私の知るところによると、クロウミガメを「日本近海で見られるウミガメ」の仲間に入れなかった理由として、担当の研究員は「亜種だから」と言っているようです。しかし、この研究員に専門性はなく「亜種だから入れなかった」というのは、クロウミガメを独立種として認めない立場にある某専門家の意見を盲目的に採用したからに他なりません。この意見はミトコンドリアDNAによる解析結果を適用したもので、同所的に生息するアオウミガメとは明瞭に異なる形態を持つクロウミガメの場合、ミトコンドリアDNAではなく、核DNAで見直す必要があると考えられています。
クロウミガメは、主に太平洋の東側(北中米の西海岸)に生息するウミガメですが、1990年代頃から日本各地で見つかっていて、太平洋を広く回遊していることが分かっています。クロウミガメは、以前はアオウミガメの亜種とされていて、Wikipediaでも亜種になっています。しかし、日本爬虫両棲類学会は、2022年11月6日版の「日本産爬虫両生類標準和名リスト」で、クロウミガメを独立種にしています。また、新日本両生爬虫類図鑑(日本爬虫両棲類学会編: 2021年9月発行)には、以下のような記述があります。
「Chelonia agassiziiはBocourtによって、太平洋グアテマラ沖の標本を用いて1868年に記載され、C. mydasの異名とされていた。最近、形態学的にその独自性が示されたが、DNAによる研究はそれを支持していないことから(Dutton et al., 1996)、この海域で比較的新しい時代になって独自に形態の分化が進んだものと考えられる。亜種C. mydas agassiziiとされることも少なくないが、アオウミガメと同所的に生息するにもかかわらず、独自の形態を有することから(Okamoto & Kamezaki, 2014)、ここでは種とみなしておく」
私たち爬虫両生類学者が重要と考えるのは「クロウミガメは、アオウミガメと同所的に生息するにもかかわらず、独自の形態を有する」という点です。つまり、アオウミガメとクロウミガメは「単に形態的に区別が付く」というだけでなく「同じ場所に生息するのに、まったく形態が異なる」という特徴を持っていて、これはクロウミガメを独立種とする決定的な証拠とされています(いわゆる、同所的種分化の概念)。他にも、クロウミガメの特徴的な行動として「マングローブ林に集まって集団で交尾する」という生殖的隔離が知られています(いわゆる、交配前隔離機構の概念)。これは他の種との子孫が出来ないことを意味しますので、クロウミガメは完全な独立種と断言できます。アオウミガメとクロウミガメの遺伝的距離が近いことは謎ですが、遺伝的距離が近いとする論文に不備がある可能性も考えられます(ミトコンドリアDNAによる解析だけで、核DNAによる解析をしていない)。また、たとえクロウミガメがアオウミガメの亜種であったとしても、クロウミガメには「日本産のウミガメ」として既に和名が与えられているわけですから「日本近海で見られるウミガメ」の仲間に加えても、何の問題もないでしょう。
爬虫両生類学者としての私の見解だけでは心許ない方々のために、日本爬虫両棲類学会で爬虫類の系統分類学に精通している朋友(某専門家より、はるかに専門性の高い研究者)から、クロウミガメの分類学的地位に関する最新の情報をいただきましたので、以下に提供することにします。
「クロウミガメのことですが、大変難しい問題です。確かに従来の生物学的種概念を適用し、同所的に生息しているにもかかわらず生殖的に隔離していることのみをもって別種とするのであれば、クロウミガメはアオウミガメから独立した別種ということになります。Okamoto and Kamezakiや新日本両生爬虫類図鑑は、この基準を重視しています。ただ、単系統分類が急速に定着してきている現状では、ことは単純ではなく、クロウミガメを独立種とした場合に残りのアオウミガメが擬系統群になることに抵抗感を持つ研究者も少なくありません。こうしたグループは、現在決して少数派ではなく、彼らはクロウミガメの亜種としての地位さえ認めない見解も出しています。この問題はDNAの中立部位を解析することにより従来とは比較にならないほどに詳細で確度の高い系統樹が描かれ、それを基盤に様々な生物学的形質における進化史が語られるようになった1980年代後半より、顕著に議論されるようになりました。擬系統群を認めた分類体系内では、形質の進化履歴が厳密に議論できないからです。ただ様々なレベルでの多様性の把握や、特にその保護を図る立場からは、このことを理由に特徴ある系統ユニット(クロウミガメなど)の存在が軽視されるのは、無論、好ましいことではありません。それで、こうした形態的・系統発生的に独立性が高く、色々な特徴から近縁の他種より識別され得る存在に対して、従来のリンネ体系の種分類ではなく「進化的重要単位(Evolutionarily Significant Unit)』に認定することで、問題解決を図るアイディアも世界的にかなり定着して来ています。形態的、生殖的に独立性の高いことが分かっているクロウミガメの存在を完全に無視するのは、日本近海のウミガメ類における多様性の過小評価につながるわけですから、博物館としての啓蒙・普及活動の視点から好ましくないのは確かです」
シロマダラは、巷では幻のヘビとか言われて持てはやされているようですが、決して幻のヘビではありません。夜行性で、体が小さく(体長40cmくらい)目立たないため、幻のヘビと言われて来ましたが、昨年4月〜9月の報告では、たった半年で東北から九州まで30件以上の目撃情報が寄せられています。シロマダラが生息する都府県によっては「準絶滅危惧(NT): Near Threatened」に指定しているレッドリストもあるようですが、このカテゴリーを絶滅危惧種と勘違いし「捕まえたり、飼育したりすることが禁止されている」と間違って認識している方が少なからず存在するようです(準絶滅危惧のカテゴリーに指定されているシロマダラは、捕獲が可能です。飼育も可能です)。
また「展示室の光で資料の色が抜ける」と言っている方がいるようですが、これは古文書や着物などの人文系資料の話で、自然系資料では考えなくても良いことです。液浸標本の色が多少なりとも抜けているのは、光のせいではありません。固定液のホルマリンや、保存液のエタノールのせいです。液浸標本をかんかん照りの屋外に晒せば多少は色落ちがあるのかもしれませんが、私は、展示室の光量で色が抜けるという話は聞いたことがありません。
パネルの説明文では「幻のヘビと言われているが、実は、そうではない」ということを強調したほうが良いと思います。それと、専門家でない方が間違えやすいのが、体の大きさに関する記述です。頭から尾の先端までを「体長」と考える方が少なくないようですが、私たち爬虫両生類学者にとって、体長に尾が含まれないことは常識です(体長=頭胴長で、頭から尾の先端までは「全長」と言います)。食性も特殊で、自分より小さな爬虫類(トカゲ、カナヘビ、ヤモリ、等々のトカゲの仲間)を主食にしています。この、他の爬虫類とは異なる特殊な食性も前面に押し出す必要があり、シロマダラの主食であるトカゲの仲間が様々な昆虫類を餌として捕食していることを考慮すれば、シロマダラが生息する場所は、昆虫相が豊富な素晴らしい環境であることが言えると思います。
サンショウウオ成体の環境利用の研究ということは、彼らの陸域生態を調査するということですね。目の付けどころが立派だと思います。と言いますのも、これまでの研究の十中八九が、成体の繁殖期の水域生態や幼生の生活史に限定したものであるからです。一年の大部分を占める陸域生態の調査なしでは、サンショウウオ類を含む両生類の保全・保護は出来ないというのが、欧米の研究者の間では、ここ数年の共通認識となっています。ただ、サンショウウオの陸域生態調査が、サンショウウオ科の進化系統の研究と、どう結び付くのか分かりません。
渓流などの水域で繁殖した成体は、上陸後、遠くに移動・分散します。夜行性なので発見することは難しいと思いますが、日中は、小動物が掘った地下穴や、朽ち木、枯れ葉、コケ、石、等々のカバーの下に隠れていますので、慣れた人であれば見つけることは可能です。幼生の研究は卒論としては無難な研究テーマだと思いますが、ハコネサンショウウオとヒダサンショウウオでは、幼生の生息場所そのものが違うはずです。同一水系での棲み分けが見られるのかどうか、或いは同所的に生息するのか、そういった基本的なデータをまずは把握する必要がありますね。また、ハコネサンショウウオの場合、越冬幼生の年齢の問題(1齢、2齢、3齢)も考慮する必要があるのかもしれません。
今後の研究に関しては、◯◯さんご自身が何をやりたいのか、目指すべき研究の方向性をどう考えているのか、ということに尽きると思います。日本語の教科書としては「これからの両棲類学」が一般的ですが、この本は編者の好みで著者の人選がおこなわれたため、かなり片寄った内容になっています。これから研究者としての自立を目指すのであれば、学術論文を英語で書くのは必須事項です。英語の論文や学術書を読む癖をつけたほうが良いと思いますが、そのために◯◯さんが読むべき論文は沢山あり過ぎて、これといったものを挙げることは出来ません。とりあえず今回は、両生類と爬虫類の「共同繁殖(communal breeding/egg-laying/oviposition): 同じ場所に集まって繁殖する習性」に関する最新の総説が出ましたので(Doody et al., 2009)、そのPDFファイルをお送りします。ちなみに、日本に生息する両生類の共同繁殖に関しては私自身が情報を提供しており、謝辞に名前が入っています。
学術書としては、以下の教科書を読んでおくことをお勧めします。
(補足): 諸般の事情で更新が遅れたが、これは2009年10月10日付の回答である。
・Doody, J. S., S. Freedberg, and J. S. Keogh. 2009. Communal egg-laying in reptiles and amphibians: evolutionary patterns and hypotheses. Quarterly Review of Biology 84(3): 229-252.
・Pough, F. H., R. M. Andrews, J. E. Cadle, M. L. Crump, A. H. Savitzky, and K. D. Wells. 2001. Herpetology, second edition. Prentice-Hall, Upper Saddle River, New Jersey, USA.
◯◯への投稿原稿をお送りいただき、有り難うございました。送っていただいて言うのもなんですが、この原稿に対して私が何をすれば良いのか分かりません。投稿前でしたら、色々と内容の不備な箇所を指摘するなどして、原稿の改善に貢献することも出来ます。また、投稿原稿が受理された後に送っていただけるのであれば、論文が印刷公表される前に一足早く、その内容に触れることも出来ます。しかし、あくまで原稿は原稿です。受理されるとは限りません。私の考えでは、投稿原稿を批判的に読んで直してもらうことを相手に期待するのでなければ、その相手に送るべきではないと思いますし、私は絶対に送りません。ちなみに、ざっと原稿に目を通してみたところ、一読しただけなのに、直したい箇所が余りにも多く、もう今から査読結果を心配しています。もし何事もなく投稿原稿が受理されるようであれば、その雑誌のレベルを疑うことになりそうです。
(補足): 諸般の事情で更新が遅れたが、これは2009年10月1日付の回答である。
An English name of the reagent "H3[P(W12O40)].30H2O" is "phosphowolframic acid." As an alternative of this reagent, you can use "phosphomolybdic acid."
昨年いただいたメールの相談内容では、どこの大学かは不明でしたが、大学名を私に教えるということは、よっぽどの覚悟があるように見受けられます(問題の教員が誰なのか、簡単に特定できます)。ただ、◯◯さんのメールで、ひとつ疑問に思う点があります。先のメールでは「そろそろ自分の所属する研究室を考えねばならぬ時期」という文面が見られました。私は、このことを「現在、◯◯さんは大学の3年生で、来年度から所属する研究室(卒論指導の教員)に対するアドバイスを求めている」と解釈しました。◯◯大学のシステムは分かりませんが、3年生の時点で既に研究室に所属しているのでしょうか?
教員の学生・大学院生への「アカデミックハラスメント(アカハラ)」に対しては、現在、ほとんどの大学が相談窓口を設けているはずです。それにもかかわらず「大学機関には相談できない状況」にまで追い込まれているのだとすれば、被害にあっている学生数名で、その教員の「乱暴な言葉や学生に対する侮辱に値する言葉」をボイスレコーダーなどで秘密裏に記録し、証拠を充分に揃えた上で、大学側に改善を要求するしか方法はないのではないでしょうか?
どこの大学にも、そういった教員は存在するものですから、たったひとりの教員の横暴で「後輩達に進学を勧められなくなる」というのも変な話ですね。「他の教員の方々が素晴らしい」のであれば、それだけで、勧めるには充分な価値があるのではないでしょうか?
以上、極めて一般的なアドバイスでしかありませんが、お役に立てれば嬉しいです。
(追記): その後、◯◯さんからは「私の所属する学科では、3年から仮所属があるため、2年生のうちから研究室訪問に行くなどして、自分の希望をある程度決めておく必要があります。昨年いただいたアドバイスのお陰もあり、私は希望通りの教員のところに仮所属させていただけることになりました」という、嬉しいメールをいただいた。
この質問に答えるのは、辛いものがありますね(私が辛いのではなく、相手が辛いという意味です)。ご質問にあるHasumi(1994)で、臼田(1993)を引用しなかった一番の理由は、下記の通り、論文が雑誌に掲載されるまでのタイムラグによるものです。また、Hasumi(1994)は卵嚢の「争奪競争(scramble competition)」がテーマの論文ですので、その中で「助産に相当する行動」の記述はありますが「助産(midwifing: Nussbaum, 1985)」という用語そのものは使用しておりません。
Hasumi(2001)では「midwifing duration」を秒単位で記録しましたが、そのとき臼田(1993)を引用しなかった一番の理由は、この論文の助産行動の定義付けに問題があったからです。たとえ引用していたとしても「定義付けがおかしいので、比較の対象にならない」といった否定的な引用にしかならなかったでしょう。「そういった引用は、なるべく避けたほうが良い」というのが、ここ最近の私の考えです。また「midwifing (Nussbaum, 1985)」という用語が既に確立しているのに、臼田(1993)が「male midwife behavior」という用語を独自に創ってしまったことも、引用しなかった理由のひとつです。
それに、論文のプライオリティーを主張すると、また別の問題が発生します。臼田(1993)の研究がおこなわれたのは、1992年です。これに対し、Hasumi(1994)の研究がおこなわれたのは、1991年です(その年の10月に岡山大学で開催された日本動物学会第62回大会で口頭発表し、その講演要旨もあります)。従って「私の研究結果を知った上で、臼田(1993)の研究計画が立案された」と考えるのが自然でしょう。
このような論文のプライオリティーが問題になるとき、考慮しなければならないのは、論文が雑誌に掲載されるまでのタイムラグの問題です。臼田(1993)は、Hasumi(1994)より先に掲載されていますが、それは幾ら「査読付き」とは言っても、審査基準の甘い日本語の雑誌だからです。欧米で発行する爬虫両生類学の国際専門誌は、投稿してから論文原稿がアクセプトされるまで一年以上かかるのが普通です。後から似たような研究をおこなって、先に日本語で論文を書き、それに論文のプライオリティーを主張されるのであれば、英語の論文を普通に書いている日本の研究者は立つ瀬がないでしょう。
アクセプトの日付けに関しては、学会の裏事情が、また複雑に絡み合って来ます。臼田(1993)には「1993年11月8日受理」とあり、雑誌の発行はその年の12月です。これに対し、Hasumi(1994)には「Accepted: 30 January 1994」とあり、雑誌の発行はその年の6月です。実は、Hasumi(1994)の最終稿はアクセプトの日付けより半年も前に(1993年7月)、担当のアソシエイトエディターから新しいエディターに推薦状と一緒に送られていたのです。が、そのエディターの「アクセプトの日付けから雑誌の発行までの期間が長いと、雑誌への投稿者数が減る」という編集方針で「アクセプトの日付け調整をおこなった」という事実があります。
このような事情を知っても、◯◯さんは「プライオリティー云々」と言い続けるのでしょうか?
・臼田弘. 1993. クロサンショウウオの繁殖行動、特に雄の助産行動について. 爬虫両棲類学雑誌 15(2): 64-70.
・Nussbaum, R. A. 1985. The evolution of parental care in salamanders. Miscellaneous Publications of the Museum of Zoology, University of Michigan 169: 1-50.
学生が自分の所属する研究室を決めるとき、教員との関係は重要です。「最重要課題」と言っても、過言ではないでしょう。場合によっては、その教員が、学生の一生を左右することにもなりかねないからです。
現在、大学ではセクハラやパワハラ等の、いわゆる「アカハラ(アカデミックハラスメント)」に対して、場合によっては「解雇」や「懲戒免職」という厳然たる処分が下されるケースが多くなっています。◯◯さんが「就きたい」と考えている教員が、どういった理由で半年間もの停職処分を受けたのか、私には分かりません。でも、そういった処分を受けるからには「それ相応の何かをした」ということになります。
まず、◯◯さんが元々やりたい分野というのは、その評判のよくない教員に就くことでしか出来ないことなのか、よく考えてみて下さい。同じ分野の教員がいる他大学、または研究機関の大学院に進学することで可能な研究であるのならば、現在は(卒論は?)、その「同じ◯◯生物学を専門とする教員」に就いて「研究の基礎を学ぶ」のが、賢い選択だと私は思います。(戻る)
研究は、まず研究者自身が楽しんでやらなければ意味がありません(これに対し「(研究を)楽しんでやるのは、アマチュアですよ」というのが、私の指導教官だった教授の口癖でした)。例えば、夜行性のサンショウウオのデータを採るために生活が昼夜逆転しても、まだ雪の残る早春の繁殖期に外の寒さで手がかじかんで野帳に記入できなくなっても、それらを辛いと感じるようでは、研究なんて出来っこありません。苦労を楽しむことです。そうやって得られたデータが、これまでにない面白いものでしたら、それまでの苦労なんて吹っ飛んでしまいます。この感動が欲しくて、研究者は研究を続けるのかもしれません。
生物学者の多くは両生類を研究の「材料」としていますが、私は両生類を研究の「対象」としています。それは、幾ら両生類が生物の共通原理を解明するのに優れた研究材料であっても、両生類を研究対象に、その生活史を調べなければ、両生類のことは分からないからです。
こう、はっきりと口に出して言えるようになったのは、最近のことです。以前は、両生類を研究対象とすることに対して「そんなのは研究じゃない」という声が周りに多く、無理解に随分と苦しめられました。現在でも状況が改善されたとは思いませんが、私自身の心の持ち様が変わりました。「別に両生類を研究対象にしたって、いいじゃないか」と......。
ひとりの研究者が一生のうちにやれることなんて、たかが知れていますから「この分野だったら、誰にも負けない。俺がやらなきゃ誰がやる」と言えるだけのものを確立する必要があります(これは「使命感」と言っても、いいかもしれません)。それが、私にとっての「サンショウウオ科の研究」ということになります。サンショウウオ科の種の半数が日本固有種ということもあり、この科で日本の研究者が解明しなければならないことは数多くあります。将来的には、そういった研究のメッカになるような研究室を維持し、教え子を育てたいと考えています。
生物学系の研究者を志す高校生が現在やるべきことは、研究をおこなうために必要な基礎体力と基礎学力の修得だと思います。私は、どちらかというと受験予備校化している高校(山形県立山形東高等学校)にいましたから、体力を付けるために部活動(バレーボール)をやりながら、毎日の授業についていくのが大変でした。山形東高は「文武両道」という理念を掲げていますが、達成できている人は、ほんの一握りに過ぎません。中学時代に一番だった成績は、みるみる下降し、にっちもさっちも行かなくなりました(中学時代は、中間テストや期末テストで何度か一番を取ったことはありますが、その学年の首席だとは、考えてもみませんでした。中学校の卒業式前に、クラスの担任から「おめでとう。羽角は首席で卒業だ」と言われ、自分でも驚いたくらいですから......)。
特に、数学が出来ませんでした。数学は一度つまずくと、取り返しがつかなくなります。研究者になるために、どうしても大学の生物学科で学びたかった私は、二次試験の受験科目に数学のない大学を選ぶしかありませんでした。私の経験から言うと、研究者になりたければ、受験勉強をしっかりして旧帝大系の大学に進学するのが、一番の近道です(急がば回れということです)。その意味では、高校の先生方がおっしゃることは正解だと思います。
高校数学は出来ませんでしたが、大学に入ってから統計学の必要性に目覚め、なんとか数式を理解しようと努めました。その甲斐あって、現在では研究に必要な生物統計学を使いこなせるようになりました。また、専門分野を繁殖生態学・行動生態学に変更したこともあって、その関連の個体群生態学をやる羽目になり、現在は難しい数式と格闘しています。このように、高校時代の勉強が人生のどこで関係してくるか分かりません。その時々で、ベストを尽くすことが肝要かと思います。
高校の勉強以外には、考える力(思考能力)の基本を養うことも必要でしょう。私が「よくある質問(FAQ)」のコーナーにアップしている回答の幾つかは、まだ答えが見つかっていないもの、或いは答えがあるのかもしれないけれど、その質問に答えるだけの知識を私が持ち合わせていないものです。それでも私が回答できるのは、正解かどうかは別にして、答え難い質問事項に対しても「考える方法」を知っているからです。そのための能力を養う訓練が大切で、これは受験勉強のように、ただ暗記することからは生まれません。分からないことは、まず自分の頭で、徹底的に考え抜くことです。質問は、それからです。
私は角膜の染色に関しては不案内ですが、分かる範囲でお答えします。「骨組織(bone tissue)」の場合、アリザリンレッド染色の前提条件となるのは「骨化(ossification)」または「石灰化(calcification)」です。つまり、カルシウム沈着のない「軟骨組織(cartilage tissue)」では、アリザリンレッドには染まりません。角膜内皮細胞(または細胞外マトリックス?)は、カルシウムの含有量が多いので、アリザリンレッドに染まるのだと思います。従って、その培養細胞でも「細胞が分化すると染まる」という性質のものではなく、細胞質の基質そのものにカルシウムが沈着する必要があるのではないでしょうか?
随分と難しい質問をしますね。「カンファで突っ込まれた」というからには、専門の眼科学の研究者によるものですよね。それを私のような門外漢に質問するのも、どうかと思いますが......。
(追記): その後「先生がおっしゃってる通り、基質に沈着したカルシウムを染めているようです」とのメールがあった。また、ここで彼が言う「基質」とは「コラーゲンゲル」を指すようである。
(1) 角膜内皮細胞の培養細胞そのものに、カルシウムが充分に取り込まれていないからではないでしょうか?質問では「やはり基質ができていないためですか?」と書かれていますが、◯◯さんが想定する「基質」とは、何を指すのでしょうか?また、これとの関連で、(2)では「細胞外基質が産生された後にも染まらない」とあります。質問事項が、(1)と(2)では矛盾していませんか?
(2) 私は、アリザリンレッドはカルシウムを染めているものだと考えており、そのような回答をしたつもりでした。逆に、お尋ねしたいのですが「アリザリンが細胞外基質を染めている」という事実があるのでしょうか?もしあるのでしたら、(3)の質問との整合性が怪しくなります。
(3) そのカンファで突っ込んだ人たちは、私と同じように考えているのだと思います。もし角膜内皮細胞が分化すると染まるのであれば、分化した細胞は全てアリザリンレッドに染まるはずです。「骨では、骨化するとアリザリンレッドに染まる」という事実を考えてみて下さい。骨化とは、軟骨細胞が骨細胞に置換され、カルシウムが沈着する現象です。軟骨細胞自体は既に分化した細胞ですから、これが「なぜ染まらないか」を考えれば、おのずと答えは見つかるのではないでしょうか?