つつじと宇宙飛行士 館林

東武線か東北道で群馬県館林はアクセスできる。鶴が舞う形の群馬県
の頭の部分に位置する。
 小さな地方都市の中に興味深いものが沢山あり、町の北方城沼の辺
は有名なつつじが丘公園が広がっている。全国でも有数のつつじの名所
だ。
 東武館林駅の駅舎も歴史を感じさせる建築で、町の顔でもある駅舎を
見るのも旅の楽しみだ。駅前に狸のモニュメントがある。ぶんぶく茶釜の
舞台も館林で郊外の茂林寺も観光スポット。
 館林の町をドライブしていると「館林うどん」という看板がやたら目に付く。
群馬は浅間山の噴火などで火山灰地であるため稲作に向かず、昔から
うどんを盛んに食べていたらしく味にも定評がある。北関東では、佐野ラー
メン、宇都宮餃子と町自慢がブームだ。
 館林と聞くと、二人の女性がイメージされる。一人は昭和30年代(生まれ
おりません・・・)に館林を一躍有名にした皇后陛下で、正田家は館林の名家
だ。もう一人、日本人女性宇宙飛行士の向井千秋さんの故郷でもあり、城跡
公園には立派なこども宇宙館がある。向井さんの実家は街中で商売をして
いて、以前はショーウインドにスペースシャトルの模型が飾ってあった。

 館林は古くからの城下町で、天正18年(1590)に徳川家康四天王の一人
である榊原康政が10万石で居城して城と城下町を整備した。榊原康政は
同じ四天王の本多忠勝とともに、山岡荘八「徳川家康」を読んで以来のフアン
だ。黒漆塗りの具足姿の肖像画は実にカッコがいい。
 徳川五代将軍の綱吉も最初は館林城主で館林宰相と呼ばれた。綱吉時代の
城は豪華絢爛だったようで、後の秋元氏時代には簡素な城になり現在の城跡
に面影がある。三の丸に城門が復元され、本丸跡も櫓台など整備され保存状態
がいい。本丸跡は広大な敷地が広場になっているので、公園にでも整備される
のかもしれない。
 早朝の本丸広場で、ふと20年前のことを思い出していた。小説の影響で榊原
康政ゆかりの館林を訪れたくなり、なけなしの小遣いで東武線に乗った。その
頃の城跡は整備途中で、本丸跡も工場の跡地で草むらになっていた・・・・・・。
幕末維新でも、土方歳三(新撰組副長)ら幕府軍に追われた宇都宮藩主が
館林城に逃げ込んだり、館林藩士は西軍に加わり会津方面を転戦した。会津鶴ケ
城が落城後、会津藩家老の西郷頼母(NTV時代劇スペシャル「白虎隊」主要キャ
スト)が館林に幽閉されていた。
 
 今では落ち着いた雰囲気の地方都市にも、時折、歴史の突風が吹きぬける。

三の丸に復元されている城門。
館林城唯一の遺構。

整備されている本丸跡。綱吉時代には豪華な天守と御殿があった。

館林のマスコットも木更津(千葉県)と同じ狸。

郷土の有名人である向井千秋と田山花袋の記念館。田山花袋は館林藩士
の家に生まれ「田舎教師」「蒲団」などの作品で日本文学に名を残す。

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