つい、この前まで、猛暑で暑い暑いと言っていたのに、めっきり朝夕は寒くなり、秋もめっきり深まりました。いつも、この季節になると、年甲斐も何となくセンチメンタルな気分になってしまいます。笑。
11月3日の文化の日、やはり晴れの特異日です。澄み切った青空が眩しいです。
高野山は幾度となく言ってますが、龍神スカイラインの途中だったりで、じっくり、回ったことがなかったので、紅葉の季節に日本の心を堪能することにしました。いつもと違ってケーブルカーの高野山駅の方にバイクを走らせると、いつの間にか石畳の道に。坂を登りきったところに小さな社に蝋燭の明かりがたくさん灯っています。
ここは女人堂。明治5年に女人禁制が解かれるまで、女性は高野山に入ることを許されず、ここでお経を上げ、遠く奥の院を拝んだと言われています。
女人堂のの石門を越えると町自体がお寺と言っても過言ではない高野山。すっかり、色づいて見事な紅葉を見せてくれます。
特に壇上伽藍の前の紅葉は陽の光に美しく輝き、後ろに見え隠れする寺院の建物と何とも言えない調和を見せてくれます。日本には四季があって本当によかったと思える瞬間です。弘法大師、空海が祭られる奥の院。深い森に包まれ、武田信玄、豊臣秀吉など歴史上の人物の数々の墓所が並んでいます。戦をしていてもやはり、人はあの世に行ったら極楽浄土に行きたいのでしょう。
11月7日は飛鳥へ。ここも何回が来た記憶がうっすらとあります。そう、昔、高松塚古墳が発見された頃に。もちろん、その頃は小さく、親に連れてきてもらいました。
それとバイクに乗り始めたときに甘樫の丘に昼寝をしにきて以来です。
飛鳥寺、橘寺や川原寺、坂田寺など古い寺跡には行った記憶はありましたが、岡寺には、岡寺を後にして石舞台へ。巨大な岩で石室が作られた方形墳。蘇我馬子の勢力圏であったことから、馬子墓と言われています。
以前来た時は、立入自由たっだけれど、今は、門も作られ、入場料も必要となっていますが、古墳を守るためには仕方がないと思います。
石室は意外にも深く、高さ4.7mもあります。実は初めてなような気がします。
立派な山門と階段を登る途中からの白壁と紅葉の見事なのコントラスト。日本一大きな塑像の如意輪観音、木々の中に埋もれるように建つ十三重の石塔。
飛鳥を見下ろす高台にある三重の塔。
観光客もあまり多くはなく、ひっそりとした名刹でゆっくりとするには丁度どいい感じです。しかし、総重量2300tにも及ぶ石をどのように運び築造したのでしょうか。
古代の人の知恵と情熱には感心させられます。そう言えば、曽爾高原にハイキングに行った時、山の反対側に降りて、歩いていくと石舞台にたどり着いたのを思い出しました。
帰りに黒米と呉豆腐、酢大豆を使った聖徳弁当というのを食べましたが、古代の人は、なんと健康的な食生活をされていたのでしょうか。
北海道に行ってからほぼ2ヶ月ぶりのツーリングです。この間、バイクの修理や、週末毎に台風がきたりと、なかなかツーリングチャンスに恵まれず。そんな中で、先週は台風のなごりの松江、大山、そして今週は比叡山に行ってきました。台風23号が関東方面にそれ、中国地方は、台風一過の青空を期待してましたが、米子自動車道に入った頃から、雲行きがあやしくなり、大山に近づくにつれ、猛烈に雨。でも、よっぽど、ツーリングに飢えていたのか、雨でも楽しかったです。笑。
大山周辺で宿がとれず、松江まで足を伸ばし、夕陽のきれいな宍道湖を楽しみしてましたが、これも天候が回復せずに残念な結果に。その夜は、ペアレントさんが、ライトアップされた旧日銀支店を修復したカラコロ工房を案内してくれました。
このYHでは出発時にご夫婦のペアレントさんがカントリーロードを唄って送り出してくれる。何でも、カナダのバンフのYMCAで知り合ったとかで、うらやましいですね。
翌日は、天気もやや回復し、宍道湖でもカルガモの親子が楽しそうに列を作っています。
松江城もなかなか立派。でも、木々が生い茂りすぎて天守閣がちょっとしか見えないのが残念です。
いよいよ、今回のメインイベントの大山。しかし、山頂付近に近づけば、また、雨が・・・。大山寺にお参りに行っている間の雨も小降りになり、桝水高原に着く頃には雨も上がりました。右は唯一、鍵掛峠で見えたつかの間の青空で、天空の城ラピュタのようです。
すっきりとした天気ではありませんでしたが、久々のツーリングで心は晴れ晴れでした。
紀伊山地の世界遺産より、一足早く世界遺産に登録された比叡山・延暦寺。約1200年前に最澄により天台宗が開かれました。同じ密教系でも真言宗の空海とは戒のあり方で対立することが多く、空海とはやがて別の道を歩むことになります。
根本中堂は、延暦寺の中心的存在で、堂内には1200年もの間一度も絶やすことなく守られてきた不滅の法灯があります。うっかりして油が断たれると1200間も守られてきたと灯火が消えてしまうことから、うっかりすることを”油断”という語源にもなったと言われています。
遠く、琵琶湖が望める比叡山では、時間がゆったりとゆっくりと流れていきます。
北海道ツーリングの後半です。その1をご覧になってない方はバックナンバーをご覧ください。摩周湖から斜里町を抜け、ウトロで少し道に迷いましたが、知床峠への道を左に曲がり、岩尾別YHに無事到着。ここはDoCoMoの携帯も通じない最果ての地です。YH自体も自家発電です。
昨日まで晴天もややかげり、1日目は天気がイマイチということもあり、登山は翌日にして、カムイワッカの滝と知床五湖へ。
カムイワッカの滝は滝自体が温泉となっていて、滝つぼまで約30分ほど沢登りをします。PH2の強酸性の温泉の川なので、ゴム底の靴で滑って危険だし、YHでレンタルしているわらじが絶対オススメです。なんともワイルド。
知床五湖は、地下水が地上に湧き出し湖を形成しており、流出する川も流入する川もない神秘の湖。
熊の生息地域なので、熊情報あると立入禁止です。このときも2湖までしか公開されていませんでした。
いよいよ、2つ目のテーマの羅臼岳。1日延ばしたら余計に天候が悪化して羅臼岳も雲でじぇんじぇん見えません。昼から晴れるかものペアレントの一言で登る決意。いざ登り始めると曇りが雨に、どんどん激しさを増してきて頂上付近ともなると猛烈な風が吹いてきます。体感温度は3℃ぐらいでは。
YHからは管理人と行本さん、土橋さん、それにUSAとCanadaの外国人の女性5人でスタートしましたが、外人部隊は半ズボンにポンチョという軽装で、あまりの寒さのためリタイア。我々日本男児は根性で頂上まで登りましたが風で吹き飛ばされそう。笑。
翌日には、羅臼岳をバックに事を成し遂げた金メダル級の晴れやかな3人の姿がありました。”襟裳の春は何もない春です〜”♪という森進一の唄がホントにかかっている襟裳岬。
ホントに何もなかったというか、岬からは太平洋がどーんと見えるだけ。あとはウミネコの鳴き声とトドがいるだけ。風の館と言う地下式の博物館みたいなのがありますが、中途半端に近代的であまり行く気になりません。
道央や道東に比べるとずいぶん、寂しい感じがします。同じ岬でも最北の宗谷岬や国境に接する納沙布岬に比べると達成感がないからかもしれません。
襟裳岬から東へ、広尾町までの海沿いの国道は気象が厳しく難工事で黄金を敷き詰めるほどお金がかかったことから「黄金道路」と呼ばれています。
1798(寛政10)年から、今も工事中。
今はむしろメロンの産地として有名かもしれませんが、平成2年まで石炭が掘られていた夕張。
石炭博物館は必見です。往時の生活や石炭掘削の様子がリアルに再現されています。ここで写真家松田芳明氏が撮った真っ黒になりながら日本の経済成長を支えた黒いダイアを掘り出した人々を見てに只々頭が下がる思いをしました。
この人たちのお陰で今の日本があると思うと無駄には生きられないという気持ちを新たにした旅となりました。
すっかり、恒例となった夏の北海道ツーリング。今年で6回目。そろそろ、卒業との話も。ひょっとしたら、今年で最後になるかもしれません。笑。
今回のテーマは昨年、台風で中止になったバルーングローを見ること、そして、来年ぐらい世界遺産の登録されるのがほぼ確実な知床の羅臼岳登山、そしてこれまで北海道で行ったことのない積丹半島です。8月7日に宅急便で送ったバイクを苫小牧港と再開したのですが、おいたわしい姿。実は3日ぐらい前に携帯に電話がかかり、運送会社から運送途上にバイクをこかしてしまったとのこと。とりあえず走れるようにウインカーとミラーは交換してくれていたのは良心的だが、やはりキズのついた愛車をみるのは偲びないです。
もちろん、帰ったら全てもとどおりに直してくれることは確約してくれましたが。形のあるものはいつか壊れるものだし、交通事故になることに比べたらノープロブレムと気を取り直し、いざ、上士幌へGO。
上士幌へは予定より早く午後4時前に到着。早速テントを張って、食材を買出しに。
今年も1日目は香味焙煎の本格カレーよん。
久々に再会した旧友らと香立つカレーを楽しんだ後はメインイベントその1のバルーングロー。34台もの気球が夜空に揃い踏みし、アナウンスのおばちゃんの声に合わせてバーナーを一斉に点火。ウォーと言う歓声と拍手喝さい。夜空に色とりどりの巨大な提灯が浮き上がります。
バーナーを炊くと当然、気球は上昇しようとしますが、皆でよってたかって上昇を押さえ込んでいるのが涙ぐましいですが、すばらしいの一言です。
翌日にはバルーン・レース・タスクと呼ばれる競技がある予定でしたが、霧の上に風がほとんどなく中止となりました。 でも、いくつかの気球はボヨーンとさみしそうに飛んできました。そのうち晴れてきて、せっかくなのでやればいいのに。。
このバルーンフェスティバルが行われている上士幌航空公園はツーリングGOGOのミーティングも行われていて今回も参加してきたので、9月号?に写真がのるので、見てくださいね。
ミーティングは午前10時頃から午後3時の集合写真まで、にぎやかにジャンケン大会やくじ引きなどのイベントがあり、ゴーカ商品が当たるんですが、時間がもったいないので、ナイタイ高原牧場へ。
ここから15kmぐらいなのであっという間です。面積、1700ha、東京ドーム358個分公共の牧場としては日本一の広さを誇っています。途中、牛っしぃもたくさんいます。
牧場に入って6kmほどするとレストハウスに到着。ここからの景色は絶景で、十勝平野に広がる地平線までの緑の絨毯は美瑛とならんで、最も北海道らしい風景です。むしろ、カナダっぽいと言ってもいいかもしれません。ソフトクリームも濃くおいしいです。上士幌ではもう一泊して、もう一つの旅のテーマの知床へ。
途中、時間があったので摩周湖に立ち寄ります。ご存知のように霧の摩周湖を呼ばれるくらいに天気に恵まれない湖ですが、このときはこれでもかとういぐらいの大快晴。そうそう、この摩周湖の写真とナイタイ牧場の写真はニコンD70で撮ったものですよ。
こんなに小さくては解像度まではわからないとは思いますが、広角感はよく出てるでしょ。
この時は天気が非常によく、気温も30℃とまるで北海道じゃないみたい。次の知床、羅臼も晴天が続き、昨年の利尻岳のようにすばらしい写真が撮れると確信していたのですが。。。
>つづく
紀伊山地の霊場と参詣道がユネスコの世界遺産委員会(第28回)において世界文化遺産として登録されました。
今回の旅は平安時代に後白河上皇が合計33回も京からの険しい峠が続く難行苦行の旅路に出られ、何を考えて見たのかを訪ねることにしました。紀伊半島を大きく回って潮岬、新宮を経由して熊野川を遡り、川湯温泉へ。ここは仙人風呂と言われ、仙人が入ったとか、千人が入れるとか名の由来は諸説ありますが、川そのものに温泉が沸いています。入れるのは11月からで今は残念ながら、オフシーズンでした。
熊野古道の終着点である熊野本宮大社は川湯温泉からバイクで10分ぐらいの所にあります。鳥居をくぐると細く長いそして、両側に幟の立つ参道を行き、階段を登ります。
階段を登りきると神門があり、それをくぐると、上四社と呼ばれる檜皮葺の四つの古色豊かな社殿が並んでいます。左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿で、第三殿が本社です。森に囲まれ、蝉の声の響く境内に日本の原点を感じます。熊野本宮大社は明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが水害でほとんどの社殿が流され、残った上四社が現在の地に移されました。
現在、大斎原には2つ石祠が祀られており、平成12年に大鳥居が立てられました。大斎原は本宮大社から歩いて10分の田んぼの真ん中にあります。そうそう、熊野本宮大社のシンボルの三本足の八咫烏(やたがらす)は熊野権現の使いとされており、サッカー協会のマークにもなっています。
もう一つの目的は那智の滝。落差133mの直曝は日本一で、その迫力と神々しさにはしばし言葉を忘れ、佇んでしまいます。
その夜、世界遺産登録記念特集があり、NHKの中継がきていて藤井彩子アナウンサーがリハーサルをしていたのとばったり出会いました。
那智の滝のさらに上の那智山青岸渡寺の三重の塔前では丁度、山伏の護摩焚きをやってました。ここから見る赤い三重の塔と那智の滝は絶妙のレイアウトで並んでいます。
さらに、上に登ると青岸渡寺本堂の脇から熊野本宮へ続く熊野古道の入口があります。この道を人々はひたすら、無心に自分との対話をしながら、歩いたのでしょう。
青岸渡寺から一段上がり、鳥居をくぐると朱色で塗られた那智大社です。この那智大社は、神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝をさぐり当てられ、滝を神として祀られたと言われています。
熊野三山のもう一つ、熊野速玉大社には時間の都合で行けなかったのが、少し心残りですが、次の楽しみにとっておこうと思います。
今回は暑い時期での駆け足のツーリングとなりましたが、次回は、もう少し涼しい季節に来て、熊野古道をじっくり歩き、古人の心に触れたいと思いました。
戦国時代、石舟斎宗厳が柳生新陰流を創始した柳生。今なお、剣豪の里として正木坂道場では竹刀の音、気合の声が響きます。6月には可憐な彩りを見せる花しょうぶが見頃なので、初夏の柳生の里を訪ねました。
一刀石:宗厳が天狗との決闘の際に刀で割ったとされる巨石。五右衛門の斬鉄剣のよう。
正木坂道場柳生友矩の邸宅のあとに、先代の芳徳寺住職の手によって創建された道場で、今なお、剣士の勇ましい声が道場に響きます。道場の入口近くに「念ずれば、道ひらくや必ず・・・」の道標。
芳徳寺:寛永15年(1638年)柳生但馬守宗矩が父、石舟斎宗厳の供養のために創建し、以来柳生一族の菩提寺になっています。
柳生家墓地:柳生但馬守宗矩の墓石を中心に石舟斎宗厳、十兵衛三厳などの墓が並びます。
花しょうぶ園:1haの大花園に青、紫、白、黄の色とりどりのしょうぶが咲き乱れ、暑さも忘れさせてくれるひとときです。江戸時代には「花もめでるのは武士のたしなみ」とされ、その優美で可憐な花を慈しんだ剣豪たちがいた事でしょう。
旧柳生藩家老屋敷:柳生藩財政の建て直しをした家老小山田氏の屋敷で、見事な石垣は天保12年(1841年)に尾張の石工により築かれました。現在は資料館となっています。蒸し暑い日々がつづきますが、梅雨明けもすぐそこ。
今年は、どんな夏が待っているのやら。暑くともしょうぶのように、清く美しく、そして人にやさしく自分に厳しい剣士のようでありたいものです。
あじさいの名所と言われる矢田寺。あじさいが植えられたのは意外にも新しく、昭和40年代で今から30年ぐらい前。
矢田寺は法隆寺や法起寺の近く、斑鳩の香が漂う矢田丘陵にあって県道9号、県道249号を経由すると、法隆寺から10分ぐらいで着きます。
境内に入る総門の前には既にあじさいの花が。期待を膨らませてくれます。
境内に入るとしばらく、あじさいのない階段の参道が連なり、登り切ったところに千佛堂という建物があります。そこを抜けると、お地蔵様とあじさいとの見事な競演が始まり、しばし言葉を失うほどの美しさです。
約60種、8000株のあじさいは、境内のあちら、こちらに群生しており、みずみずしく、今朝咲いたばかりのような新鮮な花をつけています。あじさいの花言葉は、「移り気」。あじさいの花が、緑、白、青、赤紫…と、開花するにつれて色変わりすることから、移り気な花とされました。
仏教の教えである「諸行無常」は、万物は常に変化してやむことがないということを現していますが、あじさいは、この教えを示しているかのようです。
フランスの花言葉では、「忍耐強い愛情」、「元気な女性」とされていて雨の中でもけなげに明るい花を咲かせ、周囲に元気を与える力強さが喩えられたのでしょう。あじさいが咲き始めると、もう、夏。今年もこんな時期になったのかと・・・・。
季節は移り変わり、世の中は大きな変化の荒波に翻弄され、来年のことは誰もわからない時代。そんな時にあっても、けなげに花を咲かせているあじさいを見ているとほっと、一息。そして、がんばろうという気になります。
霊験あらたかな弘法大師ゆかりの霊場として今なお根強い信仰を集める高野山。
今年は大師入唐、1200年に当たり、東京でも盛大に記念展が行われているようですね。
高野山へは電車で行くと、南海高野線極楽橋からケーブルカーが唯一のルートですが、バイクの場合、高野口町・九度山町から国道370号、橋本市から国道371号、かつらぎ町からの国道480号の3ルートがあります。
とはいうのの、国道371号は道が超狭く、対向車がくるとすれ違いもできないところが多く、事実上、残りの2ルートになります。今回も今回370号から登りました。3つのルートの中で最も道幅が広いが、観光バスも多く、渋滞しがちなので、できるだけ朝早くに行きたいものです。
できれば、高野口町には朝8時に着く事ができれば、高野山まで渋滞知らずに快適に走ることができます。とはいうものの、ブライントカーブの連続でなかなかワインディングを楽しむというような感じではありません。クネクネと、そろそろ、くだびれてきたなと思った頃、高野口町を登り始め、約40分、高野山に着きます。
町そのものが境内というような高野山は、深い森に包まれ、単なる賑々しい観光地とは異なり、心静かな修行の場ということをすれ違う修行僧の姿からも感じられます。丁度、季節も連休を終え、夏休み前で紅葉のシーズンでもないため、比較的観光客も少なく朝早いことも手伝い、小鳥のさえずりだけの静かな境内は、物思いにふけるのには絶好の場です。
高野山には大きく三つの見所があります。一つ目は壇上伽藍。二つ目は金剛峰寺から奥の院までの沿道の小寺院の数々。三つ目は弘法大師が奉られる奥の院。
今回は、その中でも高野山が開祖した鎌倉時代の優美な姿を今に伝える壇上伽藍を巡りました。
数ある伽藍の建物の中でも、左上の写真の御影堂は本尊に真如親王が写された弘法大師の御影を祀ることからこの名がつけられ、森の中に佇む微妙な曲線を描く屋根を戴く美しいシルエットには時が止まったような感覚さえ覚えます。
伽藍の中でひときわ目を引くのは高さ50mに達する朱色に塗られた根本大塔。幾たびもの火災を経て昭和12年の再建されたもので、外側は木造だが躯体は鉄筋コンクリート造というのはやや残念。壇上伽藍から金剛峰寺へは蛇腹みちというひっそりとした小道が続きます。ここも朝早く人通りの少ない時間帯にゆっくりと歩いてみたところです。高野山から昨年、無料化された龍神スカイラインを経由して龍神温泉へ。これまで全線走り抜けると1460円が無料とは極めて大きい。往復だと3000円もトク。数年前に走った時と変わらず、路面もよく、尾根沿いを走る見事なワインディングロード。
チューンされたレプリカがものすごいスピードで駆け抜け、こちらのペースまでやや高くなり気味。でも、事故をしたら元も子もないので、適度な慎重さも必要です。終点に着き道の駅を越え、トンネルの手前を左に入ると龍神温泉の元湯です。ここは日本三美人湯の一つで、お肌もつるつるです。(笑)
露天風呂もあり、小又川のせせらぎを聞きながら、温泉につかり、のんびりすると思わず、”極楽じゃー!”。
待ちに待ったGW。信州、黒部立山アルペンルートと世界遺産を訪ねて五箇山に行ってきました。天候にも恵まれ、様々な風景あり、出会いありで、今回も楽しいツーリングとなりました。だから、旅はやめられない!今回の最大の目標はNHKの番組、プロジェクトX、黒部第四ダム、通称”くろよんダム”を見に行くことでした。
昭和31年に着工し、7年の歳月を要した巨大プロジェクトはその物資を運搬するトンネルの掘削中、破砕帯と呼ばれる難所にさしかかり、一時は完成も危ぶまれましたが、人知を結集して乗り切り、完成したそのものを見ておきたかったからです。
黒部にはダム建設のための多くの物資が運ばれた長野県の大町から扇沢へ県道45号を登ります。
そして、関電トンネルと呼ばれる”くろよんダム”へのトンネルをトロリーバスでダムに向かいます。開通まで3年を要した6.1kmのトンネルもバスに乗っていると15分。途中、破砕帯の当たりは青い水しぶき形の照明があります。
たった80m。しかし、ここを突破するのに7ヶ月もの月日を要しました。(詳しくはオススメSpot信州のページをご覧ください。)
黒部ダム湖に着き、少し長めの階段をあがると巨大なアーチ式ダムが目に飛び込んできます。中島みゆきの「地上の星」も流れて、いやが上にも、プロジェクトXの雰囲気が盛り上ります。
ダムサイトに降り、殉職者を祭った慰霊碑に参ったあとケーブルカーにてさらに上を目指します。黒部平を経由し、ロープウェイで黒部立山アルペンルートで最も壮大な展望を堪能できる大観峰へ。ちょうど、針ノ木スバリ岳、赤沢岳当たりに
浮雲がかかり、見事な景色でした。
再び、地下トンネルで立山の下をくぐりトロリーバスで室堂に出ると、雪渓が見事で、立山も手に取るぐらいに近くに見えます。
そして、両側に10mの雪の道路を高原バスに乗り、弥陀ヶ原へ。標高2000mに広がる高原の向こうには雪を頂いた大日連山を望むことができます。
黒部立山の春は、まだまだという感じです。黒部立山アルペンルートの翌日は趣を変えて、白川郷と併せて世界文化遺産に登録された合掌づくりの集落のある五箇山に行ってきました。
ちょうど、子供の日近いので、こいのぼりが五月のさわやかな青空を気持ち良さそうに泳いでました。
白川郷に比べるとやや小ぶりですが、昔話を彷彿させ、郷愁を誘う日本の原風景がここにあります。
遅くなりましたが、パソコンが直ったので、桜の名所の吉野山の報告です。
吉野山、高野山、熊野古道の一帯が今年6月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産として登録されます。一足先にお花見も兼ね、修行道の旅に行ってきました。
奥の千本:吉野山の最も山奥にあり、当然咲くのも最も遅いが、かろうじて花が残っていた。「汲み干さじ強の日照も苔清水」 宗顕 の碑のある湧き水がある。
金峰神社:吉野山の最奥、奥千本にひっそりと立つ古社で、吉野山の地主神、金山毘古命[かねやまひこのみこと]を祭る式内社。頼朝に追われた義経が身を隠したという義経隠れ塔も残る。
吉野水分神社:「よしのみくまりじんじゃ」と読む。「みくまり」とは農耕の神様であったのが、「御子守」となまって身籠もりの神・子宝の神となったもの。
金峯山寺蔵王堂:吉野山のシンボルであり、修験道の総本山である金峯山寺。蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き、東大寺大仏殿に次ぐ、木造の大建築物で他を圧倒する迫力。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよぶ。仁王門には吽像、
阿像の二体の仁王がにらみを効かす。
竹林院:境内の小高い位置に広がる池泉回遊式庭園の群芳園[ぐんぼうえん]は大和三庭園の一つを持つ空海に由来する寺院。秀吉の花見の際に千利休が作庭、細川幽斎[ゆうさい]が改修したと伝えられ、吉野の山を借景としている。
見晴らし台:吉野山の入り口近くにあり、七曲りという吉野山へのアプローチ道路やロープウェイが望める。この辺りを下の千本というが、この時期は、八重桜しか咲いてなかった。
東南院:別格本山で、大峯山五護持院の1つである東南院。多宝塔は江戸時代に和歌山の「野上八幡」に建てられたものが移築された。
吉野山遠景:上の千本にある花倉屋展望台から蔵王堂を見た吉野山の代表的なアングル。山の尾根沿いに寺院やお土産物屋が並ぶ。
吉野山は下、中、上、奥の千本と高低差のあるため、長くの間、桜を愛でる桜の名所として有名ですが、吉野に桜が植えられのは修験行者が感得した蔵王権現を桜の木に刻んで祀ったことに由来し、深く信仰と結びついていたことを知ると、華やいだ桜に遠く西方の世界を感じます。世界遺産には賛成ですが、ゆっくりと桜を眺めながら時の移ろいを感じたいですね。
旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。