五銖銭(3、混乱期)


   「西晋」はようやく全土を統一しましたが、相変わらず経済は混乱していました。戦乱や天災、北方
  民族の侵略により土地を追われた農民を取り込んだ地方の領主は、以前よりも強大な力を持つ様になり、
  権力を争うようになります。
   西暦312年、「西晋」は北方民族の支援を受けようとしますが、逆に都を侵略され、西暦316年
  「西晋」は滅ぼされます。かろうじて難を逃れた一部の皇族は南部へ逃れ、建康(今の南京)で「東晋」
  を開きます。

   こうして中国は、北朝(北部を北方民族が支配)と南朝(東晋)とに分裂した時代になります。
  北朝は、遊牧民族の「匈奴」、「羯」、「鮮卑」、「氏」、「羌」という五つの民族(五胡)と漢民族の
  総計十六カ国の国が興亡を繰り返します。(五胡十六国と呼ばれています。)

   五胡十六国の混乱期には、従来の貨幣経済は成り立たなくなっていた事や、貨幣を発行する余裕も無く
  仮に貨幣を発行しても効果が無かった事などもあり、ほとんどの国で独自の貨幣は作られませんでした。

涼造新泉(面)

涼造新泉(背)

涼造新泉(前涼)

漢興(縦書、面)

漢興(縦書、背)

漢興(横書、面)

漢興(横書、背)

漢興(縦書)

漢興(横書)

漢興(成)

豊貨(面) 豊貨(背)

豊貨(後趙)

   五胡十六国の中で、貨幣を発行したのは「前涼」(涼造新泉、等)、「成」(漢興)、「後趙」
  (豊貨)だけの様です。
   「成」の漢興銭は西暦338年に作られます。この銭名の「漢興」は「成」の年号であり、中国で
  初めて年号を入れた貨幣となります。

   北朝は、各国の興亡を経て、西暦439年、「北魏」により統一されます。一方、南朝の「東晋」は
  西暦420年、「宋(後の大帝国となった宋と区別する為に劉宋と呼ばれる)」に滅ぼされ、南朝を継承
  していきます。

  南北朝の貨幣については、下記を参照下さい。青色字の部分をクリックして下さい。

南朝の貨幣

北朝の貨幣


<五銖銭関係>

1.「漢」時代 2.「三国」時代 4.混乱期の終焉

貝貨 秤量貨幣 銅貝 原始布、空首布 平首布 刀幣

圜銭、古圓法 半両銭