![]() 令和7(2025)年5月31日(土) ザ・シンフォニーホール |
ウィーン少年合唱団は、昭和30(1955)年に初来日して以来、70年にわたって定期的に来日し、日本全国で演奏してきました。これによって、数世代にわたる音楽ファンを育て、将来的な音楽家、教育者、合唱指導者などの育成に貢献し、地方都市を含む全国規模でのクラシック普及の一翼を担ったという歴史的・構造的な功績があります。このように、ウィーン少年合唱団は、日本の青少年にとってクラシック音楽への「やさしく美しい入り口」であり、未来の音楽家や音楽愛好家を育てる重要な土壌を耕してきた存在と言えます。
さて、今年のプログラムA「ぼくたちの地球 そして未来へ」は、前半が世界各国の子どもの歌を中心にし、後半が動物をテーマにした音楽を採り上げるという構成で、クラシックのコンサートというよりは、少年合唱によるエンターテインメント作品を鑑賞していたという想いが残りました。事実、このプログラムでは、自然や未来への希望をテーマに、多彩な楽曲が演奏されました。その中には、どちらかというと鳴き声による描写音楽のような作品や小道具に目が向きがちな作品もありました。その中では、とりわけ中山晋平の「ゴンドラの唄」が印象に残ります。これは、これまでの来日で採り上げられたことのない日本歌曲ではないでしょうか。しかもそれが、2人、3人、4人と人数が増えて、斉唱でもハミングの合唱が入り、深められていくところに、面白さを感じました。このように、今回のプログラムAは、クラシックから日本の名曲、映画音楽まで幅広い選曲が特徴と言えましょう。こういう視点で観ると、最初舞台いっぱいに広がって歌ったことや、バイオリンやパーカッション等の楽器等が多用されたことが、とても小さなことのように感じられます。
カペルマイスターのマヌエル・フーバー先生は、来日にあたってかなり日本語を学んでこられたようで、そこはかとないユーモアのセンスと共に、時代の変化に対応できる音楽の在り方を示唆するこの日の挨拶は、今後のウィーン少年合唱団の方向性ともつながる話であったと思います。プログラムに記載されている「美しく青きドナウ」は、いつもなら第2部の最後に配置されるのに、この日は第1部の真ん中に配置されていたことと、アンコールで、「美しく青きドナウ」をモチーフにランツが編曲した「青きドナウのブルース」の両方を聴いたとき、このスピーチは、そういうことを示唆しているのではないかと感じました。
このような編曲が生まれた背景には、ウィーン少年合唱団のインターナショナル化が挙げられます。21世紀になって少子化や音楽教育の変化により、オーストリア国内だけで一定の水準を満たす少年を確保するのが難しくなったことや、伝統的で厳格な寄宿制度への忌避感が高まっていたことがその最大の理由です。しかし、より積極的な理由としては、音楽に対する情熱と才能を持った子どもをウィーンという一地域に限定せずに集める必要があったということも考えられます。さらには、多国籍の団員によって「グローバルで開かれた合唱団」としてのイメージを構築し、世界各地での公演・広報活動において親しみやすさを高める意図もあったことでしょう。古きよきものを守るだけでは、現代の子どもにとって魅力的な音楽になりえないという大きな課題と向き合いながら、指導陣は選曲や魅力的なステージづくりを模索していることをうかがわせました。なお、日本においては、ウィーン少年合唱団の観客の高齢化も大きな課題あり、新しいウィーン少年合唱団の魅力を伝えることで、新しいファンの獲得も求められます。
今年のメンバーは、ソプラノの中心であったサムエル君を中心に芸達者が多く、ステージの演劇性も、また特筆できます。「ハエ狩り」では、合唱よりも、ハエたたきを持ったジオ君の動きや視線に観客の神経が集中し、ミュージカル『キャッツ』より「ジェニエニドッツ~おばさん猫」の歌では、側転の演出が入り、アンコールの「猫の二重唱」では、サムエル君とアレックス君の掛け合いまでがまさに演劇的な要素の強いエンターテインメントであり、最近ではチロル民謡の時だけ数人が衣装替えしてレーダーホーゼンをはいてダンスをするというという固定的なイメージを大きく変える演出でした。
最後に、マヌエル・フーバー先生がピアノの楽譜台から持ち帰る楽譜が、紙からタブレットにデジタル化されているところを見て、時代の移り変わりを感じました。
![]() 令和7(2025)年6月1日(日) 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール |
今年のプログラムBは、「生誕200年記念 シュトラウス・フォー・エバー!」ということで、ヨハン・シュトラウス2世を中心にシュトラウス一家の音楽が、原曲に近い演奏と、ランツ編曲の曲の両方で演奏されました。
さて、映画『野ばら』(原題 Der schönste Tag meines Lebens 我が人生で一番美しい日)は、70年近く前の1957年のドイツ映画ですが、その中で、ウィーン少年合唱団員が歌劇『バスティアンとバスティエンヌ』の二重唱をジャズ風にアレンジして歌う場面が出てきます。偶然、部屋に入ってきた団長は、その軽快なリズムに乗りながらも、「しかし、古典は大事にしよう。」と叱らずにその場を収めますが、その時代、既にその団員の少年は、ジャズの魅力に気付いていることがわかります。きっとそんな少年は、卒団後はクラシックよりもジャズ志向になったのではないだろうかとも想像されます。このように、音楽は時代と共にその潮流が変容していきます。
また、今から半世紀あまり前、日本では、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセルらのオーケストラが、イージー・リスニングの代表格として人気を得ていました。そんな中に、フランク・プゥルセル(編曲)によるヨハン・シュトラウスの作品のレコードがありました。演奏は、「クラシックのライト版」「洒落たサロン音楽」として、心地よさやノスタルジーを感じさせる一方、原曲の舞踏性やウィーン的エスプリを求める聴き手には物足りなかったのではないかと思います。今回のランツ編曲によるシュトラウス一家の音楽を聴く時、編曲によって曲はどのように変わるかということを考えながら聴きました。
ヨハン・シュトラウス2世の生誕200周年ということは、その作品が初演されたのは、幕末~明治初年の頃で、日本では「鹿鳴館時代」と呼ばれる頃に盛んに演奏されたのではないでしょうか。当時の人の音楽嗜好は、洋の東西を問わず今とは違って当然です。現在、シュトラウス家の音楽は、ウィーンの文化遺産として、また、クラシック音楽入門(クラシック音楽の中の「軽音楽」)として、評価され、毎年1月1日に開催されるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニューイヤー・コンサート」では、彼の作品が定番として演奏され、全世界に放送されるなど、「音楽による平和と祝祭」の象徴とされています。文化大革命時代(1966–1976)の中国で受けたような不当な評価は、現在はなくなりました。
このコンサートは、主として前半が比較的原曲の姿を活かして、後半がランツ編曲による現代的なアレンジで、同じ曲を聴き比べるという構成になっていました。もちろん、これまでに耳慣れた方が聴きやすいのですが、「皇帝円舞曲」を編曲した「皇帝タンゴ」、「アンネン・ポルカ」を編曲した「スウィング・アンナ」、「美しく青きドナウ」を編曲した「青きドナウのブルース」などの聴き比べも楽しめました。ただ、「ウィーン情緒」という観点からすると、例えばジーツィンスキーの「ウィーンわが夢の街」を聴いたとき、以前よりはかなり速いテンポになっていることに気付きました。ワルツがポルカ化してきている・・・これが世の流れなのでしょう。
また、このプログラムでは、「上を向いて歩こう」や映画『天使にラブソングを2』の「歓喜の歌」など、ジャンルを超えた楽曲も取り入れられ、多様性に富んだ内容となっていました。このように、両プログラムとも、ウィーン少年合唱団の伝統的な美しいハーモニーと、現代的な選曲の融合が聴きどころだったように思います。この2日間の演奏を通して、ただ、ひたすら時代を追いかけ、それに飲み込まれるだけでもいけませんが、新しいものを採り入れて変容していかないと、あらゆるものは衰退するということを感じました。
その他のコンサート |
オペラ(歌劇)(『魔笛』『トゥーランドット』『ミランガ』『アマールと夜の訪問者』)
ミュージカル(『葉っぱのフレディ』『ビリー・エリオット』『オリヴァー・ツイスト』『オリバー!』)
バーンスタイン ミサ
全国少年合唱祭(大会)(「日本の少年合唱の灯を守れ!」という人々の熱い想いで約10年間行われた全国少年合唱祭(大会)の記録)
少年少女合唱団(横須賀少年少女合唱団・守口市少年少女合唱団・大垣少年少女合唱団・全日本少年少女合唱連盟○○大会)
市場誠一ピアノコンサート
秋山直輝ソロコンサート
貞松響ソロコンサート
栗原一朗ソロコンサート
小川歩夢ソロコンサート
未来和樹ライブコンサート
久保陽貴ライブコンサート
佐分利幸多ソロコンサート
童謡コンサート(まえだえいこと子供たちが歌う童謡の世界・平賀晴・平賀照 フリバLIVEコンサート)
ウィーン少年合唱団
パリ木の十字架少年合唱団
チェコ少年合唱団 ポニ・プエリ
マイキー・ロビンソン ソロコンサート
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