<秦半両銭>
秦半両銭には、戦国半両銭(戦国時代に作られた半両銭、鋳行期間約115年間)と、中国統一後に
作られた秦朝半両銭(鋳行期間約15年)に分けられます。
しかし、同一面文名の「半両」を踏襲した事、秦朝成立後も戦国半両と同様に大小様々な半両銭を鋳工
した事などより、判別が出来ないものも存在します。また、従来秦朝半両銭と分類していた「大半両銭」
は、戦国期より鋳工されている事が判明するなど、従来の区分けについても再度見直しが必要であり、
今後の研究が待たれます。
○戦国半両銭について
戦国半両銭は、戦乱の時代の秦支配地域で鋳工されました。
自国の根拠地や占領した地域で鋳工され、銭型、文字共に様々な大きさ、重さで作られました。
戦国時代における半両銭は、一枚単位で流通させるのではなく、ある基準枚数で一定の重さになる
様に作られていた為、統一された製作ではなく、大小様々な大きさ(重量)で製作されました。
戦国時代に鋳行された半両銭は、自国の根拠地や征服した地域のみしか発掘されていません。
戦国期の秦国においては、半両銭以外の貨幣流通や所持を禁止していました。密告制度や、違反者に
対する重い刑罰等により、他国の貨幣は一掃されていきます。徐々に支配地域を拡大していくと、
占領した各々の地域で(旧来の貨幣を原料として)半両銭を鋳工します。
全般的な特徴として、文字が円折(丸みがある書体)で整わず、厚手で面の凹凸が大きい特徴があり
ます。また、鋳口や鋳バリ等が残ったままの物が多く存在します。
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戦国半両は左品の通り、
大きさや重量が不揃いで
統一されていない。
※日本では戦国半両銭を
「先秦半両銭」と呼んで
います。 |
秦半両銭(戦国半両銭)
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早初期の書体
製作は、両畄(し)手半両銭と同一 |
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陝西省神木県出土品
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戦国半両銭(早初期)
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(断面概要イメージ)
両畄(し)手半両銭は、厚手で
中見切り状の製作になっています。
(通常は片面のみの台形)
通常の半両銭とは形状、製作が
異なっています。
※鋳工は初期と考えられます。 |
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両畄(し)手半両銭
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戦国半両銭(有環)
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戦国半両銭(有輪、狭穿)
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戦国半両銭(無輪、狭穿)
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戦国半両銭(突字)
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戦国半両銭(両字異書)
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戦国半両銭(両字増画)
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戦国半両銭(有輪両字異書)
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戦国半両銭(有輪半字異書)
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戦国半両銭(広穿背両字)
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戦国半両銭(半字異書)
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○秦朝半両銭について
秦朝半両銭は、鋳行期間が約15年という短期間の為、発行量は戦国半両銭よりも少ないと考え
られます。また、中国統一後も戦国期と同様に様々な大きさで製作され、一部は戦国期の範を流用
していた為、戦国半両銭と秦朝半両銭の明確な区別は非常に困難です。
しかし、発掘事例等により概ね下記の特徴を備えている半両銭である事が判明してきました。
1.外周部の仕上げが施され、形状が整っている。
(しかし、未仕立ての物も存在する。)
2.書体が方折(文字の折れ方が角張っている)で整っている。
(一部、方折していない物も存在する。戦国期の範を流用したものと考えられる。)
3.比較的に銭型が均一で整っている。
(ただし、銭径については大小があり、まだ基準の大きさが定まっていない。)
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秦朝半両銭(第一期銭)
(銭径30mm以上)
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秦朝半両銭(第二期銭)
(銭径30mm以下)
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秦朝半両銭には、大別して三種類に分けられます。
1.第一期銭(秦朝早期)
銭径が大型(30mm以上)
有輪(有輪有郭もある)または無輪(ほとんどが無輪)
2.第二期銭(秦朝晩期)
銭径が小型(30mm以下)
3.第三期銭(秦朝末期)
劣質の小型莢銭。ただし、秦朝の莢銭は冥銭に属し、漢代の楡莢銭とは別の種類
※ 秦朝半両銭は、戦国期に鋳工された大型の半両銭の中で、製作の良い範を流用した
物と、新たに作成した範によって鋳工されたと考えられます。
末期には小型半両銭(劣質の小型莢銭)を鋳工する様になり、その半両銭が漢時代
初期の半両銭に受けつがれていきます。 |
「秦」は紀元前221年中国を統一後、半両銭を中国全土の通貨として定め、それまで各国で鋳行
されていた貨幣(布幣、刀幣等)を廃止します。しかし、現実には廃止された貨幣の代替となる分の
半両銭総量は不足しており、すぐには完全に切り替わらなかった様です。
当時半両銭を鋳工する為の原料となる青銅は、廃止された貨幣(戦国期に各国で鋳工、流通していた
布幣、刀幣等の貨幣)や、武器が青銅から鉄に置き換わって廃棄されたものが潤沢にあり、大規模に
鋳工できる環境にありました。しかし、国内の制度作り等に追われ、ようやく大規模に鋳工しようと
試みられた頃に秦は滅亡してしまい、完全な貨幣統一は果たせませんでした。
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