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株式会社ビルダーストーリー

コラムcolumn


NO60.2009GWつーりんぐ

  • 24. May 2009

今年のGWは当初、尾瀬に行こうかなと思っていましたが、まだ雪が積もっていたのと諸事情で断念。懸案となっていました閑谷学校、吉備路、大山登山に行ってきました。閑谷学校は山陽道備前IC下車15分ぐらいのところにあります。寛文10年(1670年)に岡山藩主、池田光政により建てられた世界最古の庶民の学校です。孔子の儒学を教えていて日々論語を朗誦する声が校内に響いていたそうです。聖廟には金箔の孔子像が祀られています。周りを山々の緑に囲まれ、文字通り閑静な谷にあり、本当にすばらしい教育環境の地にあります。
とりわけ、国宝の講堂は、赤銅色の優美な屋根のラインが絶妙な入母屋造りでの破風形式の窓が印象的な建築後300年も経過したと思えない立派なものです。こんな学校で勉強するとさぞかし勉学に熱が入ったことでしょう。学校のとなりには、なぜかトトロの森がありました。(笑)
備中国分寺はJR西日本伯備線総社駅と岡山総社ICからそれぞれ車で10分ぐらいです。赤松の森の中に忽然と現れる五重の塔はまさに吉備路を象徴するもので、何度か観光案内で見たそのものです!周囲に高い建物がなく美しい五重塔(文政4年(1821年の建立)が映えます。奈良も京都も周辺に高い建物が経ってしまい創建当時の環境と随分変ってしまいましたが、ここでは往時の風景がそのままでタイムスリップしたかのようで、帰り何度も振り返ってしまうほど、印象的な風景でした。
お寺の周りにはれんげ畑があり、ノンビリと心安らぐ風景です。時間があれば一日中でもいることができる心地よさがあります。
何度か近くは通ったことのある大山。ようやく制覇しました。大山は日本百名山にも数えられ、人気ランキングは富士山、槍ヶ岳に次いで堂々の三位です。登山口は標高770mの登山口から頂上の弥山(みせん)1710mまで標高差1000m弱なので、そんなにしんどくはありませんが、上ることに景色がどんどん変っていく登っていて楽しい山です。
頂上付近には5月だというのに残雪が残り、振り返ると遠くに宍道湖まで見える絶景。なるほど、百名山の3位になるだけのことはある山です。麓には大山寺、大神山神社があり古くから信仰の山としても多くの参拝者を集めています。
今年のGWの鳥取砂丘は世界砂像フェスティバルをやっていました。
世界の著名な砂像アーティストが一同に会し、見事な作品が16もあり、とても砂で作ったとは思えないほどの精緻な造りです。でも、雨で少し崩れている像もありました。左より右上から下へかけて、スダサン・バタナイクさんの「ガネーシャとその家族」、デーモン・ファーマーさん、リチャード・ヴァラノさん、ジョンガウティさんの共同による「中世のお城とガリバー」、優勝のマテイン・リガースさんの「さまよえるオランダ船」です。
それにしてもこれだけの砂の彫刻家が世界中におられると言うのもビックリです。

NO59.春の花

  • 24.May 2009

4月に政策企画部戦略本部会議事務局に異動となり、忙しくなってしまい、かなり、時期遅れの更新となりましたが、それでも途中まで書いていたので、お付き合いください。
近畿の桜の開花を決める標準木のある紀三井寺。近畿で最も早く桜の咲く名所です。今年は例年よりかなり桜の咲くのが早かったとは言え、お花見に行ったのが3月29日。まだまだ3分咲きという感じでした。それでも本堂近くはだいぶ咲いてました。いつも思うことですが、日本の建築と桜は本当によく合います。境内には本堂の他、多宝塔、鐘楼などの建物がありますが、これらにより桜の美しさが一層引き立てられます。
紀三井寺は、紀伊国屋文左衛門のエピソードでも有名ですね。文左衛門が年老いた母を背中におぶって紀三井寺の階段を上がって行ったところ、途中でぞうりの鼻緒が切れてしまいましたが、近くの神社の娘に直してもらい、それで恋が芽生え、結ばれたという話です。それから、この階段は縁結びの坂と呼ばれるようになったとか。
それと2008年落慶法要に営まれた新仏殿の千手観音も一見の価値があります。高さ12mの寄木造りで極彩色の仏像です。奈良・京都にある名刹の本尊も竣工当時はこのように絢爛豪華であったことでしょう。帰りには、おでんを食べました。なかなか美味しかったです。
もう一つの春の花はがらっと装いが変り、チューリップです。滋賀のブルーメの丘は観光農業公園で3月には菜の花、4-5月はチューリップ、6月はバラ、8月にはひまわり、秋にはコスモスとほぼ1年中花を楽しむことができます。
色とりどりのチューリップが規則正しく植えられ、まるで虹のようです。
4月19日に行った時ちょうど、開演記念日で大阪金光高校のマーチングバンドをやっていました。一糸乱れることない見事なドリルと演奏でした。園内にはあちらこちらにドイツの国旗が掲げられており、大阪金光高校のマーチングバンドもドイツ国旗を振り回していました。建物もドイツ風でまとめられており、やはりチューリップには西洋の建物が本当に良く似合います。
園内を回っていくと、動物園の匂いが。。
農業公園と言うだけあって、動物います。羊、ヤギ、ウサギ、牛、馬、小さいお子さんのいる家庭にはたまりませんね。食事もバーベキューやフランクフルト、ポテトなどやはり、ワイルドでドイツ風です。ただ、景気悪化のさなか値段が高いののとすごい行列が気になります。バイキングが1500円、近江牛丼1000円。バーベキュー3000円。市販のお弁当は持込み禁止ですが、自家製のものはOKみたいです。自家製のサンドイッチを持ってきているご家族が眩しかったです。春は今まで寒さで抑えられていたのが、一斉に芽吹く命の季節と言っても過言ではありません。今年は二つの春の花を見ましたが、ところ変れど、国変れど、花は美しく、心が癒されます。そして、花と(本当は”より”ですが、敢えて、並列とさせていただきますが)団子も共通のようで。。

NO58.鉄博&鎌倉の旅

  • 12.January 2009

永らくご無沙汰しておりましたが、久々の更新です。
年末年始の旅行は諸事情により、難しかったため、かねてより懸案だった埼玉の鉄博(”てっぱく”と読みます。)に行ってきました。ご存知のように2007年10月にオープンした鉄ちゃんの聖地と呼ばれ、全国から鉄道詣の参拝者が訪れます。
大宮駅からニューシャトルと言うちっこいタイヤつき電車に乗って鉄博駅に到着。入場もスイカなどのICカードで入るようになっていて電車に乗る雰囲気を醸し出しています。ゲートを入ると右側のメインのヒストリーゾーン。回転台車に乗るC57をはじめ、SLからディゼル車、電気機関車、コンテナ車、特急とき、引退した〇系新幹線、そして天皇陛下がお乗りになる御料車まで30数台が並んでいて圧巻です。12時と15時にはC57が回転しながら、汽笛を鳴らします。ほとんどの車両はカットされることなくそのままで往時の雰囲気が体験できます。特急ときの小さなテーブルには思わず感動してしまいました。
昔の駅も再現されてて右から駅名を読むようになっていています。東京は”うやきうと”、御茶ノ水は”づみずのやちお”って感じで笑えました。昼食は日本食堂で幻の賄い食「ハチクマライス」をいただきました。長屋の「八っつさん」・「熊さん」でも作れるというところからきたらしいですが、まあまあ美味しかったです。
2階に上がると鉄道の運行システム紹介しているラーニングホールやヘッドマークのあるコレクションギャラリー、鉄道ジオラマがあります。3階には走る新幹線が目の前に見えるビューデッキもあり、ほぼ一日楽しめるようになっています。
実はこの後、ネットでさいたまの鳩ヶ谷に焼うどんがあるというのでわざわざ出かけました。しかし、駅についてもそれらしきものは全くなし。飲食店も含め何件か聞いたところ、居酒屋でソースがあればやるんだけどとのお言葉。やはり、ブルドックソースのお膝元。どうもソースはあるらしい。次は商品化されてからまた食べにこようっと。
同行いただいた田熊さんには色々と大変ご迷惑をおかけしました。m(__)m
翌日は、サイボク温泉・まきばの湯経由で、鎌倉に寄りました。鎌倉と言えば大仏様ですが、今回は大仏様はもちろんですが、長谷寺、建長寺、寿福寺、そして円覚寺を回り廻りました。源頼朝の時代に栄えた鎌倉は禅宗様式の建物が数多く残されています。
禅宗様式の特徴は軒の裏が詰組みといって非常に細かい斗供で構成され、角の肘木から垂木が扇状に広がっている独特の様式で、大陸の影響を強く受けています。
源義経が頼朝に追われ、平泉で自害したとの史実に対し、大陸に渡り、チンギスハンになったと言う説がでるのもこうした背景があるからかもしれません。
鎌倉は、江ノ電が走りノンビリしていて静かで落ち着いた町ですね。いつもは、バイクでピューと過ぎ去ってしまうことが多い旅ですが、今回は鉄道で来たこともあり、お寺を歩いて巡り。
ゆっくりと町並を見ることができ、小さいながらも瀟洒でなおいしいお店を発見したり、小さな路地に入ったりと新鮮でした。これからは、たまには鉄道の旅もいいかな。

NO57.北の大地へ(その2)

  • 30.September 2008

さて、知床を後にして、今度はひたすら、北へ。目指すはラムサール条約締結湖のクッチャロ湖。ここは、3度目のキャンプなんですが、夕陽がきれいなので有名です。
途中、夕陽に向かって走っていたら、絶妙のタイミングで中村あゆみのIt's all Rightがスピーカーから・・・♪”明日は明日。何とかなるさ、あせらずに行こうぜ。遠回りあいても自分の行き方を信じ続けるのさ。人生に挫折した時も、悲しみに打ち砕かれた心も今日から投げ捨てて”♪

しんどいことが続いていただけに走りながら思わず涙が溢れてしまいました。
少し感傷的になりましたが、何かすっきりしました。キャンプ場に着くと早速テントを張って肉とビールの買出しー!夕陽が沈む前に何とか準備完了。残念ながら湖面の上に薄く雲がかかり、湖面に沈む夕陽には遭遇できませんでしたが、それでも、湖面に映る夕陽は時間が過ぎるのを忘れてしまうぐらい美しいものでした。
夕陽ショーの後はお約束の宴会と言う訳で近くにいたソロライダーに声をかけ、食材、酒を分け合いながら、楽しく飲みました。久米さん加茂さんありがとう!ハーレー乗りの二人と最後はクッチャロ湖をバックに記念写真。来夏の北海道での再開を誓い合いました。(笑)
クッチャロ湖の後は日本最北の酒蔵のある増毛(ましけ)へ。明治時代に建てられた旅館や酒蔵、飲食店が残っています。小学校も木造で北海道最古とのことで、なかなかレトロないい感じの町です。
途中お目当ての酒蔵が判らず役場に聞きに行きましたが、本当に懇切丁寧に教えてくれはりました。そして、酒蔵、国稀(くにまれ)に到着。お土産のお酒をごそごそ仕入れました。本当は試飲をしたかったところだけど、バイクなのでがまん。代わりに酒蔵ラーメンなるものを食べました。少し前にお昼ごはんにラーメンを食べたばかりでややきつかったけれど、酒粕が入っていてかす汁ラーメンと言う感じでなかなか美味しかったです〜。
最終日は空知の炭鉱跡へ。
日本の高度成長を支えた炭鉱には多くの人たちが働き活況を呈したものでした。その炭鉱は今は只、只、歴史の遺産として消え行くというのには強烈な哀愁を感じざるを得ません。
旧三菱美唄炭鉱は1923年に完成し、1972年の閉山までの間、5100万トン出炭された。鉄道が敷かれ、発電所、関連施設が所狭しと林立する、そこは町そのものでした。今は昔、2つの櫓と小さな管理棟だけが、残り、訪れる人もわずか。しかし、日本の高度成長を支えるため、大きな役割を果たしたことは確か。
今はただお疲れさまと言いたい気分です。最終日に炭鉱めぐり付き合ってくれた田口さん、ありがとう。

悲別
ロマン座はなかなか悲哀が感じられて良かったです。今回の北海道の旅で多くの出会いがありました。ライダーの聖地、北海道と言われるのはライダー同士の出会いが心を掴んで離さないからかも知れません。またまた行きたくなりました。see you again!!

NO56.北の大地へ(その1)

  • 7.September 2008

今年は2年ぶりの北の大地へのツーリングです。これまで7年続けていたのを昨年と一昨年は市役所出向のためまとまった休みが取れずに断念してましたが、出向元の府に戻り休みが取れることになり、いざ出発です(^o^)。実は、今回のツーリング前にちょっと自信喪失するできごとがあり、やや、ためらいがちな旅のスタートでした。
そんな弱気な心理に神様が更なる試練を与えられたのか、到着したバイクがいきなりバッテリーが上がっていました。マイバイクは電動アシストブレーキ(自転車の電動・・・みたい)で電源をいれないとブレーキがかからないんですが、どうも電源を切り忘れたらしい。でも、トラックの運転手さんなどの懸命の復活作業で息を吹き返しました。ともかく、富良野経由で4年前、羅臼岳に登った際に真っ白で何も見えんかったリベンジを果たすべく知床へ。
しか〜し、この時期、知床はあんまり天気が良くないいですよね〜。知床到着日こそ、斜里岳がきれいにみえましたが、翌日は空が真っ白。当然、山の頂も見えません。仕方なく、カムイワッカの滝と知床五湖を回り、午後より、海の中に半島が突き出た野付半島に。
帰りの知床峠はすごい霧で3m先も見えません。知床の天気をなめてはいけません知床に来て2日目の朝、登山はあきらめ、シーカヤックに挑戦と思いきや、前日の天候の影響が残り、かなり波が強いです。ペアレント&インストラクターからは今日ギリギリ。止めてもいいよとの一言でもう一日まつことに。その時間を活かしてやや強行軍ながらタウシュベツの旧国鉄士幌線のコンクリート橋を見にいきました。雑誌でみつように近くに行くにはダートを4kmもあるので断念しましたが、それでもちーさいながら、見ることができたので満足です。
そしていよいよ、待望のシーカヤックの日です。前日と打って変わって快晴。波も静か〜。絶好のカヤック日和です。少し、練習した後、インストラクターの方の後を舐めるように北へ登っていきます。初めてでも簡単で〜す。シーカヤックは後ろに舵がついていて足で操作するのですが、オールを漕ぐ際に足を踏ん張るので一緒に舵が動いてしまうのので気をつけないとダッチロールしてしまいます。乙女の涙と男の涙という滝がそれぞれ海に直接流れ込んでいます。太陽の光に岩の苔沿いの流れる水がキラリと光り、本当にきれいです。一緒に行ったKさん、Hさん楽しかったです。ありがと〜。
そうそう、書き忘れましたが、知床での2日目の夜、YHで大量のドタキャンが出てサケのフルコースが余るとの話で通常2500円のところを500円でごちになりました。その前にいくら丼を食べてたのであまり食べられませんでしたが、ラッキー。

NO55.2008年GWツーリング

  • 3.August 2008

既に真夏だというのに遅まきながらのGWツリーリングのレポートです。
今回のツーリングは世界遺産石見銀山とお正月にいけなかった備中高梁の吹屋地区とエコでアートな直島です。天気は快晴。前日城福寺YHで泊まったため、青空が眩しい朝8時半に現地に着くことができましたが、すんずん人が押し寄せてきています。まずはともあれ、坑道に入らないと行ったことにはならないと思い、一路、龍源寺間歩へ。銀山公園より途中、清水谷精練所跡を経て約2キロ。結構距離があります。間歩というのは坑道のことで地元ではこう呼ぶらしいです。
鉱山遺跡に行くと、危険で厳しい過酷な労働を誰のために何を思い、続けたんやろかといつも考えてしまいます。佐渡の金山では防塵対策が十分でなかった江戸度時代、掘削に当たる堀子人夫は肺に粉塵が入るため、平均寿命が28才ぐらいで、そのため、短い命を惜しむように遊郭ができたとの話も聞きました。
夕張の炭鉱では弁当に石炭の粉が入るため、ほんのわずが弁当の蓋をずらし飯をたべたそうですが、家族にはこのことは決して言わなかったそうです。 石見銀山ではこうした解説を見ることはありませんでしたが、こうした先人の苦労のお陰で現在の繁栄があることを忘れてはならないと思います。
次は、伝建地区にもなっている大森銀山地区の町並みへ。
GW中で、人出も多く、お土産物屋さんが立ち並びかなり観光化されていたのはやや残念でしたが、重要文化財の熊谷家、大森代官所跡(現石見銀山資料館)、河島家の武家屋敷など銀山城下町ともいえる往時の繁栄の様子を伺い知るには十分でした。
GW2つのスポットは備中高梁(びっちゅうたかはし)の吹屋地区。 この吹屋地区は、ベンガラの顔料を含んだ瓦で覆われた特徴ある見事な景観をつくりだしています。
ベンガラは弁柄とも書き、二酸化鉄の顔料で銅を産出した鉱山の近くで採掘された顔料で赤い錆び色をしています。よくある古いまちなみにある黒色の瓦の屋根も落ち着いてはいるんですが、ベンガラはどこか南国の風情が漂います。
建物によっては屋根だけでなく格子や羽目板にもベンガラが使われていて、一層華やかな雰囲気を醸し出しています。
また、道に向かって切妻の屋根が多く町並みに変化とリズムを与えています。極めつけは明治33〜42年に建てられた吹屋小学校。現存し使用されている小学校としては最も古いもので郷愁に駆られます 。吹屋地区も伝建地区にもなっています。
吹屋地区から2〜3キロ行ったところに銅が採掘されていた笹畝坑道や銅山とローハ(ベンガラの原料)で財を成した広兼氏の豪邸があります。八つ墓村のロケも行われたことでも有名な広兼邸はお城のような石垣の上に建ち、圧倒的な威容を誇っています。
3つ目のスポットの直島は、港に草間彌生氏の赤かぼちゃのオブジェがど〜んとあるアートな島です。
安藤忠雄氏の設計のアートなベネッセハウスミュージアムと地中海美術館があり、後者は2時間待ちだったため、ベネッセの方だけになりました。しかし、現代アートというのは解説聞かないと作品の意味がわかりませんなぁ〜。たとえば、柳幸典氏の「バンザイコーナー」、たくさんのウルトラマンとウルトラセブンの人形が90°のコーナーに張られた鏡に向かってバンザイしている作品。人形はそれぞれの鏡に映り4倍に見えます。解説をしている方の話によるとちょうど、バブル経済がはじけた頃に作られた作品で皆がバンザイ、バンザイ、景気がいいぞ、株価や土地もドンドンあがるとはしゃいでいたら、それは全て虚像だったと言う話。 解説聞いて初めて納得。
船に乗って直島を後にするとき、もう一つの直島の顔が。高い煙突と北側の岸壁に横付けられた専用船。ここでは、豊島に不法投棄された産業廃棄物の溶融処理が行われています。その結果、レアメタルが抽出されてリサイクルに役立っているエコな島でもあります。


NO54.大陸交易

  • 11.February 2008

昨年に引き続き、下関火の山YHを拠点に旅をしてきました。今回もかなり、更新が遅れ、2月になってしまいました。m(__)m今回のテーマは”大陸交易”と言うことで吉野ヶ里遺跡と唐津そしておまけに備中高梁に行ってきました。は国の特別史跡に指定され、弥生時代の集落が復元整備されています。さすが国と県が整備しただけあって立派過ぎる内容です。
登呂遺跡に見られるような竪穴式住居や高床式倉庫が集落単位で復元され回りには環濠まで再現されています。
圧巻は北内郭という政治の中心で主祭殿という16本の柱で構成された高さ16.5mにも及ぶ建物をはじめ、物見櫓、祭殿、斎堂、高床式建物などの建造物が堀と逆茂木という塀で守られ、鎮座しています。
内部は当時の儀式が再現され、神に天候祈り、収穫を喜ぶ民の姿が目に浮かびます。
大陸との交易もこの頃から行われ、魏志倭人伝に登場する邪馬台国という説もあるそうです。
こうした遺跡や古い集落を観光用にきれいに再整備をすることは常々その是非について議論があるところですが、個人的には程度の差の議論はあるものの、基本的には賛成です。整備がされずにそのまま保存じておくことはその文化財価値を多くの人が知らずに過ごしてしまうのはとても残念だし、その価値を維持しつつげるために観光による収入を求めることは不可欠だと思うからです。
宿に帰って餅つき大会。 去年に引き続き、参加でかなりうまくなりました。
この時は何と、大道芸人のトミーさんが泊まっておられ、餅つき大会合間にその芸を披露いただきました。コミカルな語り口とジャグリングや椅子の上での逆立ち、風船芸術など本当に楽しかったです。
トミーさんはバイクで大道芸人としての収入だけで47都道府県を旅しているそうです。がんばってください。そしてありがとうございました。
大晦日は唐津、伊万里、有田の陶器巡りと洒落込む予定でしたが、さすがに1日で三つは無理かなと思いましたが二つは何とか行けるつもりで出発。しかし、またまた、折りしも悪天候、地下鉄の姪浜まできたところで、JR筑肥線が大幅にダイヤが乱れていて唐津に何時に着けるか分からない状況。邪道だと思いつつ、急遽レンタカーで唐津に向いました。 せっかくなので窯元の一つ訪ねようと探して見ましたが、なくなったり郊外に引越ししたり。ようやく、見つけた中里太郎右衛門の窯は年末でお休みでがっくし。(でも、張り紙にお土産を売っている場所の案内があったのでしっかり、GETしまた。)雪の唐津城に登り、寒々とした日本海を眺めながらフグ料理のある宿に一路。
待ってましたのフグ料理。フグ刺し、フグ鍋、から揚げ、フグ雑炊とフルコース。自称、鍋奉行の出番で〜す。隣のテーブルを尻目にトップランナーで雑炊まで到着。一番乗り〜。鍋ものするのなら、是非呼んでくださいね。鍋奉行が名(迷?)采配をさせて戴きます。(笑)最終日は備中高梁。鎌倉時代から栄えた城下町。山の上には備中松山城があり、現存する城郭としては最も高い位置にあることで知られます。あいにくシャトルバスも年末で運休のため、タクシーを奮発。8合目からは歩いて登ります。さすがに吹雪の山城は寒さ抜群、さすらい感満点でした。高梁市街地も一望できます。 市街地に下り、武家屋敷、豪商池上家や紺屋川の美観地区を巡りました。県内最古の木造の基督教会堂もあり、こうした内陸までも大陸の文化が入ってきているのに
感心しました。備中高梁にはベンガラの町並みで有名な吹屋地区にも行きたかったのですが、車で1時間もかかるとか。次回の旅に委ねることにしました。
時は2月も半ば、この間、色々なことがあり、年末年始の旅も遠い過去のできごとのよう。時々刻々の日々です。

NO53.ちりとてちん、天橋立、伊根の舟屋、舞鶴レンガ造の街の旅

  • 8.Decmber 2007

先ず初日は京都の紅葉混雑を尻目に琵琶湖の西側鯖街道経由で小浜へ。 早速、NHKの連ドラちりとてちんのロケ地へ。実は2時間通勤なんで見たことなかったんですよ。(この前の土曜日なんで初めて見ましたけど・・(笑))
それでも、想像力を駆使して、ちりとてちんの丘や小浜中学校、西津の浜、小浜駅などを見て回りました。そしてようやく頭の中で繋がりました。
そうしているうちに午後3時半。蘇洞門も行きたかったけど、秋の夕暮れはつるべ落としと言われるぐらい陽が落ちるのが早いんで断念し、今夜の宿の天橋立YHを目指します。
バイクにナビがついているんですが、これが曲者。設定が悪いのか、高速降りてから途中からどんどん山道に入っていくではありません〜か。 (泣)
さすがに陽もとっぷりと暮れ、不安になり引き返し、広い国道から入るルートに変更しました。宿についてじっくり地図を見ると近道になっていて間違ってはいなかったけど、時速20kmしか出せない奥の細道じゃ余計に時間がかかってしまいました。
ナビに頼りすぎるのも善し悪しですね。最後は自分の感覚を信じるしかないです。
宿(天橋立YH)では事前にカニのまんぷくコースを頼んでいたのでたらふくカニをいただきました。ゆでカニ、カニグラタン、カニちり、焼カニ、そして最後はぞうすいとフルメニュー。特に焼カニは絶品でしたぁ!! カニはパチンとはじけるんですよぉぉーー! ここのYHのまんぷくコースはほんとオススメですよ。 カニ2匹分のメニューで宿泊費込みで8,800円とはホントお買い得感満点。
2日目は天橋立、傘松公園にリフトで登り、お決まりの股のぞきをやってきました!その後、登山バスで成相寺へ。紅葉がとってもきれいでおまけに人も少なく、満員の京都の紅葉見に行っている人に見せたいぐらい鮮やかでした。

伊根の舟屋と舞鶴へ。前者は国伝統的建築物群保存地区に指定されていて、海から船が直接家屋入ることのできる独特の町並みが保存され修復されています。
最近、川越に続き伝建地区巡りが続いてます。今後もしばらくはこのマイブームが続きそうです。(笑)やレンガの倉庫群を見て回りました。北海道に行くときはここからフェリーに乗るですが、観光地としてもなかなかレトロ感があっていい感じです。さすが自衛隊の基地のある町。イージス艦が鎮座しておりました。写真を撮っていたら連行されるのではとちょっとドキドキ。
自衛隊の基地内の放浪亭さんのご紹介いただいた海軍記念館にも行ってきました。海軍大将の胸像が鎮座していてちょっと古びた感じでしたが、自衛隊の基地に入れたのは貴重な体験でした。 3日は天橋立のもう一方、文殊に寄り、天橋立駅前の温泉で足湯に漬かり、ホッ一息。足湯だけだと無料です。午後からテニスのレッスンがあるため、10時15分に出発。超高速でバッコーンと帰宅しました。
テニス終わったら爆睡・・・。あ〜気持ちよかった。

NO52.岩座神の棚田〜倉吉〜鳥取砂丘そして出石

  • 4.November 2007

今回のツーリングのテーマは”日本の原風景”。議会で疲れたり、ちょっと心配事もあり、のんびりしたくなり、日本のふるさと探しの旅に出ました。
岩座神は日本の棚田百選にも数えられる美しい棚田で古き良き日本の原風景の代表格と言えるでしょう。あいにく、稲刈りが先週ぐらいから進んでいて少し残念でしたが、古い民家と急斜面に段々に刻まれた田んぼを見ていると昭和30年〜40代の”となりのトトロ”の時代を彷彿させます。
2つ目は鳥取砂丘でしたが、宿泊予定が東郷湖の香宝寺YHで、砂丘に行くと夕食に遅れるので翌日回しにしました。 そんな訳で、翌日は鳥取砂丘の前に酒蔵で有名な倉吉にいく事としました。朝8時に倉吉に着くと酒蔵や土蔵が軒を連ねる静かな古い町並みの中にも人々の生活が息づいているのが感じられます。江戸時代から続く高田酒造の前には狸の木像。お酒を買いに入るとしっかりとした女将さんが出迎えてくれ、色々お酒や町並みのことを聞くことがでには鯉の泳いでいる玉川が流れていて、石橋、しっくいの白壁、黒い瓦屋根の数々・・・これまた日本の原風景と言うべき風景です。 カランコロン、ゲタを鳴らした粋な若旦那が出てきそうな風情です。
いよいよ、日本のタクラマカン砂漠(勝手に言ってるだけ)の鳥取砂丘です。休日ということもあり、駐車場のいっぱいで観光客もたくさん。 砂丘に上がると人々がありんこのように見えます。皆、手前の海側の砂丘を目指し、歩いているんですが、少し離れた砂丘には全く人影はありません。砂漠の中に広がる自然の造形、風紋や刻々と微妙に変化する丘そして、砂に足をとられ、思うように進めない感覚・・さすらい感満点で、シルクロードの旅人のような気分になります。(←大げさ(笑))とは言え、感傷に浸っている時間もあまりないので、再び、他の観光客と同じように海側の丘を目指します。
歩くこと十数分、日本海が見えてきました。砂丘の上から押し寄せる波にしばし見とれて、時間が経つのを忘れそう。。 砂漠では海が見えないのでこうした海と砂丘の見える風景は日本ならでは。(無理やり、日本の原風景・・) 話は戻り、砂丘には観光馬車があり、砂漠の中を十分歩くことができない人や子供には便利ですが、せっかくやねんからラクダにしてほしかった!
そして最後の目的、出石へ。天気も怪しくなってきたのでスピードアップ!午後2時半頃に目指すは辰鼓楼に到着。 出石は職場の後輩の故郷で一度来てくれと言われていたのでようやくその宿題を終えることができました。(ホッ) 辰鼓楼は火の見櫓形の時計台で江戸時代に作られ出石のシンボルになっています。ともかく二度目に昼ごはんと言うことで近くの湖月堂というそば屋に入り、出石そばをGET。全部で5つそばが出てきてタねぎなどの薬味とタマゴとととろでいただきます。 目の前は辰鼓楼。ええ風情やわー。。 これぞ、日本。これぞ日本の原風景。
そうこうしているうちについに雨が降ってきました。出石城も行きたかったのにと思い つつ、帰りの渋滞と翌日の仕事を考慮すると、もう出発せざえるを得ません。2000年より始めたHPですが、15年を契機にスタイルを一新し、この度リニューアルしました。これまでの内容を引き継ぎつつ、よりスタイリッシュにクールに時代とともに変わるところ進化し、時間を超えても守るべき守る情報を発信しつつげたいと思います。
ご覧いただいた方に少しでも役に立ち、心が通えるものでありたいと心がけていますので、よろしくお願いします。

NO51.赤城山〜足尾銅山〜軽井沢

  • 22.July 2007

海の日を含む3連休(本当は5連休だったんだけれど、結局台風4号の影響で、14日の夜に出勤指示が出てため)に国定忠治の根城だった赤城山と足尾銅山、そして帰りに軽井沢に寄ってきました。
今回泊まった忠治館という宿は古民家風の建物で、なかなか雰囲気のある正に旅籠という名にふさわしいものです。入り口に入るとご丁寧に三度笠と新道中合羽が架けられてあります。
黒光りするほど磨かれた柱に囲まれた空間は日本建築の美しさを演出しています。夕方6時になると、夕食の合図に太鼓の音がドンドンと鳴ります。食事の内容は地元でとれた旬の素材と赤城牛の七輪焼や山女の塩焼や山菜、きのこなどの落ち着いたもので、ほっとしますよね。
もちろん、露天風呂付きの温泉もあり、ゆったり寛くことができました。ただ、休日前は満員となる人気の宿も翌日が平日となると当日泊まったのはたった8人。
管理人以外は皆家族づれ?で一人ではやはり寂しかったです。
翌日は赤城山に登ろうと思ったのですが、深い霧で真っ白。何も見えそうにないので、麓の赤城神社にお参りしました。国定忠治と言えば天保の大飢饉で農民を助けた人情あふれる渡世人として知られますね。
一説によると子分は2百人とも3百人とも言われ、忠治館の部屋には子分の名前がつけれられています。
特に幕府から追われて赤城山を下りる時の台詞、「赤城の山も今宵限りか。」は有名ですよね。赤城山から次は足尾銅山へ。一応バイク用のナビの指示とおりに行ったらえらい狭い県道に入ってしまい遭難しかけました。(笑)。ナビの過信禁物で国道や県道の3百番台は危険です。
足尾銅山は江戸時代から昭和48年まで400年も続いた銅山ですが、今はすっかり寂れてしまっています。
かつての坑道は、今は観光用になっていて江戸時代から昭和の時代までの採掘現場が再現されています。佐渡の金山、夕張の炭鉱に行ったとそうでしたが、やけにリアルな人形が当時の過酷な労働を教えてくれます。
観光鉱山を後にして山の方に登って行くと巨大な構造物が見えてくるのが精錬場跡です。現在も管理用に事務所が置かれていて中に入ることができません。何とも言えないさすらい感が漂います〜。詳しくはオススメspotの方もご覧ください。
最後に立ち寄ったのは軽井沢のメルシャン美術館。
帰り途中、パッと見つけて入ったのですが、これが大当たり!!
日本画家の千住博氏の見立てにより集められた作品の展覧会が丁度開催中。
クールベ、コロー、モネ、ミレーなどいわゆるバビルゾン派を中心をこんな田舎(失礼!)の美術館に惜しげもなく並べられていていいんかい!というぐらい豪華で質の高い作品の数々。平日で人も少なく堪能しました。宿では少し寂しい思いをしましたが、久々にさすらいのライダーらしい旅でした。000年より始めたHPですが、15年を契機にCSSによリニューアルしました。これまでの内容を引き継ぎつつ、少し追加情報も追加させてもらってい2000年より始めたHPですが、15年を契機にCSSによリニューアルしました。これまでの内容を引き継ぎつつ、少し追加情報も追加させてもらっています



バナースペース

concept


旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。