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まだ続くのか伊佐間

これで終わりますが。とりあえず。

何をいきなり伊佐間語りしてんのか自分でも謎でしたが
美由紀のおじいちゃんと仲良し(?)というユキハ様のお言葉により
そういえば伊佐間も絡新婦の結構重要な登場人物であったことを思い出し(今さらかよ)
この時間は無駄ではなかったと確信。

目潰し魔の攻撃を間一髪逃れたんですよね。
案外強運の持ち主なのかもしれませんね。
あるいは、ああ見えて(見てません)意外と俊敏な人なのだろうか。
榎さんの指揮下で生き延びたことを思うと、そういう可能性もあったりして。
いや、榎さんの下にいたら死ぬとかいうわけじゃなく、
なんとなく、榎さんの指示に100%従えれば生き延びれたのかも、などと思えちゃうんです。
もちろん敵のあることではあるし、戦争なんてそんな甘いもんじゃないに決まってますけど。

で、榎さんのほうは、初対面から伊佐間が気に入ったようだということと、戦後も付き合いが続いてるということが漠然と書いてるだけなんですね。

榎さんが伊佐間を気に入ったのは、中身が年寄りじみてるのを看破したのが嬉しかったというのもあったかもしれないけど
世の中の枠にうまく嵌れない伊佐間の性格もわかっていたのかもしれない。
そんなところに何か親近感を持ったのか、単に面白かったのか…。

でもいくら気に入っても戦後わざわざ探し出したりはしないだろうし
住所交換してたなんて気持ちの悪いことは絶対ないと思う(笑)。
あの世界のことだから信じられない偶然というのはあったのかもしれない(笑)。
全くの偶然でないとすれば、何らかのツテで榎さんらしき人物の噂を聞いた、
あるいは別の戦友を介してかつての上官の消息を聞いた、とかあるかもしれない。
で、半分興味本位で見にいったとか。総一郎さんの店に。


ひょっとしたら、何かほしい本があって、榎さんとの再会の前に京極堂へ行ったりとかしてたかも。
むしろそこからつながったとか。
マチコ庵は「中禅寺さん」だったと思うんだけど、伊佐間は「中禅寺君」なんだよね。
それとも性格の違いかな。

伊佐間の続き

なぜに依願下僕かというとですね、
狂骨の記述です。
エンジニアになりたかったけれど挫折した伊佐間。

「社会に不適合な自分の性格は真実正さねばならぬものかと伊佐間は伊佐間なりに煩悶したものである。
 戦後になってその煩悶は吹っ切れた。…… 尤も軍隊生活や暗い時代それ自体が、伊佐間にとって大きく意味を持ったと云う訳ではない……
伊佐間が影響を受けたとするなら、その対象は戦争によってもたらされたひとつの出会いと、ひとつの体験にこそ集約できるだろう」

体験のほうは、臨死体験です。
そして出会いというのが榎さんとの出会いなわけで。

でも、特にそれで感化されたとか、憧れたとか書いてあるわけじゃないんですね。

「その困った男と出会ったお陰で、伊佐間もまた困った道を歩む羽目になったと、そう考えるのは若干なりとも真実である」

まるで伊佐間が釣り堀屋の親爺になたのは榎さんのせいとでも言いたげである(笑)。
べつに伊佐間は改まって榎さんに何か相談したわけはないだろうし、
榎さんが何か口を出したわけでもないだろうけど
それでも臨死体験と同じぐらいのインパクトを持って伊佐間の人生に影響を与えた訳ですよ、榎さんが(笑)。

戦争という異常な空間の中で、殴られて当然の部下の返答に5分間も笑い続けたという榎さんに出会っちゃったわけですね。

益田もまた、伊佐間ほど社会の仕組み全体でなくても、警察機構の仕組みに馴染まないものを感じていたわけですよね。
そして下界から離れた山の中、寺、僧侶の連続殺人、今までの常識が通用しない異常な空間の中で、探偵に出会ってしまったわけです。

そして伊佐間は、自分の性格を直してまで社会に馴染むことをやめ、
益田は警察を辞め、探偵事務所に転がり込んでしまったわけです。

でも2人とも、探偵のことを困った人間だと思ってるわけです(笑)。

同じ下僕でも、マチコ庵はそこまでの影響を受けてはいないように見受けられるし
かといって河原崎や大磯の駐在さんのように無条件に心酔してしまってるわけでもない。
その辺伊佐間と益田は特徴的に似通ってるような気がしたんですよね。ふと。

伊佐間とマチコも出てほしい漫画百器徒然。

先日行葉様のところでもちらっとお話をしたんですが、元海軍組が戦後どのように再会したのか興味あるところであります。
マチコ庵は鉄鼠で偶然再会なわけですが、
里村医師はもしかしたら木場修が刑事と監察医として知り合って、そこから榎さんにつながったという線もあるかと思います。

さて、伊佐間は?

榎さんも伊佐間も、両方ともわざわざ相手を探し出してまで会おうとする人間にも思えないので(笑)
偶然なんだろうなとは思うものの、
もしかしたら違うかもしれない。

伊佐間はある意味益田みたいな依願下僕に近い部分があると思う。
そして榎さんは伊佐間が気に入っていたということだし、
伊佐間に何か近いものを感じていたかもしれない。

伊佐間はエンジニアになりたかったが、商売には向かなかった。
技術だけあってもしょうがないわけで、
そういう世界に馴染まなかったという。

なんとなく、榎さんも目が悪くなければ機械いじりできる仕事とかしたかったんじゃないのかな、と妄想してるので(笑)。

長くなるので続きはまた後日。

塗仏をちらちら見直しております。

敦子と布由がさらわれた後、益田に、榎木津が後を追ったのかと確認した中禅寺。
そして榎木津が追ったのなら、「だったら騒ぐな」と。
いいですね、この信頼感。
もっとも中禅寺は事件の構造を見抜いていたから、敦子の身の安全について疑いを持っていなかったというのもあるんだろうけど。
これは単に腕っ節の強い榎さんが追ったのなら連れ戻してくれるとか守ってくれるとかそういったことに対する信頼ではなく
(もちろん万一のときには動いてくれると思っていただろう)
榎木津が行くべき場所を見誤らないという信頼でもあったと思うんです。

それにしても、1人戸人村へ向かう榎さんを想像すると
彼はきっと楽しんでいたのではないかと思えてしょうがない(笑)。

なんとかごまかせないか(笑)

作者のミスに違いないからもういいや、と思うことにしていた榎さんの年齢。
覚え書きを整理していてまた思い出してしまったんですが。


ふと思ったんですけど、
関君の年齢は特定できますよね。
で、木場修の年齢も特定できる。

そして榎さんに関しては、関君が自分より1学年上だと言ったことと
木場修がはっきり、あれは自分と同い年だと言った部分。
関君と木場はそれぞれ自分で述懐する形で年齢に触れてるんですが
榎さんについては他人がそう言ってるだけなんですね。
つまりやっぱり木場修が間違ってる可能性もありですよね?

なんちゅう無理矢理な(笑)。
でも学制を使った説明だって結構無理矢理ですから。

だって、それ以外では曖昧なんですよ。
魍魎の時点では、たしか榎さんは木場のことを竹馬の友とは言っているけれど、
同い年とは言ってない。
そして関君は榎さんのことを、三十を幾つか過ぎてもまだ独身、という曖昧な言い方をしている。

木場修が榎さんのことを同い年だと言ったのは絡新婦だったと思うので、作者は同い年にしたいんだろうなとちょっとがっかりするんですが(笑)
でも、同時に見かけは年齢不詳だとも言ってるわけです。

百器徒然になるともう、益田の言葉で三十半ばとか、三十幾つかとか、曖昧な言い方しかしていない。

ですからまだウルトラCもありうるんじゃないかと思うわけですが、
どなたか何か考え付きませんか?(笑)

あと、もし木場修と降旗が自分の年齢を「かぞえ」で言っていたら、なんて道も探ってみたわけなんですが(笑)。
木場はともかく、仮にも科学者の端くれの旗ちゃんはそれはないわな。