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株式会社ビルダーストーリー

コラムcolumn


NO40.小笠原2日目

  • 15.January 2006

2日目レポートは元旦です。改めて、2006年の幕開けおめでとうございます。
元旦は母島の海開きの行事に参加し、そのあと母島最高峰の乳房山に登ってきました。
母島は年中泳げるのですが、一応区切りという形か元旦に海開きが行われます。
前日の天気予報では元旦の天気はイマイチで大晦日から雨も降っていたので心配しましたが、何とか晴れました。でも、小富士に初日の出を見に行くのをあきらめたところ、がんばって見に行った人から初日の出の写真を見せてもらい悔しい思いをしました。海開きはやや小さい目の和太鼓の地元の若い衆の威勢がいい音で始まります。例によって地元の観光協会の会長が挨拶をされますが、滅多に大勢の前で話をしたことがないせいかキンチョウの余り、詰まってしまわれた。皆心配そうにしていたが、何とも素朴で微笑ましかったです。
その後、成人になった3人が紹介され、鏡開きが行われました。アトラクションとして南洋踊りがあったそうですが、実は管理人は、このあとカヌー大会に出場するため、一旦宿に準備のため帰ったので見逃してしまいました。
海開きの会場となった脇浜なぎさ公園には出店も出て焼きそばや亀の煮込みなどの料理が振舞われ、賑やかです。(亀の煮込みはちょっとかわいそうな気がしましたが・・・)
そのうち、母島で孵化された海がめの放流が子供たちの手ではじまりました。海がめの生態を調べるためのタグを付けられ、少しかわいそうな気がしましたが、何も教えられないのに本能的に海の方に歩いていくのを見るとすごいなと思いました。中には、一旦海に入ったものの戻ってきたものもいましたが無事全員、海に旅たちました。がんばれよ〜!!
いよいよ、メインイベントのカヌー大会。総勢、35チーム。管理人、高橋さん、なんさまと3人は第2レースに出場。他の二人はまじめに練習されていたようですが、管理人はカヤック3級の腕前(実は一回やったら、誰でも取れるもの・・・笑)を過信して練習をしなかったので、ぶつつっけ本番。
最初は、右の反れたものの、他のメンバー特になんさまの見事な舵きりでのお陰で何とかコースに復帰し、無事ゴール。何と21位でした。カヌー大会で目を引いたのはメイドさんの衣装を着た萌えチーム。お目立ち度だけでなく、なかなか早いのでビックリです。レディース部門で2位。全体で11位とのこと。・・・負けてしまった。
そうこうしているうちに、コハクチョウが飛んきました。今年の本土が寒かったので遠く小笠原まで飛んできたのでしょう。コハクチョウが飛んできたのは12年ぶりとのこと。今年は災害が少なく、健康で平和な1年でありますように。昼からは乳房山です。
乳房山は母島固有種の宝庫です。南崎行った時もそうでしたが、さらに色々な種類の植物があります。ここで見つけたのはシマシャンバイ、ムインヒメツバキなど。そうそう、ついにハハジマメグロを見つけましたよ。の東崎の写真にポインタを合わせてもらうと見えます。
昼から乳房山での天気は曇ってきて青空ではありませんでしたが、その代わりビッグな贈り物を見ることができました。頂上で雲から陽の光りが差込み地上と天を繋いでいる天のはしごです。(この表現は友達に教えてもらいました。)しばし、その美しさに言葉もありませんでした日没になると道がわからなくなるため、急いで下山しましたが、東側には一切道がないため、海からしか見れない東海岸を少し見ることができます。
太平洋の波を直接受けるため、西側以上に断崖絶壁で激しく波が打ち寄せ、自然の厳しさも感じざるを得ません。午後1時半に登り、途中写真も撮りながらでしたが、4時45分に下山しました。

NO39.小笠原初日

  • 9.January 2006

恒例となった年末年始の旅行。
寒いところは3年前に行って懲りたので、まずは暖かいところ。そして辺鄙で自然がいっぱいなところということで、3年ぐらい前からずっといきたなぁと思っていた小笠原。ようやく、船の予約が取れたので大願成就となりました。
まずは初日と言っても、移動日の12月29日、翌日の30日も2時半まで船中だったので、31日を初日のレポートとします。午前9時半、竹芝桟橋、唯一の交通手段である6700トンの小笠原丸に乗り込み、父島まで25時間半。とにかく長〜い。
でも、飽き飽きするぐらい、時間を持て余すのもたまにはいいものです。波はほとんどなく順調な航海でしたが、船内はお正月便ということでかなり混雑していて特に2等は幅60cmぐらいのスペースしかなくちゃんと寝れるのかなと思うほどです。それでも何とかなるもので、熟睡とまではいかないまでも一応寝ることができ、11時に父島に到着し、そこから母島まで南へ50km、さらに2時間半船に乗ります。母島に着くとYHのお出迎えの車が待ってくれていて荷物を乗っけてもらい人間さまは歩いて宿に向かいます。YHのオーナーの田澤さんは全世界を旅をされた頼りがいのある方です。そうこうしているいるうちに夕陽の時間。慌てて、村道静沢線の夕陽Spotを目指して登っていると軽ワゴンが乗っけてくれるとのこと。
先に出発した人に悪いなと思いながら海に沈む夕陽を静かに待ちます。この日は数日ぶりの天気とのことでまさに海面に沈む夕陽を堪能できました。東京より、1000km、それも二十数時間の船の旅を経てなので感慨ひとしおです。
翌日30日は友だちが車を借りてくれたので、これで、島内めぐりです。まずは母島きっての風光明媚な南崎を目指し車を南進線を下り、終点のロータリーに。ココからは徒歩で、万年浜青浜、今や陸地化した蓮池、唐茄子海岸、蓬莱根海岸、すり鉢展望台、ワイビーチを経て南崎に到着。
途中はジャングルになっていますが、しっかりとした道があり、まず迷うことはありません。根がタコの足のようなタコの木、オガサワラビロウといった小笠原にしかいない固有種がたくさんあります。小富士という日本一南の郷土富士(標高86m)から見下ろす南崎、そして母島の眺めはは言葉を失うほどの絶景!ここにくるだけでも25時間、いや大阪からだと32時間をかけた甲斐があったと思えるほどです。
帰りには、固有種のハハジマメグロの鳴声を耳にするものの、見ることはできませんでした。昼からは北方面です。先ほどまで眩いばかりに晴れていたのが急に曇ってきて北港に着いた頃には空はどんより。
北港は明治、大正時代には東京への定期便もある集落でしたが、1944年の強制疎開後、二度と人は戻らず、朽ちた建物跡が寂しいです。
途中、今なお砲台跡が残り、この自然の島でも戦争があったことを知らされます。
最後は新夕日ヶ丘に寄りますが、夕陽は望めそうないので、早めに戻りました。向こうに見えるのは向島です。(笑)前日の天気予報では雨でしたが、午前中は爽やかな晴天、昼からも何とか雨も降らずに、島巡りを堪能できました。天気予報ハズレてばんざーい!!
これで2005年も終わりとしみじみとした感傷に浸ると思い気や意外と普通の一日とあまり変わらない気分で2005年も終わりました。

NO38.紅葉第2弾

  • 11.December 2005

もう、遅かった秋も過ぎ去ってもう、冬の装いですね。
少し、更新がおくれましたが、京都の永観堂、天授庵と奈良の浄瑠璃寺、正暦寺の紅葉めぐりの報告です。南禅寺近くの永観堂は紅葉の名所ということで例年多くの人が押し寄せます。
しかし、今年の紅葉は陽のせいもあるのか、イマイチ鮮やかさに欠け、どんよりとした印象さえします。人が多くなかなか落ち着いて見ることもできす、足早に後にしました。入場料も1000円とご祝儀相場なのも残念で少し後味悪く、帰りかけた時、同じく南禅寺近くの天授庵に何人か入っていくのに連れられ行くと目にも鮮やかな紅葉の庭が広がっているではありませんか。丁度、陽が出てきたこともあり、圧倒的な輝きを放つその紅葉に思わず、”おぅー”と声を発してしまったほどです。
天授庵はその昔、亀山上皇の離宮であった歴史を持つ禅寺で、手入れの行き届いた庭ならではの格調の高さを醸し出しています。書院の南側には南北朝の面影の残る池庭もあり趣を一層高いものにしています。
奈良の紅葉は京都のそれと異なり、より自然のままに近い、雰囲気です。最初の浄瑠璃寺は実は奈良と京都の境にあり、地理的には京都なのですが、奈良の分類にしてしまいました。それほど、奈良らしいお寺ということです。浄瑠璃寺は九体の阿弥陀仏が祀られていることから、九体寺とも呼ばれ、池を囲むように阿弥陀堂、三重塔などの伽藍が並び、灯篭や湖面との紅葉のコントラストが美しいです。山の中のお寺という感じです。
もう一つの紅葉は正暦寺。前々日、NHKのおはよう関西で紹介されていたので早速拝観に訪れたところ予想通りすごい渋滞。帰ろうからと思ったけれど、農協前にバイクを置いて2kmほど歩きました。でも、よかったぁー。
途中の道でも眩いばかりの紅葉、紅葉。。紅葉のパラダイス。歩きもなかなかいいです。車やバイクでいくといいと思っても急には止まれないですし。境内に入ると一層絢爛豪華な紅葉で、風のように紅葉が駆け抜けていくようです。京都の紅葉は人により、芸術の域まで高められ、秋の風情を満喫できました。

NO37.丹波もみじ三山めぐり

  • 13.November 2005

せっかくの飛び石連休、草津温泉(群馬の)に行くことができなかったので、少し近場だけれど、少し遠出の丹波笹山に紅葉狩りにいってきました。
今回、訪ねた石龕寺、円通寺、高源寺は、丹波もみじ三山と呼ばれ、隠れた?紅葉の名所なんですよ。
石龕寺は、山の中にあり、紅葉の季節以外、めったに訪れる人もないひっそりしたお寺です。開祖は聖徳太子で、物部守屋を征伐するとき祈願のため刻んだ毘沙門天の像が空中に飛散したが、この地の石窟で安置されているのに感激し、小堂を建てたのが石龕寺のはじまりとされます。
境内には石仏がならび、真っ赤なもみじと絶妙のハーモニーを奏でます。京都や奈良の紅葉もすばらしいですが、こうした山寺で時間の流れを感じながら過ごす紅葉も一興です。
円通寺は足利義満により、創建された曹洞宗の古刹です。木々に囲まれた境内はほっとするような安らぎを覚えます。石段と池に写る紅葉が見事なコントラストを生み出しています。ここで食べた松茸弁当もなかなか。その店のおばあさんが忙しいにもかかわらず、わざわざお茶を出してくれました。駐車場では案内のおじいさんとバイク談義に花が咲きました。バイクに乗っていると何かにつけ話しかけられるので何か得をしたような・・・。心もほっこりした円通寺でした。
最後は高源寺。中国杭州で修行した僧遠谿が後醍醐天皇より号を得て開山し、岩屋千軒と言われるほど山中に寺院がありましたが明智光秀の丹波攻めでほとんどが焼失した非業の名刹です。
現在の残っている山門や三重の塔は後に再建されたものです。
丹波随一と言われる紅葉は陽の光に美しく艶やかに輝きます。紅葉の中から覗く三重の塔の姿は正しく日本の美の一つの境地と言っても過言ではないでしょう。
同じ丹波でもそれぞれ少しずつ違う三つの山の紅葉の旅に、過ぎ行く時と変わらぬ価値を感じました。

NO36.信楽の旅

  • 2.October 2005

9月の3連休の最後、陶芸の里、信楽へ行ってきました。実はバイクに乗り始めた頃(今から10年くらい前)に一度いったことはあるんですが、バイクでピューと走っただけだったので今回は、じっくり回ることにしました。最初は陶芸の森。少し、信楽の中心部より離れているのですが、陶芸の信楽のメッカです。
小高い丘の森に囲まれて、産業展示館、研修施設、美術館、売店、レストランなどの施設が点在しています。屋外には広々とした公園が広がり、彫刻が点在しています。ここからは信楽の町が一望できます。
公園の中腹にはここが単なる観光施設でない証拠に登り窯が新旧含め、3つもあります。登り窯とは江戸時代中期に開発され、それまで、熱コントロールがうまく行かず、不良品が多かったのを燃焼室(火袋)と焼成室(焼間)を分離し、熱を効率的に蓄えることにより、生産性を飛躍的にアップさせました。
なるほど、よく考えてあるなあと先人の知恵に感心させられました。
産業展示館では第43回 朝日陶芸展をやっていましたが、珊瑚や海草、貝など海の生物を模したものが多く技術的にはすごいと思いましたが、やはり陶器は実用品なので、もう少し生活感があってもよかったのではないかと思いました。
信楽の中心部にはやたらに陶器のお店があり、それも、これでもかというくらいに狸の置物が鎮座しています。狸の好きな人はいいのですが、きらいな人には結構、苦痛かも・・・
駅からの道をR307を越え、50ほどいくと信楽伝統産業館というレンガづくりの建物が右に見えます。この建物の展示内容はあまり大したことはありませんが、ここで窯元散策路の地図をGETできます。日頃バイクで駆け抜けるばかりなので歩いてゆっくりと回ることにしました。あちらこちらに登り窯やレンガづくりの煙突(窯元芳山)があったり、陶芸のまちという実感がします。散策路は1時間ぐらいで道標や地面に陶器のペイブメントがなされています。(でも、管理人はウカウカして迷ってしまいました。笑。)
散策路も終盤になった頃、巨大登り窯の看板が・・。興味深々で言ってみると宗陶苑という窯元に到着。ここでは、申し出ると工場の見学もできます。帰りはR307沿いの串かつ屋、武蔵で昼食。揚げたて串かつは絶品。ここの女将さんは昔ライダーだったとか。駆け抜ける喜びよりも歩くことで見つけられる楽しみを実感しました。

NO35.北海道ツーリング2005

  • 14.August.2005

今年で6回目となるツーリング。今回のテーマはずばり”雨”なんて冗談です。笑。とは言うものの、冗談を言いたくなるほど良く雨が降りました。自称正義の味方、カゲヤマンと言う友人がいるのですが、彼は生粋の雨男なんですが、GWにスリップでケガをしてしまい、旅に行けないらしくその恨み雨が写ってしまったようです。笑。今年は、フェリーで北の大陸へ上陸。
時間があれば、フェリーののんびりした何もすることがない時間が何よりです。
でも、苫小牧東は何もないところ上陸するなら小樽が絶対オススメです。
到着が午後8時半と言うこともありいきなり泊まりで苫小牧市街地を目指します。すると、電動で動くはずのスクリーンが故障していることが判明。いきなり故障かようとがっくり。翌日ダメ元で札幌の岡村モータースというディラーに行くと地元のバイクそっちのけで朝11時から午後3時まで昼食もとらずに修理をしていただき見事に復活。本当に頭が下がる思いです。ありがとうございました。
その足で積丹半島に向い、リフォレ積丹YHに泊まり、翌日、今回の目玉の一つ、神威岬へ。同泊の人が万里の長城と言ってましたが、まさしくそのとおり。駐車場から20分岬に突き出た蝋燭岩はさすらい感十分です。
その後、島牧経由でニセコに向け出発しますが、道路工事中で、信号交互通行で時間が大幅にかかってしまい、直接ニセコパノラマラインよりニセコ高原に向かいました。途中、神仙沼に立ち寄りました。その名のとおり、神や仙人が住むといわれる神秘的な沼です。
今日のお宿はニセコ高原YH。何気なく見ていた、アコーディオンのポスター。まさか、ここのオーナーさんとはつい知らず。YHでのコンサートは本当にすばらしいの一言。なんとか、曇りつつも持っていた天気もついに雨が降り出しました。一気に名寄まで行こうかなと思いましたが、先ずは無理せず夕張。夕張ではなんと、掲示板でもお世話になっているまりさんのお友達のKADUさんともお会いできました。夕張から名寄まで、ひたすら雨、または雨。。
名寄ではバイクで来ていた橋本さん、山本さんと一緒にひまわり畑と美深のトロッコ列車、そして、泣く子もだまる無限メニューの井上食堂にレッツゴー。智恵文のひまわり畑はまだ満開ではありませんでしたが、YHで教えてもらった手前のひまわり畑はほぼ満開!
そして、今回の旅のメインイベント、トロッコ列車は廃線を利用したもので自分で往復10kmも運転できるんです。自然の森の中を走るのは本当に気持ちいいです。サイコー!!久保さんのアコーディオンとの相性も抜群です。(笑)
井上食堂でとんかつ定食A(生肉)を食べて天気も回復してきたので夕陽を見ようとクッチャロ湖へ。この湖畔の天気、誰もがすばらしい夕陽を疑わなっかたのに、急速に天候が悪化して雨まで降ってくる始末。夕陽は北海道を後にする5日に夕方に初めて拝むことに。最後まで天気に恵まれらなかった6回目の北海道でした。

NO34.佐渡への旅

  • 22.May 2005

いよいよGW、今年は5月2日を休むことができたので、なんと7連休。ともかく、3月、4月に続けて四国に行ったのでなんとなく、東へ出発。そして、先ずは伊豆方面へとバイクを走らせます。いつものとおり、行き当たりばったりの旅の始まりです。少し、遅れたものの朝7時過ぎに大阪を出発。天理IC付近と東名での若干の事故渋滞以外順調な走り。思ったより早く伊豆スカイラインに入り、ワインディングを楽しむことができました。
新緑の季節の真っ只中、高原の中をバイクで駆け抜ける喜びって感じ・・・(笑)1泊目は下田のワンゲルハウスというとほ宿。オーナーさんも現役ライダー。部屋は吹き抜けになっていて、往年のBMWやドカティなどバイク名車がずらり。「自分も旅が好きなので泊まりたいと思うような宿を作りたかった。泊っている時は自分の自宅なので、こだわりをもった造りにした。」と言うだけあって、建物、ベット゛、手洗いなどに至る隅々まで完璧。
もちろん、食事も奥さんの手作りで品数、美味しさ文句なし、朝からマグロ丼が出たのには驚きました。
この日泊まったのは自分以外に男のライダー2人組だけでしたが、そのうち一人が高熱を出してダウン。余り話しが出来ずに残念。
翌日はなんと、ベンツでお医者さんまで送ってあげると言う親切ぶりです。
翌日は、友人に会う約束が急遽キャンセルになったので、芦ノ湖へ芦ノ湖スカイラインは伊豆スカイラインより、さらに高いところを走っていて高所恐怖症の管理人としては、ややしまったかなと思っていたところようやく休憩コーナーが。
実はここで知り合ったライダーが信州の見所を教えてくれたのが、この度のテーマを決定付けました。
彼によると、北軽井沢から、鬼押し出し、万座ハイウェイに至る道は有料道路だけど、かなり走り応えがある超オススメで3週間前も走ったが、まだ周囲には雪が積もっていたとのこと。
実は、小布施YHがいいと言う人が多かったのでこの連休中、唯一宿を予約していたので地図を見ると、志賀高原を抜けて丁度、いい感じと言うことで、決定!!と相成りました。途中、鬼押し出しは中学校の修学旅行で行ったところなんで、と思ってご機嫌で走っておりました。そのまま、万座ハイウェイに突入したのですが、鼻歌交じり混じりで走っているのもつかの間、どんどん山を登っていくではありませんか!カーブもどんどん厳しくなって・・そのうち周りは雪景色。えらいところに来たと後悔しても後の祭り。いまさらUターンもする場所もなく登るしかありません。でも、登れども登れども終わりは見えず、そのうち草津方面チェーン規制の表示が・・”ワーォ、なんてこったい”とポパイのマネまでしてしまいました。ともかく、何とか平たい駐車場のある場所に到着。天国でした。(笑)
改めて、地図を見てみると国道最高峰2172mの渋峠でした。ろくろく地図も見ないで、こんな高いところまで、来てしまい、さすが、アバウトな性格と感心してしまいました。周りではスキーやスノボをやっている人さえいるぅ〜。
下りも高所恐怖症にとってはかなりつらいもので、後ろに付けられても谷底に落ちるよりマシとゆるりゆるりと降りてきて無事だったお礼に善光寺さんにお参りしてきました。この日は小布施に。ウワサどおり、すばらしいYHでした。その夜、ネットで調べ、フェリーが直江津からでているのがわかると宿を予約して次の行き先は佐渡に決定!
行きのフェリーで、佐渡の地図を見ながら、大佐度スカイラインなるものを発見。
もう高いところはイヤと思いつつ、やはり登るのだろうなと思っていたら、翌日きっちり佐渡金山の後に行ってました。ここも万座HWを凌ぐ急坂、急カーブ。これから600m急カーブが続くというところではどこまで曲がるねんというぐらいホントに怖かった。ようやく着いた頂上は晴天でした。宿に帰ってもう高いところに登らなくていいと思った夕陽は格別きれいでした。と思ったのもつかの間、宿で聞いた佐渡のエアーズロック、大野亀からの絶景の話を聞いて、登ることに。最後は締めで標高167mの一枚岩を足で歩いて登りましたが、強風が吹いて怖かった。(笑)
今回の旅は最後まで高所恐怖症との戦いでした。

NO33.四国うどんツアー

  • 26.April 2005

4月に入り、人事異動もあり、新体制のスタート。運がよかった人、悪かった人、自分が動かなくとも、上司が変わって悲喜こもごもと言う方も。そんな状況の中で、昔の職場の連中14人と四国讃岐うどんのツアーに行ってきました。
4月9日朝、5時に起きて、6時に迎えの車に拾ってもらい、他の人とも7時までに集合し、一路四国へ。途中阪神高速で若干渋滞があったものの、ドライバーの超高速運転のお陰で10時半には四国に上陸。
既に他のメンバーは1軒目を制覇の模様で少しアセリ気味。
こちらの1軒目、「がもう」で合流。古い構えの店には既に店から外へ5人ほどの列。早速並んで、うどんをGET。ちくわのてんぷらをトッピング。周りはのどかな田園風景が残り、屋外で食べます。さすがコシあって美味。
連れから、トッピングを頼むと後からうどんが食べられなくなるとの警告を受けました。(笑)
2軒目はがもうからも歩いて行ける「坂出山下うどん」。看板なんか一切なしで、店に入るまでうどん店とはわかりにくいですが、近くまで行くと人が並んでいるのでこれが目印かも??この日は店の桜が満開でした。
古いかまどで薪をくべてうどんを茹でています。足で踏んで、面棒で伸ばすと言う昔からの製法で、作られているとのことで、確かにコシがふつうのうどんとまるで違います。ばっちゃんが一生懸命、うどんを茹でてくれているので、皆じっと、待っています。
3軒目は、少し離れた上綾町の「山越」。製麺所型うどん店の代表格。管理人はうどんツアー初参加なので、当然、この店も初めてだが、以前、来たことの話ではどんどん、店が拡張され、いつの間にか、庭に屋根が作られ、うどんガーデン化していること。さすがに、人気の店だけあり、30分ぐらい並ぶことになりました。
ここの一押しメニューはかまたま。釜揚げうどんに生卵を入れてあり、かき混ぜて食べるというもの。皆に連れられて、2玉を頼んでしまいました。出汁は釜玉用の出汁醤油をかけすぎないようにしながら、いただきます。この世の幸せを感じるひととき。
4軒目は琴平町の「宮武」。
あつあつ、ひやひやなどの呼称発祥の店です。あつ、あつとは麺と出汁が熱いものを、ひやひやとは麺と出汁が冷たいのを指します。ひやひやを注文したが、コシのよさが一段と引き立ちます。
さすがに5軒目ともなると、もうお腹いっぱいなので、しょうゆうどんで有名な小縣にはお土産を買いに立ち寄るだけとなりました。
最後は坂出IC近くのてっちゃんです。最もうどん店らしく、営業時間も、朝9時から午後7時と普通の営業時間で、オリジナルメニューも豊富です。ここではゴマだれうどんをチョイス。やや酸味の利いたゴマだれとどんと載った貝割れ大根が新鮮でなかなか合います。しかし、6玉目になるので、かなりいっぱい、いっぱい。しかし、中には倍の12玉を平らげた兵もいます。ただ、うどんばかりで飽きてきた感もあるので、きすとレンコンのてんぷらも邪道とは思いつつもいただくことにしました。(笑)これまで製麺所型のうどん店を中心に回ってきたので、少し立派過ぎて、物足りない感も・・・これは麺通団になった証拠かも??四国のうどんって奥が深い。店によって、麺のコシやつるつる感も違うし、冷麺と温麺によってもさらに変わります。お腹はいっぱいだけど、もう少し食べたいという悩ましい選択を迫られます。
こうして回顧しているうちにまたまた、うどんが食べたくなってきました!!次はマニア垂涎の谷川米穀店にいくぞ!

NO32.奄美大島、加計呂麻島、喜界島年末年始の旅

  • 9.January.2005

今年の年末年始も旅に行ってきました。直前まで仕事が忙しく、何だが、計画を立てる気にならないところでしたが、ようやく29日に休みに突入し、南の方を探していたら、30日に1席、2日の帰りが3席、ヒコーキの空席があるではありませんか!例によって行きと帰りだけが決まっている行き当たりばったりの旅のはじまりです。
1日目(30日)、奄美大島に到着し、前日に予約した宿に行くまで時間があるので、友だちから聞いた奄美名物、鶏飯を食べに行くことにしました。
ヒコーキの中でガイドをチェックした、「みなとや」と言う元祖の店です。ツタの絡んだ建物を入って行くと、愛想がいいのか悪いのかわからないおねえさんが「ケイハンでいいですね。」、思わず「はい。」と・・・他のものを頼ませない迫力と鶏飯をはじめて”ケイハン”と呼ぶことを知りました。(笑)
大きなお鍋に鳥出汁とささみ、金糸卵、しいたけ、沢庵と載ったお皿とお櫃にはご飯がどーんと。これにトッピングして食べるのですが、出汁の味が絶品。何杯でも食べられるおいしさです。イチオシのごちそうです。
あやまる岬は、いつも、あやまっている管理人としては(笑)ここははずせない名所でしたが、天気がよくないのと風がものすごく強くて寒くイマイチでした。
2日目(31日)
、この日は奄美大島の隣の加計呂麻島に挑戦のつもりでした。レンタカー(今回はバイクじゃなくてすいません。)を飛ばし、古仁屋の港へ。11:40のフェリーに乗って20分。加計呂麻島に到着して帰りの15:55のフェリーを予約しようと思ったら乗り場のおっちゃんが「今日は古仁屋の港が荒れているので、今戻る船が最後やでー」との事。「乗る時に行ってくれなかったか?」。「ぜんぜん」と受け答えしながらもその日の宿は奄美本島で予約しているので帰るしかない。たった5分の滞在でした。(フェリーは町営なので、ちょっとした波でもすぐに欠航となるらしい。)
気を取り直して、マングローブの森へ。年末のせいか、ほとんど客がいません。展望台へは500円払って園内に入るとトロッコみたいな乗り物で展望台まで運んでくれます。ここからのマングローブの森とその中を流れる川を見てようやく、南国奄美に来た実感がこみ上げてきます。
3 日目(元旦)は、離島フリーク、垂涎の島、喜界島です。(笑)本来ならば、ゆっくりと回りたかったのですが、2日の帰りのヒコーキが満席。2日は加計呂麻島へのリベンジと金作原原生林に行くことを考え、早い目のヒコーキで戻り、加計呂麻島まで渡ることにしたので、滞在時間2時間半。それでも、やはり行きたいと思い、無理して行くことにしました。飛行時間は15分と短いですが、片道7,650円と異常に高い航空運賃です。
滞在時間が短かったので車を借りて運転しても道に迷うだけたと思い、タクシーで案内してもらうことにしました。運転手さんはとてもいい人で時間のない中、わがままを聞いて、段取りよく、珊瑚の石垣の阿伝の集落の集落、中西公園、百之台展望台、ソテツ巨木、スギラビーチ、鳥の山公園など効率よく回ってくれ、お正月で物産店が休みなのがわかると、近くスーパーまでの無料で送迎してくれました。天気も回復してきてラッキー。次回来るときはじっくりしたい島です。
4日目(2日)は最後の日。加計呂麻島で泊まった宿にたまたまライダーがいて話が盛り上がり、少しさみしいなと思っていた一人旅も楽しいものとなりました。
午前中は加計呂麻島を回ったあとは今回の最大の難所、金作原原生林への挑戦です。国道から近くの酒店で聞いた林道を車でずんずん上がっていくのですが、全くの1車線。途中からは舗装もなくなり、砂利道。回りには木々が生い茂り、携帯も圏外。道がなくなりそうで、究極旅状態!ここの崖から落ちたら、たぶん助からないやろなと思いながらもようやく到着。
そこには、同じような思いをして到着されたご夫婦がいて、しばし苦労話で盛り上がりました。原生林には、巨大なオキナワウラジロガシがそびえ、太古の自然を感じることができました。
空港へ帰り途中、奄美パークの田中一村美術館へ。その絵からは南国と和の融合を感じつつ、奄美を後にしました。奄美大島は沖縄や宮古島とも少し違います。もちろん、南国的な食べ物や風景もあるのですが、どちらかというとむしろ、食べ物や考え方、文化は本土に近いのではないかと言う気がします。
南の島でも少しずつ違いそれを大切にしている心優しい人々に触れ合うことができる旅となりました。

NO31.紅葉通信第二弾(赤目四十八滝&当麻寺)

  • 5.December 2004

秋も過ぎ去り、初冬にも入ろうかと言う時期。遅まきながら、紅葉通信第二弾です。毎年、紅葉の季節になって思うのですが、日本が一番、美しく感じられる季節ではないでしょうか。今回も比較的近場の赤目四十八滝と當麻寺です。
万葉集に「わが背子は いづく行くらむ奥つもの 隠の山を 今日か越ゆらむ」と読まれた名張の地にある赤目四十八滝。「日本の滝100選」「森林浴の森100選」に選定されている美しい渓谷です。大阪からだと西名阪自動車道、名阪国道を乗り継いで、五月橋ICで降り、県道80号を名張川沿いに名張市街へ抜けます。名張市内に入ると国道165号を東へ3km、赤目四十八滝の道しるべを県道567号に入り、さらに約3km走ると到着。さすがに紅葉の時期とももなると、大型バスやマイカーなどで渋滞気味です。できだけ早く行きたいところです。
途中に駐車場が色々ありますが、バイクの場合、途中で妥協せずに、とにかくずんずんと前に行くと終点のホテル前に駐車できます。
滝の入り口には、オオサンショウウオセンターがあり、天然記念物のオオサンショウウオが見学できます。上流に登っていくと大小様々な滝が次々と姿を現します。滝は大きいもので二十一、小さいののも入れると四十八を超えます。四十八というのは、たくさんと言う意味です。楓や山桜、カシワ、ブナなどの黄色の紅葉が滝と織りなす日本的な風景を楽しませてくれます。途中、千手滝と百畳岩付近の茶店も完備しています。
最終の巌窟滝までは道が空いていて1時間半往復3時間はかかりますが、滝のマイナスイオンでとてもリフレッシュします。数ある滝の中でも荷担滝は滝が二つの分かれ、規模も最大です。入り口から1時間かかりますが、せめてここまでは行きたいものです。
當麻寺は大阪と奈良の境の竹之内街道を越え、国道165号に入りすぐ左側にあります。
用明天皇第三皇子麻呂子親王が兄である聖徳太子の教えにより創建した寺で、天平時代に建てられた日本唯一の東西の塔や日本最古の白鳳時代の梵鐘などで知られています。
陽の光に眩いばかりに鮮やかに輝く紅葉とバックに見え隠れする寺院のバランスは絶妙で日本美の極みと言っても過言ではありません。南西院庭園からは東西の塔と紅葉が計算された見事な景観を見せます。水琴窟の音色を聞くと心が安らぎます。
奥の院の紅葉はさらに濃く、深くまさに燃えるような紅です。詳しくはオススメSpotで紹介予定です。




バナースペース

concept


旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。