北極亭日乗 |
平成十七年一月 |
平成十七年一月三十日(日曜)晴 つい先日正月祝ひせしばかりなるに、一月も早終わらんとす。降れば雪掻き雪運び、夕闇迫れば銭湯へ。体温もり疲れも消へて有り難や有り難やの極楽気分、足腰の痛み消へねど和らぐは確か。有り難や有り難や、念仏の一つも唱へたき思ひにて我が家に戻り冷へ冷への麦酒ごくりと呑み干せば沁みじみ旨し。此の一日に不満無し。斯くして我が身辺に凶事無く日々坦々、今日一日息災にて生きさせ戴ひたを感謝する日々過ごし来れば、大満足のひと月にてありたり。 ☆ ☆ 降り積もる雪見るも楽し、吹雪のひゅるると吹き荒ぶ風の音聴くも楽し、雪掻くも楽し、野良どもの背撫でやるも楽し、行く当ての無き旅の事ども妻と語るも楽し、妻に従ひて行く買ひ物運搬役も楽し、馳走無きも老ひの身養ふに足る食卓囲むも楽し……。 何もかも皆楽しく在りて、巷に氾濫せる幾多の凶事も亦楽し……と迄は言はぬが、我が身辺ばかりは“楽しき事”溢れおると思ひて日々過ごし行きたし。斜に構へて生き辛きよりは、構へず在るがままに浮遊しおるがよきなり。 ☆ ☆ 本日晴れにて雪降らず、朝よりのんびり勝手気侭の一日過ごしたり。読み止しの書籍・雑誌類・古新聞をば読み、録画せし侭観おらぬビデオをば観たり。倦きて猫共相手に話す内、何時しか微睡み小一時間。目覚めれば三時回りて、妻は夕餉支度の買ひ出しに行く用意して我の起きるを待ち居たと言ひ、猫共は各自の寝床に丸くなり眠りおりたり。 穏やなる哉、佳き日なり……我が心満たさるるを感ず。後は何時もの如く銭湯、晩酌……ほろ酔ひにて日乗記しおるところなり。市井の片隅に生きる老ひの身に平々凡々たる一日賜りし事感謝、合掌。いざ、楽しき夢路へ船出せん。 |
平成十七年一月二十三日(日曜)雪後曇 雪掻きに追はれし一週間、今朝は五十センチ超す置き土産頂戴せり。札幌にては本日午前十時、積雪量百十九センチに達し、百四十二センチ記録せし二〇〇〇年以来五年ぶりに百センチ超へしとテレビニュース報じおりたり。昨日昼前雪掻くも降り続けて甲斐無ければ今朝迄積もるに任せ置ひた故、家前掻き集め見れば尋常ならざる量にて些か怯みたれど、早々に始末せねば嵩増して我が手に負へぬやふに成ると思ひて、小降り見計らひ昼前二時間午後二時間奮闘せり。御蔭様にて肉体労働後の銭湯頗る爽快、晩酌も美味しく頂きて言ふ事無し。 ☆ ☆ 年明けてより此れ迄、声荒らげし事無く、不平不満言ふ事も無く、佳き哉佳き哉有り難しと暮らし来たれば、不思議と心中迷ひ無く平穏にして、周囲の事ども皆々楽しと見ゆるなり。苦在れば楽、楽在れば苦。一点に固執せば身動き為らず、今在るが侭「苦」「楽」自在に往還するがよし。此れ妙手なり。 苦襲ひ来りても慌てず騒がず、待てば必ずや楽来ると思ひ定めて焦らず、心不自由にせず成る様に成ると歩進め行けば自ずと楽に至るものなり。此れ投げやりに生きるに非ず、万一の僥倖を頼むに非ず、「苦は楽への道、楽は苦への道。苦楽は分け難き一本道」と得心して融通無碍に生きる事なり。 |
平成十七年一月十六日(日曜)曇 此の一週間も大過なく日を送りたり。有り難き事なり。感謝、感謝の心にて合掌。何事も嫌々為せば嫌気差し、楽し楽しと思ひて為せば事捗りて誠楽しく成るものなり。人間の幸不幸分けるは己自身の気の持ちやふ一つやも知れぬ。彼此思ひ悩み闇の中を彷徨ふよりは、能天気に笑ふて陽の降り注ぐ一本道跳びはね行くが幸せ。眉間に皺寄せ、「単純」を「複雑」に変へたとて何にならふ。雪に埋もれて静まる山古志の棚田に思ひ馳せ、日々雪を掻きつ考へ居たり。 ☆ ☆
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平成十七年一月九日(日曜)晴 正月三か日過ぎてより雪掻きに追はれし一週間なりき。四、五日玄関前に掻き集めて小山。七日昼夕二回掻きて中山。昨日は七日夜よりの雪夕方迄降り続きて昼前一度、夕に一度雪掻き集め大山と成れり。而ふして今朝十時より裏へ雪運びたれば優に二時間強要したり。冬場の運動不足解消に持って来ひとは言ふまじ、我には運動過多にて体壊しかねぬなり。“空からの便り”も、かふ頻繁にては有難迷惑、雪見酒酌みて一句捻り出す気にも成らぬ。と、ぼやきても始まらぬ。闘ひは此れより正念場、中越地震被災地に降り積もる雪を思へば我ら愚痴なんぞ言ふてはおれぬ。降ったれば降っただけ退治して呉れるわ。空元気でも出さぬより出したが増し。今年は弱音は吐くまひぞ。 ☆ ☆ 楽しき事のみ書き記すと言ふて、さふさふ楽しき事も無し。然れど思ひ煩ふ何事も無く、日々平々凡々老ひの身に見合ふた時流れ行くが一番なり。 世は事も無しとは行かず、連日性懲りもなく愚行破廉恥悪行の数々氾濫して魑魅魍魎跋扈しおるを見れば腹立たぬ日無く悲憤慷慨激の種絶へねど、怒りて思ひの丈書き連ぬれば悲しく成るばかりにて自ら平穏乱す元。老人独り「如何なものか」と気勢上げても、傍から見れば口煩ひ小言幸兵衛に過ぎぬやも。其れ故、思考は停止させねど諸事への怒りは記さぬなり。幾日も日乗に記す事なければ其れは其れで結構、日乗に空白在るは平穏に日過ぎ行きたる証しなれば。 |
平成十七年一月三日(月曜)曇時々雨 本日、銭湯午前八時より朝湯の日なれば七時四十分起床、口漱ぎて冷水一合飲み干し出掛ける。天気穏やかにして暖かし。客既に四、五人有り。番台に新年の挨拶為し、顔見知りの酒屋の御隠居と賀詞交換しつ湯に浸かる。温もり全身貫き正月の呑み疲れ一気に回復するが思ひ、ほんに極楽なり。サウナにて三、四十分汗流しおれば何時もの面々次々登場、交互に「本年も宜しく」の挨拶飛び交ひて賑はひたり。九時過ぎ戻りて冷へ冷への麦酒、甘露なり。 ☆ ☆ 銭湯の朝湯、今では正月だけに成ってしもふたは寂し。騒々しく忙しなひ御時世だからこそ、のんびり朝湯に浸かる余裕を持たねばならぬに……。当地札幌にて朝風呂が何時の頃迄続きおりしかは知らず。東京にては朝湯の廃止随分と早く、岡本綺堂の随筆『風呂を買ふまで』に「わたしは入浴が好きで、大正八年の秋以来あさ湯の廃止されたのを悲しんでゐる一人である」と書かれており、廃止は経営が成り立たぬ故の措置だったらし。然し其の後、客の要望多く復活せしめた銭湯も在りたりとぞ。 だからと言ふて「御宅も朝湯の回数をば増やせ」とは言ひ難し。今はスーパー銭湯なるものの出現にて客足減り、湯屋の経営は危機的状況。内風呂を持たぬ家が殆どだった頃と違ひ、今はアパートにも風呂が有る時代にて銭湯利用客は減少傾向。何処の銭湯も四苦八苦しおる。御多分に漏れず我が通ひおる銭湯も、二年前六丁程離れし所に大箱銭湯出現以来客足激減の由、風呂屋の大将より聞き及びしなり。此のままにては横丁より裸の社交場消へ行くも時間の問題か。常連客は皆々「何としても続けて呉れろ」と言ひおるも、経営成り立たねばさふも行くまひ。兎に角、客増やす以外存続の妙案無し。 麦酒呑みつつ朝湯の事ども考へおれば、朝餉の支度整ひて雑煮を食す。暖かにて雪とは成らず午後より時々雨降りて、老ひ二人屋を出でず。 ☆ ☆ 昨夕、子二人伴ひ従弟年始に訪れり。御年玉贈り、我が家の節料理にて持て成せば子の食欲旺盛、眺め居て気持ち良し。我と従弟酒杯交はしつ近況、商ひの事、近頃読みし本の事ども語り合ふて談論風発、彼此三時間余り共に斗酒猶辞せず。 彼「『人生劇場』を再読中だが、俺の存念は青成瓢太郎の最期の科白と寸分違はなひ」と、瓢太郎の科白暗誦せり。「人間はやれるだけやることが大切だ、やれるだけのことをやったら勝ったって負けたって文句はあるめえ、唯いよいよいけねえときの往生際だけはせめて男らしくやりてえもんだ!」。男なれば斯く在るべし斯く在りたしと、彼の存念確と受け止めし夜なりき。 さて我が存念は如何に。……何も無し。大愚良寛書簡の一節に「災難に逢時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」と有り。出来るなれば此の心持ちたし。此も存念か? |
平成十七年一月一日(土曜)雪後曇 現在、二〇〇五年(平成十七年)一月一日午前十時四十八分?秒。微量の雪片ひらりひらりと舞ひて、町内人通り無く清澄にして静謐なる元旦の佇まひなり。此れより新年を寿ぎ屠蘇を祝ひ終日酒浸りと成るやも知れぬ故、書き記す然したる事ども無けれど、酔ふ前に日乗記し置く事にせり。 昨夜、年取りの宴にて濁り酒幾杯重ねしか、何時の間にか転た寝しおりて女房殿に揺り起こされり。暮れの雑事、老躯に応へ疲れ一気に出で来るの感。「呑んで酔ふは当然なれど酩酊に至りては酒の効無し。風邪患ふが落ち。早々に寝るがよし」と宣うにより、除夜の鐘聴きもせで寝床に這ひ入りたれば後は朧の白川夜舟。今朝目覚むれば時は既に十時回りて、女房殿忙しなく立ち働きおりたり。「よく寝たり」と我、「彼此半日」と女房殿。新年なるに何とも変はり映へせぬ挨拶交はし、洗面の後、日乗認めおるところなり。 ☆ ☆ 年頭に当たり、改めて心に期する事無し。今は此の一年の日々、平々凡々平穏無事に過ぎ行き呉れるを唯々願ふばかりなり。ボケの花咲き初めし我なれば、新しき事共に果敢に挑戦為して脳細胞活性化させるべきなれど、平々凡々の日々遠退いて平穏なる日常失ふ恐れ在る故、又老ひて惚けるも「華」と思ひおる故、慣れぬ事はせぬなり。夏には雑草の声聴きつつ無心に草毟り、冬には嵩増す雪の声聴き恨み言呟きつつ雪掻き雪運び為すが我に相応。 平々凡々平穏無事に暮らし行くが一番なれど、どんなに願ふても時に混乱難事避け難きが世の常。其の時は其の時と腹括りおれど、思へば気重し。「明頭に来れば明頭に打し 暗頭に来れば暗頭に打し 四方八面に来れば旋風に打し 虚空に来れば連架に打す」と臨済録に有り。されど千変万化の事共に対し臨機応変、無心に対処為すなど小人の我には到底無理な話。未だ未だ修行が足りぬ我なれば、矢張り今は「何事も無く日々過ぎ行き呉れますやふに」と唯々願ふばかり。情け無き年頭所感なれど、本音なれば致し方無し。 ☆ ☆ 然ふ言へば、先月の新聞に「三日坊主にならない!?日記術」なる記事有りたり。中に「怒りや落ち込んだ感情をそのままぶつけると、後で読み返した時に、恥ずかしくなりますから、やめましょう」「できるだけ、嫌なことは書かずに、楽しい思い出やエピソードを書くようにします。嫌なことばかりでは、読み返す気がしないものです」と有ったやに記憶す。 我が日乗を鑑みるに、楽しき事皆無にして怒り嘆きばかり。老ひ先短き身なれば後々読み返す気も無けれど、考へみれば我が糞尿撒き散らしおるやふにて慚愧に堪へぬ。今年よりは怒り嘆き極力抑へて、楽しき事共記すを旨とせん。 「出来ましたよ」と女房殿の声。現在二〇〇五年(平成十七年)一月一日午前十一時三十三分?秒。いざ、屠蘇を祝はん。いざ、いざ。 ☆ ☆ 昨夜の醴抜けおらなんだか、屠蘇祝ひし後はお節肴に麦酒ちびりちびりにて気勢上がらず。雑煮餅食せば、とろり眠気催し来りて暫し横臥せり。三時頃になりて、女房殿「初詣に参らん」と身支度始めたれば已む無し、元日早々出歩きたふ無けれど我も渋々従ひたり。此の時間なれば参詣者少なからふと思ひおりたに、豈図らんや社殿より行列続きて境内にては足りず鳥居を抜けて街路に迄並びおる始末なり。陽既に陰りて外気凛々なれば長居は無用、我「明日にでも出直すが賢明。戻らふぞ」と言ふたれど、女房殿聞かず並びたり。 一歩進みて立ち止まり、一歩進みて立ち止まる。遅々として進み行かず、鼻水啜りつ待つこと四十分余、やふやふ社殿に辿り着き、賽銭投げ入れ柏手打って「無病息災家内安全。何事も無く日々過ぎ行き呉れますやふに」と唯々願ふ。災ひ要らぬ福だけお呉れとは言はぬ、福も要らぬ故災ひも持ち来るなの思ひ。長々頭垂れる暇も無く、後に続く行列に急かされるやふに初詣終へたり。御神籤贖ふ暇も在らばこそ、人波掻き分け早々に退散帰宅せり。皆々何を願ふて詣でるか。行列成しての神頼み、八百万の神々とて手が回らぬだらふ。 戻りて小一時間経過せるに、体冷へ切りてなかなかに温まらぬ状態。夕餉の膳も間近、熱燗ちびりちびり遣りながら待つとするか。正月なれば。 |