本文へスキップ
株式会社ビルダーストーリー

コラムcolumn


NO70.2017北海道ツーリング

  • 21. Octobe 2017

昨年、ダムの水量が多く水没してみることができなかったタウシュベツ橋梁のため、悩んだ末の北海道ツーリングです。
と言うのも、今回の更新がかなり遅れたこととも関係するのですが、今回都市計画学会へ論文を投稿しており、その査読結果がお盆前に通知されることとなっており、大量の修正が必要となれば、北海道どころではないからです。
6月の半ばのフェリー予約時にはいざとなったら、キャンセルすればいいと思いましたが、実際には査読結果が来ると20箇所以上の指摘があり、大ピンチとなりました。
出発前に何とか目途をつけるために半徹夜を何回かしてようやくメボシを付け、最終チェックのため、一日早く帰るよう、スケジュール変更し、ようやく出発することができました。
フェリーは今年も出航時間が頃合いの19時の太平洋フェリー。
豪華ラウンジショーではピアノ、小川 長太郎さん、バイオリン、塀和 貴子さんの演奏を堪能できました。フェリーでの何もすることがない時間は日頃の喧騒を忘れるには貴重である意味最高の贅沢かもしれません。船の中では気さくなご夫婦と出会い、フェリーでの大揺れの経験で盛り上がりましたが、詳しくは出会いのページで紹介しています。
北海道上陸1日目は、移動日。去年と同じ東大雪山糠平YHに泊まります。
2日目、今回のメインイベントのタウシュベツ橋ツアーの日ですが、天気が悪い。。辛うじて雨は降っていない状態ですが、空は一面真っ白な雲に覆われています。とは言うものの、文句を言っても晴れる訳でも雨が降る訳でもないので予約していたツアーを主催するNPOひがし大雪自然ガイドセンターのある糠平温泉文化ホールに朝、5時半に集合。
スタッフの方によると橋が水没してない上に雨が降ってなくてよかったですね〜。晴れていればきれいな写真が撮れるのは間違いないですが、上を見ればキリがないし、下を見ればキリがないって言うことですね。
ツアーの車を降りて5分も歩かないうちに森の木のトンネルを抜けるとタウシュベツ橋梁が目に飛び込んできます。うぉーって言う感じのなかなかの絶景です。リズミカルな橋のドームが人造物でありながら、自然の風景に溶け込んでいます。見る角度によってバックの風景も異なり、様々な表情を見せてくれます。
ガイドの方の説明によると今年はダム側の橋の上部が2カ所大きく崩落し、繋がっている橋が見られる最後の年になるかもしれませんとのことでした。
気候の厳しい北海道で水位が上下し、冬には水が凍りコンクリート橋の表面を痛めいくを繰り返し、崩壊していく運命にあり、何とか保存、修復できないかと動きもありましたが、多額の費用を負担し続けることが困難なことから、崩れ去る美学にまかせようと言うことになっているようです。
いつまで見ても飽きないので40分の滞在時間があっと言う間に過ぎました。
ツアーから戻りYHの周りを散策していると野生のシカがゆったりと歩いています。人間を全然怖がりません。それどころか、カメラを向けると立ち止まりこちらをじっと見つめるカメラ目線です。試しにカメラを向けるのを止めると再び歩き始めます。そしてまたカメラを向けると立ち止まります。う〜ん、人間慣れ過ぎている。その日はお土産買うため、十勝平野をウロウロ。
3日目は糠平の近くのヌプカの里で翌日、バイク仲間とキャンプなので天気もイマイチなのでどこに行こうかと悩んだ末、阿寒湖に行くことにしました。
阿寒湖も曇り。観光客もまばらでしたが、湖には観光船やボートが走っています。観光船は85分と結構な時間ですが、この日は時間を持て余し気味だったので乗ることにしました。観光の案内音声も何十年も変わっていないレトロな感じです。途中、船はチュウルイ島にある”マリモ展示観察センター”に寄ります。乗船時は意識しなかったのですが、島に上陸すると船には意外とたくさんの人が乗っていたんだと気づきました。中には外国語も飛び交い、ここまで海外から旅行者が来ているのか感心させられました。島は船、からみるとカナダのマリーン湖のスピリットアイランドを彷彿させるもので、天気が良ければさぞかし絶景だったことでしょう。まりもは右の写真のとおりのほんわかした感じで、近年、阿寒湖でも減少傾向とのことでした。
十数年前に行った時とほとんど変わっておらず、懐かしいと言えばそうかもしれませんが、お盆の真っ盛りの時期、土産物屋もさほど賑わっておらず、閉店した店も少なくなくもの悲しい雰囲気が漂います。ここで食べたさほど美味しくない味噌ラーメンが観光地としての時代遅れを象徴しているかようです。
この日はバイク仲間とヌプカの里でキャンプなので下船後、再び上士幌に戻ります。
せっかくのキャンプなのですが、雨が模様だったので皆、ロッジで雑魚寝。夕食も食堂を借り切ってバーベキューなど。今年は女性ライダーの参加もあり、多いに盛り上がりました。
シェフの異名を持つ小林さんはじめ、皆さんとっても料理がうまいです。
翌日は僕は帰路のため、一泊だけでしたが、他の方は連泊された方もいてダッチオーブンを使った料理もあり、さらに豪華だったらしいです。うらやましい。
帰りはバイクは船で僕は飛行機のため、まだ時間が少しあるので、上士幌を開拓された先人の銅像を尋ねました。
碑を見ると農業団体の役員をされたり、士幌町の町長をなさたりした方で「もし、この世にユートピアがあるとするならば、士幌にそれを実現するために三人の身命を捧げよう。」と誓い合ったとあります。
いずれも長靴を履いているところが、常に現場と共ににあることを現わしているのかもしれません。旅に出ると銅像を見かけますが、、いつも勉強になります。
最後に霧でほとんど見えないだろうなと思いつつ、ダメ元でナイタイ牧場に向かいました。せっかくなので今回、新たに購入したウエアブルカメラを装着しようと牧場前の入り口で停車し、その後、発進しようとしたら、な、なんとエンジンがかかりません。弱くセルが回ったと思ったら、沈黙。電源喪失です。このツーリングに併せバッテリーを交換したばかなのに。(泣)
最初は原因がわからず最悪レッカーかと覚悟もしましたが、できるだけのことをしようとバッテリーの端子周りを触ると一瞬電源が回復。どうも、端子のボルトが緩んでいたようです。手で押さえると電源が入ります。(^o^)でも、バッテリーに辿りつくためにはカウルを外さないといけないので悪戦苦闘すること1時間。ようやく電源回復し、予想どおり真っ白い何も見えないナイタイ牧場に着くことができました。
今回の旅もこの言葉で締めくくることになりました。。「一寸先は闇」。でも、大きな事故やケガをせずに無事に旅を終えられたことに感謝です。コマネチライダーズの皆さまお世話になりました。

NO69.九州山盛ツーリング

  • 4. June 2017

昨年、熊本地震の影響のため、断念した九州ツーリング。万を持して出発です。今回のツーリングはかなり盛りだくさんの内容となりました。一昨年の積み残し、昨年の宿題、仕事の延長、長年?の約束を果たすために山盛り状態となりました。
先ずは大隅半島の先端、都井岬。岬には御崎馬(みさきうま)と言うお馬達が放牧されています。
自ら主の地として堂々と道の真ん中をかっ歩してバイクや車がそれをよけるように走っています。都井岬灯台は上まで上がれる数少ない灯台で太平洋と大隅半島が一望できます。高所恐怖症の自分は風が強く吹き飛ばされそうになり、楽しむ余裕がなかったですが。灯台前には広い駐車場と売店、トイレも完備して多くの観光客でにぎわっていました。
次に訪れたのは九州最南端の佐多岬。中継地の鹿屋市からも結構、時間がかかり2時間ぐらいは必要です。観光地らしくすれ違うバイクでピースサインをしてくれるライダーも少なくなく北海道みたいです。
以前、訪れた時は先端まで行けたのでバイクを飛ばすも途中の駐車場でストップサイン。何でもここからシャトルバスとか。
ここまでくるのにかなり時間がかかったので早く出発したかったのに、そうもいきません。バスを待つこと。15分。そこから岬の公園まで行ってすぐに帰ってきました。もう少しゆっくりしたかったですが、今日に宿は指宿なのでそうもいきません。
既に南大隅町のフェリーは間に合わな時間。垂水のフェリーの乗り場までは走らねばなりません。夕方5時前に出て何とか6時半のフェリーに間に合いました。
宿についたのは8時半頃。大広間ではほとんどの客が食事が終わり、最後は僕一人。でも嫌な一つ顔せずにもてなしてくれました。設備と言い、もてなしといい、料理もよく良い宿でした。この宿はネットで見つけた指宿こころの宿で、お宿のページでも紹介しています。ベトナムからの研修生も来ていてここも人手不足なのかなと思いましたが、一生懸命さは見習わなくてはと思います。
2日目は開聞岳登山です。一昨年前も登山にチャレンジしようと思いましたが、準備不足と天候が良くなく断念しまたので今回リベンジです。と言うものの開聞岳の中腹以上はすっぽりと雲に覆われていてたぶん頂上は真っ白。雨も降りうです。でも、登山口にはたくさんの人が集まり登山の準備。僕も意を決して登ることにしました。
登ること2時間、最後の9合目からは岩場できつく、頂上が狭いの渋滞していましたが、何とか頂上にたどり着くことができました。案の定、真っ白で何も見えません。そそくさと下山すると五合目には下界が広がっています。行きの時にはここも真っ白で何にもみえなかのですが。。薩摩半島と海を隔てた大隅半島が一望できます。
田畑が一面に広がっていて東京では高層ビルが林立し、猫の額のような敷地に住宅が密集して建っている地域があると思えば、この余裕ある空間。一体この差は何なのか、この差はやはり不自然、違和感を拭い去ることはできないと課題をかかえたまま下山。標高1000m足らずの低い山でしたが、久々の登山でもあり、帰りは膝がガクガクで麓に到着した時は芝生広場にゴロリとなってしまいました。
今日の宿泊先はえびの高原。向かう途中ミラーに写った開聞岳には帽子のように雲がかかり、傘富士状態でした。宿は京町観光ホテル。ちょっと古めの旅館風のホテルでしたが、料理は良かったですね。こんなに美味しいものを食べて日常生活に戻れるのかちょっと不安になりました。
3日目は日南市飫肥地区。旧飫肥藩の城下町です。
3月にとあるシンポジウムに行った時にここの空き家を活用し宿泊施設として再生・活用する取り組みが紹介されていましたので、行ってみようと思っていました。
Kiraku Japan合同会社(サンドバーグ弘 代表取締役社長)が一億円以上かけて改修した民家は残念ならが見ることはできなかったけれど、伝統的建築物群保存地区に指定されている街並みはそれなりに情緒がありました。左は飫肥城大手門です。
右は大手門に通じる通りです。駐車場が完備し、飲食店、土産物もそこかしこにあります。場内には旧飫肥藩のコレクションやこの町の出身の明治時代の外交官、小林寿太郎の記念館あるのですが、わが町富田林の寺内町ほどの広がりはありません。また、本丸跡にはごく普通の鉄筋コンクリート造の小学校もあるのも残念です。逆に富田林も駐車場、飲食店など観光客が寛げる場所があれば十分観光地とやっていけるポテンシャルを再認識しました。
今日は別府泊まり。250kmとちょっと距離がありますが、東九州自動車道がほぼ開通してたので意外にスムースに到着。岡山の自然の森YHで知り合った青山さんが、ここでYHを開業されているとのこと。必ずいくからねの約束を果たすことができました。夜の別府の街は幻想的。あちこちに噴き出す湯煙がライトアップされて、別世界。レトロな劇場の看板もあり、タイムスリップしたようでした。
最終日は昭和レトロな豊後高田市。以前、雑誌で町おこしに成功した例として紹介されて気になっていました。駐車場の直ぐ前に昭和ロマン館と言う博物館、レストランのある建物があります。その前に昭和32年製のボンネットバスが鎮座しています。秋田県でスクラップ同然で放置されていたのをレストアしたとのことです。このバスで街中を案内してくれるんですが、このバスガイドのおばちゃんがよくしゃべること。大阪の漫才師のようなノリです。
街中はそんなに伝統的な建物がある訳ではなく、良くも悪くも昭和のごちゃごちゃ街並みが残っています。昭和生まれの世代には懐かしさがこみ上げてきますが、平成生まれの世代にはどうかなと思ったら、意外にも若い世代も多く見かけました。
最後はフェリーに乗るまで時間があるので、別府でのブラタモリでやっていたケーブルカー?に乗ろうと思い、遊園地のラクテンチへ。
でも道が違うような気がしてコンビニでもう一度スマホで調べ直してみると動物の顔の付いたケーブルカーの写真があり、おまけに今休業中とのこと。こりゃ違うわと思い直し、高所恐怖症のタモリがロープウエイに乗って怖がっていたのを思い出しました。
フェリーの出発まで何とか間に合う時間なので早速バイクを走らせます。間違っている時間はないとスマホで航空写真まで確認したのに何たること行き過ぎてしまいました。阿蘇へ抜ける道路なので交通量も多くなかなかUターンする場所もありません。今回の旅のう最大のピンチです〜。しかし、捨てる神ありゃ拾う神あり、運よく信号が赤で止まっている車の前にガソリンスタンドがあり、ここでUターンさせてもらい何とかロープウェイにも乗れ、フェリーにも間に合いました。
やはり一寸先は闇でした。旅・・・人生、最後の最後までわかりません。

NO68.コマネチライダーズ

  • 28. August 2016

NO67のコラムで書いた別海でキャンプをしたバイク仲間とと今年はクッチャロ湖でキャンプをしようと言うことになり、今年も何とか北海道の旅に行くことになりました。行きは太平洋フェリー、帰りはバイクを託送し、自分はヒコーキで帰るスタイルも定着しました。
11日に名古屋港を出発、13日に北海道に上陸。台風5号の影響で、苫小牧港の護岸が破損した影響で変則ダイヤとなりました。夕方5時発、翌々日の朝8時に到着。本来は2時間出発が遅く到着も3時間遅いですが、この方が北海道での時間が有効に使えるため、これを定時としてもらいたいぐらいです。
高知で知り合った方がやっていた”ぬかびら”のブログ。近くには行ったことがあったが滞在したことがなく、ずっと気になっていました。そう、タウシュベツの橋梁のあるところです。オン車でダートで4km走らないと辿りつけず、こけたらバイクを起こせる自信がありません。でも、1泊してツアーに参加すればよいことに気が付き、6月フェリー予約とほぼ同時にぬなびらYHを予約。人気のYHなので特にお盆のシーズンは早い目に押さえなければなりません。
しかし、6〜7月にかけて雨が大量に降ったため、タウシュベツ橋梁は水没したまま。人造湖なのでダムの水を放流すればよいのですが、発電用の水ガメなので無駄には放水してくれません。そんな訳で、残念ながら、今回は見ることはできませんでした。代わりにツアーでは他のアーチ橋を見に連れてもらいました。鉄道から車に交通手段が移り、廃線も時代の流れですが、幌加の駅跡と往時の写真を見るとやはり寂しいものです。”祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす ”。
タウシュベツ橋梁は是非今年の冬か、来年の夏にチャレンジしたいものです。
ナイタイ牧場に行く途中、機嫌よく西野カナが歌っていたCDが突然音が出なくなりました。牧場のレストハウスは昨年の台風で屋根が飛んでしまって、コンテナでの仮設店舗での営業です。本格的な再建をお祈りして1350円の和牛丼を注文しました。ここの牧場は景色が良いので何回か行っているのですが、なかなかスッキリ晴れてくれません。
台風が来るさなか、いよいよ、バイク仲間の待つ、クッチャロ湖へ。豪雨の三国峠を超えるとすっかり雨が止み、カッパを脱いで走っていたら、あと10分というところで、豪雨に合いました。”世の中、一寸先は闇”。その代わりにCDが復活しました。”闇の中の一寸の光陰”。
バイク仲間は北海道から関西まで全国から集まり、食材を買い出し、キャンプです。シェフの異名を持つKTMに乗るライダーさんが、エビチリソース、焼肉、カツオのタタキ、焼ともろこし、ポテトサラダ、バングラデシュで仕入れた香辛料でオロロン鳥?のタンドリーチキンなどなど、キャンプとは思えないほどの豪華料理の数々。
いつも人に言うのは少し躊躇いがあるんですが、”コマネチライダーズ”と言います。決めのポーズが例のビートたけしのコマネチのポーズ。最初は恥ずかしかったですが、もう慣れましたけど。(笑)
最後は、天売島へ行きたかったんですが、海鳥のシーズンは7月初めまでで、高速艇に乗り遅れたこともあり断念。もうちょっとちゃんとダイヤを調べておけばよかったと少し後悔。結局その手前の焼尻島へ。観光タクシーのおっちゃんの島も人口減少が進み、いずれ無人島になるとの自嘲美味な案内を聞いていると一方で人口集中の進み住みにくくなる一方の都市圏のアンバラスと不合理性を感じざるを得ません。
台風か近づく雨の中、何とか千歳空港に到着。皆さん色々とお世話になりました。
帰ったら、上司に北海道からヒコーキで戻ったと言ったら、「ライダーとして許す
まじき行為」と言われてしましました。ちなみにこの上司はバイクには乗らないんで。。えって感じです。(笑)

NO67.ホームページリニューアル

  • 29. November 2015

2000年より始めたHPですが、15年を契機にCSSにより、リニューアルしました。これまでの内容を引き継ぎつつ、少し追加情報も追加させてもらっています。
ご覧いただいた方に少しでも役に立ち、心が通えるものでありたい思いますので、よろしくお願いします。
今年のGWは九州へ、夏は北海道にフェリーで行ってきました。すっかり船の旅にハマっています。
社会人になり、時間的な制約が多くなり、学生時代のように友人と頻繁に会う機会が減ったと感じる人も少なくないのではないでしょうか。今夏の北海道ツーリングでは久々に3人の旅の友人と会うことができました。
一人目は屋久島で知り合った埼玉出身の方ですが、北海道が気に入り、引っ越してしまいました。昨年も北海道に行ったときに会っていますが、今回は富良野から名寄までバイクで一緒に走ってくれました。途中本別の道の駅でお寿司を食べながら話を聞いていると、トライアスロンの大会にも出ているそうで、日焼けで真っ黒でした。
2人目は昨年北海道の道の駅で話を交わしていたライダーさんですが、同じBMWに乗っていて偶然今年九州のツーリングのフェリーのベッドが隣り合わせで再会したのを契機に別海でのキャンプにお誘いいただきました。
摩周湖から雷雨と雹(ひょう)に襲われながらなんとかキャンプ場についたら、すでにタープが張られ宴会場ができていました。 続々と仲間が集まり、私を入れて全部で8人。皆で近くのスーパーに買い出しに行きます。
シェフと呼ばれているイタリアのKTMに乗るライダーさんの指示に従い買い物をするのですが、キャベツ半玉、ニンジン、ピーマン、豚のブロック、サケ、マグロの切り身、豆腐、ミンチ、餃子、そうめん、卵などキャンプとは思えない買い出し内容です。 キャンプ場に戻ると、豪雨。他のサイトが沈黙の中、タープのお蔭けで雨にもぬれず、バイク談義で盛り上がりました。
肝心の料理ですが、さすが、シェフの異名をとるだけのことはあり、10分ごとにどんどん料理が出てきます。どれもおいしく、冷やしそうめんの予定でしたが雨が降って寒いので暖かい“にゅーめん”に変更する手際の良さに感動。
3人目は一人目と同じく屋久島で知り合ったライダーさんですが、日程が合わず、一人目と別々に会うことになりました。
こちらは十数年ぶりに会いましたが、お互いあまり変わっていないと慰めあったり、懐かしんだり。彼はオフローダーで北海道の林道を踏破しているそうです。釧路の少し北の塘路(とうろ)で別れましたが、サンマの炙り丼を食べるべく霧多布を目指したもののサンマが不漁でありつけなかったそうです。
友人とも時々会い、メンテナンスすることが大切だと思います。色々と話をしていると教えられることも少くなくありません。学生時代の友人とも年に1回ですが年末に会うようにしています。

NO66.東北ツーリング

  • 22. August 2013

またまた、1年半ぶりの更新です。この夏は3年ぶりの長距離ツーリングでした。今まで、一度北海道のツーリング途中立ち寄っただけでほぼ空白地帯だった東北方面へのツーリングです。陸走での東北ツーリングは困難と判断し、名古屋から仙台行のフェリーがあるので、これに乗って往復移動しました。
今回のツーリングの目的は旅以外にも旧友や震災復興のため、派遣されている元部下と会うのも目的の一つです。8月8日、名阪国道と東名阪道で予想もしない事故渋滞でフェリーの乗船時間に間に合うかヒヤヒヤしながらも何とか、19:00発のフェリーの50分前に到着。途中、かなりの猛暑ということもあり、冷房の効いたフェリーの中は極楽。
フェリーの旅は久々だけれど、一度楽すると止められない気分です。フェリーの中では生バイオリンとピアノの演奏会もあり、リッチな雰囲気。
仙台に到着したのが、翌日の16:20過ぎ。山形まで高速を使ったら1時間余りと聞いていたので余裕と思っていたら、ナビの指示どおり走っていたら、南部高速に乗りぞ来ない仙台市内を縦断するコースにはまり思いっきり渋滞。大まかなルートは地図で確認し、ナビは補足的にと言う教訓を改めて思い知らされました.
東北とはいえ35℃を超える猛暑の中ようやく7時過ぎに山形に到着し、以前同じ職場に勤めていましたが、今は山形で不動産鑑定士として独立されている赤藤さんと会えることができました。すごく立派になっておられ、昔話に花を咲かせることができました。
翌日は旧山形県庁を見学し、テニスのレッスンのメンバーからおススメのあった栗駒山へ。
なかなか楽しいワインディングの道でしたが、頂上は霧で見えなかったのは残念。10日は盛岡で震災復興のため、岩手県庁に派遣されている赤松さんと飲み会。途中から県庁の方も参加してもらい、料理もおいしく楽しいひと時を過ごすことができました。
その夜、ホテルで偶然みたEテレ、シーナ・アイエンガ―氏のコロンビア白熱教室に釘付けになってしまいました。彼女は厳格なシーク教徒の生まれで結婚相手まで親が決めてしまう極めて封建的な環境の中で育ちましたが、それに疑問を持ち、選択の科学と言う研究分野の第一人者になったのです。人は毎日多くの選択をしているが、それを如何に間違い少なく行うかについて多くの示唆を示してくれました。彼女は黄斑性網膜症という目の病を患い、高校生の時に失明していますが、希望を失わず、研究を続ける姿には敬意を表さざるを得ません。
少し、脱線しましたが、旅の話に戻ると、盛岡の後は小岩井牧場、国道46号が豪雨災害のため、通行止めたっだので、十和田ICから能代、大潟を経由し、大曲へ。 大曲から鳥海山を経て、八重の桜の舞台ともなった会津若松へ。途中立ち寄った象潟では海が地震で隆起し、島がそのまま丘になっている風景が展望台から眺めることができ自然の不思議な力に感心しました。
会津若松で泊まった会津野YHでは、原発の影響がここまで及んでいるとの話を伺い、改めて再生可能エネルギーとの共存について考えさせられました。最後に一言。大曲YHのオーナーがナンパ目的で来るヤツがいると批判的でしたが、違和感がありました。青少年の健全な出会いの場であっても良いように思いました。ナンパと健全な出会い。。言い方でずいぶん印象が違いますが。(笑)

NO65.四国剣山の旅

  • 6.May 2012

1年半ぶりの更新でtたどたどしい操作で戸惑っているところもありますが、ともかく復活いたしました。この間、バイクでのツーリングらしい旅はほとんど行けず、泊がつくバイクの旅ほぼ2年ぶりとなります。
今回は一粒で2度おいしいバイクでのツーリング&登山と言うことで四国の剣山に行ってきました。一泊目は、徳島の道しるべ。さすがにGWとあってここもバイクでいっぱい。久々のツーリングでやや逸る気持ちを抑えつつ徳島道から国道438号を登り、見越PAを目指します。
最初はそれなりに集落のある道を登ると、人家のない細い道となったり、幾度となく続くヘアピンカーブを越えようやく見越PAに到着。車で標高1400mまで来れてしまうのです。神社が登山口になっていて歩いて登山。久々の登山ということで思ったより早くダウン。1800m付近でちょうど12時となったこともあり、リフト西島駅前の木陰で昼食。途中でのお弁当広げていたら、皆声かけてくれてちょっと恥ずかしい思いをしました。
1時には刃掛の松と言う刀掛けの形をした倒木に到着。2時には頂上に到着。
上の写真は剣山の頂上からみた次郎笈(ぎゅう)。剣山が1955m次郎笈が1929mと高さがほぼ同じで兄弟山と言われ剣山がこの名前で呼ばれるまで太郎笈と呼ばれていました。もちろん次郎笈にも登ってきましたが、下がって上がっての行程はきつく一緒に行った毎日山のぼりをしている初老の夫婦に負けてしまいました。
左が次郎笈からみた剣山です←は頂上のヒュッテです。今は3代目が経営されているそうですが、かなり立派なヒュッテです。その昔、調理するためガスをいたそうですが、40kgの業務用ガスボンベを人力で運び上げるのが大変なので今は電磁調理器を導入されたとのことで、夕食もヴォリューム満点の豪華版でした。→安芸市の野良時計です。まだ、家ごとに時計のかなった明治20年頃、地主の畠中源馬氏がアメリカの八角時計を分解し、それを真似して作ったとのこと。まわりの農村風景と絶妙の雰囲気を醸し出しています。現在の三菱グループの基礎を築いた岩崎弥太郎の銅像と生家です。坂本竜馬を経済面からも支えたそうです。豪快にしておおらか、先見性と不屈の精神を感じさせるのある風貌は今の政治家には見当たる人はいません。
と評論家みたいなことを言っている場合ではなく、少しでも岩崎弥太郎の精神と根性を見習いたいと思います。
安芸駅前にぢばさん市場というのがあって地元でとれた野菜や名産品がたくさんあります。お土産購入にはもってこいでした。

NO64.天平の甍と十円玉の裏側

  • 19.Decmber 2010

半年以上ご無沙汰しておりましたが、久々の更新です。この間、自宅の建替えなど、個人的に忙しくなかなか遠出ができず、今回は近場です。奈良と京都との定番中の定番の名刹ながら、本尊を間近に見ることができる滅多にない機会に訪れることができ感慨ひとしおです。先ずは鑑真和上の私寺として開かれた唐招提寺です。天平の甍と呼ばれている金堂の見事な屋根のラインは2009年3月に落慶法要が営まれた平成の大修理により、一層優美で艶やかなものとなりました。ちょうどと言うか実は狙って行ったのですが、11月3日は滅多に入ることができない金堂の内部に入ることができました。金堂は厨子と言う扱いになっており、その中に人が入ることは通常認められていません。
約40分並んで中に入ると盧舎那仏、薬師如来、千手観音の三体の仏像が圧倒的存在で鎮座しています。盧舎那仏は脱活乾漆 漆箔、残りの2体は木心乾漆 漆箔と言う方法で作られており、若干違いはあるものの、いずれも布に漆(うるし)を塗り、幾重にも重ねて作られています。
堂内は凛とした空気に満たされ、それぞれの像がそれぞれの目的を持って、過去を振り返り、未来を見つめているような気がします。とりわけ千手観音は少し前にNHKで放映されていた平成の大修理の際に解体修理をされた特集を見ていたこともあり、感慨ひとしおでした。千手の手のそれぞれに様々な道具をもっていてまるで森羅万象を司る神のようです。
本堂は一見すると全面的な解体修理が行なわれたようには見えませんが、木組みが整然と並び、軒が若干反りが強くなった印象がするのはいい修理が行なわれた証拠と言えると思います。もちろん、ギリシャの神殿にも見られる柱の中央部分がやや膨らんでいるエンタシスも健在です。
天平時代の建物は華美な装飾や構造的に奇をてらうことなく極めてオーソドックスな日本建築の原点とも言えると思います。
次に訪れましたのは、十円玉の裏側にもある宇治の平等院鳳凰堂。平安時代の建築物は奈良時代に比べ一転、優美で可憐な佇まいを持っています。竜宮城をイメージしたとも言われています。
中堂、左右の翼廊、尾廊からなり、屋根には二対の鳳凰が向い合い、それらが池の写る様は平安貴族の贅を尽くしたものです。さしづめ、東洋のロココ様式と言うところでしょうか。
ヨーロッパではギリシャ様式からなんとロココ様式まで4000年以上かかったのに日本ではたった100年弱の間に大きく建築様式が変化しています。日本人の身変わりの早さと言うか変化に対応する能力はなかなか凄いものがあると思います。木造と石造の差も影響してるんですかね。
この時はたまたま、特別に御堂の中に入ることができました。40人づつの入れ替え制で待つこと1時間半。
堂に入ると金色の阿弥陀如来の周りを雲に乗った天女の像が取り囲んでいます。様々な楽器や道具を持っていたり、音楽に合わせて踊って極楽浄土を再現しているようです。宇治橋近くには源氏物語で有名な紫式部の像があります。百人一首にも「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」
ここから平等院までの参道には名物の宇治茶のお店が数多くありますが、店によっては長蛇の列ができているところと呼び込みをしてもなかなか客がこないところとかなり売り上げに差があるようです。
お茶を無料で振舞っているところが一番人気でした。やはり、売り上げアップには創意工夫が必要ですね。
ちょうど紅葉も真っ盛りでした。
唐招提寺に行った日は免許証が見つからなくで結局、電車でいきましたが、平等院へは第二京阪の走り初めを兼ね久々のバイクツーリングでした。しかし、風が強く途中何度も流されそうになりました。今年はこれが最後のツーリングになりそうです。
今年も何かと慌しい年でした。来年はまた来年の風が吹くのでしょう。

NO63.国衙の千年魔法

  • 13.June 2010

遅まきながら、GWツーリングの報告です。
今年も紆余曲折があり、ツーリングの場所決定がギリギリになりましたが、今回の目的はズバリ千年の魔法です。と言ってもアニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」の舞台となった山口県防府市を訪ねることがピンポイントの目的です。というものの、直前まで行き先を逡巡していたこともあり、山口のユースホステル(今はユース協会を脱退し、紅花舎と言う名前になっているようですが)は予約でいっぱい。かなり強行軍だとも思いつつ、上下町のMG自然の森YHで一旦泊まりここから山口に日帰りで行くことにしました。
そうすると、1日目は時間的にかなり余裕ができたため、忠臣蔵で有名な赤穂を訪ねました。城跡に入る前に大石内蔵助ら四十七士を祀る大石神社に立ち寄りました。神社の入り口には四十七体もの像が勇ましく鎮座しています。神社には討ち入りに至った背景などの解説や武器が展示されています。城跡は公園になっていて風情がなくガッカリ。二日目は本命の防府市の国衙跡。平安時代に清少納言が幼少を過ごした千年前の都の跡。
映画「マイマイ〜」は昭和30〜40年代頃を中心(時々平安時代にタイムスリップしますが)に描いたもので、今でも当時を姿を残している名所がそこかしこにあります。
左は勝間神社跡で新子と東京から転校生、貴伊子がここで悩みを相談した場所。平安時代には海岸線がせまり船着場があったとのこと。
右は佐波神社。タツヨシ、ミツル、シゲルなどの遊び友達と、この神社の階段をかけっこした場所。平安時代に周防国中の神社を一箇所に集めた神社。
そうそう、映画の紹介が遅れていました。You Tubeのプロモーションのリンクを貼らせてもらいました。
子供たちが一生懸命に楽しく夢を持って生きる様を見ているとこちら側まで勇気づけられてしまう不思議な映画です。
物質的には豊に便利となったけれど、情報が溢れ返り、希薄な人間関係の中、時間に追われながら、生きている現在、本当の幸せなのか考えさせられます。
若い主婦層でこの映画を自分の子供に見せたいと言う人が多いとも聞き、納得できる気がします。埼玉では今でも上映されているみたいですので、お近くの方は是非ご覧ください。トトロを超えるイチオシの映画です。
再び映画の舞台の話に戻ります。左の碑は国庁の碑と言って江戸時代に建てられたもので、ここに周防の国府があったと記されています。映画ではこの前でお米に圧力をかけて膨らませるポン菓子が作られたり、貴伊子が飼っていた近所のお墓が近くにつくられたりとメインの舞台の一つとなりました。
右は天神町銀座商店街です。防府の中心商店街で十字状に店舗が広がっています。今でも当時の名残を残すお店もあります。左から花田洋服店、権太鮨、中国銀行です。
結局、防府には3時間ぐらいしかいることができませんでしたので駆け足で回ったので映画の情緒を十分に思い巡らせることができなかったのが、残念。次回は2日ぐらいかけて自転車でじっくり回りたい気分です。

NO62.ジブリと鉄人28号そしてB級グルメ

  • 11.February 2010

ずいぶんと久々のコラムです。何かにつけ、忙しく、ツーリングや旅もままならない日々が続いておりましたが、ようやくお正月以降、2回に渡り神戸を訪ねることができました。ご存知ジブリ作品の代表格となりのトトロなど、多くのアニメーションの背景を書かれた男鹿和雄さんの展覧会を兵庫県立美術館で開催されていました。
大入り満員で道に迷ったこともあり、やや到着が遅れたため、入場は40分ほど並びました。アニメで見た懐かしい風景であると同時に月並みな言葉ですが、もはや芸術作品の領域です。
目を凝らして見るても本当にディティールまで細かく書かれていて写実絵画のようです。
しかし、時期を経ると少しずつ画風が変化しているのがわかります。男鹿さんは自分の半生の間に西洋絵画の歩んだ新古典主義、写実主義、その後の印象派までを一気に駆け抜けたようにすごいスピードで進化されていると思います。
年始にテレビで見た宮崎監督の対談の中、ジブリ作品を作る際には必ず、スタッフ全員でロケに行くとの話がありましたが、そのロケで五感を使って感じたそのものが絵に凝縮されていて、単にリアルだけでない空気感すら感じられるものでした。建物は安藤忠雄氏設計によるものです。
神戸の長田地区は震災で壊滅的な被害を受けたところですが、その復興を後押し、商店街活性化のため鉄人28号の像が市民の寄付などによって作られました。
総額1億3500万円で体重50t。身長15.6mの実物大というのもすごいですが、このポーズで支えなしで立っています。カッコよすぎ!!天に向かってこぶしを上げるも勇ましく迫力ある姿は、きっと神戸の新しい名所になること間違いなし。
多くの老若男女が写真を取り捲りでした。特に大きな像の好きな方は実物必見です!もちろん、大震災の教訓をもとに耐震設計がなされています。(笑)鉄人28号の像のある若松公園から阪神高速を渡って歩いて5分。B級グルメマニア垂涎の店がお好み焼きの青森。
雑誌に紹介されてからご覧のように行列ができてしまってます。店に入ると超満員。奥の待合みたいなスペースで椅子も座るところがなく立っていたら常連さんらしい方が横に座らせてくださいました。
早速、お目当てのそば飯を注文。そば飯と言うのはご飯に細かく切った焼そばを混ぜて炒めたすごくシンプルなもの。熱い鉄板の上に盛られたそば飯にソースをかけて食べます。
チャーハンというよりソース飯。パラパラとご飯とそばが香ばしく炒められ、安くておいしい地元の味懐かしいと言うB級グルメの王道を行くような味です。ハウハウ言いながら鉄板の上でコテで食べるのもたまりません。
一緒に座らせてもらった常連のKさんのお陰で色々と長田のお話や後ほど、青森のオススメメニュー(特製すじを使ったお好み焼やお客さんの名前を冠した「新ちゃん焼」など)教えていただきました。旅先でのこうした人々とのふれあいは何物にも代えがたいものです。Kさん本当にありがとうございました
最後は近くにある天然温泉あぐろの湯でフィニッシュ。やはり冬のバイクのあとの温泉はたまりませんわ〜!

NO61.夏の旅

  • 26.July 2009

夏休みはいかがお過ごしでしょうか?
夏がくれば思い出す遥かな尾瀬、遠い空。かなり、古い歌です。今年の夏は尾瀬に行ってきました。
せっかくの関東地方。尾瀬に行く前にトトロファンとしては、一昨年の淵の森に続き、モデルとなった狭山丘陵に寄ることにしました。トトロの森を守るべく、既にナショナルトラスト運動が進んでいて既に9号地まで財団による土地の取得が進んでいます。トトロの森はまとまったところにあるわけではなく、狭山丘陵のあちこちに点在してます。全ての土地を取得するには莫大な費用がかかるのと、開発を抑制するのには、点在して土地を押さえるのでも十分ということらしいです。
それにしてもトトロの森はわかりにくいです。ネットで取得した地図や、「いきものふれあい里センター」でもらった地図もアバウトでなかなかわかりくにいです。今回は山登りがあり体力の温存を図るのと、天気があまり良くなさそうだったので軟弱にも新幹線&レンタカーにし、ナビつきの車でしたが、駐車場がなかったり、細い道でなかなか目的地にたどりつけませんでした。結局3時間かかって1号地(上の看板)を見つけただけとなりました。近くには稲荷神社があり、トトロの森よろしく狐の像が鎮座しています。トトロの森って結構期待していったんですが、よくある雑木林といえばそうかも。。これで、トトロの作品を浮かぶとは宮崎監督はすごい。
さて、お待ちかねの尾瀬ですが、予想していたより、かなり広いです。今回は大清水の登山口から尾瀬沼+αまでの往復でしたが、28もの山小屋があり、ここを転々と尾瀬を廻ることができます。
こんなにたくさんの山小屋があるとはガイドブックを買うまでしりませんでした。先にユ−スホステルを押さえてしまったのですが、山小屋に泊まったらもう少しゆっくりと堪能できたのに。尾瀬には大きく福島県側からと群馬県側から入る2つルートのがあります。
さらにそれぞれ、2〜3の登山口があります。夏のシーズン中は鳩待峠や沼山峠へのマイカー規制が行われています。
一方マイカー規制のない登山口は尾瀬までの歩く距離が長いものの、結局こちらを選ぶことににしました。大清水登山口から2時間たらず(地図上では尾瀬沼まで2時間15分、実歩1時間45分く)でついに尾瀬沼に到着です。
ニッコーキスゲのベストシーズンで木道の回り一面が黄色い花で埋め尽くされています。遠くには大江山や檜高山が…。正にこの世の楽園のような風景です。ネイチャーシンセサイザーで有名なIZANAGIの音楽を聞きながら散策すると本当に来てよかった思います。そう、このページで聞こえ音楽です。日頃の喧騒が嘘のような世界です。
途中何度か、見る見るうちに雲行きが怪しくなり、天候が急変。どじゃぶりの雨が。
山ではよくあることですが、天気が急に変ることがあるので要注意。当たり前のことですが、晴れていても雨具は必携です。
尾瀬を後にし帰りに秩父に立ち寄りました。秩父と言えば、12月の秩父夜祭が有名ですが、7月20日はちょうど秩父川瀬祭。夜祭りが大人の祭とすれば川瀬祭は子どもの祭。
山車に乗った子どもたちが扇子を下から上にゆっくりと持ち上げるとそれに併せ、山車が動き出します。
ひと時の夢を見せてもらったような気分でした。これで、今年の夏休みも終わってしまいました。


バナースペース

concept


旅先での色々な出会いや体験を大切にし、楽しく、明るく、有意義な旅を続けていきたいと考えています。