WINGWIN会報(42)
(04’11/14)
11/14のブーメラン秋季競技会が中止になってしまいました。新潟県中越地震の未曾有の災害の模様は、毎日、テレビや新聞で報道され、改めて自然の驚異を感じざるを得ません。大会中止は当然のことと思います。震災被害を蒙られた方々には謹んでお見舞い申し上げます。さて、今年ももう来月は忘年会のシーズンがやってきて、また、あっというまにまた一年が過ぎ去ってしまうのだなあと思っていると、これではいけないと思いながら、仕事が忙しくて、中途で放り投げてあった数々のブーメランをあわてて作り直している自分がすごく滑稽な感じです。ところで、今年は、ワールドカップの年でもあり、九州でも大会が開催されるなど、華やかな一年でもありました。特に、ワールドカップでは、クラブからは海老沢選手が日本代表として参加、団体戦、個人戦ともに活躍し、クラブの士気もおおいに盛り上がりました。そして、世界のブーメランの技術や、外国選手のパワーの違い、その他のいろいろな土産話は我々としても大変勉強になりました。九州大会のほうは諸事情により出られなかったのが残念です。次回のワールドカップは06’7月に北海道旭川市で開催されることになっています。クラブの皆さんも新しい目標、ワールドカップに向って頑張って練習してください。
ブーメラン一発勝負!
ブーメランは、他のスポーツに比べるとかなり特異性を持つ高度なすポーツなので、たくさんのブーメランを揃えたり、各種目の練習やらで、全部マスターするにはかなりの時間がかかりますね。一度は大会に出たいという思いがあっても、全部は自信ないのでつい大会は・・・ということで躊躇してしまうブーマーは結構多いと思います。ところで、ブーメランの大会では、5種目(国内ルール)全部できなくても出場できるのをみなさんご存知ですか。ですから、例えばオージーラウンドやファーストキャッチだけの参加でもよいのです。そこで、あなただけに耳寄りの話があるのです。大会では、総合力ではいけなくても、初心者ブーマーでも上位選手を打ち負かせる種目があるのです。それは、AC(正確さ種目)とMTA(滞空時間種目)なのです。ACは、わりかし上位選手がスコアーをくず゜す種目ですし、MTAはもちろん高く上げれば高タイムが出ますが、初心者でも、たまたま、うまく上昇気流に乗ってしまえばかなりよいタイムが出る時があります。初心者が、あるきっかけでブーメランに興味を持ち、最初に買い求めるのはオージーラウンド用ブーメランではないかと思います。やがて、ファーストキャッチのスピードに快感し、その後、滞空時間のMTAに今までとは違った興奮を覚えて、ますますブーメランにはまってゆくのではないでしょうか。特に、MTAは、数を打っているうちにとんでもないタイムが出たり、上昇気流に乗って高木のてっぺんにひっかかったり、林を越えたりして、やがて行方不明なんてこともしばしばです。「全種目はなぁ。」と思っているブーマーは是非、このAC、MTAに力を入れてみてください。大会では、総合力順位(3位まで)の他に種目別1位(賞状と盾)が送られます。全種目は・・・と思う方も「AC、MTAの一発勝負!」で大穴を狙うのもおもしろいと思います。「大会種目別1位」これはもう、快感のきわみです。終世、ブーメラン自慢話に花を咲かせることができます。
kiyomaru
04’ブーメランワールドチャンピオンシップ挑戦記
 2003年の秋、悩んだ末に「行きます」と、トギーにメールを打ってから、自分の周りが世界大会のために動き出した。それでも初めてのことなのでいろいろと不安はあった。自分のような持久力のないものが長丁場の世界大会で投げきれるのであろうか?自分の力のなさに打ちのめされて帰ってくるだけではないのか?二週間も家を離れてホームシックになってしまって、ふと星空を見上げて涙してしまうのではないのか?現地に着いたら着いたで、外国の選手たちがみなボブ・サップみたいで、生肉をむさぼり食ってたらどうしよう・・・などなど。そしてその不安は、4月に群馬県前橋で行われた最初の代表合宿で現実のものとなった。強風の中でのアキュラシー・チームリレー・チームエンデュランス・トリック/ダブリングの練習を終えたその夜、ホテルの部屋には、両足のふくらはぎと右肘にシップを貼り、腰には低周波治療器をつけた自分がいた。そして、翌日は、100mダッシュが私の練習メニューに加わった。その後、二回の合宿を経て7月11日、フランスに向け機上の人となった。フランスでは、去年、猛暑のため40人もの人が亡くなったようだという話を聞き、それではと思い、万全の暑さ対策をして荷造りをした。ところが、着陸態勢に入った飛行機の機長から信じられない情報が入ってきた。「現地の気温は15度、天気は雨・・・」、「ふーん15度ね。なに、15度!」しまったと思ったがあとの祭り、実は、フランスの夏はいつも涼しく、去年はたまたま猛暑に見舞われ死亡者が続出したのだ。そういえば、ガイドブックには、日本よりも涼しいと書かれてあったのに・・・自分の読みが浅かったのだ。結局、その後、4、5日は天気が悪く、夜寝る時も寒い思いをしてしまった。やがて空港に着き、シャルルビルメジェールへ向う私たちに早々難関が立ちふさがった。言葉の壁だった。私は、英語もろくに話せないのだが、メンバーの何人かは英語を話せるということを聞いていたので、少し安心していた。しかし、英語はみごとなまでに通じない。移動ルートは、まず、空港からシャトルで駅まで行き、電車でパリ北駅へ、そこから地下鉄を一駅乗ってパリ西駅へ、そこから、シャルルビルメジェール行きの電車に乗るのであるが、地元の人なら約1時間の行程だが、地理に不案内の私たちは4時間もかかってしまった。私はこのときの状態をまさに「行く先難民」だと思った。」空港にいた航空会社の人とおぼしき女性が「パリの地下鉄は治安が悪いので乗らないほうがよい」と言っていたが、パリ北駅から西駅に移動するのにどうしても地下鉄を利用しなければならなくなった。身の回りに気をつけ緊張しながら電車に乗り込もうとした時それは起こった。二週間分の荷物を持った私たちは、込んでいた電車に無理やり乗り込もうとしたが、一番最後であった自分が乗れなかったのだ。「次の駅で降りてー」、その言葉を残してみんなは去っていった。次の電車を待つまでの時間、長くて怖い気持ちと、また、それを楽しんでいる自分があった。かろうじて、20時21分発、シャルルビルメジェール行き最終列車にぎりぎり1分前に乗り込むことができ、目的地であるシャルルビルメジェールに着いたのは23時頃になってしまった。翌日はセレモニー、次の日のレセプションは町の真ん中に位置する「革命の広場」のような石畳広場に市民が集まり、一国づつ紹介され、花火をつけたブーメランが夜空に舞い上がり、歓声とともに大いに盛り上がった。その尾を引いて団体戦、個人戦をとおして大会中、観戦の人々は途切れなかった。団体戦初日、競技の前に全選手が整列し、「グッド・ラック」のハイタッチを交わした。今さらながらブーランは人と争うものではなく、風を読み、風を友として自分自身と戦う競技なのだと思った。団体戦最初の競技はチームアキュラシー、私は米谷さんとペアを組んだ。意外と緊張感もなく10回投げることができた。「侍チーム」に貢献できたかどうかは別として、この競技は3位となった。午後はチームエンデュランスが行われ、飯塚君→米谷さん→私→トギー→飯塚君(アンカー)の順番でスロー、私はこの競技を不得意としていて、大会に備えて一番たくさん練習をしていたが、やはり、うまくいかなかった。しかし、みんなから「速さより確実性だ!」のアドバイスをもらって気が楽になり、なんとか大きな失敗もしないでこなすことができた。翌日でのチームエンデュランスはドロップする人が多く出、成績はあまりよくなかったが、あることで大いに盛り上がった。あえて名前は伏せておきますが、ある選手が1分間投げ終えてブルズアイから次の選手へタッチに戻る途中でなぜか転んでへたり込み、這いながらのタッチとなった。「ケガをした!」だれもが直感し駆け寄ると、本人は「ケガはしてない、なぜか足に力が入らなくなった」と言った。アンカーの飯塚君が戻ってきた後、みんなで爆笑した。なぜかって、彼のその這い戻る姿は映画’リング’の貞子のようで、おまけに、うめき声をあげていたからだ。本人は、大真面目で一生懸命だっただけによけいに笑えた。結局、団体戦の結果は、いままでで最高の5位だった。すばらしい成績だと思う。一日おいて二日間の個人戦である。個人戦は、国内では5種目だが、世界大会ではエンデュランスが加わって6種目での争いとなる。その中でも、特筆すべきはファーストキャッチである。一回目のスローはいつもどうり安全策なのでタイムは遅くなるが風の中で確実に5回キャッチできるものをチョイス、二回目のスローで勝負。いつものパターンで臨んだ一回目のスローの一投目なんと頭を越えてしまったのだ。とっさに、もう少しタイムでは不利だが風に強い’風のデカ丸’に代え、5スローしたが、一投目のドロップがひびいてタイムは54秒だった。二回目のスローはどうするか。スポッッターをしながらずっと考えていた。失敗の少ないブーメランで30秒台で切り抜け堅実に行くか、失敗を恐れずに勝負に出るか・・・。今までの自分であれば堅実に行くところだった。しかし、「フランスまで来て消極的になりたくない」という思いから勝負に出ることにした。そこで、私は、終わっている種目の結果と残っている種目の予想から、この種目で崩れてしまえば大きく順位を落としてしまう現実をすべて自分の中にいったんは受け止めながらもそれを捨て去り、結果は一切考えないこととした。競技会を経験した方ならばこの難しさが分かっていただけるだろうか。簡単なことだと言われるだろうか。いや、私には難しかったのです。やがて、二回目のスローの順番が回ってきた。1分間ある練習時間を3投だけで切り上げ、そのままのリズムでスタートした。結果、一度のドロップもなしに24秒98というタイムを出せた。この瞬間、私は今までの自分を打ち破り革命が起こった気がして「ヨッシャー!」と叫んでいた。最後の種目であるエンデュランスの5分間は、「あー、俺のワールドカップが終わっちゃうなー」、遠くからの山下さんのアドバイスを聞きながら投げていた。個人戦の順位は48位だった。悔しいがこれが実力だ。翌日、2年後に北海道での再会を誓い、世界のスローヤー達と別れた。みんな真剣でフレンドリーな人たちだった。もしできることなら、2年後も、あの最高のステージにまた立ちたいと思う。そのための自分との戦いはもう始まっているのだ。
海老沢義明

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風用アキュラシー(ABSゾイ)
風用MTA(ベーク1.6mm〜2.0mm)