五銖銭(4、混乱期の終焉)


   「西晋」滅亡した後、北朝と南朝に分かれてお互いに継続していきます。

   南朝は、「東晋」、「宋(劉宋)」、「南斉」、「梁」、「陳」と移り変わります。
   一方北朝は「北魏」の後、「東魏」から「北斉」、「西魏」から「北周」、「隋」と移り変わります。
   お互いに興亡を繰り返しながら、激しく対立していきます。この頃は、経済発展によりほとんどの国で
  新たな貨幣が作られる様になります。

   「隋」は北朝の「北周」を滅ぼして成立した西暦581年に五銖銭を作り、貨幣の統一に着手します。
   当時「北周」やそれ以前の貨幣、私鋳銭、南朝銭等が混在して流通していましたが、「隋」五銖と同等
  の貨幣以外は全て没収し、五銖銭の銅原料とされた事もあり、徐々に統一されていきます。
   西暦589年、北朝の「隋」は、南朝の「陳」を滅ぼし、およそ250年続いた南北分裂抗争に終止符
  を打って全国を統一します。

   全国を統一した「隋」は、豊富な産銅地を獲得した事もあり本格的な鋳造を始めます。その一方では、
  私鋳銭等の悪銭の取締りを強化した為、より一層貨幣の統一が実現します。



隋五銖(面)

隋五銖(背)

白銭五銖(面

白銭五銖(背)

隋五銖(隋)

白銭五銖(隋)

   「隋」はその後、周辺の異民族や周辺国を屈服させ、勢力範囲を拡大していきます。しかし、国内の
  大規模な土木工事(運河の建設)や計三度に渡る高句麗遠征の失敗により、国内では不満が増大して
  いきます。それと同時に、再び私鋳銭等の悪銭が流通する様になります。

   ついに黄河の氾濫をきっかけに全土で反乱が起き、西暦618年「隋」は滅び、「唐」が成立します。

   「唐」は、面文に秤量を表さない貨幣、「開元通寶」銭を発行し、西漢時代からの基準通貨であった
  五銖銭を廃止します。
   開元通寶銭の登場により、「西漢」時代よりの五銖銭貨幣は幕を閉じ、同じく、秤量を記した面文の
  貨幣の終焉となります。

   開元通寶銭は、「唐」以後の中国貨幣の原型になっただけでなく、周辺の国々に影響を与える貨幣と
  なります。
   わが国、日本においても、遣唐使によってもたらされた開元通寶を元に貨幣を作る様になります。
  (和銅開珍銭等)

開元通寶(面)

開元通寶(背)

開元通寶(唐)

1.「漢」時代 2.「三国」時代 3.混乱期

貝貨 秤量貨幣 銅貝 原始布、空首布 平首布 刀幣

圜銭、古圓法 半両銭