「西晋」はようやく全土を統一しましたが、相変わらず経済は混乱していました。戦乱や天災、北方
民族の侵略により土地を追われた農民を取り込んだ地方の領主は、以前よりも強大な力を持つ様になり、
権力を争うようになります。
西暦312年、「西晋」は北方民族の支援を受けようとしますが、逆に都を侵略され、西暦316年
「西晋」は滅ぼされます。かろうじて難を逃れた一部の皇族は南部へ逃れ、建康(今の南京)で「東晋」
を開きます。
こうして中国は、北朝(北部を北方民族が支配)と南朝(東晋)とに分裂した時代になります。
北朝は、遊牧民族の「匈奴」、「羯」、「鮮卑」、「氏」、「羌」という五つの民族(五胡)と漢民族の
総計十六カ国の国が興亡を繰り返します。(五胡十六国と呼ばれています。)
五胡十六国の混乱期には、従来の貨幣経済は成り立たなくなっていた事や、貨幣を発行する余裕も無く
仮に貨幣を発行しても効果が無かった事などもあり、ほとんどの国で独自の貨幣は作られませんでした。
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面
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涼造新泉(前涼)
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面
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漢興(縦書)
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漢興(横書)
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漢興(成)
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豊貨(後趙)
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五胡十六国の中で、貨幣を発行したのは「前涼」(涼造新泉、等)、「成」(漢興)、「後趙」
(豊貨)だけの様です。
「成」の漢興銭は西暦338年に作られます。この銭名の「漢興」は「成」の年号であり、中国で
初めて年号を入れた貨幣となります。
北朝は、各国の興亡を経て、西暦439年、「北魏」により統一されます。一方、南朝の「東晋」は
西暦420年、「宋(後の大帝国となった宋と区別する為に劉宋と呼ばれる)」に滅ぼされ、南朝を継承
していきます。
南北朝の貨幣については、下記を参照下さい。青色字の部分をクリックして下さい。
南朝の貨幣
北朝の貨幣
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