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レポート

9月27日(水)

「ビキニ事件の実体験」
語り手:見崎吉男さん
会場:焼津公民館

9月27日(土)午後2時から第五福竜丸元漁猟長見崎吉男さんの第2回講演会が開かれ、約70人の参加がありました。

平成15年9月27日(土)焼津公民館で第五福竜丸元漁労長、見崎吉男さんの講演会
を聴きました。「ビキニ市民ネット焼津」主催での講演は二回目になり、前回より、より自分の気持ちを率直に語られていました。
冒頭、前日の26日に焼津鰹節組合青年会と水産加工センター工場長会に招かれ講演に行ってきたことを話されました。焼津の水産業界に多大な被害をもたらしてしまった自分が、焼津を代表する産業の団体に呼ばれるとは思いもよらなかったと話されました。何度も、このような被害を焼津に持ってきてしまった自分が、えらそうに人前で話すことについて「えらそうなことを言うな」と言われるのではないかと話されました。実際、過去に「おまえのために5万円損した」とか「50万円損した」とか言われたこともあったようでした。今の物価にあわせれば100万円とか1000万円になるでしょうから大変なことだったと思いました。
講演は、見崎さんがご自分でまとめたノート一冊に、びっしり書いた記録を開きながら、第五福竜丸の被曝状況を淡々と語りました。その中で若干28歳で漁労長になり22人の船員をまとめ、引っ張っていかねばならない責任感と、漁師の誇りがひしひしと感じられました。だからこそあの大きな事件に巻き込まれてもパニックに陥ることなく、見崎さんの手を離れるまで、きわめて適切な判断で対処されてきたと思いました。見崎さんの生まれ育った焼津市鰯ケ島は前浜の漁師町でした。漁師は船頭のもと、チームワークで漁をします。狭い船のなかでいざこざや勝手な行動は不漁につながり、命にも関わってきます。実際、海で命を落とした方も少なくありません。そんな漁師と水産加工業者の町で子どもの頃から知らず知らず漁師の生き方を学んできたと思いました。
 見崎さんは話します。この事件には多くの記録があり映画などにもなりましたが、漁師像に偏見や誤りがあります。特に第五福竜丸においては事実でない記載が多く見られます。これらの記録が丹念な取材に基づいて行われていればこのようなことにならなかったでしょうが、一部の誤った記録や思い込みで作られたことが残念だと述べられていました。また、その訂正も関係者に申し述べているとも述べていました。
講演の終わりに聴講者から焼津に記念碑を作る話が質問されてきました。見崎さんは、この平和運動は焼津市や漁港が中心になって行うべきであると述べ、多くの焼津市民の声が挙がれば、それをもとに考えれば良いと答えました。そして、私どもは普通の暮らしを求めて行く、そのなかで仲良く健康に生きて行くことが、平和運動である、「波が寄せて引くような人生でよいと思う」と述べていました。
その言葉のなかから重かったこの半世紀の人生を思わずにはおれませんでした。そして、その思いを伝えることこそがわれわれに課された、焼津に生きる者の使命ではないかと思いました。

大塚義弘さん

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