホームページを見つけ、一目惚れしてしまった。次回、ヤプーンに「帰る」ときは、ぜひここに泊まりたい!ずっとそう思ってきたが、この時点ではそのチャンスがこんなに早くやってくるとは考えてもみなかった。
 それが、今年の6月に夏休みのスケジュールがほぼ決まり、再びこの地に滞在できることになった。その後の僕の行動は早かった。ホームページにアクセスし、ここのオーナー夫妻に、いきなり「どうしてもここに泊まりたいんだけど」と言うメールを送った。その後、奥さんのEvelynが僕のメールに親切に対応してくれ、詳しい設備の確認、予約の意思表明、デポジットのためのカード番号の連絡など、手続きがとんとん拍子に進み、予約が確定したのは、最初のメールから1週間程だった。
Villa Mar Colina, Yeppoon 予約が確定した後、Evelynは予約確定のバウチャーとアコモのガイドを、エアメールで日本に送ってきてくれた。メールで全てのことが済んでしまうこのご時世で、わざわざ郵便で送ってくれるアコモの心遣いに感激し、一日も早く泊まりに行きたいと言う気持ちになっていた。

 レセプションに向かい、メールでしかやりとりできなかったEvelynと感激(?)の初対面をした。
 チェックインをしたあと、しばらくEvelynと話したが、こんなことを言っていた。
 「遠いところにいる人と、メールでやりとりをしたあと、こうして対面するのはすごく楽しいの」
 無線のやりとりで窮地を切り抜けたマクレーン警部補とパウエル巡査部長がナカトミビルの外で感激の対面(←分かる人、いるかな〜??)したときってこんな気分だったのかな…などとは考えなかった(だったら書くな!)

 話のあと、部屋に案内してもらった。
 海を見渡せるバルコニー、これまた窓越しに海が見えるベッドルーム、落ち着いたリビング、ピカピカのキッチン、それぞれのベッドルームについた清潔なバスルーム、収納力抜群のクローゼット…1泊160ドルの部屋だが、それに見合うとても良い部屋である。
 Evelynから部屋とガレージの鍵、そしてウェルカムドリンクを受け取り、スーツケースに詰め込んだ荷物を開梱したあと、大きなソファに寝転ぶと、旅の疲れからかすぐに眠くなり、波の音をBGMに暗くなるまで眠ってしまった。

 目が覚め、顔を洗って時計を見ると夕方の6時半。
 適度にお腹も空いてきたので、食事に行くことにした。
 レストランが集まる町の中心部までは、歩いていけるのだが、帰りに急な坂を上るのが億劫だったので車を出した。しかし、これがいけなかった。
 ヤプーンでいつも使っているGalaxyと言う中華料理屋で食事をしたあと、車でアコモに戻ってきた。
 ガレージに車を納めようとしたのだが、ガレージが小さいのと、周囲に灯りがなく見通しが悪かったことから、車をガレージの柱にこすり付けてしまった。車を入れなおして、擦った場所を見てみたら、かなり目立つ。
 気持ちを落ち着け、どうしようか考え直し、とりあえず誰かに相談してみることに。
 初対面でこんな電話をするのは少し気が引けたが、今朝メールをもらったかちょー。さんに電話してみた。
 「明日の朝になったら、ホテルのレセプションと、レンタカーのオフィスに報告し、その後の指示を待った方が良い」とアドバイスをしてくれた。
 そして厚かましくも「明日、会いませんか?」と聞いてみたら、仕事があるにも関わらず、快諾してくれた。
 
 かちょー。さんに相談して、落ち着いた僕は、シャワーを浴びて身体をきれいにして、柔らかいベッドで眠りについた。
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8月10日(金) 旅のハプニング 
 昨日の車の件があったので、目覚めはあまりよくなかった。
 朝、Evelynに車をガレージに擦りつけた話をした。
 Evelynは、「ペンキがちょっとはがれただけみたいね。私たちは大丈夫だけど、車はどうなの?」
 僕は、レンタカーを借りるときには、必ず最大限の保険に入ることにしていて、今回もそれは、同じ。修理代は保険でカバーしてくれると思うけど、取りあえずはハーツのオフィスに行って、報告だけでもしてくると話し、カレージではなく屋外に車を停めたいとお願いした。

 空港のレンタカーのオフィスに出向き、事故の報告をしようとしたら、「昨日の状況をしかり覚えてもらい、返すときに報告してください。あなたの保険だったら、修理費の請求が行くことはないわ」と言われた。
 とりあえず事態が落ち着き、ホッとした。
 その後、かちょー。さんに電話を入れ、昼飯時にかちょー。さんの職場のリゾートで会う約束をした。

at Denison St., Rockhampton 昨日とは打って変わった快晴の朝。約束の時間まで数時間、何もしない手はないので、ロッキー(これがロックハンプトンの愛称らしい)の町を写真を撮りながら廻ることにした。
 ロッキーはオーストラリアでは比較的早くから開けた町で、周辺には歴史的な建築物や文化施設が多い。
 また、町の大きな通りのど真ん中をレールが突き抜け、そこを大きな鉄道車両がゆっくり通り抜ける、日本では見られない珍しい光景を見れたり、ゴールドラッシュに活躍した蒸気で走るトラムの博物館があったりと、鉄道好きには興味深い町でもある。
 僕も鉄道が好きだが、とりわけ、鉄道の旅や、どこか遠くと繋がりながら何かを語るレールが好きで、ロッキーに来ると必ずレールが貫く通りや長距離列車が出入りする鉄道駅に立ち寄る。
 さわやかな陽射しの中を、しばしロッキー散策をしてから、ちょっと遠回りのルートでドライブを楽しみ、かちょー。さんとの約束の場所に向かった。

 約束の場所は、実は僕が昨年滞在したところ
 今ではオーストラリアの有名なホテルが経営しているが、元は日本の企業が開発したリゾートで、その経緯から、今でも日本との繋がりが深く、ロッキー周辺で在住する日本人の多くは、ここで仕事をしているらしい。
 ここではマリンスポーツ、自然の中のトレッキング、ゴルフなどが楽しめ、のんびり過ごしたい人、アクティブに楽しみたい人、どちらの方にも満足してもらえる場所なので、機会があればブリスベンから一歩踏み込み、本物のオーストラリアのリゾートを試していただきたい。
 かちょー。さんがビジター用の駐車場で待つ僕を拾い、リゾートに中にある和食のレストランに案内してくれた。
 以前、このレストランでこあらオヤヂさんはすき焼きを食べたらしいが、僕は食べ放題じゃないすき焼きは怖くて頼めないので、天丼を頼んだ。
 かちょー。さんが、「今、○○さんが滞在してます」と教えてくれた。
 ○○さんとは、有名な俳優さんなのだが、まさか本当に会うことはないだろうと思っていたら、その後すぐにやってきて、かちょー。さんと挨拶をしていて、びっくり。僕は握手をしてもらったが、記念撮影は頼めなかった。
 ○○さんは僕達の背後のテーブルで食事を済ませてから、ゴルフをしに行ったようだった。
Rydges Capricorn Resort まさに思ってもみないハプニングだった。
 9割近くが白人のような社会で、現地在住の日本の方とお友達になるなんて思っていなかったし、こんなところで日本の俳優さんをお見かけするなんて、さらに考えられなかったこと。旅って、色々なことがあるものだなぁと、つくづく感じた。
 かちょー。さんとは、お互いの仕事のこと、ヤプーンのローカルな話題など、色々と話をした。
 かちょー。さんが仕事に戻る時間になったので、今回はこれでお開き。ご馳走になってしまった。忙しい中、お会いしてくださっただけでなく、ご馳走までしてくれて、感謝、感謝!
 今度、食事をするときは、僕の番です。必ず付き合ってくださいね。

 かちょー。さんと別れ、リゾートを出て、自分の部屋の戻ると、僕は一面に海が広がるバルコニーに出た。
 この日は雲一つない快晴、何もしないでいると、波の音だけが聞こえ、海からの風が身体を心地よく包む至高の空間になる。
 その空間に迷い込んだ僕は、暗くなるまでソファで心地よい眠りについた。
 あぁ、本当に極楽だぁ…

 zzz…

 夕食の時間になった。
 昨日のことがあるので、暗くなってからの運転はさすがにする気になれず、歩いて、ヤプーンの中心に向かった。
 中華ばかり食べている僕に、かちょー。さんがSailing Clubのバッフェを教えてくれた。
 メンバーじゃなくても気軽に行けるらしいので、早速行ってみることにした。
 料金は13.5ドル。食べ放題にしちゃぁ、悪くない。
 料理は、ローストラム、チキンの煮込み、魚のクリーム煮、サラダ、スープ、パン、デザートなど。
 追加料金を払えば、ステーキやフィッシュ&チップスも頼めるようだった。
 塩味の強い料理は少なく、日本人から見たら、決して万人向けではないが、僕は全然OK、中華に飽きてきたのもあり、大変美味しく食べられた。

 食後、ビーチを散歩した後、アコモまでの急な坂を歩いて食べ過ぎの解消に努めた。
 部屋に戻ってから、バスタブにお湯は張り、お風呂を楽しんでから、波の音を聞きながら眠りについた。

 明日は、何があるかな…?
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8月11日(土) まずはこの目で確かめて 
・朝7時には起き、朝食を浴びてシャワー。時には散歩。
・8時から9時の間に車に乗り込み、お出かけ。
・ランチを食べ、3時くらいにはアコモに戻り、波の音を聞き、海からの風を受けながら、暗くなるまで部屋でシエスタ。
・夜、町の中心部に繰り出し、ディナーを食べてからビーチ沿いを散歩してアコモに戻る。
・湯船に浸かってから就寝。
 今回のヤプーン滞在、ほぼ毎日がこんな生活スタイルだったと思う。
 何の考えもなしに、たまたまこんな生活になったが、僕にとっては、ヤプーンの良さを感じるには、一番良い過ごし方をしていたような気がする。
Cream Bum この日も、そんな生活の典型のような一日だった。

 起きてからシャワーを浴び、昨日のうちに買っておいた生クリームたっぷりのパンとコーヒーで朝食。
 僕のオーストラリアでの好物の一つに、このパンがある。
 身体に良くないのは百も承知の上だが、生クリームがドカーン!と挟まれたこのパン、日本ではお目にかかれない代物で、やめられない。このパンを食べるとき、僕は大抵、鼻の先に生クリームがくっついているのに気付かず、夢中になっている。

 至福の朝食をすませた後、車に乗り込み、出発。今回の帰豪前にロッキー周辺の地図を見て気になったポート・アルマ(Port Alma)と言う場所を目指した。
 Port DouglasPort HedlandPort AugustaPortで始まる地名は、オーストラリアにはたくさんある。
Port Alma 今から12年前、当時ワーキングホリデービザを利用してシドニーで暮らしていた妹が、シェアメイトと共に僕を旅行に連れていってくれた。そのときの目的地が、シドニーから北に400キロの場所にある、ポート・マックォーリー(Port Macquarie)と言うオージーたちのリゾート地だった。
 キャラバン・パークで寝泊りをしながら、近くのキャビンの人たちと友達になったり、間近にある海で遊んだり、近場のスポットを廻ったりした。当時まだシドニーでしかオーストラリアを知らない僕にとって、日本人だらけの観光地から抜け出した新しい世界は、それはそれは新鮮で、あぁこれが本当のオーストラリアなんだと感激し、それから3年連続して、ここに行き続けた。
 僕は、ポート・アルマと言う地名に同じ期待をしたのだ。
 ロッキーよりブルース・ハイウェイを40キロほど南下し、バジュール(Bajool)と言うキャラバンパークしかないエリアでハイウェイを抜け、東に向かった。
 帰国後に改めて、ロッキーの姉妹都市である鹿児島県指宿市のウェブサイトで調べてみたら、3万5千トンクラスの大型船が停泊できる港湾施設があるらしい。
 僕はひたすら続く一本道を奥へ奥へと入っていったが、30キロ、40キロと走っても、周囲に沼地や塩湖、塩湖から塩を精製する製塩工場があるだけのエリアが果てしなく続くだけだった。ポート・アルマと呼ばれるエリアまで達することは出来たものの、燃料のことも心配だったので、大型船が停泊できる港を見ることなく、僕は途中で引き返してきた。
 周囲の雰囲気から察するに、人に紹介できるような場所ではなかった…というのが、僕の結論である。
 それでも、「行きたい行きたい」だけで何もしないよりはマシ。どう言う場所か、体である程度確かめられたこと自体が、僕には収穫だった。

Koorana Crocodile Farm いったんロッキーに戻り、そのままロッキーを素通りして、今度はヤプーンではなく、エミュー・パーク(Emu Park)方面に向かった。
 次の目的地は、Koorana Crocodile Farm、平たく言えば、ワニ園と言ったところか。
 昨年は、ワニ園のクセしてワニ革製品の販売をしていると言う理由で行かなかった場所だが、ポート・アルマと同じく、まずはこの目で確かめてから…と考え、行くことにした。
 僕が到着したときには、ガイド付きのツアーはある程度進んでいた。ツアーは、淡水ワニ、海水に棲むワニ、長寿のワニ、カップルのワニなどの各コーナーを見てまわり、それぞれ最後はお約束でフィーディングを披露、一通り見終わった後は、建物の中に入り、赤ちゃんワニと記念撮影に納まる…と言うコースだった。
 まぁ、こんなものかな。僕が見逃した部分が何か、容易に想像がついたので、遅れてきたことを後悔することはなかった。また、この日も天気が良く、暑かったため、長居をする気にもなれなかった。

 この後、僕は一昨日見逃したCooberrie Parkの午後一時のショーを見るため、ワニ園を後にした。
 ヤプーンの隣町のエミュー・パークを経由し、点在するビーチを眺めながら走れるシーニックドライブを北に走ると、15分程でヤプーンに、さらにヤプーンからは一昨日と同じルートを走り、Cooberrie Parkを目指した。
 Cooberrie Parkに入ると、スタッフがみんな口を揃えて、「あ、この前来た?」
 2日前に来た東洋人のことは、みんな良く覚えているようだ。
 中に案内されてすぐにショーが始まった。
Cooberrie Park, Yeppoon やはり、ショーの中身も大分違う。若いお兄さんが、赤ん坊のカンガルーを抱いた少女を指差しながら、親が事故に遭った話をしたり、コアラの簡単な説明をして、すぐに記念撮影タイムに入ってしまった。一昨日も書いたが、コアラと一緒に撮影するには10ドルのお金を払わなければならない。昨年のJoeの熱心な説明とは、天と地の差があった。
 彼らなりに必死にやっているのかもしれないが、動物達に対する情熱が、Joeと較べると、遠く及ばない気がした。
 ショーへのお付き合いを程ほどに、僕はカンガルーたちとしばらく遊んだ。
 そうそう、ここには面白いオスの馬がいる。
 この馬、僕の顔を見る度に、歯をむき出しにして、「うぉ〜ん」って、到底馬とは思えない声をあげたあと、僕の元に猛ダッシュで近寄り、金網越しに僕の腕をヨダレをタラしながらベロンベロン舐めあげる。よく見たら、知らない間に5本目の足がニョッキリ。昨年、彼(?)の興奮ぶりにはビックリして、思わず「成果物」を写真(←もちろん、お蔵入り)に納めてしまったが、彼の旺盛ぶりは、今年も変わらなかった。
 こっちはオスの動物に興奮されても、ちっとも嬉しくないのだが…
 動物は異性の人間に対し興味を覚えるものだが、変わった趣味のヤツがいるのは、動物の世界でも一緒なんだと、良い勉強をさせてもらった。

 この日も昨日に続き雲一つない快晴、Cooberrie Parkを出た僕は、アコモに戻って一休みすることにした。
 帰ってくるなり、ソファに身体を横たえ、テレビをぼ〜っと眺め、知らない間に夢の世界に入った。

 zzz…
 
 この日の夜は、一昨日と同じ、Galaxyと言う中華料理屋で夕食を食べた。
 ここはバッフェ形式でいくつもの中華料理を毎日楽しめ、その中でも僕はチャーハンを大変気に入っている。
 曜日に関係なく席は常に7〜8割程度埋まっているし、バッフェの料理をテイクアウェイで買いに来る人たちも引っ切り無しにやってくるので、ヤプーンの中では、かなりの繁盛店だろう。
 丸顔の中国系のお姉さんと、お友達になった。

 食後、ビーチを散歩してから、急な坂を上って腹ごなしをして、眠りについた。

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