なんとな〜く、世間の景気も春のおとづれとともに回復を見せてきて、陽の光が増すごとに気持ちも明るくなってきます。
大阪では3月のはじめに日の出時刻が6時28分であったのが、3月末には5時48分と一月で45分も早くなって日が長くなってきたなあと実感する今日この頃です。
今回のコラムでは春を実感できるものを集めてみました。
日経平均11500円突破!
昨年、4月に7600円まで落ち込んだ日経平均も8月には10000円を超え、今年、3月には11500円台に達することもしばしば。株式投資に興味のない方には申し訳ありませんが、株式動向は景気の先行指標として、今後の景気の動向を占う上で目が離せません。
特に3月に入ってからの急上昇は円安により、輸出関連企業が恩恵を受けるとの観測からの上昇とも見られますが、19日に106円台まで再び急激な円高な円高になったにもかかわらず、下げ幅がごくわずかに収まってきているのは日本企業の業績が本物になってきた証拠と思われます。特に電機や車関係は業績がいいですね。こうした耐久消費財が買われだしたこと自体、消費者心理が明るさを持ってきたきたことの現われでもあるんですよね。
これから、5月にかけて12000円台を狙うようになり、8月には小泉政権が誕生した時期の14000円を狙うようになると個人的には思ってます。笑。
景気は気からとよく言われますが、株なんてそういう面が多分にあって、買うから上がる。上がると企業もバランスシートがよくなり、設備投資をする。設備投資をするとそれを受注した企業が儲かる。すると従業員の給与もあがり、消費が増えると言う具合に一つ前向きに動きだすといい方に循環するんですけどね。
賀名生梅林の梅づくし
奈良県西吉野村の賀名生(あのう)梅林は山一面に約2万本もの梅が咲き誇っています。ハイキングコースにもなっている一帯は、700年前の南北朝時代に都を追われた公家たちによって賀名生の梅花が歌に詠まれており、古式ゆかしい風情がただよい、南北朝の悲哀とロマンを感じさせます。
「賀名生」の名は正平7年(1352年)、後村上天皇は「願いが叶って目出度い」との思いから名づけられたと伝えられています。
梅は、実は食べれるし、香もいいし、桜より楽しめる期間が長いので個人的には好きですね。
紀三井寺にサクラサク
本州で最も早く咲く桜として有名な和歌山の紀三井寺の桜もようやく花をつけました。開花は3月18日。
21日に行ったときはほとんどの桜はつぼみで、約1000本とされる桜のうち、咲いているのはたったの3本。なんとも寂しい。でも、たぶん本州で一番早いサクラサクということに間違いないと思います。来週ぐらい満開になると茶店のおばちゃんが言ってました。このおばちゃんによると、今年のサクラは実が堅いので余り、雨が降っても、嵐が来ても咲ききるまで散ることはないらしい。来週、リベンジです。
おっと、受験生の皆様はもっと一足早くサクラサクを経験してしたようですね。
今回の年末年始の旅は前回のお正月ツーリングで寒い思いをした反省を踏まえ、南の島、宮古島・沖縄に行ってきました。小笠原にも行きたかったんだけど、その気になった時は既に満員でした。
旅は突然の出会いの積み重ねというけれど(と自分が言っているのですが・・笑。)今回の旅は色んな出会いの中で色んなことを考えされられるものとなりました。
宮古島は小さい島です。空港のある平良市から北へ上がり、砂山ビーチを見てからさらに北上して西平安名崎と海中道路を渡り、池間島に出ます。そして、そこから東南に下ると日本百景にも数えられる東平安名崎に出て、保良海岸を経由して、これまた海中道路で繋がっている来間島に渡り、与那覇浜ビーチを巡ると島を一周します。台風14号が直撃し、風速74mもの暴風で折れた風力発電の風車が目につきます。
この中で、池間漁港のグラスボ−トはオススメです。漁協の前に行くとおっちゃんがいて5トンぐらいの8人も乗ったら沈没しそうな小さな手作り船でテーブル珊瑚や熱帯魚のたくさん見える海に連れて行ってくれます。
このおっちゃんによると、コバルトブルーの海は一見きれいに見えるけれど、珊瑚の死骸ばかりで、死んだ海とのこと。本当はその黒潮に生きた海があるとこと。おっちゃんの連れていってくれた海は有名な八重干瀬(やびじ)ではなく、珍しい青、黄色など色んな珊瑚がある秘密の場所とのこと。1時間1000円は、お買い得!
宮古島は良いか、そうでないかは別にして人口5万5千人の町ですので、手付かず自然や最果て感を求めるのは、やや無理があります。
むしろ、宮古島からフェリーで20分の伊良部島はサトウキビ畑で道がわかりにくく、なかなかいい感じです。笑。佐和田の浜や渡口(とぐち)の浜など、あまり観光化されていない海岸が残っています。伊良部島の回りにはダイビングスポットもたくさんあります。
陸続きの下地島には海に突き出たパイロット訓練用の空港があり、周囲をぐるっと回ることができます。
宮古島のYHは正直言ってペアレントさんが熱心でない人なので、なんとなく盛り上がりに欠け、ダイビングをする気にもなれず、何のために来たのかなーという気持ち島を拭い去ることができないまま島を後にすることになりました。
沖縄本島へは実はトランジット(乗り換え)でしか行ったことがなかったので、楽しみにしていました。
宿は少し前まで、YHをやっておられたのを女性二人で引き継がれ、新たにスタートされた南恩納トロピカル。家庭的で、泊まっている人とも情報交換ができて、とても居心地がよかったです。宿を開かれた頃は大変だったようですが、「沖縄ではお金がなくても楽しく生きていけるんや」との説得力のあるお言葉。
たしかに、お金があっても楽しく生きていけるとは限らないし、お金持ちでなくともちゃんと幸せになれるのが実感できました。これからも、我々恵まれない旅人のために居心地の良い楽しい宿をお願いします。
沖縄は1429年の三山統一から1879年の明治政府による琉球処分まで、政治、文化、経済において独立国でした。お正月にだけ、往時の琉球絵巻が首里城で復活します。経済的には日本の一部であった方がよいのかもしれませんが、本土と異なる文化を持つ地域が一つの国となるのが幸せなのか疑問を感じざるを得ませんでした。それこそ、お金がなくても楽しくやっていけるのではと言う気さえします。
もう一つ触れておかなければならないことがあります。それはここが戦場になったことです。ひめゆりの塔に参拝しましたが、戦争の悲惨さには言葉を失います。戦場に駆り出されながらも,、献身的にそして明るく生きようとし、犠牲になった彼女らことを思うと胸が締められる思いです。戦争はいかなる理由があろうとも決して繰り返してはなりません。 最後に”しんみり”としてしまいましたが、人の幸せってなんだろうって色々と考えさせられる旅となりました。
北海道開拓の歴史がここにあります。開拓の村は、明治、大正時代に建てられた北海道の建物を復元したもので、開拓当時の暮らしぶりを伺い知ることができます。
今でこそ、北海道は美しい自然と町並みを誇り、住んでみたい地方の絶えず上位に上がるが、開拓当時の苦労が偲ばれます。北海道の開拓の歴史といえば、やはり欠かすことのできないのは札幌農学校。北海道大学の前身である同校は、明治9年に札幌時計台近くに開校し、明治36年に現在の北大の構内に移転したものです。
教頭には皆さんもよくご存知のマサチューセッツ農科大学学長のウイリアム・S・クラーク(William Smith Clark)博士が招かれました。
クラーク博士は、わずか8ヶ月の滞在でしたが、彼に直接科学とキリスト教的道徳教育の薫陶を受けた1期生からは佐藤昌介(北海道帝国大学初代総長)や渡瀬寅次郎(農学者、実業家)ら日本の近代国家を築いた多く人材をを輩出しました。
彼の言葉、'Boys Be Ambitious'(青年よ、大志をいだけ)は、よく知られています。
開拓の村にはその寄宿舎、恵迪寮があり、建物を入ると自動的に寮歌が流れます。その昔、若者が日本の輝ける未来をこの寮で語らったのかと思うと感動的。
実は開拓の村に行ったのは職場の慰安旅行で北海道に行った際、途中から単独行動で回ったものです。朝早くおまけに寒風吹きすさむ時期に行ったこともあり、観客は管理人一人。さすがに寂しかったです。園内には馬車が走って観客を運んでくれます。
左上は旧浦河支庁舎で大正8年に築、左中は、ビデオの札幌農学校恵迪寮の外観、左下は宗谷本線永山駅前に作られた待合所兼旅館の旧来正旅館。
右下は北海道への入植者が一番最初に作った建物で開拓小屋と呼ばれ、丸太と笹、枯れ草でできており、真冬もここで過ごしたとのことです。北海道の意外な横顔を見ることができます。
いつの間にか、あれだけ、暑かった夏も過ぎ去り、秋まっさかり。一足早く紅葉が色づく大自然がいっぱいの大台ヶ原です。近づく冬を間近に、その鮮やかさを競っているようです。学生時代以来、2度目のチャレンジです。
大台ヶ原は年間4000mmもの雨が降り、標高1500m級の山々連なる厳しい自然環境から長い間、人の手が入ることなく、広大な原生林が守られ、日本有数の秘境と呼ばれています。
最寄の近鉄吉野線大和上市駅から車で2時間。ほとんど手付かずの自然が残っています。
今では駐車場や園路も整備されていますが、野生動物や、貴重な植物の植生を保護するために、園路以外の立ち入りは厳しく制限されています。
東大台コースと西大台の2つのコースがありますが、東コースの方が目もくらむ300mを越す大蛇ー(だいじゃぐら)と呼ばれる断崖絶壁があり、また、コースも整備されているので、人気が高く、ほとんどの人はこちらを訪れます。
右上は、牛石ヶ原で、立ち枯れの高木がオブジェのようにそびえます。手前は芝生ではなく野生のイトザサです。
上右は牛石ヶ原での真っ赤に染まった紅葉で、ここでは野生の鹿もちょくちょく、見られます。しかし、奈良公園の鹿のように餌を求め、人に近づくこと決してなく、あくまでも、気高く、気品にあふれています。厳しい冬もここで越します。左はシオカラ谷。岩塩が採れたからこの名がついたとか。ここは1414mと大台ヶ原の中でも最も標高が低いところですが、かなり紅葉が進んでいます。
右は、シオカラ谷から大蛇ーに登る滝見尾根から見た紅葉で、陽の光で黄金色に美しく輝いています。この当たりは、シャクナゲが群生していて5月頃には美しい花をつけとの事です。
下左は大蛇ーから見た反対側の尾根にあるセイロー。紅葉が進んで鮮やかに染まっています。
大蛇ーは鉄の柵で落下対策がなされていますが、表面は岩が露出していて、つるつるすべります。高所恐怖症の管理人は、先端まで行く勇気はなかったですが、絶壁の先まで行くと、日本の滝百選に選ばれている「中の滝」が見えるらしいですが、本当に命賭けです。
また、大台ヶ原の日出ヶ岳山頂からは途中、桃の木小屋で一泊することが必要ですが、三重県側の大杉谷に下る登山道があります。モスフォーレストと呼ばれる神秘の大原生林と多くの滝を含む渓谷が続く大自然の宝庫です。ただ、十分な装備と経験が必要ですので安易な気持ちで行くと大事故につながります。
こうして、改めて大台ヶ原を訪れると、自然の大きさ、偉大さを感じとともに、畏敬の念を払わずにはいられませんでした。そして、自然にも癒されました。人は自然なしでは生きられない!!
北海道、旅する者にとって特別の響きと思いを持つ大地。地平線までまっすぐに延びる道、干草のロール、色鮮やかな広大な農場、やはり北海道は他とは違う憧れの場所。今年も5回目となる北海道ツーリングに行ってきました。
ツーリングGOGOミーティング+バルーンフェスティバル:台風でどうなることかと思ったけれど、8月9日、雨の中を苫小牧から帯広まで、走った甲斐があり、8月10日にはツーリングGOGOのミーティングと念願のバルーンフェスティバルに参加できました。GO娘とも写真を一緒にとってうれしい記念に。
バルーンフェスティバルは広大な北海道ならではのイベント。
台風の影響で気球の大集合はなかったけれど、様々な色の気球が飛んできて北海道らしさを満喫できました。
利尻登山:北海道の離島といえば、礼文と利尻。礼文島は以前桃岩荘に行ったことがあったけど、利尻は時間の都合で断念したけど、今回ようやく目的達成!
天気がイマイチで山に登るかかなり悩んで、山のおっちゃんの「明日は晴れるでー!」の説得力ある一言で、一日延長して利尻岳に登ってきました。
途中、ガレ場があったり、崩落した斜面から転落しそうになりながら、YHで知り合った9人が頂上を目指します。
頂上は山のおっちゃんの言うとおり、晴れていて、遠くオホーツクの海まで見えて感動的!!
層雲峡登山:もう一つの登山は層雲峡。標高は1984mと1721mの利尻岳より少し高いですが、7合目まではロープウェイとリフトで行けるし、道もガレ場など危険なところがなく、ぜんぜん楽です。でも、その分達成感はちょっと低いかな?
7合目からは頂上まで行き1時間、帰り45分です。この日も天気に恵まれ、真っ青な空。
黒岳は大雪山系の一角にあり、銀泉台、旭岳、赤岳に縦走する人もたくさんいました。頂上付近には万年雪が残っており、別世界です。
地球岬+モアイ像:室蘭の南の端っこ、地球がまーるく見えると言われる地球岬。180度ぐらい水平線が見え、確かにまるーくみえるんですよ。語源の「ポロ・チケップ」(親である断崖)のチケップがなまって地球という名が当てられたらしい。北海道自然100選にも選ばれてボーとするにはちょうど、いいです。
場所はガラリと変わって、支笏湖の近くの滝野霊園には石造りのモアイ像がずらり、天を仰いでいます。高さ10mぐらいのが全部で50体以上あります。ちょっと立派過ぎてイースター島のようなさすらい感は味わえないのが少し残念。。北海道も5回目となり、今回は時間的余裕もあったので、山登りなどじっくり、体験できしました。そして、益々、北海道の魅力にとりつかれていまいました。
でも、あと、10回ぐらいは北海道に行きたい気分です。
大阪は網の目のように、堀川がめぐらされ、「水の都」と呼ばれていました。
秀吉が大阪城の外堀として掘った東横堀川が最初の堀。大阪に住んでいながら、あまり知らなかった川から見た大阪の風景です。7月から9月までの間、なにわ探検クルーズと称して、船で大阪の町をめぐるツアーがあります。夜のナイトクルーズは当然、生ビール飲み放題。
湊町のリバープレイスから、出発してまずは道頓堀川。いきなり大阪の元気の素、グリコの看板。やはり、もっとも大阪らしい風景ですね。
この看板も阪神優勝に向けタイガースのユニホームに着替えるらしいです。
でも、行きはまだ、周囲が明るくこんなにきれいには見えないんですよ。これは、帰りに撮ったんです。行きは右の下のキリンタワーの明るさぐらいで、橋の上から見下ろされてはずかしいやら、うれしいやら。ちょうど、優勝街道驀進中の阪神を応援する、虎船に出会いました。
道頓堀も7月に川の月間にちなんで清掃がされましたが、阪神が優勝しても飛び込まず、この船で応援しようということらしいですが。。。
船は次に東横堀川を抜けて大川に入りますが、途中の川の上は阪神高速道路で、全くの台無し。
一緒に船に乗った土木職の上司に、「この高速道路の柱を切ってくれーー」と言ったら、日頃、”ミスター道路”と呼ばれる威勢のいい上司もこの時ばかりは黙って苦笑してました。笑。
大川に抜けると高速道路がなくなるので、ご覧のように水都大阪にふさわしい夜景です。
大川をUターンして堂島川には入ると昨年、改修された市立中央公会堂がライトアップされて見事な景観を見せます。ここの地下の食堂のカレーライスやオムライスの味はファンも多かったので、食堂の営業者が変わっても、そのまま受け継がれていて、昔ながらの味が楽しめます。
最後にもう一度、道頓堀に帰ってグリコをじっくり堪能してリバープレイスに到着です。だいたい90分ぐらいかな。お弁当、ビール飲み放題で5000円です。
薬師寺と高野山は華と寂び、あるいは動と静に喩えられよう。
薬師寺は故高田好胤管長が中心となって1976年に金堂が再建され、81年には西塔、84年には中門、91年には玄奘三蔵院、93年には回廊第1期、そして2003年には薬師寺最大の建造物が落慶された。1528年に戦火で東塔を除きほとんど建物がが戦火により消失して以来、500年近くを経て、眩いばかりの白鳳伽藍が蘇えっています。
ともすれば、お寺の古いしきたりは変化することを拒み、新しいことを避け、流れ行くままという寺院も少なくない中、薬師寺は現代に生きる新しい仏教の形を示しているのではないかとも思います。
このことは、これら伽藍の復興が特定の寄付や、国などの補助によるものではなく、写経により成し遂げられたことがそのことを良く現してします。
「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、ひろく、ひろく、もっと広く」という空の偈(くうのげ)という般若心経の教えは現代にも十分通じるものです。午前11時から金堂でお経が聞けます。
一方、高野山は、816年に弘法大師が時の嵯峨天皇にこの地を賜って、真言宗の道場を開山し、その後、徳川時代、元禄の大整理を経て、1937年に根本大塔が建立されたものの、現代に至るまで、大きな変化は見られません。奥の院には深い杉の森の中に弘法大師の御廟をはじめ、織田信長、豊臣一族、武田信玄、上杉謙信など名だたる歴史上の人物の墓標が苔の覆われて、時間の長さの比べ、人のはかなさを知ることになりました。奥の院に入ると、世の中の喧騒がうそのようで、静かな気持ちになることができます。高野山は女人禁制でも有名で、明治5年に解かれるまで、各登山口に女人堂が設けられ、女性はここまで入ることができない厳しい掟がありました。今はもちろん、宿坊もはじめ、自由に女性も入ることができます。
観光化されたとはいえ、しっとりとした町全体がお寺のようで、座禅で、煩悩を取り払うのはいいところです。笑。
最近相次いで、2つの寺院(というか、片方は山だけど)に行きましたが、違うタイプでそれぞれに、趣がありました。
片や、若々しいエネルギッシュで、もう一つは、しっとりとおだやか。
こうして比べてみるとそれぞれの良さが一層際立ちます。
いらしたことがない方は一度、いらしてください。
ついに、ニューバイクでの初ツーリング。遠足前の小学生のように、うれしさと、ちょっぴり不安な朝を迎えます。
今日は、一気に勝沼まで、走らなきゃと思うと気も引き締まる。止まっているとやらた重く、1150ccの割りに意外と薄い超低速のトルクとこれも意外に大きい振動に、信号の度毎にビビリながら、走っていく。
でも、高速に入ると本領発揮!6速の120kmからでも楽に加速できるのはさすがビッグバイク。そしてなにより、らくちんなポジション。鼻歌交じりで快適な走行。それと、大きな車体にもかかわらず、よく曲がること。やはり、低重心のフラットツインのおかげ。高速だと逆に、この振動が心地よいぐらい。あまりの気持ちよさに御殿場で降りるのを忘れ、次の大井松田までいく羽目に。再び御殿場から138号を経由して東富士五湖自動車道を行くも、すごい渋滞。なんとか、脱出し、高速に乗って勝沼に。
翌日は、今回のハイライト、ぶどうの丘でワインを飲みながら、昼寝。ぶどうの丘の地下にはワインカーブ(貯蔵庫)があり、タートヴァン言う試飲器(1100円)を買うと自由に飲むことができます。管理人は都合3回入り、そのたびに左の丘に寝転び、贅沢な時間を過ごしました。
もう一つのお目当ては行列のできるほうとうの店の皆吉(みなき)。1回目はあまりの行列の長さに断念。翌日、ありつけることになったが、その甲斐あり、深く濃い味でした。3日目は少し、勝沼で、ぶらぶらした後、一路八ヶ岳へ。八ヶ岳高原道路を快適に飛ばします。まきば公園でぶらっとしようと思い駐車場の看板のあるところを入ると砂利。大ピーンチ。砂利は滑りやすく。重いバイクだとこけてしまうかも。。向こうの方ではバイクがこけているでは。。。心を決めてともかく、アクセルを弱めるとこけてしまうので、アクセル不退転の決意で乗り切りました。
まきば公園からは遠く、南アルプスや、近くの八ヶ岳が望めて、ホント昼寝には絶好の場所です。後でわかりましたが、公園のセンターの近くにはちゃんと舗装のした駐車場がありますよ。八ヶ岳はホントたくさんいいところがあるそうだけど、今回は時間の関係で断念。
最終日は、白州のサントリー蒸留所。ここは無料で、工場内を案内してくれます。森の中の工場には博物館あり、レストランあり、そして、右下のような工場の蒸留塔はまるで、オブジェのような芸術性を漂わせています。最後には試飲もできるけど、運転手は飲めないので、「なっちゃん」で、がまんです。
工場の敷地には散策路があり、昼寝に抜群の環境でした。
今年も懲りずに年末、年始の旅行。。そう、さすらいのライダーらしくバイクで行ってきました。
当然、雪はバイクには大敵というか、路面が凍結してたら、すぐにあの世に召されてしまうので、極力雪の方のない方面にということで、四国と九州に行ってきました。
まず、初日は大阪から宇和島まで、一気に。途中、明石大橋と鳴門大橋では突然、猛烈な横風が襲ってきて、バイクを斜めにして通らないと真っ直ぐ進まない状態。危機百発だぁとヘルメットの中でわめきながら、通過。
いよいよ、なんとか四国に入って徳島道に入ります。山に入ってきてどんどん気温が下がって一段と下がってきたなあと思ってたら、高速の表示板に”ユキ注意!”の文字が。。またまた、ピーンチ!
回りを見ると山々の中腹にはうっすら雪が。。そう言われると路面がな〜んか白っぽい気がして凍結してるんではないかと言う気にさえなってきます。極力速度を変えないようにして何とか徳島道を抜け、松山道に入ってくると、陽も照ってきて鼻歌を唄う余裕も出てきたらと思ったら、その幸せもつかの間でした。
進行方向からどんどん、雨雲が近づいてきて石鎚山SAに入り、屋根つきバイクの駐車場に入る5秒前に、”あられ”がザーと降ってきて間一髪というところですぅ。
その日は宇和島に泊まり、翌日は宿毛YHへ。翌日は本当に気持ちの良いくらい晴れていて、途中、宇和島城を見たり、御庄のロープウェイや回転展望台に乗って十分観光気分を味わうことができました。
ここのロープウェイは海を跨いでいるんですよぅー。ロープウェイのてっぺんには紫電改というゼロ戦の後継機が海から引き上げられ修復されているのが展示されています。
次の日は大月方面に細い道をくねくねと。寒いながらも大堂展望台、観音岩と海の展望を堪能できました。
でも、途中のおさる公園には変なばっちゃんがいておさるのえさを売ってたので、気をつけた方がいいです。
2連泊となった宿毛YHはとっても田舎で、気持ちいいところなんですよー。玄米ごはんもおいしいし、空気も水もおいしい。ああ、田舎にあこがれてしまうぅー。
何もないところがいいです。時間がゆっくりと流れていく感じ。30日には四国を跡にいざ、九州へ。宿毛から佐伯に渡り、一路湯布院に。湯布院はさすが温泉の町だけあって、あちらこちらから湯煙が上がっています。私立の美術館やおしゃれな、喫茶店やレストランがたくさんあってさすが、女性に人気があるのも、わかります。
その中でも放浪の詩人画家、佐藤溪の作品が展示してある由布院美術館はオススメです。建物は象設計集団の手によるもので、ユニークな空間と設えが自由な作風の作品のマッチしています。
大晦日、心配していた天気もまあまあ、今日は今回のメインイベントの”トトロのバス停”に訪問です。大分県と宮崎県の県境、宇目町にあります。予想どおりの雰囲気のあるところで、ネコバスまであったのは感激です。意外と道はいいですよ。駐車場、お手洗い完備です。
ところが、帰りの高速は突然、谷筋から猛然と横風が、そして、道路標識には、”路面凍結”の文字が。。またしても、ピンーチ!一歩まちがえれば、谷底だぁの中を必死で耐えしのいで、ようやく、由布院に戻ってきて、ともかく体が冷え切っているので、”夢想園”という由布岳の見える温泉へ。ぬるめのお湯で、身も心もゆるゆる〜。
そんな中で、バイクで出発したもんだから、出口の坂道で、止まって左右確認していたら、バイクが傾いてきて、支える根性もなく、あえなく倒れ、ミラーもぼっきん。温泉に入った、幸せはほんのつかの間でした。
今回のツーリングの教訓!
ピンチは突然やってくる。そして、幸せはつかの間。そして、お正月ツーリングはやっぱり寒い!
日本から飛行機で片道3時間の台湾。そこは伝統と歴史をを誇る史跡と名所、エネルギッシュな人々の生活が共存する町。そして、食べ物のもおいしい(好吃)、アジアのエレクトロニクスのメッカでもある不思議な島。
台湾へようこそ、(觀迎光臨)。日本は中国(中華人民共和国)との樹立以来、台湾を正式な国とは認めておらず、国交はなく、政治的に微妙な立場です。
途中ガイドさんから、国家予算の約3割を国防費が占め、徴兵制もあり、共産主義の進行に備えていると聞かされ、イージス艦の派遣に揺れ動いている日本も国際的緊張とは無縁でないことを感じざるを得ませんでした。台湾の元気の象徴といえば、やはり、屋台。台北から、MRTという地下鉄の淡水線に乗って5つ目の駅の剣潭という駅で降り北へ向かうとそこはもう、泣く子も黙る”士林夜市”のパラダイスです。
食べ物、飲み物、服、雑貨、CD何でもありーの世界で、すごい人だかり。道の真ん中に毛布を敷いて、服や雑貨を売る人、大声で、小籠包という肉まんを売る人など、とにかく、お祭りの縁日のような賑わいです。
台北から、汽車(火車)に乗っていく日本統治時代の金鉱の町、九分(ジゥフェン)も見所です。ここは「非情城市」の舞台ともなったところで、狭い路地沿いに茶芸館とお土産物店がところ狭しと並んでいて石段の頂上から、東シナ海を望むことができます。台湾はアジアならでは混沌としたエネルギーを持つ一方で、現代的な側面と歴史的な背景の両面を持っています。
台北の東南の信義開発地区では世界貿易中心(センターのこと)周辺では開発が進み、100階建ての超高層ビルが建てられつつあります。
中心部では、故蒋介石総統を偲ぶため、純中国式の巨大建築が建てられている中正記念堂があります。
この記念堂の中には、巨大な総統像があり、訓練された衛兵が警備している姿が台湾の置かれている厳しい政治的立場を象徴しているような気がしました。
経済的にも、政治的にも微妙なバランスの中にあり、このことが台湾を魅力的なものとしているひとつの要因かも知れません。
旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。