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思い違いをものともせず垂れ流す譫言

もう一つ榎さんが諦めたんだろうと思うもの。
それは神崎宏美、そして結婚です。

出征前結婚まで考えていた筈の相手。
そしてせっかくの写真を自分が持っていて燃えてしまうことが忍びないほど
きっと大切に思っていたんだろう。
戦後行方を突き止めていたならなぜ会いに行かなかったんだろう、
という疑問は神ファンなら誰でも一度は思うはずだ(そうか?)。

考えられる一つの理由は、
彼女の立場を知って、これは無理だと判断したかもしれないということ。
榎さんは少なくともこのときビジネスの世界に入るつもりはなかっただろうし
そんな人間と結婚するわけにはいかない立場だったはず、宏美のほうは。
それでも彼女が全部放棄して、挿絵描きなりギター弾きの榎さんのところに来る気があったのならまた別だっただろうけど
多分彼女はそうでなかったと思う。
べつにお金に執着したとかではなく、周りの人間への意地からであれ、仕事に熱中していた彼女が、それを放り出すとは思えないんです。邪魅を読むと。
直接会って話をしたわけでなくても、きっと榎さんにならそういうことはわかってしまうと思う。
どこからか姿を見るぐらいはしたかもしれない。
そして彼女が変わってしまったことに気付いたのではないかな、と。
そういうこと、すぐ見抜いてしまいそうな人だから。

そして多分ね、結婚というものも諦めたんじゃないかな。
諦める以前に結婚願望なんかあったかどうか知らないけど(笑)。
私は榎さんがあの体質でなくても変人だったに違いないと思ってるんだけど(笑)
でも御前様だって結婚してるんだし(ひでえ)親同士決めた結婚なら当時普通のお嬢さんなら厭とは言わないでしたと思う。
だから榎さんがもし望むなら、あの性格でも結婚はできただろう。

だけど、やっぱり私だったら、隠し事ができないっていうのはすごいストレスになると思う。
べつにやましいところはなくても、よ。
ずっと一緒に生きていく人だからこそ、何もかも自分の行動が筒抜けになってしまうのって、榎さんのほうにそのつもりはなくてもやっぱり息苦しい。
そして女性がそう感じるだろうということを、榎さんはわかってると思う。
もしかしたら知らなくてもいいことまで視てしまって、自分が傷付くのが厭なのかもしれないし。

でも純粋でまっすぐな美由紀ちゃんなら、
あるいは榎さんに負けず劣らず破天荒な美弥子さんなら…。
とにかく誰か、すべて受け入れられる人が榎さんに寄り添っていて
彼が孤独でなければいい…そんなふうに夢想しているのです。

思い込みが強すぎて暴走する妄想

榎さんが諦めたんじゃないかなと思うもの。

それは仕事、です。
進路、と言ってもいいかもしれないけど。

榎さんてメカ好きだよね。
デンスケや改造車に狂喜してたもの。
だったらほんとは理工系に行くこと考えるんじゃないかな。
でも目が悪いと、実験とかいろんな作業が大変だと思うので
それで文系にしたのかなあ、なんてね。

で、法学部っていうのは前に、競争率が高かったから面白がって受けたんじゃないかなんて書いたんですが
それはあるとは思ってますが(笑)
もしかしたら何某かの思惑だってあったのかも。
エンジニアが無理ならこれをやろうか、みたいな将来に対する考えって
何にもなかったんでしょうか。

法学部だからといって法曹界に入ろうと考えていたとは限らないんですが。
それとも本当に何の考えもなかったのかなあ。
帝大に進むころには戦局が今後悪化することを見越していて
どうせ将来のことを考えても生き残れるかどうかわからないから
なんて理由で何にも考えてなかった可能性もあるかな。
で、いざ戦争が終わって生き残ってみたら
ちょっと通常生活は送り難い状態になってたものだから、定職に就かず(と言っていいのかどうかわからんけど)にふらふらしてたとか。

でももしかしたら、何かやりたいことがあったのかもしれない。
敦子は、榎木津がビジネスに興味がないと言っていたけれど、
もしかしたらあったのかもしれない。
だけど、考えていなかったにせよ、やりたいことがあったにせよ
やっぱり復員後はよく視えるようになったせいで、というのは大きかったんじゃないだろうか。

腹に一物抱えた人間たちとたくさん会わなければならないというのは
相手の嘘が見抜けてしまうと余計に我慢ならないものじゃないんだろうか。

挿絵描きの仕事って、比較的他人との接触が少なくて済むんじゃないだろうか。
進駐軍相手の仕事だったら
空襲や戦地での酷い記憶を持った日本人を視るより、まだ楽だったんじゃないだろうか。
そんなふうにして、少しずつ順応していく時間が、さしもの榎さんにも必要だったんじゃないだろうか。

本当に興味がないのだったら、将来財閥の長にはなってないのじゃないかな、と思った次第。

思い入れが深すぎてこぼれ出す戯れ言

榎さんが諦めたかもしれないもの、というか
これは諦めてはいなかったと思うんですが、すいません、話が最初から外れてる。

榎さんて多分、ご幼少のみぎり、友達っていなかったろうなと思うんですよ。
木場修ぐらいだったんじゃないでしょうか。本当に友達と呼べるのは。
それは榎さんが変人だから、じゃなくて、いやそれもあったにしても。
本人の意思とは無関係のところでという部分もあったんじゃないかなと。

「敵か、下僕か、どうでもいい人間か」

この対人関係観はどこから来たんだろうと思うわけですよ。
この分類項目は帝王学の賜物だとしても、
実際の人間関係において、御前様が、友達を作るなと教えたとは思えないし
一々子供の人間関係に、その子は敵だとかそれは下僕だとか口出しする人でもないですよね、御前様は。
本能的に子供って(人間って)友達を求めるものだとも思うし。

だけど、実際少なくとも学校には、敵か下僕かどうでもいい人間しかいなかったんじゃないだろうか。

いくら子供でも、見た目も綺麗だし、勉強も運動も何でもできる子がクラスにいたら
対等に友達であるのはなかなか大変だろう。
憧れの目で見てしまったらそれは友達というより下僕に成り下がってしまうだろうし
その上変人だとわかったら遠巻きにしてどうでもいい人間になっていくだろう。

そして敵も多かったんだろうと夢想するわけですよ。
上流階級なんて狭い世界が嫉妬心と無縁なはずはないと思ってしまうのは偏見でしょうか(笑)。

敵が多かった別の理由は、榎さんの外見です。
今だったらハーフみたいでかっこいいってことになるでしょうけど
戦前でしょ?
ハーフ自体が奇異の目で見られてたんじゃないかな。
ましてや華族様だし。
明らかに御前様とお母様とは色が違うわけで。
総一郎さんはまだ不明だけど、多分榎さんとは違うと思ってるんですよ。
色素が薄いということと、視える体質であるということは関係があると思っているので。
そうでなければべつにただの美形でいいわけで、色素が薄い必然性はない。
以前も書いたけど、アルビノの人に視覚障害が多いということや
物語などの中で特殊な能力を持った人間として登場することが多いというのは
やはり榎さんの設定と関係あると思う。

というわけで、家族の中で1人色が違うことや、ハーフに対する見方が今と違うだろうことを考えると
悪い意味で奇異の目で見る人間は少なくなかったと想像できるし
子供って良くも悪くも正直でストレートだから時に残酷だし
榎さんの外見的特徴というのは、褒めそやされるばかりではなかったろうと思うんです。

ああいう人でなければむしろいじめの対象だったかもしれないけど
まあ、榎さんだからそうはならずに「敵」認定されたってことじゃないかな。

きっと、木場修は、そして後の中禅寺や関くんは、榎さんにとって、この3人が思っているより、大切な存在なんじゃないかなあ。


司くんについては謎ですが(笑)。

ドリー夢なんだけどさ

実は以前から、榎さんて何でも持ってるようでいて“諦めた”ものがたくさんあるんじゃないかなと思ってたんです。
興味がないとかやってみて駄目だったとかいうより、諦めた、という表現が一番私としてはしっくりくるんですが。

ただ、それはちょっとセンチメンタルに過ぎるかなとか。
第一京極先生は妙に悲壮感のある人物として描く気はないんだろうと思うんですよ。
だから「自分の話」をさせないんだろうと。
邪魅でさえ、結局本人はほとんど何も語らなかった。

シリーズ中唯一と言っていい榎木津目線で語られているのは魍魎の最初の一部分だけで
そこでは、あの短い中でさえ、
船酔いしたように気分が悪くなるとか、
秩序を獲得せんがために混沌を容認せざるをえないという矛盾を抱え込んで生きているといったように
やはりいささか悲壮感を匂わせることになってしまっている。

その辺りからの類推と、ああいう体質だったら実際どうなんだとか想像するに
やはりそれは周り(関くんとか、もしかしたら木場修でさえ)が思っているほどには
能天気に勝手気ままに唯我独尊に生きてきただけではないのだろうと思ってしまう。

私は自分の二次の中で、少なくとも直接的にその辺を書くつもりはないんだけど
つか、書く力がないって言ったほうが正しいんだけども(^^;)
先日ふらふらと旅をしてて(ネットでですよ、もちろん)
♂×♂サイト様で、榎さんについて同じように「諦めた」という表現を使っていらっしゃるところを見つけまして
諦めた内容はもちろん若干の差異はあるんだろうけれども
榎さんを見て(っていうか…)いて、やはりそう感じるんだ、同じように感じた人がいらっしゃるんだと思って
なんか心強くなっちゃったので

ここで一度妄想吐き出してもいいかなあ、なんて思ってたりします。

だれかさあ…

妖怪大談義の中で中禅寺については少々語られてますね。
でもやっぱり榎さんはないのね…。
そりゃ特にこれは「妖怪」大談義なわけなので当然なんですが。
それでなくても主役じゃないし。


でもねー、やっぱりなんかさびしい。
これだからかえって作品論みたいのってなかなか読む気になれないのよね。
だってさびしくなっちゃうのわかってるもの。

陸軍中野学校に実際行かれた人とか
そして中禅寺とか
人間としてバランス失いそうな経験したってのはそうなのかもしれないけど
あまりその悲劇性みたいのを強調されるのはなんだかなと思い。
いや、京極先生は強調してないんですけど(笑)。

前にも書いたけど、少なくとも最前線とか特攻に送られるよりは命が安全だったじゃん、って思っちゃう。
あ、中野学校卒の方々はスパイだから命の危険ありありですが、
研究所にいた中禅寺その他ですよ(笑)。

榎さんは昇進してたから
部隊壊滅なんて憂き目にも遭ってなさそうだし
伊佐間とまちこ庵のキャラがああだし(笑)
わずかに出てくる戦時中のエピソードも軽いノリだし
だからって末期の海軍にいて、悲惨な場面に遭遇してないなんて
陸軍よりましだったなんてことはないはずなので…。

昭和史に詳しい方がどなたか榎さんについていろいろ論じたり解明したりしてくれないかなあ。