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株式会社ビルダーストーリー

コラムcolumn


NO50.GW四国ツーリング

  • 17.June 2007

かなり、遅まきの更新です。でも、無理しない範囲でぼちぼちやってますので、お付き合いください。無理は長くは続かないというのが人生上の経験です。(笑)今年度は町会長の役に当たってしまい、町内大掃除だの親睦会など、片道2時間の長時間通勤でそれでなくとも時間がないのが、余計に時間がなくなってしまいました。
というもの、コラムの欄も記念すべき50回達成で〜す!!今回のGWは高知県立美術館で無言館展をやっていることや、久々に讃岐うどんのつるっとした食感を味わいたく、四国にしました。先ずは高知に早い目に到着したので、四国八十八ヶ所三十一番札所、竹林寺へ。途中、竹林寺のある五台山の展望台に登りました。ここからは高知の海から山へと市街地が一望できます。東京などの大都市と違いそれなりにヒューマンスケールで何かほっとします。竹林寺は五台山の中腹にあり、長い石段の上に山門があり本堂に続きます。それほど、大きなお寺ではありませんが、五重塔もあり、丁度つつじが見頃でした。やはり四国、お遍路さんがたくさん参られてました。
高知美術館に着いたのは4時半。入館時間ギリギリで残り30分。いつも思うことですが、地方の県庁所在地に行くと必ずと言っていいほど、立派な県立美術館があるのは、府立美術館がない大阪人としてうらやましく思います。無言館は第2次世界大戦前、東京美術学校(現東京芸大)の学生が出征前に書き残した遺作の集めた美術館で長野県上田市にありますが、全国の美術館でも特別展をやっています。”出征兵士を送るバンザイの声を聞きながら、あと5分、あと10分この絵を描きつづけていたい…。”との説明書きを見て泣きそうになりました。人生色々しんどい時もあるけれど、戦争に行きたくなくても、他にやりたいことがたくさんあっても、時代がそれを許されなかった人たちの分まで生きないとと思いました。
翌日は日本三大がっかり名所のはりまや橋に行きました。(笑)平成5年に改修されて、作られた観光地という感じで、わざわざと言う気がしないでもありませんが、でもしっかりと写真を撮ってしまいました。
そして、高知を出発し、一路、讃岐うどんの徳島へ。目指すはかまたまうどんの山越。GWと言うこともあり、予想以上の行列。1時間半待ってようやくうどんにありつけました。今回はかまたま2玉とあつあつうどんにちくわとげそのてんぷら。あー美味しかった・・・!その後、2軒目、3軒目と行きましたが、やはり1軒目がおいしいかったのは並んだせい??
最後の日は、宿で時間つぶしにと紹介してもらった阿波十郎兵衛屋敷に行きました。丁度今から行けば公演に間に合うと言われ、勝手に宿の近くの板野IC近くと思い込んでしまいましたが、実は隣の鳴門ICよりかなり距離がありました。自分自身の思い込みもありましたが、パンフレットの地図がかなりアバウトだったもんで。(板野ICと鳴門ICと地図ではホント良く似ています。)
結局、11時の公演には間に合わず、展示だけ見て帰りました。人形浄瑠璃と言うと上流階級の嗜みと言う気がしていましたが、阿波のは農村舞台と言って神社の鎮守の森の芝居小屋で催された庶民の文化として受け継がれてきたそうです。今でも不定期に農村舞台が開かれるそうで、次回は是非、見に行きたいと思っています。

NO49.醍醐寺

  • 23.April 2007

新年度に入った4月1日に京都の醍醐寺にお花見に行ってきました。今年は暖冬だったにもかかわらず、土壇場で冷え込み例年よりやや遅めの開花でこの日の醍醐寺も五分咲きでした。平安時代から花の醍醐と呼ばれるほど有名な桜の名所です。駐車場でバイクから降り、霊宝館沿いの通りを三宝院に向かってあるきます。
五分咲きとは言え、ここはほぼ満開状態でした。10時を過ぎる人通りも多くなってきます。
混まないうちに腹ごしらえという訳で花よりだんごよろしく、みたらし団子をいただきました。このみたらし団子は甘いしょうゆだれの他に黄な粉も添えてあり、お好みで2種類の味が楽しめます。
さて、”花”の方ですが、仁王門(西大門)へ向かう通りは両側に桜並木が続いています。仁王門はあいにく工事中で、仮囲いがされていてがっくし・・・。
それでも、門の向こうには更なる桜並木が満開・・・と思いきや、ほとんど桜らしい桜の花はなしで、またもや、がっくし。
そう、ここは紅葉の名所でもあり門を越えたところは楓並木でした。(笑)それでも、金堂の周りのしだれ桜は見事な風情を醸しだしていました。
しだれ桜は三宝院のものもかなり見事です。複雑に入り組んだ枝はヘッドホンステレオのコードが絡んだようで(変な表現ですいません・・笑)どこが始まりでどう繋がっているか、わからないですが、それでもちゃんとみごとな花をつけています。三宝院の庭園は豊臣秀吉が醍醐の花見に際して設計した庭です。帰ってから気がついたのですが、4月第2週の日曜日には太閤秀吉の花見を再現する「豊太閤花見行列」が開催されるのでその時に良かったと後悔するも、今年は町会長の役が当たってしまいその日は総会が重なり結局行けなかったんですが。(T_T)
でも、この日は五重塔の前の清瀧宮本殿の摂社で艶やかな橙色の衣装を纏ったお坊さんが何やら、祈願をしていました。この清瀧宮本殿は醍醐寺の鎮守社で上醍醐から分身を祀り、毎年4月1日から21日まで桜絵の様々な行事が行われます
醍醐寺で忘れてはならないのが五重塔。
相輪が全体の三分の一もあり、全体に安定感を持っています。さらに軒下を見ると三手先と言われる深い屋根を支える斗供にも特徴が見られます。
一番上の角の斗が斜めの斗を支える肘木通しが連結されていません。この塔は承平5年(936年)の着工ですが、興福寺のそれより古く、薬師寺の三重塔より新しいのがよく判ります。
ほんの細かなことかもしれませんが、歴史とその時代技術の進展を感じられ、改めて得をした気分になりました。
一見同じように見える寺社仏閣久々のツーリングでしたが、今回から本格的にETCを導入しました。ゲートで並んでいる車やバイクを尻目に「並んでお待ちご苦労様。」と敬意を払いつつパカっと開くゲートを通過するのは本当に気持ちがいいものです。

NO48.下関&門司

  • 5.February 2007

ようやく、年末、年始の旅、下関、門司編のアップです。2月に入ってしまいました。m(_ _)m
12月30日は新下関への到着が4分遅れ、元々6分しか乗り換え時間がなかったのが、2分。猛ダッシュしたけど、無理かなと思っていたら、走っているのを駅員さんが気がついて何とか待ってくれました。人間あきらめたらアカンということですね。何か今回の旅はツイテそうな予感!!
最高の乗り継ぎで着いた下関火の山YHも最高のロケーション。目の前に関門橋がド〜ンと鎮座しています。丁度夕陽が沈む頃できれいだなあと感動に浸ってしまいました
この日は、お正月に向けての餅つき大会。市内から集まってきた小学生がヘルパーのお姉さんの指導のもと、慣れない腰つきでぺったん、ぺったん。やりたいなあと思ったけれど、子供のイベントなので邪魔したら悪いなあと思っていたら、女性のホステラーに声がかかり、うらやましい。
そのうちお子様は夜10時になるとお休みとのことで、ついに大人の男性登場!ってようやく順番が回ってきました!これがなかなか杵を上げるのに力がいるし、疲れて握力が落ちると杵が臼を打つとき”ぐゅにゃっ”となってなかなか難しいもんです。2玉くらい搗いて終わりと思いきやどんどんもち米が出てきて6玉くらい搗いてフーフー。最後はご褒美に搗きたての餅を黄な粉や、おろし大根、ぜんざいにして戴きました。おろし大根で食べるのは初めてでしたが、これがなんとイケル。やみつきになりそう。
31日は下関と門司港レトロを回りました。宿で自転車を借りて一路、下関の唐戸へ。源平合戦で敗れた安徳天皇を祀っている赤間神宮。威勢のいい唐戸市場。そして旧英国領事館、旧秋田商会ビルなどレトロな建物が点在しています。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地、巌流島は、下関港から船で10分。回りは工場で囲まれて風情がやや物足りなかった感は否めませんでしたが、それでも昔ここで、”臆したか武蔵・・・”、”小次郎敗れたり・・・”なんて歴史があったと思うと感動です。ここの銅像もなかなか、動きがあってよかったです。
下関港から自転車ごと門司港に渡り、いよいよ門司港レトロです。工場などの撤退が相次ぎ人口が減って寂れたと聞きましたが、今は観光都市として、新たな道を歩んでいます。
門司港駅は1914年(大正3年)の建設で、ネオルネッサンスの様式を備え、駅の中では唯一の重要文化財です。かなり古びてますが、下手に手を加えるより歴史が感じられいい感じです。駅周辺には旧三井商船倶楽部や旧大阪商船の建物もあります。
そして、鉄道マニアには外せないのが、九州鉄道記念館。
動態保存ではないのは残念ですが、なつかしのSLの59や電気機関車が展示されています。車内見学がOKな車両もあります。本館の方には明治時代の列車を復元、列車のヘッドマークや鉄道用具の展示や、昔の駅執務室が再現してあり、マニアには堪らないでしょう。もちろん、鉄道模型もあります。
この後、再び、レトロな街の散策に戻り、旧門司税関を訪ねました。
この建物は、一時期、払い下げられ、倉庫として利用されていましたが、門司港を観光名所とする取り組みから再び買い上げられ、修復し、公共の場として活用されています。周辺にはマーケットプレイスが整備され、いい雰囲気なんですが、有名建築家の高層タワーはせっかくの景観を台無しにしている気がしました。
門司から宿には歩行者専用の関門トンネルを通って(自転車も押していかなければならない)帰りましたが、水が出てきたら逃げ場がないのでちょっと不安がよぎります。宿に帰ったら、本日のメインイベント、ふぐ三昧。ふぐさし、湯引き、から揚げ、ふぐちり、ぞうすい、そして合間にひれ酒と下関を舌でも堪能しました。大阪でもてっちり何回もたべていますが、やはり本場は違う感じがします。

NO47.大和ミュージアム(呉)

  • 21.January 2007

今年の年末年始は家族に病人がいたり、休みがまとまって取れなかったりで、何となく旅に行く気がしないなぁと思っていたところ、高名なある仙人さんからポンと背中を押され、旅に出ることができました。謝々。なお、今回もお正月の旅はバイクではなく電車です。m(_ _)m
目指すは下関のふぐなんですが、以前、ニュースで知った戦艦大和の巨大模型のある大和ミュージアムが呉にあるのを思い出し、途中、立ち寄ることにしました。呉は以外と不便。広島からJR呉線でパンフでは28分となっていますが、実際は快速で37分、各停で47分でした。
大和ミュージアムの正式名称は呉市海事歴史博物館。入り口前には戦艦長門の砲身やスクリュー、碇が展示してあり雰囲気を盛り上げています。館内に入ると、いきなり大和の巨大模型。大和は263mなので、1/10でも26mもある大迫力。とにかく写真をとりまくり。(館内はビデオ以外はフラッシュを焚かなければ撮り放題!)
小さい頃から幾度となくプラモデルでつくった大和。それが圧倒的なスケールで蘇るうれしさにしばらく、浸ってしまいました。そして落ち着いてみることができるようになったのなってから、戦時中、物資もない中、こんなもんよう作ったなぁと・・・
大和のスペックはご存知の諸賢もおられようが、改めて紹介すると、基準排水量6万5千トン、46センチ主砲が9門(射程距離42キロ)、出力15万馬力、最大速力27.46knot、航続距離13,334km(16knot時)
大和模型の右舷には大和建造までの日本が辿った道をビデオやパネルで詳しく解説。もちろん、大和など戦艦の構造や大和の潜水調査なども詳しくわかりやすく飽きることはありません。(左の写真は戦艦金剛のボイラー)
国際連盟の脱退、ABCD包囲網による経済封鎖。(昔、中学校か高校で習ったなあ・・・)そして、どんどん孤立感を深めて行き遂に真珠湾攻撃で開戦してしまうのです。そして、ミッドウェイ海戦での敗北。沖縄の米軍上陸、大和出撃、沈没・・・。
本当に歴史の勉強になります。しかし、この時の日本と今の北朝鮮が似ているので怖かったりします。戦艦のコーナーの最後は大和の遺品と沈没の写真そして戦死された方の名簿でした。
続いてゼロ戦など戦艦以外の展示もあり、番外編として、宇宙戦艦ヤマトのコーナーもあります。
泣かされたのは人間魚雷回天の特攻隊員の遺書。
母ノ言葉 櫻ハ咲クモ咲ケヌ身ヲ 頼ムゾ 宮崎 俺ハ無念ダ”さぞかし生きたかったろう。今でも涙が出てきてしまいます。
戦艦大和はかっこいいと思ったけれど、戦争はいやだ。もうこんな犠牲はいやだと心底思いました。
最近、日本も米国共々右旋廻をし始めているような気がしてなりません。とにかく何があっても戦争はいけないと心に刻んで大和ミュージアムを後にしました。

NO46.北信州ツーリング

  • 23.November 2006

直前まで、仕事の関係で休めるか微妙だったけれど、文化の日を合わせた3連休で木島平と安曇野の北信州のツーリングに行ってきました!一度泊まりたかった高社山麓みゆきの杜YHと安曇野パストラルYHだけ決めて後は現地情報に頼るといういつものパターンの旅のスタートです。
まずは初日、3日は移動日。信州にいくには、初めてのルート名神高速を利用。いつもは西名阪、名阪国道、東名阪ルートでいくのだけど、この日は前日までのハードワーク?(笑)で疲れていたのでナビの言うとおりに。名神高速に入ったらあちゃー・・・
渋滞ですわー。それもえらい京都までびっちりと渋滞。西名阪ルートならならスイスイなのにと後悔。と言っても仕方がないのでじっと我慢の子。ようやく、京都を過ぎたらと思ったらまた竜王まで渋滞。バイクだからちょくちょくは路肩を走ったりして追い越ししたりするけど、ホントは違反なので、キップを切られたりするのでやはり渋滞の影響は避けられません。ようやくスィーと思ったら今度は養老SAで大垣から名古屋まで事故渋滞30km。
こりゃ参ったと思うと同時によ〜く考えたら、西名阪ルートで行っていたら、事故の当事者になっているかもしれない時間帯。背筋が寒くなりましたよ。くわばら、くわばら。
ともかく、気を取り直して、東海環状線の迂回ルートを経て4時過ぎにみゆきのYHに到着。秋の夕暮れはつるべ落としと言われるぐらいにあっと言う間に日が落ち、夜の世界に。この日はオーナーさんがいなくて残念でしたが、ご自慢のNゲージは、常連のホステラーさんが見事な運転ぶりを見せてもらいました。Nゲージの鉄道模型はものすごく凝っていてトンネルあり、鉄橋あり、街ありでオーナーさんの気合が感じられました。夕食後は車で来ている人に乗っけてもらい、野沢温泉に行きました。共同浴場があり、源泉かけ流しです。無料です。
ようやく2日目です。朝から同じく車に乗っけてもらい馬曲(まぐせ)温泉に。こちらは見晴らしは抜群でしが、湯量が少ないせいか循環式で消毒もしているのでやや塩素くさいです。朝ごはんを食べた後、皆でパティスとリー・レーヴというケーキ屋さんに行きましたが、色んなケーキがありその場で紅茶もいただけるお買い得なお店です。続いては阿弥陀堂。山の中腹にある小さなお堂はささやかなものだが、2002年に公開され日本アカデミー賞で11もの部門賞を受賞した「雨あがる」の舞台となったところ。既に稲は刈られていましたが、棚田は日本の原風景そのもの。時間があればゆっくりしたかったところ。実は阿弥陀堂でゆっくりできなかったのはこのそばを食べるため。YHで知り合った旅人とこちらがガソリンを入れている間に差をつけられ、慌ててそば屋に追いかけることになったのです。そのそば屋は涌井峠にある涌井せんたー(ひらかなで書く)。いやいや、量といい値段といいそばの味といい、そして、てんぷらも美味しかったし、正に4拍子揃ってました。
一押しオススメです。電話は0269-38-3394。
さて、その後は友と別れて一路安曇野へ。安曇野YHの場所はわかりにくく、探すのに苦労しました。特に日が落ちると、どこを走っているのかもわからなくなり悲惨。秋のツーリングは早めにつかねば・・・。
YHではウエスギの真空管アンプとタンノイのSPウエストミンスターを聞きながらビールバーでライダーさんらと楽しいひと時。至福のひと時、ありがとうございました。

NO45.岸和田だんじり祭り

  • 18.September 2006

台風が近づいているせいもあり、あまり遠くに足を伸ばす気にもなれずに近場シリーズ第2弾。10年ぶりに行ってきた勇壮果敢で知られる全国的にも有名な岸和田だんじり祭りをレポートします。岸和田だんじり祭りは300年以上前に岸和田城主岡部長泰が五穀豊穣を願い、伏見稲荷を城内に勧請したのがはじまりとされています。これまで9月14,15日に行われてきましたが、一昨年、敬老の日が第3月曜日に変更され、15日が祝日とは限らなくなったので、130年ぶりに変更され、9月の第3土日となりました。2日の17日、9時半過ぎに岸城神社でお祓いを受けるため、岸和田城回りに14台のだんじりが集まってきます。1台2億円とも言われ、細部にまで彫り物が施されているだんじりは”下だんじり”と言って高さを抑え、より高速対応になったもので、宮入用の幟を立てています。一番最初に各町の纏(まとい)が来てその後、子供、お姉ちゃん、若い衆と続きます。
でも、お城の回りが宮入を待つだんじりで大渋滞。11時頃には一旦休憩となりましたが、大通りの川端筋に出ると、全国の出店が一度に集まってきたほどのすごい賑わいです。
12時に復活後、大通りから、海側のカンカン場付近でいよいよクライマックス。角を直角に威勢よく曲がる”やりまわし”はだんじりの最大の見所。だんじりの上の載っている大工方と呼ばれる若い衆(中にはおっちゃんもいるけど)威勢のいい舞を見せてくれます。角を曲がるときはヒコーキのような格好に見えます。カッコええなぁ〜。10年前に行った時はもっと激しく、梃子を持っていた人が振り飛ばされていましたが、今はそんなのもなくだいぶマイルドになっているような気がします。昔は家の軒を引っ掛けたり、勢い余っただんじりが転倒し、毎年のように亡くなる人がいましたが、安全になったことはいいことです。(^_^)警備の警察官も信頼して町方の役員の指示?のもと動いているようです。(笑)
休憩時にはだんじりの後ろに付けられている紋入りの給水箱から水を飲んでいる子供たちや、屋根の上でくつろぐ大工方。「このために、1年働いてきたんやで〜」と言うような満足気な顔が何とも言えません。岸和田のだんじり祭りは観光のためとかではなく、町会が主体となって本当に自分たちのためにやっている”生きた祭り”です。都市化や核家族化で失われれつつある地域との絆を確かめるように岸和田のだんじり祭りは時代が変わっても健在です。

NO44.テニス合宿

  • 27.August 2006

今年は7年続いた北海道ツーリングは仕事の都合や家の都合で断念せざるを得なくなりました。
代わりにいつも行っているテニススクールの合宿に8月12日から14日までの間、近場の和歌山まで行ってきましたので、その報告をさせていただきます。例によって年々地球温暖化のせいで暑くなる中、さらに異常に暑い8月。”このくそ暑いのに和歌山に行ってどうするねん。”と思いつつ和歌山川辺サイクリングターミナルへ。朝、9時過ぎ到着後、早速10時より炎天下の中で練習。日頃、お天道様のあるところで長時間過ごしたことのない管理人は、見る間にバテバテ・・・熱中症になってしまいました。
スクールの支配人は口で息をしている管理人を見つけ、「首を日に当てるとバテやすい、タオルを首に巻いたらいい。」とアドバイスしていただき、随分楽になりました。でも、1日目は1勝4敗の情けない成績でした。
2日目は幾分、慣れてきたものの、実力の差は歴然。日頃から試合慣れしている人と週に一度か二度程度申し訳程度にやっている管理人は最下位ランクでありながら、なかなか勝てず。特に後半いいところまで行くのですが、サーブがぜんぜん決まりません。勝ち越していても自分のサーブになるとダブルフォルトの出しまくりで、自滅。それで自信をなくしてイージーミス。自分で捕らないといけないボールもパートナーに任せてしまい、味方にも怒られる羽目に・・・。結局1勝8敗に。。
すっかり自信をなくしてしまっている中、一緒に行ったメンバーからダブルフォルトは君だけじゃないと慰めの言葉をかけてくれたり、いいところを褒めてくれたり、本当にありがたかったです。
途中ですが、ここ(川辺サイクリングターミナル)の紹介をしときます。テニスコートは砂入り人工芝で20面もあり、宿泊施設も完備。競輪の収益金で建てられたもので近くに天文公園があります。天文公園には口径1mのカセグレン式反射望遠鏡を持つドームとプラネタリウムがあり、天を指差すマスコット”ホッピー”が迎えてくれます。ここからは海も見えます。
さて、本題に戻り、3日目はこのままじゃか帰れないと思い早めにコートに行きサーブの練習。
はマシになったかなあとの思いで試合に臨みます。
今までサーブの打つ位置が後ろ過ぎたのでオーバーし、弱く打つとネットにかかり、自信をなくすというデフレスパイラルに陥ってましたが、サーブが入り出すとスマッシュやボレーもどんどん決まるようになってきました。
テニスって人生や仕事と似ているなあと思います。この日は熱中症で棄権された人の不戦勝も含め4勝1敗でした。
夜はバーべQパーティで大いに盛り上がりました。ちなみに下の真ん中で腰に手を当て一気飲みをしているのはスクールの辻支配人です。一気飲みをしたのは15年ぐらい前の高校の同窓会以来です。良い子は絶対マネをしないようにしましよう。(笑)

NO43.信州ツーリング

  • 11.June 2006

今年のGWツーリングも信州です。今回は個人的な理由もありましたが、考えてみると、この三年間ずっと信州方面です。
信州も北海道と並んで見どころいっぱいのツーリングコースがたくさんあり、意外にそれぞれが奥が深く、なかなか制覇するのは容易ではありません。(笑)先ずは、諏訪に上陸。(高速道路は空を飛んでいるようなものなので、高速を降りるとこういう気分になるのでこういう表現をしてしまいました。)
諏訪大社は寅申年に御柱大祭として大木を引き回す行事が有名ですが、今年はその年でもなくひっそり。
この日は蓼科に泊まり、翌日はピラタスロープウェイで縞枯山へ。ピラタスとはスイスのピラトゥス山の雰囲気と似ていることから名づけられたそうです。頂上は坪庭と呼ばれる散策路になっており、まだまだ雪がたくさん残っていました。ここからは中央アルプス、南アルプスを一望できます。
次は蓼科湖、白樺湖を経由してライダー垂涎のビーナスラインへ。ビーナスラインの途中には車山高原があり、リフトで山頂まで登ることができます。
冬はスキーのリフトとしても活躍するもので、地上との高さは2、3m。高所恐怖症の管理人でもぜんぜん怖くありませんでした。(笑)頂上から、中央アルプスの向こうにうっすらと富士山が望めます。中、昼食に手間取ったこともあり、美ヶ原に着くのが遅くなり、ゆっくりできませんでしたが、雄大な風力発電の風車と現代彫刻のコラボレーションは何とも言えない取り合わせでした。
蓼科を後にし、佐久、小諸を越え、草津へ。草津行きは念願だったのようやく大願成就です。草津には軽井沢経由の方が近そうですが、国道18号が恐ろしく混むので上記ルートが適度にコーナーがあるオススメです。
草津に入ると温泉に香が・・・・温泉街の真ん中に湯畑と言う温泉の沸きだし口があります。まるで畑のようなのでこういう名前がついたのでしょう。この近くには無料で入れる温泉もあります。さすが草津です。草津は、温泉だけではありません。コメディアン、俳優としても活躍中の片岡鶴太郎の美術館があります。建物もなかなか凝っていますが、作品も玄人も裸足で逃げ出す、いや、もうこれは芸術選奨の領域と言っても過言ではありません。気迫に満ち、かつ繊細な筆使い、こだわり抜いた色使い、鬼気迫るものがあります。
つい、絵葉書、しおり、ぽち袋などここでお土産買いすぎてしまいます。最後は白馬。まだまだ、雪が残っていて宿に宿泊の多くの人はスノボやスキーが目的で来られていました。バイクは、場違いのようで、残念。前日ならライダーがいたとか・・・さらに残念でした。
冒頭、見どころがたくさんあると書きましたが、帰りに、なぜか信州は今年が最後と言う気がしました。

NO42.桜の国

  • 15.April 2006

三人寄れば、文殊の知恵と呼ばれるように文殊とは知恵の仏様。今年のお花見は奈良、桜井の安部文殊院に行ってきました。
これが、意外にも穴場で途中の渋滞は覚悟していましたが、まずまずの天気にもかかわらず、お寺までの道のりでほとんど渋滞らしい渋滞には遭いませんでした。その上、絢爛豪華な桜の一大ページェント、久々にお花見で身震いするほどの感動でした。先ずはお寺の紹介です。
大化の改新時に左大臣となった安部倉梯麻呂(あべのくらのはしまろ)が建立したお寺で、日本三文殊(京都・天橋立切戸の文殊、山形・奥州亀岡の文殊、大和安部の文殊)の一つとして有名です。
所謂、観光寺と異なり、祈祷を生業としていて365日、いつでも厄除けなどの祈祷をしてくれるそうです。受験シーズンには合格祈願で多くの人が訪れます。祈祷寺なので基本的には境内に入るのに拝観料は取りません。本堂に入る時のみ700円取られますが、抹茶とお菓子(がくらん)と講話が付いています。
おまけに”文殊院境内ご利益めぐり”と題したスタンプラリーのような紙をくれます。
境内の浮御堂、白山堂、清明堂、稲荷堂そして本堂にそれぞれ、厄除、縁結、開運、金運、知恵という判子があり、これらを集めると知恵の数珠がもらえるという仕組みで、さすが知恵のお寺と感心するとともにこの拝観料がかなり、リーズナブルな印象を持ちました。さて、本題のお花見の話になりますが、写真をご覧のように言葉を失うほどのすばらしい桜、桜・・・・また桜です。
本堂周辺のソメイヨシノ、稲荷堂の入り口にあるしだれ桜、池を囲むように咲く桜と浮御堂とのコントラスト、山門に続く石畳にかかる桜のトンネル、そして展望台から見る花の地上絵など、どれも感嘆のため息がでてしまいます。境内自身はそれほど大きくなく、30〜45分もあれば回れる規模ですが、あまりの見事な桜に2時間半もいてしまいました。
特に桜の木々からわずかに除くお堂や石灯篭と桜の絶妙のレイアウトは桜の国、日本の真骨頂というべきものでしょう。文化と伝統を培う長い時間を経てこのようなすばらしい景観が創り出されたもので正に「ローマは一日にしてならず。」です。最近はITの進展により情報が瞬時に世界中を駆け巡り、価値観も目まぐるしく変化していますが、それぞれの国や地域の良き伝統や文化について守りそだてていきたいなと思った一日でした。スペースがちょっと余ったので編集後記です。(笑)4月から異動で職場が変り、通勤時間が大幅に長く、始業時間も早くなり寝不足気味の毎日です。それ以上にやはり、職場、職場の文化や掟?みたいなのがあり、少し戸惑いましたが、これも「郷に入れば郷に従え」と言う諺を実践しています。

NO41.小笠原3弾

  • 29.January 2006

3弾は小笠原での3日目以降のレポートです。
1月2日は朝から、ホエールウオッチング、昼からは清見が岡の鍾乳洞や31日に見逃した昭和天皇が行幸された御幸之浜などに足を伸ばし名残惜しい時間を過ごしました。
3日はいよいよ、小笠原を離れますが、海が荒れているにもかかわらずたくさんの船が見送りに出てくれ大感動!涙の別れです。天気予報も予定どおり?はずれ、青空に燦々と陽が注ぎます。
波も穏やかで赤いゴムボートもあまり揺れることなく沖港を出発し、母島に添って万年浜海岸や蓬莱根など海岸を眺めながら南下します。所々に砲台跡があり、この緑と青い海の島が戦争に巻き込まれたことを再び認識させられます。
しばらく行き丸島、二小島、平島の当たりに到着し、ボートはエンジンを止め、クジラを待ちます。ガイドのお兄さんはクラブノアの中西さんが「少し、シーズンより早いので運がよければ見えるかもしれない。」とアバウトなガイドをしてくれます。こういう、いい加減な感じのお兄さんは好きですね。(と言って変な意味ではありませんが。)観光客に過大な期待を持たせるより、正直でいいと思います。
10分、15分待ってもなかなか、クジラが出てこないのでやはり無理なのかと思っていると中西さんが海を指差します。ブローという潮吹きをしたあと、背中を見せ再び海の中に潜っていく瞬間、尾びれを一瞬見せてくれます。慌ててデジカメのシャッターを押し捲りようやくクジラさんをGETしました。親子のクジラもいて都合5、6回は見ることができ大満足です。その後、無人島の向島に上陸。何か開拓民になったような気になりました。
帰りは海が荒れ、ゴムボートが波に揉まれて進まず、ダイビングの船に乗せてもらい戻ることとなりました。
ようやくの思いで帰り、次は沖港から歩いて7分の清見が岡の鍾乳洞です。観光協会で鍵を借り自分で扉を開けます。内部は戦時中郵便局などに使われており破損していたのは残念だったけれど、神秘的でした。最終日は母島から出港する短い間でしたがすっかり顔なじみになった人たちが見送りにきてくれて本当にうれしかったです。父島からおがさわら丸が出港の際には高い波にもかかわらず、多くの船が見送りに沖まで見送ってくれました。何か自分の故郷のような気すらします。心の中できっとまた来ようと思いました。小笠原の皆さん本当にありがとうございました。
でも、帰りの船は波が高く揺れた上に29時間もかかり、参ったしましたが。。



バナースペース

concept


旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。